主人公は子ども・土佐の教育改革
〜「開かれた学校づくり」全国交流会に参加して

小山 博美  

 
 

 はじめに

 2000年12月9日・10日、高知大学で開催された「開かれた学校づくり」全国交流集会に遠路参加してきた。1日目の全体会には、全国各地から330人、2日目7つの分科会に230人の参加者があり、活発に意見交換がおこなわれていた。
 今回の参加のきっかけは前年名古屋大学での表記全国交流集会において、高知工業高校教諭野村幸司さん発表による「(土佐の教育改革)『開かれた学校づくり推進委員会』の現状と課題」に関心を持ったからである。
 今回野村さんは2日目第2分科会「住民参加と教育行政」で“高知の教育行政はどう変わったか”について報告された。その内容を含め「開かれた学校づくり推進委員会」の現状を中心に「土佐の教育改革」にふれてみたい。
 また、本集会のために用意された資料集(「開かれた学校づくり」・高知大学「開かれた学校づくり」研究会編、全497ページ)に収録されている何種類かのアンケートの中から高校生に関する部分をぬきとり紹介しながらまとめてみた。
 なお施策の中の一つとして、全国的にも例を見ない「地域教育指導主事」という「学校・家庭・地域の連携」を推進するためのコーディネート役が、各市町村教委に派遣されている。その存在にもふれてみたい。
 

 [1] 高知の教育改革はどう変わったか…野村幸司さんの報告から

(1)土佐の教育改革〜闘いと混迷の時代
 「土佐の教育改革」は橋本大二郎県知事の2期目の公約として打ち出されたものである。
 その背景は1950〜1960年代の「勤評闘争」( ページからの「補論」 参照)において多くの校長・教職員の処分を断行した当時の教育長が4期16年にわたり知事として県政に関わっていた。そのためとくに教育界には深刻な「対立の構造」が続いてきた。教員採用・管理職登用における黒い噂、臨時教員の多さなど不信感がうずまいていた。
 1980年代初めになり教育行政の転換を求める県民運動が広がりを見せてきた。「非行・校内暴力・低学力克服・高校入試制度改善(無試験全員入学)を求める請願運動」に28万5千人の署名、「教育審議会設置条例」制定を求める直接請求運動では18万人の署名が寄せられた(県人口80万人)。しかし、当時の高知県政はそれらの県民世論に背を向け続けてきた。
 1991年橋本県知事誕生。教育長に中央官僚を招いたものの改革は進まず逆に県教委の対応能力のなさが浮きぼりとなる事件が相次いだ。「地教委教育長事前協議・面接制」や一方的な「高校統廃合計画」に対する各市町村の抗議、反発、教員採用試験出題ミス、県立高校管理職の不祥事、県教委食糧費問題、不正出張などなど、県民批判が集中する状態となった。

[高校統廃合の問題]
 県東部の室戸水産高校の廃校に合わせて室戸高校の「総合学科」化を唐突に発表、父母・住民の理解も求めず、高圧的に「総合学科」を押しつけようとする県教委に住民は2カ月の短期間に室戸市民6割の有権者から「普通科を残せ」の請願署名が出された]

(2)橋本県知事2期目の公約〜「土佐の教育改革を考える会」
 県教委に対する県議会の追及が続く中、橋本県知事は2期目の公約のトップに「土佐の教育改革」を掲げることになった。1996年2期目・2度目(2月議会)の県議会において、県民参加の公開討論会「土佐の教育改革を考える会」の構想が打ち出された。この「教育改革を考える会(委員33名)」
注1こそが教育行政の根本的転機となった。(10回にわたって開催された公開討論会:毎回知事・副知事出席)。そのなかみは 1.知事主導で抜本的改革を図る(知事の強い意志) 2.対立の構図の解消(教育正常化)?「勤評」後初めて県教組・高教組代表が委員に委嘱された。 3.自由な議論と県民に開かれた運営?「土佐の教育を考える会」は審議会ではなく自由な討論会の場とし、内容は全て委員にまかされた。[資料配付・傍聴(毎回数10名)、地元紙は論議の詳細を報道、学校現場に議事録配布、FAXによる県民意見など自由]。 4.親の立場の委員の比重の高さ〜親の立場(PTAその他9名)、子どもの視点に立った改革論議を進める結果となった。
 「教育を考える会」の議論の結果、県教委はそのなかみを忠実に施策化。「開かれた学校づくり推進委員会」「地域教育推進委員会」の設置と「地域教育指導主事全市町村配置」注2「5年間で300人の教員採用増」「採用・登用制度の改善」「官主導研修の改善」などの政策が打ち出され進められてきている。

(3)「開かれた学校づくり推進委員会」(以下「推進委員会」)の特徴
「推進委員会」は「土佐の教育改革」事業の1つとして1997年度から高知県下の全ての公立小・中・高・障害児学校(学校単位)に設置された。「教育改革を考える会」においてとくにPTA連合会代表や母親・教組代表が「保護者の学校運営参加」や「三者(学校・家庭・地域)協議会の設置」の意見をもとに施策化されたものである。県教委はその性格を「子どもたちの代表者も参画する組織を学校内に設置し、例えば子どもたちに身近な校則や学校行事など、子どもたちや保護者の参加による開かれた学校づくりに努めます(県教委作成「教育改革の概要」)と明文化している。
 基本的には子ども・保護者・地域の学校参加システムの構想であり、特に子どもが委員として直接参加が条件づけられている。しかし「推進委員会」の組織・運営・権限に関しての具体的な規定はなく、各校が教職員の判断にもとづいて組織・運営されているため、学校ごとにずいぶん異なっているのが実状である。特にこの教育行政の根本的転換に多くの学校長はとまどいを見せ、県立学校校長会は県教委に対し「推進委員会」要綱案作成を求めた。それを受け県教委学校教育課は「設置要綱例」を作成したが、県教委内部も混乱していたのか、内容の委員構成に「児童・生徒の代表」は表示していたものの学校を「地域に開く」ことに主眼が置かれ、「協議事項」には 1.地域に開かれた学校づくりに関すること 2.学校・家庭・地域の相互理解と協力の促進に関すること 3.その他委員会において協議を要する事項」とあり、生徒・保護者の学校参加の観点は欠落していた。('97.7月県議会において追及された。)
 「推進委員会」を設置したものの形式的にやっている学校や子ども委員会の参加は飾り的な学校も少なからずあったが、一方で「推進委員会」を通して新たな学校改革の試みを始める学校(事例)も生まれている。
 [事例1〜宿毛高校大月分校の取り組み〜]
 県最西端にある宿毛大月分校(生徒数89人)では、「推進委員会」を学校運営への提言機関として位置づけ、委員の半数を生徒の代表とした。生徒の意見で「ENJOY SCHOOL委員会」と命名発足した。生徒代表から「バイク通学自由化」「学園祭の開催」「服装規定の見直し」「校内空き地の活用」などが提案された。「バイク」「学園祭」についてはすぐ実施に移され、「服装」についても保護者の理解を得ながら改善が進んでいる。また「推進委員会」として町長・教育長との懇談を持ち、行政への協力を求め、町側も協力を約束した。「校庭空き地」に関して県教委・町行政・卒業生の協力を得て、生徒の描いた図面による「中庭改築工事」が実施されている。 
 また、「大月エコロジースクール(行政・研究者・留学生を交えた生徒参加の環境・開発問題学習会)」を分校が主催したり、町行政が「高校生模擬議会」を開催するなど地域の未来を高校生と共に考えていく機運が生まれている。   
※(大月町は人口7500人、漁業と農業が中心である。漁業は栄えているが離農の進行とともに田畑の荒廃化も目立つ町である。転出・少子化の影響で、小・中学生が減少、230名となり、5校の中学校を1校にする統合が決定している。宿毛高校大月分校の廃校(1学級20名を下回る場合)も確実であった。教職員と地域住民の間に分校を立て直す取り組みをしようというものが芽生えた。
一つの取り組みが野球部の新設であった。地域全体に「分校を支えよう」という気風が起こった。そして子どもたちが誇りを持てるように「海・漁業」に視点を置いた「地域再発見」を授業や学校行事に位置づけ「大月エコロジースクール」が誕生した。
 昨年度の大月分校の入学定員は40名のところに58名が受験し、廃校への道は遠ざけることができた。集会資料集大月分校教諭山下正寿氏「地域と学校の自治を結ぶ」より)

[事例2〜障害児学校での動き〜]
 障害児学校において「推進委員会」をどう具体化していくかについては各校で模索が続いている。日高養護学校では生徒から出された「校名変更の要求(養護学校の名前を除いてほしい)」について教職員・保護者が論議をしている。
 若草養護学校では学校の「地元地域」だけでなく生徒の「居住地」や今後生きていく「地域」との連携を目的として地域行政・県行政の担当者を委員に加えている。これは子どもの学校参加を子どもの社会参加につなげていかなければならないという視点を示した。

(4)「開かれた学校づくり推進委員会」の課題
 県教委は1998年度県立学校「推進委員会」支援のため1000万円の予算化を行った。
 施策自体は積極的なものであるが、その予算の配分結果をみると「開放講座」「情報発信」「ボランティア活動」など教師主導の「地域に開く」が中心になってしまった。
 学校それぞれの温度差が大きいことも現実である。地域差や校種・歴史の違いもあって当然なことではあるが、「推進委員会」の制度自体に原因があることも少なくない。
 「高知大学教育学部教育改革・学力問題研究会」が現場教員に対して行ったアンケートでは教員の9割が「学校の裁量権」の拡大を求めながら(図1)、一方で半数近くが親の学校参加を敬遠している(図2)。
 そもそも「開かれた学校づくり」というどのようにも解釈できるネーミングではある。「『土佐の教育改革』を通じて生徒がわがままになり、保護者は学校の「指導」に従わなくなった」といった校長、「地域の人たちに学校施設を開放して十分やっている」と認識している管理職、「生徒を地域の人と一緒に清掃に取り組ませているから」といったとらえ方はまだまだ少なくない。しかし教育行政が父母・生徒の学校参加の一定の制度を打ち出したこと自体画期的なことである。県教委がPTA役員・県民対象に行ったアンケートにも(1)子どもを地域全体で育てるという雰囲気・とり組みが見られるようになった。(2)学校情報が以前よりオープンになった。(3)学校・地域のつながりが深まったなどの結果が半数近くに上る。しかし「推進委員会」について教員側の受けとめ方は複雑で、それは過去の学校自治や教員の自由を奪い続けてきた教育行政に対する不信感が残っていることによる。その歴史の総括なしに現実の「開かれた学校づくり」はありえない。子ども保護者の批判は多くは直接教員・学校に向けられる。現場教員が多忙な状況からの解放と教育行政との民主的な関係がもたらされることこそ、生徒とゆとりを持って十分向きあえる条件が整う。
 全国的に「土佐の教育改革」は「授業評価システム」が脚光を浴びている。この「授業評価システム」は「考える会」の論議から出てきたものではない。生徒にたいして「わかりやすい授業」や「生徒の意見を取り入れた授業づくり」などに教員の力量が問われているが、ここにきて('99.6月)教職員勤務手当に成績率導入が決まってしまった。
 「開かれた学校づくり」のためには学校自治の歴史の薄い日本において子ども・保護者・地域の人たちの、それぞれの願いを十分に語り合い聞き取る時間がかけた取り組みが必要である。

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