特集 : 高校再編と新学習指導要領
 

 
カリキュラム改革は高校を変革できるか

中野 和巳 

 
1.高校再編が始まった

 8月中旬、神奈川の「県立高校改革推進計画」前期分の概要が明らかになった。事前に新聞に発表されるという失態を演じた挙げ句、予定を繰り上げての発表であったが、その内容は、課題集中校の再編統合が中心になっている。中学卒業者急増期を「百校計画」で乗り切ってきた教育行政は、今回の少子化による中学卒業者急減を「統廃合」を中心にした高校再編で凌ごうとしている。「百校計画」が計画初年度に1校だけ職業高校を建設し、他の99校をすべて普通科高校で満たしたのに比べ、今回の再編計画は、総合学科高校、単位制高校、フレキシブルスクール、専門コースの拡大と、大きくその趣を変えている。
 「百校計画」が始まった1973年は、日本経済がまだ右肩上がりの成長を続けていたときであった。それから四半世紀の時を経て、日本経済は今や深刻な不況にあえぎ、出口の見えない停滞状況に陥っている。今回の再編計画の中で、「百校」の中の9校が姿を消すことになっている。後期計画でも何校かの高校が姿を消すであろう。少子化や県財政の破綻という状況があるとはいえ、多くの生徒が集い、卒業していったそれぞれの歴史を持った高校がその役割を終えていくこと、それも、一片の計画書の下で姿を消していくことをどう見ればいいのだろうか。
 この間、神奈川の高校教育の状況は学校間格差の拡大、深化、固定という状況の中で課題集中校を中心にして、中途退学者や長期欠席者の増加、いじめや校内暴力の多発といった生徒指導的問題の深化、生徒の学校離れなど深刻な教育課題を抱えることになった。クラス減による新採用者の採用控えにともなって教職員の高齢化も進行し、20代の教職員が一人もいない学校も多い。こうした教育課題に対応して、国や県が次々に出してくる施策にもかかわらず、課題や問題は一向に解決されることなく深刻化する一方であるのはなぜか。すべてを教育行政の失策にするつもりはないが、どこか「ピント」がズレていることは間違いない。
 この四半世紀、神奈川で進行してきた事態、「百校計画」から特色づくり、入試改革、高校再編、その中に「マス」としての「生徒」はいても、「個」としての生徒の顔はなかなか見えてこない。「生徒のための」改革と謳いつつ、実はそこに「生身」の生徒は存在していないのである。教育改革を断行するたびに教育が悪くなるとは、言い尽くされた「名言」であるが、その意味するところは改革が真に誰のためになされてきたのか、誰のためになされようとしているのかを見れば明らかである。
 今回の神奈川における高校再編は誰のためになされようとしているのか?総合学科や単位制、フレキシブルスクールといった新しい「装い」を凝らした高校は神奈川の教育課題を解決に導いていけるのか?それはこれからの展開にもかかっているが、再編計画が基本的にこれまでの文部省の高校多様化政策の範疇から一歩も出ていない点をみれば、神奈川独自の高校改革が推進されていく可能性はあまり大きくはないであろう。
 ともあれ、新しい高校の学習指導要領も発表され、21世紀に向けて神奈川の高校改革が大きく動き始めたことは確かである。そして、これは、「百校計画」以後最も大きな教育改革になっていくにちがいない。んだイメージを訂正しようとしてもできなかったのか、それともマスコミにより作り上げられたイメージが、もともと正しいのか。
 

2.何が高校の改革を阻んできたか

 戦後、高校進学率が急激に上昇し90%を超えたところで、高校の役割は大きく変質したといえる。高校は「行っても行かなくてもよいところ」ではなく、「行かなくてはならないところ」となった。高校進学は社会から脱落しないための最低限の「ハードル」となり、高校入試を中心にしてより序列の高い高校をめぐる競争が激化し、中学校生活を次第に息苦しいものに変質させてきた。
 大学入試改革という謳い文句で導入された共通一次試験が、結果的に各大学の学部・学科に至るまでの精緻なランクづけを招来したように、日本中が偏差値競争にのみ込まれ、学力による子どもの序列化を貫徹させていった。小学生の塾通いが常態化し、子どもの早期教育がマスコミで取り沙汰されるという病弊となって事態は進行し、よりよい「結果」を得るために「効率的な学習」「テストのための勉強」「正解到達主義」「暗記中心の学習」といったことが優先され、試行錯誤を繰り返しながら主体的に思考していく「プロセス」としての学習は、子どもたちからも「かったるいもの」と敬遠されるようになった。その結果、学校では試験や手っ取り早く正解を得るための効率的な授業が中心になり、ますます「プロセス」としての学習は疎外され、「学びのよろこび」を実感する機会が喪われていくという悪循環に陥ってきた。そして、この「知の規範化」とも言うべき状況が子どもたちの「学びからの逃走」に拍車をかけ、変質した子どもと教師・学校との関係が教室の風景を加速度的に変質させていくという構図になっている。
 高校入試とその結果としての学校間格差の構造が、これまでの高校のカリキュラムを硬直化させ、学校づくりのあり方を規定してきた事実は否定しがたい。そして、世間はどの大学に何人合格者を出したかを高校の評価の指標としてきた。それゆえ、各高校は公私立を問わず、学校づくりの方向性を受験指導をテコにした序列競争に向けてきたといえる。そこにあったのは、地域や生徒実態に合った学校づくりではなく、企業社会の競争原理と変わらぬ学校の生き残り競争であった。
 普通科率全国一の神奈川では、厳しい学校間格差構造の底辺部に位置づけられた課題集中校にさまざまな教育課題が象徴的にあらわれてきた。そして、課題集中校の多くが普通科高校であることが、カリキュラム改革の大きな障害となっている。普通科のカリキュラムは、基本的に大学進学者向けのカリキュラムであり、大学入試のためのカリキュラムだといえる。それは、格差の底辺部に位置する高校の進路状況と大きなミスマッチをきたしている。このミスマッチは生徒の授業への求心力を弱め、学校の秩序を混乱させる大きな要因ともなっている。日教組を中心とするカリキュラムの自主編成運動の経験も格差状況の中に埋没し、格差の上に胡座をかく心性が教職員の中に醸成され、生徒の実態に即し、生徒の側に立ったカリキュラム改革はなかなか前進してこなかった。
 

3.新学習指導要領をどう捉えるか

 教育の地方分権化の流れの中で出されてきた今回のカリキュラム改革は、基本的には国家の危機意識の反映とはいえ、新しい教育の枠組みをつくり、明治以来変わらなかった「学校」の姿を変革していく枠組みを提供しているとみることもできる。
 この間の文部省の動きが、教育の自由化を邁進する道を選択したとは即断できないが、大きな流れは制度の柔軟化、すなわち規制緩和の方向へ向いている。その中で、最後の砦のように守っているのが「日の丸・君が代」問題である。教育の中央集権化を推進し、今日の硬直化した教育行政を作り上げてきた責任には一言半句も触れることなく、「さあ、仕組みは作りました。後はみなさんでやってください。」という態度である。これまで、先進国の中でも安上がりな教育政策で済ませてきた挙げ句、教育が危機に瀕する状況に至って「後は現場で頑張ってくれ」と言わんばかりの対応には怒りを覚える。しかも、「国旗・国歌法案」が成立した現在、教育現場への強制は火を見るより明らかな状況であることを思えば、一方では規制緩和を喧伝しながら、その一方で強圧的規制を強行しようとする倒錯した手法には返す言葉を失う。
 しかし、今回のカリキュラム改革を、文部省や地方教育委員会を中心とした中央集権的「トップダウン」型の教育改革から、教育現場を中心とした「ボトムアップ」型の学校改革へと転換するチャンスと捉えて、我々の発想を転換する機会と前向きに考えたい。もちろん、現場の努力だけで全てが解決されるわけではないし、さらなる職場の多忙化を招来する危険性もある。行政が「学校づくり」のための条件整備を含めて、人的・予算的支援を果たすことは言を待たないが、現場が動き出さなければ何も始まらないのも事実である。
 新学習指導要領は、2000年からの前倒し実施が可能となり、各学校での検討作業もこれから本格化していくものと予想される。「総合的学習の時間」や「情報」の新設、学校裁量枠の拡大など、今回の改訂のポイントとなる部分を各学校が学校や生徒実態に合わせてどう工夫していくかが、学校独自のカリキュラムを創りあげていく際の重要な分かれ目となる。特に、「総合的学習の時間」は、導入の目的や単位数、評価方法などの大枠の規定があるだけで、内容や運用は学校裁量に任されている部分が多い。確立したモデルがないことは、現場に混乱をもたらすかもしれないが、その一方で学校独自のものを創り出すチャンスでもある。テストによる評価にとっぷりと浸かってきた我々が、テストの点数によらない授業、それも教科横断的な授業をどう組み立てていけるか、そこに、「ボトムアップ」の教育改革への一歩が始まるのではなかろうか。
 

4.自前のカリキュラム改革

 1988年6月に高教組内の「高校教育問題総合検討委員会(高総検)」は、「それぞれ自前の教育課程改革を」と題した報告書を出している。この報告書は、84年に発足した「臨時教育審議会(臨教審)」が教育の自由化・個性化の名の下に、「中高一貫校」「単位制高校」などを提言し、画一化した教育システムの改革を打ち出したのに対抗して、教育現場に根ざした学校づくりのための指針として書かれている。報告書の出された1988年は「百校計画」完成年の翌年、神奈川の中学卒業者急増のピ−クの最終年に当たっている。中学卒業者が急増から急減へと転換する節目の時に出されたこの報告書が、今日の高校再編の状況までを見通していたとは思わないが、生徒急減期における学校づくり、カリキュラム改革をどう進めていくかという点で示唆に富んだ内容になっている。
 教育課程の分析から始まり、青年論、教育課程アンケートの分析、教務規定アンケートの分析と教育評価の検討など幅広い分野を見通しながら、「新しい高校教育の創造」を謳っているが、「タテ・ヨコカリキュラム」など、今回の「総合的学習の時間」や学校裁量枠の拡大を先取りした内容を持っている。また、教務規定のアンケート分析から教務規定の民主性・合理性・公開性の3原則を提言し、硬直化した教務規定・教育評価を克服する必要を説いている。さらに、教育評価については、「評価観の変革を生み出せなかった戦後の高校教育は、一部の教師の実践を除いて、総体としての教育実践というべきものを何ひとつ生み出しえなかったと言い切ってよいかもしれない」と厳しい分析を下している。
 先の言葉を借りて言えば、この示唆に富んだ内容を持つ提言が、神奈川のそれぞれの学校現場でほとんど活かされていない実状は、まさに、「総体としての教育実践というべきもの」が何ひとつ生み出されていない状況だと言えるだろう。報告書が目指した教育改革とはまさに反対のベクトルで、いま神奈川の高校教育改革が始められようとしている。その時、我々は、「自前の学校づくり」「自前のカリキュラム改革」「総体としての教育実践」を学校現場で創り出せなかった点をもう一度自省してみる必要があるだろう。
 神奈川において「自前のカリキュラム改革」が十分な結実をもたらさなかった背景に、厳しい学校間格差の構造が横たわっていることは先述したが、「高総検レポート」がカリキュラム改革の指標として現場の中で活かされなかったのも、格差状況の中でリアリティーを持ち得なかったからだ。
 横並びのカリキュラムや既存の教科構造に依存している体質もさることながら、「カリキュラム委員会」を中心とした組織が、ともすれば、「教科エゴ」の調整の舞台となり、学校の教育活動総体を見通したカリキュラム改革を阻害している点も見逃せない。個々の教職員の優れた教育実践も教室の中だけに止まり、教職員集団に共有化されないままでは、「総体としての教育実践」にはつながらない。学校の中に、カリキュラムを学校づくりの中核に据え、教職員の英知を結集しながら学校改革に活かしていく組織体を自前で組織できなかったことが、優れたアイデアや実践を発展させていくことができなかった一つの要因といえる。
 さらに、教職員自身もカリキュラムを「総体としての教育実践」を体現していくものだいう意識が弱く、毎日の授業を中心とした教育活動の中に埋没する側面が強かった。学校の教育活動全体に責任を持つ視点より、個々の教育実践を誠実にこなす方向に力点がかかり、結果的に誰も(管理職自身さえも)学校全体の教育活動に責任を感じないというシステムになっているのが実態である。
 職場民主化は、職場の中の不合理な慣習や非民主的なシステムの改善、民主的な職場づくりに多大な貢献をしてきたが、教職員集団自身が学校の教育活動全体に責任を負っていくものであるいう意識の醸成には十分な結実をもたらさなかったのではなかろうか。もちろん、法的には校長が学校の責任者には違いないが、日常的な教育活動の主体者は教職員自身である。個々の教職員一人ひとりが学校の教育活動に責任を負うという自覚なしに、カリキュラム改革を通した学校づくりを推進させていくことは困難である。
 

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