今こそ高校発大学入試改革を

粒来 香 

 
 

 はじめに

 第16期中教審による第二次答申『21世紀を展望した我が国の教育の在り方』が発表されてから、ほぼ2年が経過した。この答申では、現在の社会が「豊かな成熟社会の実現」をめざす段階にあるとして、こうした社会変化に対応できるような「『ゆとり』の中で『生きる力』をはぐくむ」ために「子供たちの選択の機会」を拡大することの必要性を強調している。その中で「学校間の接続の改善」は「過度の受験競争」として表現される教育上の諸問題に対して、特に重要な問題として位置づけられている。けれども、答申の「大学・高等学校の入学者選抜の改善」策は、従来から文部省が推進している「選抜方法の多様化や選抜尺度の多元化」の範囲内にとどまっており、抜本的な解決策とはいえない。
 大学入試改革が必要である理由として、大きく三つがあげられる。第一は、現行の大学入試制度が激しい受験競争を引き起こす原因になっていることである。第二は、大学進学をめぐる競争が及ぼす高校以下の教育への悪影響である。第三は、現行の大学入試制度のもとでは普通科以外の高校生の大学進学機会が非常に制限されたものになっている点である。
 以上をふまえ、本稿では大学と高校の接続関係、すなわち大学入試に焦点をあてて、その改革をどのようにして、より望ましい方向へ向けることができるかを考察したい。データとしては、1996年11月に「大学・高校改革プロジェクト」(委員長・西澤清)により実施された「高校教育と大学入試制度に関する調査」データをみることにしよう。この調査は全国の全日制高校のうち層化無作為抽出法による971校を対象におこなわれ、439校より回答を得た(回収率45.2%)。回答者は、基本的に、校長・教頭、教務主任、進路指導主事、またはこれに準ずる立場の教師である。このデータから「現行の大学入試のありかたや、望ましい大学入試について、御自由に御意見をお書きください」という質問に対する自由回答をもちいる。
 

 現行の大学入試の問題点

大学入試による高校教育への悪影響
 まず、大学入試による高校以下の教育への悪影響という問題を取り上げよう。データでも、高校教育と大学入試制度とが密接な関係にある、というよりも高校教育が大学入試に対する一種の従属関係にあることを指摘する意見が多くみられる。代表的なものをあげてみよう。

  • 大学入試が変わらなければ高校の授業が変わるのは難しい(岡山県)

  • 高校改革の必要が叫ばれていますが、思いきった改革をするためには、まず、大学の入試制度の改革が実施されなければなりません。現状ではどうしても、こんなことをして大学入試を乗り切れるかという思いが先に立って、「思いきった」ところまで踏み込めないのが現実です(広島県)

  • 知識偏重の入試が変わらない限り、高校は教科主体に流される(千葉県)

歴史的視点からみた高校教育と大学入試の関係
 こうした、高校教育に対して大学入試が優先する傾向は、1966年度の文部省「大学入学者選抜実施要項について」で決定づけられたものである。それ以前の1960年に行われた『学習指導要領』の改訂で、国語科「古典」は甲・乙、社会科「世界史」「地理」、数学「数学U」、理科「物理」「化学」、外国語「英語」ではA・Bとして、同一教科内に目標や内容(水準と量)が異なる科目が設置された。これを受けて大学入試も、それ以前の「自由選択制」から、大学側による「受験科目指定制」が原則となったのである。
 「自由選択制」について少し説明しておこう。1948年の新制高校発足当時の普通教科は国語・社会・体育・数学・理科の5教科であったが、教科内がさらに科目に細分化されていた。たとえば理科であれば、物理・生物・化学・地学(各5単位)の4科目に分かれていた。大学入試において、どの教科を出題するかは大学に任されていたが、その教科を出題する限りは全科目を出題しなければならなかった。受験生は試験会場で、そのうちの一科目を選択することになっていた。この制度については、1)全科目出題の負担、2)科目による難易度の不統一問題、3)1科目のみによる選抜効果への疑問、といった点で大学側の不満が大きかった。
 1966年以降、大学入試が「受験科目指定制」となったことで、高校教育は幾つかの問題を抱え込むことになった。第一に、普通教科に関する科目が実質的に「入試に出る科目」と「入試に出ない科目」に種別化されることになった。第二に、高校のコース制が、受験教科数で私大系/国公立系、受験科目で文系/理系に区分して編成されるようになった。第三に、普通教科の大部分でA科目をとらざるをえない職業学科は大学入試で決定的に不利な立場に立つようになったのである。現在、高校と大学の接続関係にみられる問題は、基本的には、この時点から持ち越されたものと言ってよい。また、さきにあげた第三の問題点、普通科以外の高校生の大学進学機会が制限されていることも、ここに端を発している(佐々木 1979、1984)。
 

 大学入試の国際比較

世界的には少数派の日本の制度
 国際比較の視点からみると、日本の大学入試の制度的特徴は、1)大学入学資格が全国規模で制度化されている、すなわち学校段階の接続関係が画一的に規定されている、2)各大学が個別に受験者を募集し入学者を選抜している、の2点である(中島 1986)。アメリカ・イギリス・フランス・ドイツの4カ国と比較してみると、この2点をともに満たしている国は日本以外にはない。そういう意味で、日本の大学入試制度は少数派であるといえる。さらに重要なことは、日本では大学入試制度を維持・機能させている主体が、極端に大学に偏っていることである。この点について、他の諸国と比較しつつ少し詳しくみていこう。

第三者機関による学力試験
 アメリカではハイスクール卒業のみを入学条件とする大学がほぼ4割にのぼる。これは、無資格で大学入学が許可されるというよりも、入学者選抜がハイスクールに委ねられていると考えるべきである。義務教育年限(州によって異なる)がハイスクール在学中に修了し、これにともなうハイスクール途中での教育修了者も少なくないため、ハイスクールの卒業にはそれだけの重みがある。この開放入学制(open door)は、多くの州の公立大学で採用されている1)。卒業に加えてハイスクールでの取得教科と単位数・成績および教師による人物評価を条件にする大学もあるが、ハイスクールに選抜が委ねられているという意味では大きな違いはない。
 これに対して、学力試験を課す大学ではハイスクールの卒業を必要としない。この場合、選考は「教育テスト事業団」によるSATまたは「アメリカ大学テスト協会」によるACTのいずれかの学力適性統一テストの成績を中心として、ハイスクールの内申書や教師の推薦状を加味して行われることが多い。したがって、これらの大学では第三者機関による試験を基準に選抜が行われていることになる2)。難易度の高いハーバード大学やイェール大学、スタンフォード大学などでは独自の入学試験を課しているが、これらの大学が占める比率は8%にすぎない(1980年)。アメリカでは、このように、入学者選考が学力試験の有無も含めて多様であることが最大の特徴であるが、ここでは大学独自の入学試験がきわめて限定された役割しか果たしていないことを強調しておきたい。
 イギリスでも、第三者機関による共通試験がほとんどの大学で入学者選抜に利用されている。この試験は「Aレベル試験」(General Certificate of Education Advanced Level)と呼ばれ、非営利の民間団体である「試験局」によって実施されている。Aレベル試験の合格にはA〜Eの段階があるが、ほぼ40%の得点でE段階合格となり、70%得点すれば最高のA段階となる。大学側は入学希望者に対し、入学条件としてAレベル試験での合格科目数と合格段階を提示するが、この条件は個々人によって異なる。提示された条件を満たせば合格となる。

中等教育修了試験=大学入学資格
 一方、フランスとドイツでは中等教育修了試験がそのまま大学入学資格となっており、この試験の合格者は原則的に全国どこの大学にでも入学できる。ただし、これらの国では中等教育が複線型になっており、すべての中等教育修了者に大学入学資格が与えられるわけではない。大学入学資格が得られる中等教育機関は、フランスでは3年制リセ、ドイツではギムナジウムである。修了試験はフランスではバカロレア、ドイツではアビトゥアと呼ばれる。
 バカロレア試験の問題作成は、地方視学官局に選ばれた大学およびリセの教員が担当する。提出された問題から各教科につき約40題が採択され、試験問題検討委員会に回される。この委員会は大学教員を委員長とし、リセ教員4〜6人、視学官2人で構成される。試験問題はここで4ないし5題に絞られる。試験会場にはリセの校舎が使用されることが多く、試験官および採点もリセの教員によって行われる。
 ドイツのアビトゥア試験では、試験前の2年間にギムナジウムで履修した科目の成績が加味され、これが600点分である。それに加えて、各ギムナジウムで作成された4科目のアビトゥア試験を受験するが、これが300点分となる。したがって最高合計点は900点であるが、300点を獲得すれば合格となる。

日本が学ぶべきこと
 冒頭で述べたように、現行の大学入試制度の問題は、過度の受験競争をもたらしている点にある。受験競争を激化させているのは、1)個別大学による学力試験が、2)1点刻みの得点で合否を決定する方式で、行われていることである。第一の個別大学による試験であることの弊害は大きい。どの高校から、どの大学に、どれだけの人数が合格したか、ということが直接わかってしまい、それによって各高校が評価されることで階層間格差が広げられてきた。第二の1点刻みの得点である問題については、調査データから次のような意見を紹介しておこう。

  • 今のままでは出来る生徒も、1点を争う競争に必死になっている(山形県)

  • 現行の制度は、ガリガリ勉強の末、ゆとりのない、人間的に何か大切なものが欠如しているような者ばかり選ばれるような入試制度である(東京都)

 上でみたような欧米諸国の入試制度にも問題はある。開放入学制をとっているアメリカでは、入学後のドロップアウトが非常に多い。調査データにも開放入学制を望む声はみられるが、この制度は、税金で運営されている公立大学は市民のためのサービス機関であるという社会的合意のもとで採用されている。次節でもふれるような私立大学に依存した日本の大学にはなじまない制度であろう。また中等教育修了資格がそのまま大学入学資格となるフランス・ドイツでは、その資格を与えられる3年制リセやギムナジウムへの進学者が、それぞれ60%、45%とまだまだ限られている。こうした複線型の中等教育制度のもとでは、出身階層によって高等教育進学率が大きく異なる。高校進学率が97%に達しようという日本では、教育機会の平等を求める声も高いため、こうした複線型の教育システムに対して社会的合意を得ることは難しい。
 けれども、これらの諸国では現実に日本のような過度の受験競争が生じておらず、日本が学べることも少なくない。まず、個別大学の学力試験の比重を大きく減らすことが考えられる。日本では第三者的な試験実施機関として大学入試センターがある。大学入試センター試験を利用する大学は徐々に増えてきているとはいえ、まだまだ一部の大学に限られている。しかも2次試験の比重が高いので、有効に機能しているとはいえない。ここから改革を進めるべきであろう。そして、1点刻みの得点ではなく一定の点数を取った者は合格とする。試験問題作成には高校教師が加わる。こうした資格試験化に向けての具体的な提案は、日教組『教育再生へのステップ』(1997)にあるので参考にしていただきたい。
 

 大学教育のユニバーサル化−私立大学との関連から−

トロウの高等教育論
 戦後の大学入試制度は絶え間なく改革され続けてきたが、近年では新たな問題も生じてきた。その一つは、少子化とも関連した大学進学率の上昇にともなう問題である。
 トロウ(1976)は高等教育の発展段階を、エリート段階(進学率15%まで)・マス段階(15%以上50%まで)・ユニバーサル段階(50%以上)の3段階に分類している。各段階は、単に量的規模が異なるだけではなく、教育目的・教育方法・学生の選抜原理など、質的にも大きく異なる。というよりも正確には、制度の質が変わることなしには段階の移行は不可能であるというのがトロウの主張である。そして、マス段階からユニバーサル段階への移行は、エリート段階からマス段階への移行と比べ、はるかに多くの葛藤や困難が生じるという。現在の我が国は、まさにこの葛藤および困難に直面しているといえよう。
 葛藤の一つの現れかたとして、高等教育のユニバーサル化に対する心理的な抵抗がある。調査データにも、こうした意見がみられる。

  • 大学は最高の高等教育を受ける数少ない場であってよい(茨城県)

  • 学力レベルが低い生徒までが高等教育を受ける必要はない(福岡県)

  • 高校段階での学力が不足している生徒がこぞって大学に進学するという状況に問題があるのではないか(埼玉県)

 けれども現実として、ユニバーサル化は避け得ない。先頃(1999.6.12)、日本教育会館において行われた講演会で、市川昭午氏はユニバーサル化が避けられない理由を次のように語った。高等教育の拡大を抑制するには、容認可能な学力水準や適正な進学率を明示する必要があり、こうした適格者判定は高等教育のあるべき水準があって初めて議論可能になる。ところが、高等教育のあるべき基準についての合意が失われることこそ、トロウの指摘したマス段階からユニバーサル段階への移行で生じる最大の困難の一つなのである。したがって進学率を引き下げる手段はないと言ってよい。行政的な抑制策をとるには世論の賛成が必要であるが、これも難しい。

私立セクターに依存した日本の高等教育
 さらに日本のように高等教育の大部分を私立セクターに依存している場合には、縮小が一層、難しくなる3)。私立大学にとっては、より多くの受験生・入学者を集めることが収入増に結びつく。すなわち高等教育の拡大が経済合理的なシステムであるから、その逆の縮小には不利になる。私立大学が経営を重視するのは当然のことであるが、それが入試にも歪みをもたらしているとする指摘がある。

  • 受験生集めのためとしか思われないような1科目入試や得意科目を2倍にするなど、受験生に迎合しすぎのような傾向がみられる。なかには受験科目からはずした教科の補講を行っている大学もあるというが、大学での教育と関連のない状態での入試には疑問を感じる(埼玉県)

  • 推薦入試で評定平均の基準がない大学があるが、正常ではない。受験料かせぎとしか思えない(栃木県)

 これらの指摘が改善される見込みは、きわめて小さいと言わざるをえない。教育組織であると同時に経営組織でもある私立大学が、受験生に敬遠される受験科目の増加や、早期に入学者を確保できる推薦入学の縮小に積極的に踏み切るとは考えられないからである。

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