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特集 : 「総合的な学習の時間」が迫ってくる |
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佐藤 治
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2003年度からの新学習指導要領実施まで約1年半となり、この秋が各学校におけるカリキュラム検討の山場となることだろう。私は約1年前本誌において文部省の発刊した活動事例集をもちいて「実践事例から見る『総合的な学習』〜展開をめぐるいくつかのポイント〜」という小レポートを書いた。その中で高校における「総合的な学習の時間」の実践事例が極度に流通していない点を指摘したが、約1年を経過した。現在においても状況が大きく動いているようには思えない。各校が具体的方向性を固められない中でタイムリミットが着々と迫っているというのが偽らざる状況ではないだろうか。
そもそも高校の現場でこの「総合的な学習の時間」の検討がなかなか進まないのはなぜか。様々な要因があろうが、これまでの高校のカリキュラムづくり(特に神奈川において)が教科・科目への単位の割り振りというものをこえていなかったことに要因があるのではないだろうか。言い換えれば、教科・科目内やあるいは学年といった単位での教師集団で授業(ないしはカリキュラム総体)を創造してきた経験のなさが「総合的な学習の時間」への一歩を躊躇させているように思えるのである。
しかし一方で、2001年度において「総合的な学習の時間」を実施している高校も増加し、県教委への届け出を行って実施しているものは22校23課程にのぼっている。これらの学校に検討中の高校が学ぶことはきわめて多い。今回は9月20日に神高教主催で行われたカリキュラム学習会においてレポートされた上溝南、大沢、田奈の3校の内容を報告したい。また、筆者が7月に訪問した横須賀市立衣笠中学の実践も同時に収録した。教師が集団で取り組むことにおいては高校よりも一日の長がある中学の実践を高校が知ることもまたきわめて意義あるものといえるだろう。
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冒頭執行部よりなかなか検討が進んでいない全国状況や県内での施行の状況等の説明があり、3校のレポートにうつった。
(1)上溝南高校の「i−study」
上溝南高校からは松本和平さんがレポートした。松本さんは今年度の1年生からスタートした「かみなんi-study」と題される「総合的な学習の時間」の担当者の一人である。上溝南高校では「総合的な学習の時間」の「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考える」といった理念が今までの高校教育にかけていた部分であるという認識から、「私が学ぶ」という意味と共に、「inde-pendent(自立心のある)」、「interest(興味・関心)」という意味をこめて教科名を命名したという。
上溝南高校の「i−study」は生徒一人一人がテーマ設定し、年間を通じて調べ学習をしたうえで3月の発表・作品集の作成までつなげる予定となっている。まず入学前の段階の新入生招集日に「i−studyってなに?」というプリントを配布しテーマを考えるように指示した。入学後のガイダンスでテーマの決め方・例示・調べ学習の方法などと活動の記録欄を合わせた冊子「かみなんi−study2001」を配布し以後、週1時間の「i−study」がスタートした。
「かみなんi−study2001」の中で、テーマは7つの「フィールド」にくくられて示されている。フィールドは当初は「わたしたちの地域を知る」「人間の生活を知る」「自然を知る」「私たちの社会を知る」「文化・芸術の世界を知る」「科学・技術を知る」の6つだったが、これに収まらないものが出てきたときのために7番目のフィールドとして「別世界を知る」を追加した。また、テーマの例示・フィールドの設定では教科のようなものからはいるものは極力避けたいと考えたということだ。
1学期を通じて各担当教員との進捗状況の確認とアドバイスが繰り返されてきたが、ほとんどの生徒は1学期間をテーマ設定に費やしてきたのが実情のようだ。上溝南高校の実施したアンケートによれば、1学期末までに「テーマは決まったが先へ進めない」が40%、「少しずつ研究を始めている」が54%とほとんどの生徒がスタート地点にいるとのことだ。また、約60%の生徒が中学ですでに「総合的な学習の時間」を経験しているが、中学がグループ学習であるのに対して上溝南高校の「i−study」が個人での学習である点が中学の経験を活かすことが困難な要因と分析している。しかし、絶対数では少数であるが研究が進んでいる生徒のほとんどが中学で経験しているものであり、経験を活かせる者もいるということができる。
今後の課題もいくつか報告された。今年度の担当者は持ち時間の少ない者の中から15人が取り立ててルールもない中ではあったがスムースに決定した。しかし、必ずしも「総合的な学習の時間」に対して積極的な教員ばかりではなく、全職員にサポート体制の整備が課題と言えそうだ。また、担当者以外とも情報を共有化するために「かみなんi−study連絡ノート」というニュースを発行し、外部で行われる研修会等への参加の呼びかけなども行っている。この「i−study」の実施や検討の中から来年度学校設定科目として「課題研究」の「教科・卒業研究」をおくこととなった。その科目内容を文章化する中で、現在行っている科目でも多くの大学が行っているような形でシラバスを示す必要性を感じるようになったという。上溝南高校では「i−study」や90分授業の展開などの学校改革について文化祭等を通じて保護者・地域の人たちにも明らかにしており、学校がやろうとすることをわかりやすく示し、そのリアクションを活かしていきたいとの考えであり、学校としての1年間のとりくみを研究紀要のような形でまとめることも目標としているとのことであった。最後に松本さんは現在の自分の実感として、15時間の理科を担当しながらの「総合的な学習の時間」の実施と検討について、「たしかに大変ではあるがやっていて面白い」との感想を述べた。
(2)大沢高校の「総合的な学習の時間」
大沢高校からは大津信禮さんが報告された。大沢高校では7年ほど前から朝の読書のとりくみが行われ、3年前からは時間割の中に10分×5日で1単位として設定されるようになった。同時に自由選択科目を多く設定するなど生徒の興味を引くものを設定するなかで、総合学科や単位制への方向を追求する議論も起こっていた。当時は職員の意見も分かれて一旦その動きは沈静化したが、高校再編計画で総合学科に指定され、そのステップとして総合的学習の研究開発校にも指定された。本年度「総合的な学習の時間」の実施は2年目を迎えている。
大沢高校の「総合的な学習の時間」は、3学年共通の「読書の時間」(各1単位)と1年生の「課題研究」(1単位)、2年生の「体験学習」「進路学習」(合わせて1単位)の合計5単位からなる。「総合的な学習の時間」は土曜日に授業がある週の木曜4、5時間目におかれ、隔週での実施によって1単位としている。(土曜が休みの週は木曜の4、5時間目に土曜日の授業が入る)この2時間連続という形態により、校外での活動を展開しやすく、また全職員でのとりくみが可能となっている。この時間3年生は放課となるので3学年所属の職員は他学年のサポートに回っている。
朝の「読書の時間」については各方面で紹介されているのでここでは省略をする。1年の「課題研究」は、1学期は「総合的な学習の時間」全般におよぶオリエンテーションの後に講演会、パネルディスカッション等を経て各自のテーマを計画し、2学期から各グループに分かれての具体的活動に入る。昨年度ではグループとして「自然・花」「食品・健康」「旅行と地理」「心を見つめる」「学校周辺の生物、生物の標本制作」「釣り・工作・物作り」「健康・スポーツ」など12の分野と、設定されたどれにも当てはまらないものの場合のための「ノンジャンル」の計13分野がグループとして設定された。このグループでの活動を通じて3学期に発表をまとめ、報告を行う流れとなっている。大津さんはこの1年での「課題研究」と2年の「体験学習」「進路学習」をどう関連づけるのかが現在の課題だと述べていた。
2年生の1学期に行われるのが「体験学習」となる。4月のオリエンテーションののちに、5〜6月に計4回の体験学習が行われる。昨年度では「お寺(お寺の見学、禅体験)」「地域の研究(地形観察、醤油工場見学)」「幼児教育(幼稚園等での実習)」「手作りを楽しむ(ジャム・ヨーグルトづくり)」「ゴルフ入門」など15のテーマが設定された。この体験学習は受け入れ先にもおおむね好評で、体験した生徒も8、9割の生徒に好評とのことだ。大津さんはこの中で「福祉」を担当している。以前から選択科目として設置し、担当していたそうだが、障害者施設での実習を終えた生徒が「また来てねっ」と声をかけられ、「期待されているワタシ」を経験し、「僕に、僕がこんなに優しいことを教えてくれたこの授業は最高」と感想を残した生徒のエピソードを紹介してくれた。2年生の後半(2、3学期)は「進路学習」にあてられる。キャリア・プランニングに関する全体講演会や事前学習を行ったうえで、2回にわたって大学・専門学校・企業の見学を行い、3月にまとめを行った。
大沢高校の報告からは「読書の時間」を通じて培われた学校全体で取り組む姿勢の重要性と生徒にさまざまな体験をさせたいという思いが伝わってきた。「体験学習」「進路学習」等での外部との連絡はかなり負担になっていることは容易に想像できる。しかし、1年半を経過したなかで大津さんは「総合的な学習の時間」は「確かに大変だけど、やってやれないものではないという印象」と語っていたのが印象的だった。
(3)田奈高校の「総合的な学習の時間」の 検討
前2校と異なり、田奈高校はまだ「総合的な学習の時間」として実施はしていない。しかし、従来から「学校改革推進委員会」を設置し、学校づくりに積極的にとりくんできており、今回は「総合的学習の時間」についても従来からのとりくみを活かす方向での検討状況が報告された。残念ながら、当日発表予定であったレポーターが急遽参加できずに、ピンチヒッターの園部守さんが発表となった。
田奈高校では継続的な学校づくりを可能とすることを目的に、1994年に「学校改革委員会」を設置した。この推進母体を中心に2期制の導入、生徒減によってできた空き教室のランチルーム等への活用などを進めてきた。また、学校の実態から、安全教育、健康教育などにとりくむとともに、教科として「進路研究」「情報処理」を設置してきた。こうしたなかで、従来からの教科をこえた集団的教育活動がすでに形成されていたことが大きな特徴であろう。
こうした背景のなかで、田奈高校では新カリキュラム編成の基本的視点として1999年の段階で「これまでの田奈高校の学校改革の理念を継承し、それを発展させるものとする」ということなどを職員会議で確認し、「総合的な学習の時間」についても従来行ってきた内容を継承する方向が検討されている。現在のところ、1年生の「総合的な学習の時間」では進路教育、安全教育(交通安全・薬物教育)、健康に関する教育、性教育などが盛り込まれる方向だという。
「総合的な学習の時間」実施に向けて重要なことの1つにその推進体制の整備がある。この点で田奈高校はきわめてユニークな方向性を持っている。それは「総合的な学習の時間」に盛り込まれる教育内容を従来から担当していた分掌を基盤として行うというものだ。一見奇抜とも思える方策だが、従来から「総合的な学習の時間」的な教育活動をおこなってきた学校の推進体制としては合理的なものかもしれない。また、「カリキュラムを狭義の教育課程の範囲にとどめることなく、学校の教育理念、思想全般を包括するものと考える。すなわち教育課程のみならず、授業の展開、形態、内容、生徒指導や進路指導、教科外活動等、学校の教育活動全般を視野に入れて、それらが効果的、効率的に機能される学校のシステム全体をカリキュラムと考える」(新カリキュラム編成の基本的視点・1999)と確認した田奈高校ならではの方法かもしれない。
(4)学習会雑感
学習会はこの後、全国状況の補足があり、施設使用上の問題、教員の持ち時間などをめぐる質疑を交わした後に終了した。しかし印象的だったのは参加者の多くが終了後にも会場に残り、報告者に質問を続けていたことであった。やはり情報をほしがっている高校の現状を映しており、情報発信の必要をさらに感じる場面であった。
また、3校の報告からは今後各校で検討すべき視点が示されているものであった。上溝南の報告からは学校が目指すものをわかりやすく示すことによって生徒にもパースペクティブを持たせようとする努力の必要性が感じられ、大沢の報告からは生徒が将来に目を向けるチャンスづくりをどう用意できるか、という「総合的な学習の時間」の本来的な追求の方向性が読みとれた。また、田奈の報告からはカリキュラムを学校全体の枠組みでとらえる視点と推進体制の重要性が感じられた。
別表:2001年度「総合的な学習の時間」導入校(県教委調べ)
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3.衣笠中学校での「総合的な学習の時間」へのとりくみ |
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(1)2001年度衣笠中学校1年生の「総合的な学習の時間」のとりくみ
横須賀市の中部にある衣笠中学校では2000年度「総合的な学習の時間」の試行において学年ごとのとりくみが行われたが、その中でも1年生の試行がきわめてユニークなものとして注目を集めた。1年生の「総合的な学習の時間」は「経済活動を通して社会とのかかわりを考える」を内容として、主としてものづくりを行いできあがったものを販売し、そのお金を使うまでを体験するというものであった。同校のとりくみは日教組第50次教研集会でも報告されている。今回は当該学年を担当された三浦さんに話を伺った。
(2)試行への歩み
校内で新教育課程について検討する機関として「教育課程小委員会」がおかれ、そこで新教育課程およびその試行について議論が行われた。中学校において新たな課題となったのが「総合的な学習の時間」と「選択制」であったが、衣笠中学においては、まず2000年度に「総合的な学習の時間」を試行し、2001年度に「選択制」を取り上げることとなった。
試行にあたっては、内容を含めて学年ごとのとりくみを基本とし、各学年に担当者を設定し、定期的に連絡協議会を持ち、各学年間の連携をとることとなった。またカリキュラム上の位置づけとしては、時間割上におくのではなく、試行期にあっては年間12時間程度を基本にするとの合意の上で、4月から5月に各学年で内容を検討し、6月に決定という段取りとなった。この際に時間割の中に組み込むという発想はほとんど生まれなかったという。「総合的な学習の時間」の盛り上げをどうつくるかというところに主眼をおいたというが、同時に他の教科学習の時間確保も意識されたようだ。ここにも高校入試の壁が作用していることは高校側が受け止めなければならないことだろう。
この各学年での検討の際に2、3年の内容決定に際してはあまり苦労しなかったという。なぜなら以前から2年では6月には班活動と見聞学習を内容とする社会見学、12月には市内の事業所における職場体験学習が行われており、3年では卒業生の話を聞く進路学習や修学旅行の際の見聞見学が行われており、それぞれを「総合的な学習の時間」にスライドさせていく方向が早々に見いだせたからだった。一方で1年はそうした積み上げが無く、内容について新たな創造が必要とされた。当初は学校のある環境を意識した「ホタルの住むところ」や「平作川の水」などを中心とした環境をテーマにすることも検討されたが、生徒の実態などを見たときに「ものづくりの現場に子どもたちがふれていない」ことや「生徒の生活実態が希薄になっている」との思いから当初のような内容になった。
(3)「総合的な学習の時間」の実際
「ものづくり」の実際の場面としてまず直面したのが何をつくるかということである。当初から予算が限られていたこともあり、リサイクルや原材料費がかからないことが前提となった。また、売ることまでを活動の中に含めて考えていたことから「同情で買ってもらえるもの」ではなく、「実際に買って使えるもの」の作成が目指された。そうした条件から教員・PTA・地域の中の人材探しが行われ、1学期に1回講師を招いてのものづくり講座が行われたうえで、「何をつくるか」が夏休みの生徒の課題となった。2学期を迎え生徒から出てきた品物の審査等を経て2回の講師を招いてのものづくり講座が行われた。製品は20の分野で44品目にのぼった。中には教えてくれる講師が不在で夏休み中に教師が悪戦苦闘して製品化にこぎ着けたものもあった。実際のものづくりの場面ではろくに作業を行わない生徒が多いのではないかと心配されたが、かなり熱心に取り組んでいる姿が印象的だったという。
できあがった製品を売る場が次の段階での課題となった。当然人が多く集まる場面が必要となった。そこで、PTA行事としてバザー等が行われていた「あすなろ祭」とのジョイントがはかられた。同時に主として2、3年生を対象に卒業生の話や保護者地域の人の職業にかかわる話を聞く「進路講座」が同時並行で行われることとなった。こうして11月4日の「あすなろ祭」は衣笠中学の総合学習の集約的な行事とPTA行事が結びついたものとして開催された。
1年生の製品は作成者ごとではなくクラスごとに製品を割り振り、店のデコレーション等での工夫を行った。結果として1年生の販売は20数万円の売り上げを上げた。次はこのお金の使い方を考える場面だった。生徒たちの討議を経て、売り上げの半分で全学年の教室に電動鉛筆削り、クラス用のボール、穴あけパンチを購入し、残りの半分を新聞社等を通じて三宅島の被災者などへの募金に使ったそうだ。
1年生の「総合的な学習の時間」は、この「あすなろ祭」を1つのピークとし、川崎の「ものづくりマイスター」を招いての講演会、2月には市内でのものづくり職場体験を行って幕を閉じた。
(4)1年間の実施を経て
1年の施行を経て大変だったとの感想が事実であるようだが、同時におもしろかったという感想も聞けた。何をつくるかという模索の中で、教員自身もまた学ぶ側に回ったり、共に作業に入ったりする中で、今までの「教える」という発想からの転換も生まれてきた。また同時に今までの授業の中で見せなかった顔を生徒が見せたときなどは、こうしたことが本来やりたかったことだと思えるときもあったという。こうした中で、試行当初には「いずれ(「総合的な学習の時間」)はポシャるのでは」といった予測や教科指導の枠組みから脱せ得ない不安などもあったが、現在では「総合的な学習の時間」を否定的にとらえる雰囲気はなくなっているという。
学校全体としては試行2年目となっている今年も昨年同様各学年のとりくみを中心に行っているとのことだが、3年間を通じたテーマ設定等についても本格実施に向けての議論にゆだねられているとのことだ。
(5)中学の実践から考える
衣笠中学の実践は教研レポートとして事前に読んでからの取材だったが、何もわからないところからの暗中模索のとりくみであることは再確認できた。その点で、衣笠中学で学年が果たしたような「総合的な学習の時間」創造の主体を高校ではどの機関が果たすのかを明確にする必要性を強く感じた。もちろん、カリキュラム上の位置づけは各校の教育課程の委員会が行うであろうが、実施が近づくにしたがって、具体的に内容をどう決定し、運営していくのかを決める主体の必要性は増してくる。こうした認識に立っての校内機関の整備が何より大切であると感じた。
また同時に強く感じたことが、こうした中学の実践をより多く高校が知ることだ。今年に入ってほぼ全中学校が「総合的な学習の時間」の試行に入っているという。そういう意味で我々が学ぶべき実践の数は飛躍的に増えている。中学校の実態を高校が知ることの必要性をここで指摘するのは、中学の実践をヒントに高校が実践することのみからではない。(もしそうであればこれほど情けないことはないが)近隣の中学でいかなる「総合的な学習の時間」が実施されていることを知ることなく高校が「総合的な学習の時間」の実践を考えたときに相互の内容が干渉ないしは重複することが危惧されるからだ。平和学習で映画を見せて、生徒に「先生この映画は中学で見た」といわれた経験を持っている人も結構いますよね。こうした轍を踏まないためにも中高の連携がますます必要になってくると考えられる。余談だが、ある中学校関係者に「中学校の『総合的な学習の時間』の実践を高校が聞く場がほしい」といったら、「それは中学側にはどういうメリットがあるのか」と反問され答えに窮したことがある。今後高校側が中学に対して協力できる事項を検討することも必要かもしれない。たとえば、衣笠中学も実施していくうえで「ヒトとカネ」が大きなネックとなっていたことを報告しているが、「どこの学校にどういう内容に協力できる人がいる」ということを情報交換することが可能であれば中高双方に有用なこととなるであろう。中高がお互いの「総合的な学習の時間」の内容を知ることからもう一歩協力関係をつくることは将来的に検討すべき課題だろう。
今回の取材を通じて、「総合的な学習の時間」実施をめぐるさまざまな課題も再確認できた。しかし同時に、衣笠中学の「大変だったけれど楽しかった」という感想から勇気を与えられたような気がする。この「総合的な学習の時間」を含んだ新教育課程は今後、急速な検討を求められることも考えられる。時間がない中ではあるが、「どのような学びの場」をつくるのかを職場の中から議論しながら進めていく形作りが何より必要だろう。
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今回紹介した高校3校、中学1校の「総合的な学習の時間」は、手探り状況のなかからのものであった。そしてその中では「教員が教える」から「ともに探し、考える」という意識への変革が読みとれる。また、その過程の体験からは3校の報告者ともに「大変だったけれど面白い」と一様に述べているのが印象的だ。学力低下問題等を理由にこの「総合的な学習の時間」が今後どうなるのかが議論され、一歩踏み出したくない雰囲気が全国的にある。しかし、実施校の報告からもこの時間が意味のないものでないことは察せられる。問題点の指摘が多くなされていることも事実である。しかし、多くの批判を背負いながら誕生した「現代社会」が現場をベースにした多くのとりくみのなかで、多様な教育内容の土台となったように、各学校の元気をつくる「総合的な学習の時間」として活かしていけないだろうか。そのためには学校・校種をこえた実践、情報さらには人的・物的資源の交換が重要だろう。
(さとうおさむ 教育研究所員県立横須賀高校定時制教諭)
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