トロウの高等教育論
戦後の大学入試制度は絶え間なく改革され続けてきたが、近年では新たな問題も生じてきた。その一つは、少子化とも関連した大学進学率の上昇にともなう問題である。
トロウ(1976)は高等教育の発展段階を、エリート段階(進学率15%まで)・マス段階(15%以上50%まで)・ユニバーサル段階(50%以上)の3段階に分類している。各段階は、単に量的規模が異なるだけではなく、教育目的・教育方法・学生の選抜原理など、質的にも大きく異なる。というよりも正確には、制度の質が変わることなしには段階の移行は不可能であるというのがトロウの主張である。そして、マス段階からユニバーサル段階への移行は、エリート段階からマス段階への移行と比べ、はるかに多くの葛藤や困難が生じるという。現在の我が国は、まさにこの葛藤および困難に直面しているといえよう。
葛藤の一つの現れかたとして、高等教育のユニバーサル化に対する心理的な抵抗がある。調査データにも、こうした意見がみられる。
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大学は最高の高等教育を受ける数少ない場であってよい(茨城県)
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学力レベルが低い生徒までが高等教育を受ける必要はない(福岡県)
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高校段階での学力が不足している生徒がこぞって大学に進学するという状況に問題があるのではないか(埼玉県)
けれども現実として、ユニバーサル化は避け得ない。先頃(1999.6.12)、日本教育会館において行われた講演会で、市川昭午氏はユニバーサル化が避けられない理由を次のように語った。高等教育の拡大を抑制するには、容認可能な学力水準や適正な進学率を明示する必要があり、こうした適格者判定は高等教育のあるべき水準があって初めて議論可能になる。ところが、高等教育のあるべき基準についての合意が失われることこそ、トロウの指摘したマス段階からユニバーサル段階への移行で生じる最大の困難の一つなのである。したがって進学率を引き下げる手段はないと言ってよい。行政的な抑制策をとるには世論の賛成が必要であるが、これも難しい。
私立セクターに依存した日本の高等教育
さらに日本のように高等教育の大部分を私立セクターに依存している場合には、縮小が一層、難しくなる3)。私立大学にとっては、より多くの受験生・入学者を集めることが収入増に結びつく。すなわち高等教育の拡大が経済合理的なシステムであるから、その逆の縮小には不利になる。私立大学が経営を重視するのは当然のことであるが、それが入試にも歪みをもたらしているとする指摘がある。
これらの指摘が改善される見込みは、きわめて小さいと言わざるをえない。教育組織であると同時に経営組織でもある私立大学が、受験生に敬遠される受験科目の増加や、早期に入学者を確保できる推薦入学の縮小に積極的に踏み切るとは考えられないからである。