特集 : 「柔らかなシステム」としての高校教育の創造
 

高校は本来「単位制」である
―単位制と学年制をめぐる諸問題―

中野渡 強志 

 
 はじめに

 98年9月に発表された県教委の県立高校将来構想検討協議会(将来構想検)は、「これからの県立高校のあり方」の項で新しいタイプの高校の拡大が必要であるとし、「単位制による普通科高校の拡大」「総合学科高校の拡大」等を提起し、「学年制をとる学校においても」と表現されたその他の学校においては、「高校では単位制と学年制が併用されている」ことから「単位制の主旨を生かした学年制の運用」を図るとしている。
 この提起は、同じ将来構想検が「これからの果たすべき役割」の項で述べているように「子どもたちが、望ましい環境の中で一人ひとりの個性を生かすことができる教育を受けられるよう、県立高校の規模、配置の適正化を図るとともに、教育環境や教育条件の一層の整備・充実を図る必要がある」ことを前提としている。とするならば、この文章から一部の高校が「さまざまな学習希望や進路希望に応える」「新しいタイプの高校」になるのではなく、全ての高校が「個性を生かすことができる」ような高校にならなければならないことを伺わせる。そのために、大幅な選択科目の設置とそれを一人ひとりの生徒に保障するための単位制による運用がなされることは、不可欠な「教育環境や教育条件」であると思われる。
 一方、神高教2003年委員会は、98年5月に神奈川の高校教育改革プログラム(素案)で「高校は本来『単位制』である」と提起している。当然、すべての高校で単位制による教育課程の編成は可能であると思われる。
 そのような改革の試みを追求する学校が出現してきた。長後高校においては県教委が進める「特色ある高校づくりプラン」の一つとして始められた「単位制による教育課程の運用」といった改革を職員会議で決定した。
 しかし、県教委は「単位制実施の寸前になって単位制高校、総合学科高校以外では単位制は学年制の枠の中での運用にとどめなければならないと指示してきた。高校は原則として学年制だというのである。」と長後高校の永田裕之氏が批判している。(全国高法研会報NO・47)
 この県教委の「高校は原則として学年制だ」という点については、新制高校が発足したときの理念から、また、現行規定からも疑問を持たざるを得ない。高校の単位制については、すでに「ねざす」bR(1989.5)の特集「単位制高校を考える」でとりあげている。重複する部分もあるが改めて高校の単位制についての法的な位置づけを中心にここで整理してみることにした。
 

 単位制で発足した新制高等学校

 学校教育法施行規則63条の2は「校長は、生徒の高等学校の全課程の修了を認めるにあたっては、高等学校学習指導要領の定めるところにより、80単位以上を修得した者について、これを行わなければならない」といっており、この条文からすべての高校は、課程の如何にかかわらず、基本的には単位制を採用しなければならないことになる。このことは何度もあらゆる場面で述べられてきたことである。
 また、新制高等学校を発足にあたって出された高等学校「学習指導要領一般編」の補遣として通達された「新制高等学校の教科課程に関する件」(学校教育局通達、1947年4月7日)も、「この課程を実際に生徒に課するにあたっては、単位制を採用するようにしたい」と言っている。
 さらに、1949年に上記の「学習指導要領一般編」の改訂版として出された「新制高等学校教科課程の解説」(1951年の指導要領が出されるまでの間事実上指導要領の役割を果たした文書)の中で次のように明記している。
 「新制高等学校での学習量を測る基準は単位制である。単位制は、学習量を測る基準であることのほかに特殊な意味を持つものではなく、評価や成績の如何とは無関係である」、「週当り1時限の学習指導を1年間行う教科を満足に修得した場合に、その生徒にその教科の1単位が与えられる。ここに1時限とは、50分の時間をいい…」、「各学年で得た単位を合計して3年間で85単位に達すれば、卒業が認められる」、「卒業に必要な85単位の中には、第1節に述べた共通必修の教科について、次の38単位を含まなければならない。これが新制高等学校のあらゆる課程に適用されることもまたいうまでもない。」
 このように旧制の中学校・高等女学校・実業学校で認められなっかた教科・科目の選択制が新制高等学校に適用されることにより、併せて単位制の概念が導入されることになった。
 

 過度に学年制に偏った高等学校

 それでは、学年制とはどんなことなのか、どんな問題があるのだろうか。単位制であるはずの高等学校は今やほとんどが学年制に偏っている。そのことについて第14期中央教育審議会(中教審)答申(1991・4)では「高等学校においては、現在、単位制高校を除き、学年制と単位制が併用されている。(中略)しかし、実際の運用は、教育の意識、学校運営上の問題、教育条件面での制約などにより、ほとんどの学校で過度に学年制に偏ったものになっており事実上単位制の長所は機能していない。その結果、学年を越えて履修できる科目はほとんどなく、生徒自身による選択の余地はないものになっている。また、単位がわずかに不足しても進級が認められず翌年再度、すべての科目の履修を求めるといった硬直した例が多い」と述べている。
 なぜ、このような状況になったのであろうか。すでに明らかなように新制高校の発足時は38単位の必修教科と大教科による選択教科によるカリキュラムで構成されていた。
 科目を自由に選択するためには教員、教室、設備などの教育条件整備が不可欠となる。教育行政がこれらの教育条件を十分整備してこなかったことが、その後、単位制が形骸化していく大きな要因となった。併せて、55年学習指導要領から必修科目が科目数、単位数ともに増大し、60年学習指導要領では両者とも最大(普男17科目68〜74単位)となり、また、55年改訂での科目選択の自由を制限する「コース制」の導入などが考えられる。
 

 なぜ単位制高校が出現したか

 84年9月に発足した臨時教育審議会(臨教審)は、第一次答申(85年6月)で「個別的に教科・科目の単位の取得の認定を行うとともに、単位の累積加算により卒業資格の認定を行う機能を持つ、新しいタイプの高等学校」として単位制高校の創設を掲げている。この文言を素直に読む限り、今まで述べてきたように高等学校の制度において何ら「新しい」点は見あたらない。しかし、事態はここから急速に進むことになった。
 第4次に至る臨教審答申を受けた「教育改革推進大綱」(87年)では、「後期中等教育の多様化、弾力化を推進するため、単位制高等学校の創設について速やかに検討を進める」としている。
 88年4月、文部省は学校教育施行規則(以後、施行規則)を改正し、「高等学校の定時制又は通信制の課程においては『学年課程修了認定の規定(「準用規定」第65条第1項)』にかかわらず学年による教育課程の区分を設けないことができる」とし、同時に単位制高校教育規定を設けた。このこととかかわって、88年11月には学校教育法の改正を行い、定時制・通信制の修業年限を「3年以上」とした。
 さらに、93年、上記の定時制・通信制の特例を全日制にも拡大した。
 さて、全日制にも拡大した単位制高校の法的根拠といわれる64条の3は「高等学校においては、第65条第1項で準用する第27条(各学年課程の修了に係る部分に限る。)の規定にかかわらず、学年による教育課程の区分を設けないことができる」となっている。
 

 27条は学年制を優先する根拠にはならない

 高等学校は、この27条「小学校において、各学年の課程の修了又は卒業に当たっては、児童の平素の成績を評価して、これを定めなければいけない」を準用(施行規則65条の1)していることから学年制が優先されるといった意見がある。
 しかし、この施行規則は1947年5月23日、文部省令第11号と発せられたもので、当初から高等学校に27条の準用規定が適用されていた。にもかかわらず、この施行規則が出される直前の47年4月7日に出された「新制高等学校の教科課程に関する件(文部省学校教育局長通達)」では「この課程を実際に生徒に課するにあたっては、単位制を採用するようにしたい」としている。また、施行規則制定後の47年12月27日の新制高等学校の実施の手引きの中で、特に定時制について単位制の運用を強調している。「単位制は、特に定時制の課程の場合に、その有効なことが知られる。というのは、これから後の説明で明らかなように、定時制の課程の場合には、学年制が統一的に行えないし、誰もが同じ教科を同じ学年でやるとは限らないので、単位制によってこれを調整し統一する他に途がない。」
 さらに 1950年に施行規則第60条「第2学年以上に入学を許可されるものは、相当年齢に達し、全各学年の課程を修了したものと同等以上の学力があると認められたものとする。前項の入学者の学力は、その学年の程度で、これを検定する」の下線部を削除した。
 その理由として、文部次官通達で「高等学校は単位制であるから、入学者の学力は単位によって検討することが適当なので、学年に応じて検定することをやめた」というものであった。
 また、法令の段階では、高校には小・中のように学年課程修了の認定規定がない。 このように、27条の準用規定によって高等学校が学年制でなければならないという根拠はなく、学年制であるといった通達も今まで見いだすことができない。

 

 管理規則も単位制を否定していない

 単位制においては、本来、留年といった制度はなく学年制のみに適用されるものである。「神奈川県立高等学校の管理運営に関する規則(略称 管理規則)」に原級留め置きに関する規定がある。施行規則64条の3によって、管理規則18条「校長は、生徒のうちで当該学年における所定の教育課程を修了することができなかった者について、教育上必要があるときは、その者を原級に留め置くことができる」に2項「単位制による全日制の課程には、前項の規定は適用しない」が追加された。原級留め置きについては、法令上積極的に規定したものはないと「管理規則の運用」でも述べているが、27条から可能であるとしている。これも「教育上必要があるとき」として「できる」といった表現であることから単位制での運用を否定したものではない。
 ただ、この2項の追加によって、制度の異なる高等学校が存在することを強く意識させらるようになったことも否定できない。

 おわりに

 97年度から改訂された入試制度は学校間格差を解消するものではなく、新たに導入された複数志願制度はややもすれば不本意入学者を増大させているのではないかといった危惧さえも生じさせている。依然として学校間格差は是正されていない。
 一部の学校から、生徒は授業に関心を持たず、学校を学ぶ場として認めていないような状況が報告されている。今や、学校が生徒にとって必要だと思われる教科をあらかじめ設定しておくといったシステムに限界があるのではないかと思わせる。そうした中で、どのような理由であれ高校に入学した生徒が、「生きる力」や「将来の進路」を培えられるシステムとして、一人ひとりの生徒自身の選択において、はじめてその可能性が見いだされるのではないだろうか。選択科目を出来るだけ取り入れるといった改革が、様々な生徒と日常的に関わっている学校現場からなされようとしている。
 確かに、高校は単位制であるからといっても、どの学校でも入学してくる生徒の実体を無視してストレートにそのものを適用することは困難であろうと思われる。だからこそ、どの学校でも学年制と単位制の併用といった運用のなかで、カリキュラムの改善がなされている。
 ただ、「単位制高校」以外で「単位制での運用」といった学校現場からの切実な改革が阻害される法的根拠はないことも確かである。
 今こそ、大幅な選択科目と単位制での運用が、生徒自身の選択において「生きる力」を実現できる学校に変わる手だてになるのではないだろうか。今後の「高校改革」の一つとして検討していただきたい。

(なかのわたり つよし  研究所員 相模台工業高校教諭)

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