特集 : シンポジウム「17歳〜高校生の生活実態と学校」
 

シンポジウム参加者の声〜アンケートのまとめ

手島 純 

 

 シンポジウム会場でアンケート用紙を配布し、シンポジウムの感想や新たな高校像に関しての意見を求めた。回答者は47名でその属性は以下の通りである。

性別
男性 28名
女性 17名
不明 2名
47名
年代
10代 1名
20代 5名
30代 3名
40代 21名
50代 15名
60台 2名
47名
職業
学校関係者(小中高教員・学校史書) 33名
地方公務員 2名
一般市民 5名
学生(大学生・大学院生) 2名
無回答 5名
47名
 
1.全体的な感想

全体的な感想をたずねた。結果は以下の通りである。

  • 参考になった    34名(72.3%)

  • 物足りなかった   7名(14.9%)

  • 少し疑問が残った  4名( 8.5%)

  • その他        2名( 4.2%)
       計 47名

「参考になった」という感想が全体の34名(72.3%)に及び、多数であった。一方、「物足りなかった」というのは7名(14.9%)で、その理由の傾向を探ると(他の設問の自由記述の中で理由を探ると)、「テーマにせまっていない」「新たな高校像への具体的アプローチが弱かった」「もっと現状の高校生の話を聞きたかった」「研究者と現場教員との話がかみ合っていなかった」などであったと考えられる。また、「少し疑問が残った」は4名(8.5%)で、「物足りなかった」の理由と同じように「高校生の現状と現場での取り組みを中心にしたら具体的になったと思う」などがあった。
 

2. シンポジストの話の感想

 シンポジストの話についての感想は自由記述で回答してもらった。その文章を見ると苅谷剛氏の「社会階層」という視点での切り口に共感した意見が多くあった。それらを紹介すると、以下のようである。

  • 苅谷先生の話は、現場にいる私にとってはとても新鮮でした。

  • 苅谷さんの話は教育改革をさらには教育の現状を階層化の視点から切り込む姿勢には、・・・・・私自身の教育研究に指針を与えてくれました。

  • 苅谷先生の話が刺激的で大変興味深くきけました。現場(困難校)で渦の中にいたところから、少しの間、現場を外から見た思いがしています。

  • 苅谷先生のお話は新たな分野の見方を示してくれて、興味深かったです。「なんとなく」思っていたこと具体的に見えました。

  • 今まであまり考えなかった苅谷先生のお話、貴重でした。

  • 苅谷先生の分析がよかった。日本ではあまり階層のことを明らかにしにくいが、課題校の生徒指導の困難さなどを考えると参考にすべき点が多いように思う。

  • 苅谷先生の階層をふまえた教育政策をという視点は特に参考になりました。ただ時間的な関係で「新たな高校像」までふみ込めなかったのは残念に思いました。

  • 階層別見方の肯定に考え方が傾く。科学的な見方をしていかないと、感覚、感情、直感論では建設的なものは生まれない。

 一方、苅谷氏の主張は分かるが、それでどうするのかという意見もあった。以下に紹介する。

  • 階層を考えに入れるお話はとてもこれからの議論として必要であると思う。しかし、日本のこのエセ平等の中でうまく論じられるかがとても疑問です。でも一人一人が声を大にして叫んでいかないといけないこと がよくわかりました。

  • 苅谷先生の研究はおもしろいと思いますが、これも前から疑問でしたが、階層別に調べて結果が出て、それを今後にどう生かしていくのですか。東大自体、上位グループ出身の学生ばかり占められるようになっていきて、文部省の役人も私立の中高一貫校出身の学生にばかりになりつつあって、庶民の現場を知らない人が教育行政を動かすようになっていいることに大きな不安を感じます。中・下位グループにどういう教育を保障し、どう働きかけたらよいのかを 考えなけならないと思いますが、こういう研究をみるとおもしろいけど今の日本の階層分化をみると絶望的になったりします。でも「声をあげていくことが大切」という苅谷先生の言葉を心にとめて、出来ることはやっていきたいと思います。

  • 苅谷さんのお話でこの20年間の階層化の拡大はよくわかった。だが「だからどうなのか、どうすればいいのか」という視点での議論がほしかった。

  • 階層とかの話じゃない。心が病んでいるとわかってるなら、そこをついていくべきだと思う。 ・苅谷氏の問題提起は現場からは受け入れがたいが新鮮だった。

  • 会場のメンバーから考えて社会学的な統計を元に17歳の実態を見ることは難しいように思う。それを出すのであれば、その上でどうするのか、具体的な案を出してほしい。

 また、現場教員である浜崎氏とカウンセラーである小畠氏は、現場の実態を含めての話があったが、それに対して次のような賛同意見があった。

  • スクールカウンセラーの話、小学校・幼稚園の教育改革の重要さつくづく感じています。 ・生徒に対して前向きにとり組んでいる姿勢がよく見え感心しました。もう一度生徒に対するかかわりを考えたいと思いましたが、年齢が上がってくると、忙しくて思うにまかせないという思いも少しあります。

  • 浜崎さん、小畠さんの取り組みを資料とともに詳しく聞きたかったと思います。

  • 若い先生(カウンセラーの方も含めて)の柔らかな心に感動しました。

  • 直接子どもたちとかかわっている浜崎さん、小畠さんの話は、自分の教育実践のありようを見つめ直す糧となりました。

 しかし一方、次のような感想もあった。

  • (浜崎さんに)学校は「学びの場」であり、「友人と仲よくする」のは悪いことではないが、「学ぶこと」や「仲良く」は幻想である。学校的な「あるべき」価値の表出にすぎない。

  • (小畠さんに)カウンセリングで問題は解決しない。SGEをやたらとクラスや学校に導入することにも反対。だれもが人とよろこんで接したいと思っているはずであるというのは幻想である。そのようなことができない子に対してカウンセリングに携わる人たちはあまりにも無神経である。

  • 会の中で意見がだされていましたが女性2人のご意見は「あまい」と思います。ただ、スクールカウンセラーさんが提起された「人に大切にされない」感は、ほんとうになんとかしなければならないと思います。

  • 浜崎さんのお話にああいう感覚の教員がたくさんいてほしいなと共感を覚えましたが、「同僚は生徒の退学を皆悲しんでいる」というのはきれい事すぎる気がしました。もしほんとうなら3年生で1クラス21人という現実は生まれないのではないでしょうか。

 シンポジウム全体としては「立場の違う三方向からの話でおもしろかった」「立場の違う3人のシンポジストのお話は立体的でとても興味深かったです」「ミクロ的な考え方(小畠さん・浜崎さん)、マクロ的な考え方(苅谷さん)のバランスがとれていてよかったと思います」などの感想がある一方、「シンポジストが多すぎて議論がやや散漫になった感じがします」「三人の人選で各人の問題への考察レベルが違いすぎてかみ合っていなかった」「研究者と現場教員との話がかみ合っていなかった」「話があまりにも具体的なものと抽象的なものとが混ざっていて、接点がとらえられにくかった」などの感想も同じ程度にあって、参加者の受け止め方は二分されたようである。
 他の感想として、「マクロとミクロ」ということにこだわったものが多かった。それは苅谷氏の発言の中にあったものであり、その印象は大きかったようである。先に記述したもの以外に、「教育をミクロとマクロの視点で見ることの大切さを感じた」「ミクロとマクロの中で矛盾しつつ、みえないところがあぶりだせたのではないか」「教育をマクロとミクロの視点で見ることの大切さを感じた」などとこの語句にこだわった感想が多々あった。
 

3.高校生の現状とそれに見合う新たな高校像

 テーマの一つである「高校生の現状とそれに見合う新たな高校像とは?」ということで自由記述してもらった。高校生の現状を踏まえた新しい高校像をめぐっての意見を書いてもらおうと考えたが、新たな高校像というよりも高校生の現状についての感想がいくつかあった(特に教員)。しかし、ここでは新たな高校像についての意見に焦点を定めて紹介したい。

  • 高校は勉強するところではなくなっている。それなのに、高校像をもとめてしまうのは何でかなと思います。

  • 高校に入る前の問題を考えたい。90%の子どもが高校に来るという前提に疑問を持たない人が多いのが不満。

  • 小中で疲れ果てた生徒を収容する視点が必要なのかもしれない。公立の生き残りを模索しているが「公立」に問題があるのか?

  • やはり高校生たちが自分として生きる力を身につけることができる場所

  • 高校生の現状は拡散していると思う。一つの解決策が万能ではなく、常に批判にさらされ高校は自信を失いがちである。複数の解決策を等価なものとして、相対化しなければならないのではないか。「新たな高校 像」といっても一つに結ぶこと自体が無理ではないか。

  • 階層性は学校の序列の中に見事にあらわれています。課題集中校はあきらかに下位構造に位置付けられています。教育改革は全体像しか言っていませんが、個々の現場では下位構造の生徒を対象にした地道な教育活動をするしかないでしょう。そのためには改革的な面では手厚い保護が必要になるのでしょう。

  • 個に応じた教育活動ができるように弾力的に運用できるカリキュラムと教材の検討ができる学校運営。

  • 小学校6年間、中学校3年間合計9年間の中でどういう学び方をしてきているのかという分析、何が育ち、何が育たなかったのかという分析が改めて必要なのではと考えました。新たなカリキュラム改革(総合学習、生きる力の育成・・・)を進める中では、育ちの分析をし、今回シンポジウムの中で報告された高校生の実態を参照しながら、育ちという視点でもう一度見直すことが必要であると感じました。ともすると実態抜きに、カリキュラム立案が進められているのが現状です。

  • 学歴社会への成功と失敗者に大きく分けられる社会が一層進行しているように思える。 特に私立校と県立校の差や違いをもっと考える必要があると思う。そして、成功者も失敗者も真の学問のおもしろさを知る機会が与えられていないことが最大の高校における問題だと思う。

  • 彼らは、大人にはわからない(わかりにくい)プライドを持っていると思う。弱い部分は他人に見せたくない、でも困っているところは気づいてほしい。また、外見はすごく着かざっていても心にヤミを持ってい る子もいる。ただ、そういう彼らも『生活』していかなければならないわけなので、新たな高校像として、彼らと同じ目線に立って話ができる教育・教師がそろっていることなのではないかと思います。少人数制の教育、20代の教員の配置!

  • どの現状なのか、どの視点なのかを見定めないと考え始められないと思った。その中でインクルージョンはやはりキーワードになっていく気がする。
     

4.まとめ

 以上のように、新たな高校像といっても様々な視点からの意見がある。それらをキーワードとしてまとめるなら、「公立とは何か」「複数の解決策」「階層性」「個に応じた教育活動」「カリキュラム改革」「学問のおもしろさ」「同じ目線」「インクルージョン」などになろう。
 具体的に動き出している高校再編の実際が、これらのキーワードとどう接点をもつのか、もしくはもたないのかは今後の課題であろう。

(てしま じゅん 県立大秦野高校(定)教諭 教育研究所所員)

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