今回、入試改革・高校改革にかかわるテーマでシンポジストとして参加させてもらうにあたって、何よりも楽しみにしたのは行政からお二人も同席できるということだった。日頃から抱いていた疑問に答えてもらえることを期待したからだ。しかし、その期待はみごとに裏切られた。それは私だけでなく、かながわ労働プラザに足を運んだ多くの人たちも同じだったのではないかと思う。
まず高校教育課の鈴木さんは、合格者とその親を対象としたアンケート結果から新制度が理解されてきているということに終始し、総務室長代理の奥山さんは県立高校将来構想検討協議会答申(以後「将来構想検答申」と略記)から基本理念(「個が生きる教育」とか「豊かな心をはぐくむ教育」とか「望ましい社会性の育成」といったスローガン)の解説にとどまった。
これに対して中学校側から河村さんは、そうした理念と実際とのギャップ、すなわち第1希望枠を80%に狭めたり、教科外活動のように数値化できないはずの内容を選抜資料にすることによって中学校生活に弊害を及ぼしていることを指摘した。
一方私は大量欠員の問題や入学してくる子どもたちが本当に希望して入学してくるわけではない(このことは会場発言で詳しく補足された)こと、一校一校の特色作りではなく各校が多様なニーズに対応できるような改革の道しかない、などを具体例をあげて述べたつもりである。
しかし、行政側からは現場で苦しむ私たちの疑問や指摘に具体的に答えてくれたものは何もなかった。例えば、奥村さんは「はっきりした志望を持っている中学生は10人中1人くらい」と言っている。そうであればそれを前提とした改革が必要だと思うのだが、実際には特色作りを進め、中学生ははっきりした志望を持つべきだ、としか述べない。
まじめに教育改革を進めていこうとするならば、その結果起こっていることに対して謙虚に検証する姿勢が必要だと思う。大量の欠員、私学への不本意大量入学、史上最大の中途退学者など、アンケート結果よりも衝撃的な結果が目の前にあるにもかかわらず、それには顔をそむけたまま、きれいごとを並べ立てるだけで事足れりとするところに行政の無責任性が見えてくる。そうしたところに、直接教育に責任を持つ教員と、地方教育行政−末端の役人として文部省の指導にのみ気を配っている立場の違いがこのように表われてくるのだ。
さてそれでは、あらためてどのような方向を目指しての入試改革・高校改革が求められているのか。当日は私に対する会場からの質問が皆無で(質問は行政側に集中した)あったため、発言の機会はあらかじめ設定されていたもののみだったので、ここに若干の補足をさせてもらいたい。
第14期中教審答申は、高校教育改革の最大の壁は高校間格差にあるとし、その解消の手立てとして各高校が特色を出し、受験生は自分にあったそれぞれの特色を選択することによって上下の(縦の)受験競争を緩和する。また入試を多様化することによって一元的な格差を解消する。という新多様化路線を打ち出したのである。神奈川で進められている改革の姿勢もこの線に沿っているわけである。問題はこの手法を具体的に検証することこそ最も重要なのではないか。一方で、これまでに、学校群や総合選抜・合同選抜といった格差が生じないように工夫された選抜制度は文部省の手によってことごとくつぶされてきたことも見ておく必要があろう。このことは、総務室長代理の奥山さんが特色について「普通科で進学一本槍、これも結構」と言っていることからもわかるように、格差解消を目指すのではなく、本音は格差を格差ではないと言いくるめるための手法でしかないことを示している(高校教育課の鈴木さんが「格差とは何なのかということを知りたいと思う」と開き直ったところにも、まさにこのことが示されているのではないか)。
技術的には、私が指摘したように、子どもたちの志望が明確になっていると仮定したとして、その志望に過不足なくそれぞれの高校が特色を用意することなど不可能であることは誰の目にも明らかなのだ。ましてや、子どもたちの10分の1程度しか明確に志望を持っていないとすれば、特色作りによる格差解消という時の前提条件がそもそも整っていないのだから、はじめから無理な話なのだ。
子どもたちの「多様なニーズ」(この中身も検証する必要があるが)に対応できるように高校を改革するということが共通認識としてあるのであれば、そのための手立ては、すべての高校をそうしたニーズに応えられるように作り替えていくしかないし、行政はその応援をすべきなのだ。
次に、入試を多様にするということについては、前述した各校ごとの特色作りを前提として、その特色に応じた選抜方法ということになるが、実際には特色作りという手法に無理がある以上、「特色に応じた選抜」を考えるというより、一人ひとりの個性には違いがあり、その個性の伸長をはかる(将来構想検答申では「個が生きる教育」ということか)ために、成績だけでない他の面もあわせて選抜資料とする、ということになろう。しかしそれでは、個性に上下をつけることになる。例えば、「リーダー的資質がある」ことと、それはないが「自分の役割はきちんと果たす」とした時、どちらが上(下)なのか?「明るく朗らか」と「おとなしく優しい」のどちらが上(下)なのか、そんなことを比較すること自体がおかしいのだ。
すべての中学卒業生を受け入れるだけの条件が整った今、あらためて戦後当初の新制高校の理念に立ち戻って、すべての高校が子どもたちの多様なニーズに対応できるような改革をし、応募者が定員内であれば全員が入学でき、オーバーした時のみ抽選によって入学者を決定する(選抜ではない)。これが本当の「選抜から選択へ」なのではないだろうか。
最後に、実際に行われている現在の神奈川の新方式について一刻も早く軌道修正してもらいたいのは、第1希望枠・第2希望枠という神奈川方式複数志願制の廃止である。
同一校志願者数は初年度で77.7%、2年目で83.1%、そして今年は85.4%(2月10日付朝日新聞に公表された公立高入試確定志願状況を基に筆者が算出)と、この方式を利用している受験生はその割合が少数であり、しかも確実に減少傾向にある。この方式による労力と時間の浪費から生じるメリットはどこにあるのか?むしろ高校側は欠員の不安、中学校側も第2希望枠が読めない不安、そして、受験生とその親の不安、そこから生じる私学併願の増加(不本意入学)・塾頼り、というようにデメリットの方が目につく。
高校教育課が行ったアンケートでは見えてこない現実をこそ見てほしいと想う。