特集 : 「総合的な学習の時間」が迫ってくる
 

「だれでも取り組める

『総合的な学習の時間』」をもとめて

−田奈高校の「総合的な学習の時間」づくり−

本間 正吾

 
 はじめに

 「総合的な学習」の導入時期が間近に迫ってきた。もしかしたら「総合的な学習」には、既存の教科の枠にはおさまらなかった魅力的な内容をもりこむことができるかもしれない。「総合的な学習」にはそう予感させる一面もある。その道を追求したいともおもう。しかし当面はどうしても不安ばかりが先立ってしまう。何をやったらいいのか。内容が決まったとしても、どういう形態でやったらいいのか。あるいは生徒が新しい授業を受け入れてくれるだろうか。もしうまくいって期待どおりの「総合的な学習」をつくることができたとして、それを長続きさせることができるだろうか。不安の種はつきない。たまたま校内で「総合的な学習」づくりをすすめる立場にたっている私も自信はない。だからこそ「だれでも取り組める『総合的な学習』」をつくることはできないものかと思う。そういう思いから、このレポートをまとめてみた。
 私の勤務する田奈高校では「総合的な学習」の検討のため、「『総合的な学習』検討作業部会」という機関が昨年度からつくられ、検討をすすめてきた。検討作業はこの3月までにおよその輪郭をつくるところまですすむことができた。そして今年度中に1年生(2単位相当70時間)の「総合的な学習」の具体的授業計画を作成し、来年度は可能ならばその試行を行い、さらに2年生(1単位相当35時間)の授業計画に入る予定である。計画どおり完成にこぎ着けるかどうかは、これからの作業しだいである。
 ところで「作業部会」という名称は聞き慣れないものかもしれない。本校には「学校改革委員会」という組織があり、学校システムの全般にわたり見直し等をすすめている。その中でとくに検討を要する作業テーマがあった場合に、「作業部会」というものが設置され、具体的な取り組みをすすめることになっている。「総合的な学習の時間検討作業部会」というのもそのひとつである。
 昨年この「作業部会」が設置されたとき、そのメンバーは「学校改革委員会」「カリキュラム委員会」「進路研究教科会」から選出された4人であった。この中の「進路研究教科会」についてはすぐ後で説明する。このメンバーで昨年度の検討はすすめられ、一応の報告をまとめて任期を終了した。そして今年度は、生徒指導部、進路指導部、管理保健部の3つの分掌、それに体育科、「学校改革委員会」、「進路研究教科会」からそれぞれ1名ずつメンバーを選出して「作業部会」は出発することになった。このメンバーの構成の仕方は、第一年目の「作業部会」の検討結果を受けて決まったものであった。分掌や体育科からメンバーが選出されていることに、不思議な感じがしたかもしれない。じつはこの「作業部会」の構成の仕方に、田奈高校の「総合的な学習」の大きな特色があるといえる。
 

1.「進路研究」という科目

 さて「総合的な学習」の話にはいる前に、さきほど登場した「進路研究」という他の学校にはない科目の説明をしておかなければならない。この「進路研究」という科目は、設置してすでに5年目に入っている。教科としては「職業」の名をとり、週1時間、1単位科目として、1年生全員が履修・修得するようになっている。さらに2年次にも同じ科目名で学年全員を対象とした授業を週1時間でおこなっているが、こちらは主として情報機器をつかった授業になっているので、ここで問題にするのは1年生対象の授業の方である。

(1)運営方式
 この「進路研究」の授業を担当するのは原則として1学年の副担任である。そして2クラスずつ3人で授業を担当することになっている。週一回しかない授業のため生徒と接する機会が少ないという理由、また例えば職場見学のような行事の実施の便を考えると、授業担当者は学年に所属しているものが望ましい。しかし、担任が「進路研究」を担当するとなるとどうだろうか。担任は一般教科の授業とロングホームルーム、毎日のショートホームルーム、様々なかたちでクラスに関わっている、そこに「進路研究」を加えた場合、担任の負担は大きくなりすぎてしまうのではないか。そんなところから1学年の副担任を授業担当にあてるという原則がつくられた。
 また2学年と3学年から1人ずつのサポート役が加わっている。その中に進路指導部のメンバーも含むのが原則である。というのは、もともと「進路研究」という科目は1学年だけで完結するものではなく、三年間とおした進路指導の体制をつくり、その中に「進路研究」を位置づけていこう、というのが当初の計画だったからである。そんな理由から他学年からのサポート役を加えるということになった。ただ、すべてが計画どおりにすすんでいるわけではない。「進路研究」を含んだ3カ年をとおした進路指導の体制をつくるという当初の計画も、残念ながらいまだに実現されていない。授業担当にしても、持ち時間のアンバランス等の理由から必ずしも原則どおりにはなっていないのが実状である。
 ともかく授業担当者の3人とサポート役の2人によって「進路研究教科会」はつくられている。週1回の教科会は時間割の中に組み込まれ、そこで次回の授業の確認、行事等の準備、授業内容の見直し等をおこなうようになっている。この教科会は、授業をすすめ、教材の確認と見直しをする上で欠かせない役割をはたしている。

(2) 「進路研究ノート」
 では「進路研究」というのはどんなことをやっているのか。この授業で使用している自主編成教材、「進路研究ノート」の目次はこんなものである。

≪1≫「進路研究」の授業紹介
≪2≫自分自身の性格や興味について
≪3≫あなたの現在の進路希望は?
≪4≫世の中の職業について
≪5≫進学について
≪6≫田奈高校に来た求人票を見る
≪7≫働くものの権利
≪8≫働く場での男女差別

 この目次にそって課題が設定され、生徒はほぼ1時間に1課題をこなしていくようになっている。さらにビデオ教材もできるだけ使って授業展開に変化をつけるようにもなっている。そのほか、職場見学、卒業生による講話、社会人による講話などの行事も設定されている。そして、行事に関するページ、ビデオに関するページも、それぞれノートの中に組み込まれ、生徒も、担当する教員も、このノート1冊があれば授業にのぞむことができるようになっている。このノートが最初につくられてからすでに5年がすぎた。授業を進める中で出てきた問題点等を受けて、「進路研究教科会」が毎年少しずつ手を加えて現在のかたちになってきたのである。
 ところで目次には「働くものの権利」「働く場での男女差別」のような一見したところむずかしそうな項目もならんでいる。しかし、具体的な権利やそれに関連した法規、あるいは求人票の記載内容を整理する内容になっており、けっして抽象的なあつかいをしているわけではない。高校を終えたらすぐ就職する生徒にとっては、ここで学ばなければもう学ぶ機会はないだろう。また進学したとしても、はたしてこんなことを学ぶ機会があるだろうか。あるいは高校在学中でも、多くの生徒がアルバイトというかたちで働いている。働く上での権利などは、ぜひ早く知ってほしい。そんな視点でこうした項目がもりこまれたのである。
 他方、目次には「何のために働くか」「働くことの目的」というような項目はない。働くことの意味を考える必要がないというわけではない。しかし「何のために働くか」という問いに対する答えは、千差万別だろう。間違っている答えも、正しい答えもない。答えが分からなくとも、仕事には就かなければならない。また、おそらく仕事に就いてから、そこに意義や楽しみを見いだしていくのがふつうなのではないだろうか。もしいま無理に答えさせようとするならば、その答えは抽象的なものになってしまうのではないか。だからこうした項目はあえて課題として設定することを避けた。課題の設定は、生徒が答えやすいもの、いまの段階での彼らなりの答えを見つけることができるものにしぼっている。

(3)なぜこんな科目をつくったか
 ところで、なぜ限られた授業時間を割き、多大な労力を費やして、このような科目を置くことにしたのか。そのあたりの事情を若干説明しておきたい。
 昨年度の本校の卒業生の進路状況は、進学38.7%、就職21.0%、その他40.3%となっている。ここ数年大学・短大に進学する生徒の数はかなり増えてきている。しかし92年までさかのぼって同じ数字をみても、進学35.9%、就職40.6%、その他23.5%となっていた。おおまかな数字をみる限り、年度により多少の増減はあるものの、進学先が決まって卒業するものの割合はわずかな増加にとどまり、ほぼ一定した水準にとどまっている。それに対し、就職先が決まって卒業する者の率と「その他」の率は、逆転する結果になっている。数字の上から言えば、就職先を決めて卒業する生徒が大幅に減少し、その分が進路を明確に決めることができないまま卒業する生徒の増加になっているのである。そしてその背景には、求人数が92年から昨年までで十分の一に激減したという現実がある。
 もちろん、進学も就職も決まらないまま卒業する生徒は、最近ではどの学校でもそれなりの数でいるのかもしれない。また高校を卒業する時点で、自分の進路が明確に決まっていなければならないというわけでもない。迷ったまま卒業する。あるいは希望どおりの進路先に進むことができず、1年2年待つ。こういう事態はあってもふしぎでもなければ、あながち否定すべきことでもないかもしれない。しかし、進学もせず就職もせずに卒業していく生徒を、ただ「ふしぎなことでもない」といって送りだしてそれですむのだろうか。
 様々な職業についての基礎的な知識、どんな職業があり、どんな資格があるのか、それを得るためにはどんな方法があるのか。あるいは自分の権利を守るどんな法律があるのか、権利を守るためにどんな手だてがあるのか、何を主張できるのか。こうした社会生活を送っていく上で、もっとも重要とも言える事柄について、生徒たちは学校でほとんど学ぶ機会をもたずに卒業していくことになる。もちろん、彼らの多くはアルバイトの経験があり、身の回りでも様々な人々を見ているかもしれない。しかし、だからといって、彼らの経験に任せたままでいいのだろうか。あるいは、いまでも社会科の授業の中などでそれなりに取り扱ってはいるかもしれない。しかし、特定の教科でやるだろう、と片づけてしまっていいのだろうか。学校全体でこの問題に取り組むことはできないものだろうか。そんな問題意識から、この「進路研究」という科目はつくられたのである。
 

2.「総合的な学習」の検討

 「進路研究」の話が長くなってしまった。ただ田奈高校では「総合的な学習」を考える場合、どうしても「進路研究」という科目の経験がモデルになってしまうのである。「総合的な学習」の授業形態を考える場合には、「進路研究」の授業がイメージとして頭に浮かぶ。また内容を考えるときにも、「進路研究」をなんらかのかたちで「総合的な学習」の中に取り入れる方向で考えることになってしまう。だから「作業部会」が検討を始めるときにはすでに、「進路研究」を「総合的な学習」の中に組み込むことが検討をすすめる上での前提として確認されていた。

(1)行き詰まりかけた検討作業
 しかし「進路研究」を「総合的な学習」の中に組み込むことが決まっていたとしても、それ以外の部分は白紙である。どのように検討をすすめたらいいのか。ともかく様々な案やイメージを出しあうしかない。
 検討の最初の段階ではこんな案も浮かんだ。個々の教員がすでにおこなっている様々な実践、あるいはこれからやりたいと思っているアイデアを掘り起こして、「総合的な学習」として通用するものをつくってはどうだろうか。たとえば国際交流に関心を持ち、関わっている教員もいる。あるいは福祉の問題に関心を持ち、活動をしている教員もいる。表現は悪いがそれらを寄せ集めれば、「総合的な学習」になるのではないか。
 だがこのように個々の教員の活動や問題意識をたよりに「総合的な学習」をつくったとしても、それが長続きするとはおもえない。どんなすばらしい実践であっても、それが個人の実践にとどまっている限り継続性はない。優れた実践であればあるほど多くの教員に共有され継続性を持つものになっていかなければならない。そのためには実践を担う組織をつくらなければならない。
 たとえば、全教員を構成員として含むテーマ別のグループ、興味関心別のグループをつくって、「総合的な学習」を担当していく。そんな方法もあるだろう。だがそこには大きな問題がある。いま教科に所属し、学年に所属し、分掌に所属し、委員会に所属している教員に、さらに新しい組織に所属することをもとめるのか。おそらくどこの学校でも同じだろうが、この田奈高校でも学校規模の縮小とともに教職員の数は減ってきた。いわゆる加配も期待できない。それなのに仕事量はほとんどかわらない。だれもがいま抱えている仕事で手一杯である。こんな状況の中でさらに「総合的な学習」のために新しい組織をつくるのか。これは本校の現状を考えたら、とても現実的な案とは言えない。内容と同様に、「総合的な学習」の運営方法も現実的なものを考えなければならない。早くも検討は行き詰まりかけた。

(2)画期的なアイデアの登場
 ここでいままで考えもしなかった角度からユニークなアイデアが飛び出した。「総合的な学習」を分掌に担わせようというアイデアである。「教科に位置づけることができず、新しい組織をつくることも難しいならば、そしてすべての教員がかかわったものにしようというなら、分掌ではどうだろうか」。
 教務部とか総務部といった分掌は、これまで授業に直接関わったものとは考えられないできた。たぶんどこの学校でも同じだろう。だがそれぞれの分掌の仕事内容をあらためて見直してみると、程度の違いはあれ授業に生かすことができる内容がそれなりに存在している。たとえば本校では総務部が担当している人権に関わる研修などは、これまでは教職員の研修として実施されてきた。これを直接生徒を対象にするものに発展させることはできないものだろうか。あるいは、救急・救命に関わる研修は管理保健部が担当しているが、これを授業に生かすことができないものだろうか。つまりこれまで各分掌が担当してきた仕事の中から、授業に生かせるものを探し出せば、「総合的な学習」をつくっていくことができるのではないか。おもしろい発想というより膠着状態を打開する画期的アイデアである。このアイデアを提供したひとはさらに次のような具体的案をつくってくれた。

進路指導部・・・進路教育(進路研究)
生活指導部・・・安全教育
管理保健部・・・環境教育と救命・救急に関する教育
総 務 部・・・人権教育
生徒会指導部・・創作活動教育(文化的教育)
教 務 部・・・資格取得に向けた教育

 教務部の「資格取得に向けた教育」というのは、いま教務部がやっている仕事からすればやや無理な観もある。また、生徒会指導部の「創作活動教育」というのも、やや具体的イメージにとぼしいような気もする。しかしまったく新しいものをゼロからつくろうというのではなく、各分掌が現在かかえている仕事の延長線で「総合的な学習」をつくっていこうという発想である。これがうまくいけば、新しい組織をことさらつくることなく、いまある分掌の仕事のひとつとして「総合的な学習」を位置づけていくことができる。充分に魅力的、しかも現実的なアイデアである。

(3)「安全教育(生活教育)」の浮上
 これ以後の検討は、このアイデアをもとにして進むことになった。ただ、このアイデアが魅力的であったとしても、実際の方法を考えていくと、やはり様々な問題がありそうである。たとえば、もしすべての生徒にここにあげた全分野を学ばせようとするならば、少しずつさわりだけやることになるだろう。それはそれで意味がないとは言えないが、あまりにも散漫になってしまう。あるいは、コースをつくってどれかの分野を選択させるという方法もあるだろう。だがすべて同じレベルで考えてしまっていいのだろうか。とくにすべての生徒に考え学ぶ機会を保障したい分野はないのか。
 こんな検討をすすめていく中で、いまかりに「安全教育」と名づける分野がとくに注目されるようになってきた。「進路研究」という科目は、生徒のこれからの生活に役立つものという視点からつくられた。同じように、「総合的な学習」も、これからの生活のために必要な知識にふれ、考える機会を生徒に保障するものにしたい。それならば、交通安全を中心として、薬物にかかわる内容、あるいは性に関わる内容などは、高校入学後すぐの生徒すべてを対象にして実施した方がよいのではないか。こうして、「進路研究」とならぶ「総合的な学習」の柱として、「安全教育(あるいは生活教育)」というものが浮かび上がってきたのである。
こうして「総合的な学習」の具体的な授業計画の検討に入った。だからこそ、進路指導部、生徒指導部、管理保健部という3つの分掌と体育科から、「作業部会」のメンバーを加わえる必要が生じたのである。そして新しいメンバーで検討をすすめた結果、次のような項目に沿った「作業ノート」の原型をつくるところまで、検討作業はすすめることができた。

「総合的な学習の時間」(1年次)の作業ノートの案

1.次の2つの内容を主な柱とする

(1)職業と進路に関する知識を広げ、自分の進路を考える学習
 現行の「進路研究」を発展させたものとする
(2)社会生活をおくる上で必要な知識を広げ、自分の生活について考える学習
「安全教育」交通安全、薬物、性教育等の内容の学習を考える

2.安全教育(名称については生活教育という案もある)の主な項目案
 (作業ノート作成にあたっての「目次」案)

(1)体と健康
 ・日ごろの生活リズムについて、自分なりに確認し、問題点等を考えてみる
 ・日ごろの食生活について、自分なりに確認し、問題点等を考えてみる
(2)体に害を与えるもの
 ・喫煙の問題
 ・飲酒とアルコール依存症
 ・薬物の危険性
 ・薬物と犯罪
 ・薬物等に係わる法規
(3)交通安全について
 ・交通全般、環境への影響、交通事故
 ・田奈高校の現状
 ・交通法規について
 ・保険制度と補償問題
(4)性教育
 ・思春期と性
 ・家族計画と性にかかわる責任
 ・性感染症
 ・性犯罪と関係法規
 ・エイズとそれをめぐる問題
(5)まとめ
 ・安全で健康な生活を守るために
 ・これからの総合的な学習に向けて
  来年度の「総合的な学習」に向けたガイダンス(各テーマの説明)

 もちろん今は原型をつくっている段階であり、内容を盛り込み仕上げるまでは、まだまだ時間と手間がかかるだろう。そして1年生の分(2単位相当)の見通しが立ったところで、2年生の分(1単位相当)に取りかからなければならない。2年生については、いまのところの計画では、先にあげた「総合的な学習」につながる分掌の仕事の中で残ったもの(例えば総務部にかかわる「人権教育」など)を中心にしながら、それ以外に考えられるもの(例えば国際理解にかかわるものなど)を含めて、幅広いものを考えていくつもりである。そしていくつかのコースをつくって、生徒に選択させるつもりでもある。とはいえ2年生の分についてはまだ計画だけであり、田奈高校の「総合的な学習」づくりは、道半ばというよりも、やっと出発したというところである。
 

最後に・ここまでの検討を終えて

 最後にここまでの作業を振り返って思うことを記しておきたい。「総合的な学習」をつくることはたしかに手間のかかる仕事である。しかし「総合的な学習」の手がかりを見つけることはそんな難しいものではないのではないかとも思う。創立後十年二十年たった学校であれば、それなりの理想から、あるいは必要に迫られながら、さまざまな実践を積み上げてきたはずである。各教科の活動、教科外の活動、あるいは分掌の仕事の中に、「総合的な学習」へとつながる内容がすでに含まれているはずである。なにもゼロから新しいものをつくろうなどと無理することはないと思う。それぞれの学校の中で積み重ねてきた活動を見直して、何ができるかを考えるならば、生徒にとっても教員にとっても身近な「総合的な学習」がみえてくるのではないだろうか。
 また内容を考えると同様に、あるいはそれ以上に難しいのは、「総合的な学習」を担っていく組織をどうつくっていくか、ということではないだろうか。どんな素晴らしい内容の「総合的な学習」だったとしても、「できる人がいたから、たまたまできた」で終わってしまってはならない。「総合的な学習」に必要な教材を用意し、授業に責任を持ち、内容の手直しも継続的に担っていく、そんな組織が必要だろう。いま田奈高校では、分掌を中心に考えようという方向で検討がすすんでいる。もちろん分掌だけですむとは思えない。分掌の中におさまりきらない内容もある。分掌が中心になりながらも、新しい組織をつくる結果になるかもしれない。それはそれでできあがった内容による。いろいろなやり方があるだろう。ただ、継続性を持った、できるだけ無理のない方法を探していくだけである。そうすれば「だれでも取り組める『総合的な学習の時間』」が可能になるのではないだろうか。

(ほんましょうご  教育研究所員県立田奈高校教諭)

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