兵庫県立高校で起きたいわゆる「校門圧死事件」(90年7月6日)から、およそ10年になろうとしている。この事件後文部省は、全国の都道府県教委に対して校則や行き過ぎた生徒指導の見直しを行うよう指示した。翌91年4月に出された初等中等教育局高校課長・中学校課長通知でも、「校則の積極的な見直しを図り、校則及び校則指導が適切なものとなるよう御指導願います」(1)とある。
しかしながら、各学校において校則の継続的かつ思い切った見直しがどれくらい進んだのだろうか。
全日本中学校長会・全国高等学校長協会が97年12月に校則の見直しへの取り組み状況などを調査し、「日常の生徒指導の在り方に関する調査研究報告書」としてまとめている。この調査によれば、93年4月以降、校則の点検をしたことのある高校は68.0%で、うち77.3%が校則の変更を行ったとしている。校則変更によって、校則内容の分量が「減った」と答えた高校が44.2%ともっとも多かったが、中学は70.2%にも上る。反対に「増えた」が高校では13.4%と、中学の4.3%とくらべ約3倍となっている。変更手続き(複数回答)をみると、「職員会議での話し合い」が約9割(中学は約6割)を占めている。(2)
この校長会による調査結果でみる限り、校則の見直しがかなり進んでいるかのように見受けられるが、「思い切った見直し」とはほど遠いであろう。
校則は多くの場合、「生徒心得」と称され、「未成熟な児童生徒が遵守すべき学習上、生活上の規律」(3)といわれる。生徒の立場でみれば、学校生活を送るにあたってこの校則を守らなければならないものとなる。しかもその内容に違反すれば、ときには懲戒が加えられる場合もある。
極端に厳しい校則やおかしな校則が姿を消したこともあって、教師、生徒、さらには保護者も校則に対する関心はうすくなってきているように思われる。ましてや、誰のための、何のための校則か、といった根本的な問い直しをされることもあまりない。そこで本稿では、県立高校30校の校則を取り上げ、その規定の文言を見ながら、校則の問題点と見直しの視点を示そうと思う。校則のあり方やその指導をめぐってはさまざまな議論があるが、そうした議論に一石を投じてみたい。