特集 : シンポジウム「入試が変わった!高校はどう変わる?」
 

 
シンポジウムのまとめ

三橋 正俊 

 
 はじめに

 神奈川県教育文化研究所(小中学校)と高校教育会館教育研究所(高校)の二つの教育研究組織が、初めて手を結んでシンポジウムを開催した。横浜市西区藤棚町の小高い丘の上に並び立っている教育会館を拠点にしていながら、表立って共同で活動したことはなかった。しかし、1997年度入試から新しい高校入試制度が導入され、次いで神奈川県の県立高校将来構想検討協議会(将来構想検)が答申をまとめ、1999年度中には高校の統廃合を含んだ高校教育改善計画が県教委から発表されることもあって、小中学校と高校がともに関心を持つ高校入試と高校教育改革をテーマにシンポジウムを開催しようということで動いたのである。さらにそれに加えて、県教委も同じ舞台の上で議論をしようという、これも今までなかったことである。もちろん各学校の保護者や一般県民にも参加を呼びかけ、現場の教員、行政、県民が一堂に会して神奈川の教育を語る画期的なシンポジウムとなった。
 その成果はどうであったのか、それをいくつかの論点に絞ってまとめてみたい。新入試制度は長く続いた「神奈川方式」にピリオドを打つものだった。ア・テストを廃止し、調査書と学力検査の二本立てに選抜資料を変更したこと。1回の学力検査で第1希望と第2希望の二つの高校を志願する複数志願制が導入されたこと。入学定員の56%を調査書の評定と学力検査で選抜し、残り44%を調査書の評定以外の記載事項をもとに各高校の「特色」に応じて総合的選考を行うこと。この3点が大きな変更点である。コーディネーターの黒沢さんはこのうち複数志願制と総合的選考を主な検討項目として取り上げた。従って高校入試制度に関しては、高校現場の石田さんから推薦制についての問題点も指摘されたが、この2点を中心に論議された。高校のあり方に関しては、県教委の押し進める高校の多様化と中学生の進路選択の問題と、学校間格差の問題が取り上げられ、主要な論点となった。そのほか、中学校での相対評価の問題、高校の希望者全入の是非などが会場からの意見として問題提起されたが、十分論議されたとはいえなかった。この4つの論点を中心に、相互に関連する部分もあるが、簡潔にまとめておきたい。
 

 複数志願制とは何だったのか

 複数志願制は「行ける高校より行きたい高校へ」をスローガンに、中学生に高校選択の機会を増やす目的で導入された。果たして、この目的が達成されたのだろうか?高校教育課の鈴木さんは、県が実施した合格者の生徒・保護者を対象とした県民アンケートをもとに、同一校志願率が上昇傾向を示しているものの、複数志願制への賛意が6割を上回ったと報告した。しかし、現場代表のシンポジストの河村さん石田さんのお二人とも、問題があると指摘している。また会場からも、批判的な意見が出された。論点を整理すると次のようになる。

(1)

1校の定員枠を80%と20%に分けることによって、第1希望の枠が狭まることになり、結果的に不本意入学を増大させることになる。

(2)

第1希望の合格判定で不合格者を出しながら、第2希望の志願者が定員枠に達せず、欠員を生じる高校が生まれる。

(3)

第2希望校をすべり止めの形で受験するとすれば、学校間格差をますます定着させることになる。

(4)

推薦入試と再募集を加えると、受験の機会が増えたとする見方もあるが、第1希望と第2希望のどちらも不合格だとすると、合わせて4回も失敗を経験させることになる。

 新入試制度の初年度は、特に(2)の欠員問題が社会的にもクローズアップされた。石田さんも指摘しているように、1997年度入試では59校にわたって641人の欠員が発生した。史上二番目に多い欠員数であった。その後の推移を見ると、1998年度入試は19校171人の欠員であった。1999年度入試は15校123人と、新入試制度導入以前の水準に戻っている。第1希望と第2希望の志願倍率は公表されるものの、第2希望の見かけ上の倍率が高くても、第1希望の合格判定後でなければ第2希望の実際の倍率は確定できないため、このような定員割れが生ずる。しかし、ここ3年間の欠員状況は改善に向かっている。初年度は一時的に公立高校離れの現象が起きて、私学への受験者流出が起こったために欠員が膨れあがったが、おそらく同一校志願が定着してきたということが、欠員の減少の主な理由ではないだろうか。そうだとすれば、「行きたい高校」の選択幅が広がったというよりも、「行ける高校」を1校に絞った方が受験対策上有利だという志向が強まったと見るべきであろう。
 そうはいっても、安全圏をねらう志向も存在して、第1希望校のすべり止めにワンランク下の第2希望校出願という受験生もなくならないだろう。そこから、(1)のように不本意ながら第2希望校へ合格した生徒も残ることになる。この志向が(3)に指摘されている学校間格差の定着にもつながることになる。しかし、1998年度入試後行われた県教委の調査では、同一校志願率が83.1%もあることから、安全圏をねらったかどうかは分からないにしても、第2希望を第1希望とは別の学校にした受験生は16.9%しかいないことになる。1999年度入試がどうであったかは、今後の調査結果を待たなければならないが、第1希望の出願時点から、「行きたい高校」よりも「行ける高校」を選択した不本意入学が、かっての「神奈川方式」の入試と同じように存在するのではないか。調査書とア・テストでほぼ中学校が合格可能性を判定していた時代は終わって、今後は、受験産業が学力検査の結果をもとに高校をランク付けする傾向が強まるのではないだろうか。
 (4)の失敗を経験させる問題は、同一校志願率が高まっている傾向から考えれば、かっての入試制度の時と同じ回数、つまり3回の失敗ですむことになるとも考えられる。従ってこの問題は、失敗の回数の問題ではなく、推薦制をどう考えるかの問題とともに、全日制・定時制・通信制を合わせて96%もの進学率を達成するようになった現在の「希望者全入」に近い状況で、果たして選抜としての入試が必要か、という問題につながる。今回、この点については十分な議論は行えなかった。シンポジウム当日の参加者へのアンケート結果では、高校入試についての自由記述欄を見ると、賛否両論あることが分かる。今後の重要な検討課題である。
 

 総合的選考で学校間格差はなくなるか

 定員の44%の合格者を決める総合的選考については、河村さんが、中学校現場の立場から厳しい指摘をしている。事前に公表された各高校の選考に当たって重視する内容だけでは、どのように合格者を決定しているのか具体的な内容が中学側には見えない。生徒会活動・部活動・ボランティア活動などが選考の資料にされることで中学校の日常生活に影響を及ぼしている。調査書重視の入試で調査書の記載にあたる中学校の学級担任がかなりのプレッシャーを受ける。こうした指摘に対して、高校側の総合的選考に関する問題点の指摘はほとんど出なかった。
 黒沢さんと会場の広瀬さんから提起された論点は、総合的選考で果たして学校間格差はなくなるのか、ということであった。鈴木さんは今までいなかったリーダー性をもつ子が入学してきていると聞いていると答えている。また、総務室の奥山さんも学力だけの物差しではなく、新しい学力以外の物差しが加わったのだから、各高校の特色づくりと併せて変わっていくはずであると答えている。県教委の「特色ある高校」づくりを推進する方向性の中に、当初から学校間格差の是正が含まれていたのかどうか、ということに関しては検証が必要である。今回は、スタートした総合的選考そのものが学校間格差の是正に有効であるか否かが、会場からの意見も含めて大きな論点となった。
 会場から松本さんは、総合的選考は従来の学力による輪切りより理念的に正しい方向を向いているのだが、実際の総合的選考では各高校の特色に応じた選考になっているのだろうか、結局は学力重視で選抜しているのではないか、との疑問が出された。総合的選考を学力以外の基準で徹底して行っていくことで、果たして学校間格差は是正されるのであろうか?第1希望の総合的選考では成績で「足切り」する部分があり、すべてが学力以外の基準で選考するとはいえないが、それでも定員の44%の生徒がその高校の特色に応じた合格者となる。だが、多くの高校教員の評価としては、学校間格差が是正されているとの認識を持っていないことも確かである。第1希望の調査書と学力検査による選考が存在する限り、出願時点で学力による合格可能性の有無が判断され、学校間格差の順位に従った「輪切り」による進学指導は存続するのではないか。
 また、総合的選考で特定の個性や特性に着目して合格させた生徒に対して、高校は十分な教育を用意しているのだろうか、という問題も提起された。極端な言い方をすれば、たとえ学力が低くても芸術や体育の分野さらには部活動やボランティア活動の分野で秀でている生徒を合格させたら、その個性や特性を助長していくような教育システムはもちろん、普通教科の成績が悪くても卒業させる単位認定のシステムが用意されているのかが問われているのである。会場から鈴木さんは、単位認定や卒業・進級基準が弾力化されていなければ、総合的選考で入学させた生徒を卒業させることはできないのではないかと指摘している。
 総合的選考に関しては、河村さんの指摘にあるように、中学側さらには受験生本人にも、学力による選考とは違って不透明さがつきまとうことになる。高校側が合理的に判定しようとして、調査書の成績以外の記載事項を何らかの形で点数化しているとすれば、そのしくみまで中学側に予め公開していなければ、中学側はどのような生徒を受験させたらよいか分からない。また中学の学級担任は、合否に関わる調査書の記載事項にかなり神経を使わなければならない。そこには、生徒の個性や特性をそもそも点数化することができるのだろうか、という根本的な疑問が横たわっている。このように、総合的選考には様々な問題が含まれていることが明らかにされたように思う。
 

 高校の多様化と中学生の進路選択

 県の将来構想検の「個が生きる教育」で述べている、中学生が自分の個性に合わせて高校を選択することができるように多様な高校をつくることに関して、中学生に主体的な選択能力を期待できるか否かということで論議された。河村さんは、中学2年までは将来の生き方を考えさせる指導を行っているものの、3年生になると急に現実的な指導に切り替わってしまうと指摘している。学校間格差の中で成績に応じた進学指導をすることになっている現状を、自らの反省を交えて語った。石田さんは工業高校の推薦入試を例に挙げて、面接の時点ではその学科に関心を示していると答えながら、実はその科目が嫌いだったという生徒がいる実態を報告した。そして、子どもが高校入学後も変わることを前提に学校をつくっていく必要があると語っていた。
 奥山さんも、中学段階で「私はこういうことをやりたい」と明確な進路意識を持っていてる子どもは10人に1人位ではないか、そのために普通科高校を変えて総合学科高校、単位制高校にしていく必要があるという。それに対して会場から稲森さんが、総合学科高校もまだ1校しかない、総合学科高校をどれくらいつくる予定なのかという質問をしている。奥山さんは、将来構想検は「将来には各学区に設置することを期待する」という答申であり、経済的には大変だが時間をかけてつくっていきたい、と答えている。それに加えて、自分が入学した高校に合わなくなった場合には、将来構想検は「柔軟なシステムの実現」として「転編入学の弾力化」を広げていく必要があるとも述べている、と答えた。
 将来の進路選択を促すために高校現場では、石田さんが語っているように、工業高校の場合は、生徒の多様な要望にそった「総合技術高校」という方向で改革を検討している。また、普通科高校の場合は、多くの高校で生徒の進路希望に応じて多様な選択科目を設置したり、さらには少数の高校ではあるが、類型を設置して「総合選択制高校」を展望した改革の努力をしている。だが、専門コース制高校とは違った高校のあり方を追求している普通科高校に対しては、行政が十分な支援をしてくれないという問題点が従来からも指摘されている。特に近年の財政状況の悪化で教育予算も切りつめられ、施設・設備の改善、専任・非常勤の教員の配置は抑制されていて、新たな改革を展望できる状況にはない。また、進路希望の変更で転校しようとしても、現在の転編入制度は転居や「いじめ」などの重大な事例以外は、簡単に転校することができない状況にある。しかし、これらの教育・制度改革は必要であり、中学生の進路意識が未分化の現状では、各高校で自由選択科目を少しでも多く設置して、入学した高校に学びたい科目がなければ、他校の科目も履修できるようにしたり、時には転校できるような柔軟なシステムの構築が望まれるのではないだろうか。

 

 おわりに −学校間格差と条件整備−

 黒沢さんは、シンポジウムのまとめとしての発言の中で、「格差というものが現存していて、これを何とか是正しなければならないのだとういことでは、共通の理解があった」と確認している。特に、現実に存在する学校間格差の中で苦悩する課題集中校に対して、教育行政がきちんと条件整備をして欲しいという意見は、会場から多数出された。これに対して奥山さんは、将来構想検の答申にも目的意識や学習意欲に欠ける生徒が一部の高校に多く見られる傾向を認め、小集団学習など具体策が盛り込まれていると答えた。
 しかしここ数年、「特色ある高校」づくりを推進する県教委は、「小集団学習は特色とは認めない。小集団学習は内部努力でやって欲しい。」と言って、専任・非常勤の加配をしようとしない姿勢が目立つようになった。課題集中校では生活指導など授業以外での教員の負担が大きく、内部努力にも限界を感じて小集団学習を切りつめなければならない状況にある。入試制度改革が学校間格差の是正に効果があると認めることが難しい現状では、何年も先の高校教育改善計画を待っている時間のゆとりはない。県教委が今すぐにでも課題集中校に対する支援策を表明して、少しでも格差を是正する姿勢を示さない限り、入試制度改革も実効あるものになることはないであろう。
 最後に黒沢さんがまとめたように「行政の方と現場の人が意見の食い違いはありながらも、同じ土俵に登って議論を始めた」意義を認めることができる。学校間格差が今回の入試制度改革や多様な「特色ある高校」をつくることによって是正されるかどうか、シンポジウムで明らかになったように、行政と現場の教職員の意見が分かれるところである。「個が生きる教育」にしても、多様な高校をつくることが必要なのか、1つの高校で多様な選択幅を用意することが必要なのか、このことでも意見が分かれていた。しかし、学校間格差の是正ということで行政と現場の教職員とがともに工夫していくことで、神奈川の子どもたちによりよい高校教育の環境づくりができるのではないだろうか。議論は緒についたところである。今後の現場の改革の努力と行政の支援とが相俟って、神奈川の教育改革が進展していくことを願ってまとめとしたい。

(みつはし まさとし 教育研究所員・県立中沢高校教諭)

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