特集 : 「柔らかなシステム」としての高校教育の創造
 
 「公平・平等の原則」をめぐって

 ここで少し角度を変えて考えてみたい。知人のこどもの年齢を、ある人がたずねたとする。「お子さん、おいくつになりました?」。もし、就学前のこどもであれば、「何才になった」という答えになるだろう。しかし、就学後であれば、何才という年齢をそのまま答えるよりも、「小学校の3年生になった」、「中学校の1年生になった」という答えになることが多くなるだろう。その方が、子どもについての情報としては、より具体的であり、相手の望んでいる答えにより近くなるだろう。現在、おとなたちが、子どものことを話題にする場合に、「学年」という言葉は重要な役割をもっている。こどもたち自身にとっても、お互いの関係を認識するうえで、「あの子は何年生か?」ということは、同じように重い意味をもっている。
 子どもの年齢をたずねられたとき、学年を答えればことたりるというのは、学年と年齢の一致を、当然のことと、みんなが認めているからである。少なくとも義務教育の段階では、この一致は当然のことと見なされている。だが、高校段階になるとそうもいかなくなってしまう。年齢と学年が一致しない子どもがいた場合には、聞く方も聞かれた方も、バツの悪い思いをすることになる。ここでは、年齢と学年の一致を追求する考え方を、先ほどの「課程主義」と対比させて、とりあえず「年齢主義」と呼んでおく。

■  批判される「公平・平等の原則」
ところで、この「年齢主義」という考え方もまた、「課程主義」同様に明確な根拠があるものでもない。前にふれたように、学年と年齢の一致は、もともとは自然なものではなかった。つい先ほど、根拠のないものとして否定した、「各学年の課程を終了しないで、上級学年への進級は認められない」という言葉の方が、むしろ自然に聞こえていたはずである。ただ、「一部の子だけ原級にとどめるのは、教育的ではない。だからとりあえず進級させよう。」という、いわゆる「教育的配慮」もそれなりの説得力を持って存在していた。そして、この「教育的配慮」からする例外的措置の積み重ねが、年齢と学年の一致を生み出すことになり、少なくとも義務教育の段階では、ほぼ貫徹されることになった。これが、もっとも実態にそった経過説明だろう。やや悪い表現で言いかえれば、「年齢主義」とは、「なし崩しで定着してきた」考え方にすぎない。だから、この「年齢主義」的手法に対する疑問も、当然のようにくり返し投げかけられてきた。最近も、「新閣僚インタビュー」という新聞記事(朝日新聞 98年 8月 4日)の中で、就任直後の新文部大臣は、次のように言っている。

 「・・・平等と公平という原則を常に守ってきた結果、日本の子どもたちの実力はかな りある。しかし、国際競争を勝ち抜いていくためには、平均値が高いだけではだめだ。 傑出した人を生み出すためには、よくできる子は特別に分けてやるとか、大器晩成型で ゆっくり勉強したい子たちは丁寧に教えてやることにすればいいと思う。平均的な子ど もたちの教育と大器晩成型の教育、そして早く理解していく子の教育を分けていかなけ ればいけない。今までの公平、平等原則を破っていかないと教育改革はできない。・・ ・ただ、非常に心配していることは、平等、公平の原則だ。すべての子どもたちに全く 同じ教育をし、同じレベルに持っていくのがいいことか。・・・」

 この記事には「公平・平等の原則打破を」という見出しがついていた。教育現場の事情を多少とも知っている人であれば、戦後教育の中で「公平・平等の原則」が貫徹されてきたと言い切る勇気はないだろう。義務教育の段階でも、子どもたちの間には、大きな「学力格差」が生ずる結果になっている。そして、子どもたちの多くも、自分たちが、公平で平等な扱いを受けていないと感じている。高校段階になれば、学校間、課程間、学科間の「格差」というかたちで、子どもたちの間の「格差」は、より増幅され、より明確にあらわれている。しかも、いまだに高校への入学さえ、認められない子どももいる。これが「平等と公平という原則を常に守ってきた結果」なのだろうか。
 もっとも、文部大臣もさすがにこのことはわかっているだろう。こういう、いわば実質的な「格差」が存在するからこそ、「公平・平等の原則」にしがみつくことなく、「よくできる子は特別に分けてやる」べきであるし、「大器晩成型でゆっくり勉強したい子たちは丁寧に教えてやることにすればよい」と言っているのだろう。文部大臣のこの主張にうなずく人も、おそらくそれなりにいるだろう。1年生の授業内容が十分に消化できていないならば、何も無理をして2年生に進むことはない。先に進める子は、先のレベルに進んだらいい。むしろ、みんな同じレベルで授業をしようとする方が、「悪平等」になっている。むしろ、これが常識かもしれない。そして、こうした主張は、一定の課程の修了を経てはじめて、次へと進むべきであるとする、先ほどの「課程主義」と通い合う考え方でもある。

■ 「無事に卒業」することの意味
 もし、学校を終えること、卒業することが、何ほどの意味ももっていないならば、こんな考え方も結構かもしれない。現在の日本社会が、就業年限内に学校を卒業できようが、何年かかって卒業しようが、あるいはまったく卒業できまいが、だれでも同列に扱うような度量の広い社会ならば、「ゆっくり勉強」することもよいかもしれない。だがいま、そんな条件はない。学校には一定の就業年限が定められている。子どもたちは、学校を通り抜け、まるで通過儀礼でもすませるように学校を卒業し、社会の成員として認められていく。学校を卒業した者の中には、次の学校に進学する者もいれば、新規学卒者として就職していく者もいる。もちろん、就職も進学もしない子どもが増えていることも事実であるが、彼らにしても、卒業という資格を手にして社会に出ていくことにはかわりがない。そして、その卒業という資格を、ほぼ年齢どおりに順当に手に入れているかどうかは、それなりに大きな意味をもっている。
 たとえば、様々な進路の中でも、社会の見方がもっとも素直にあらわれる就職について言えば、かつての好景気の時代であっても、卒業の遅れた生徒は就職の場面で明らかに不利な立場に立たされていた。卒業が遅れたことの説明を企業から求められ、不愉快な思いをした子ども、割り切れなさを感じながら対応した就職担当者も多いことだろう。高校生ばかりではなく、大学生であっても、ある程度までの浪人、留年が、許されているにすぎない。このように、いわば「無事に」学校を終えること、卒業することに、社会が十分すぎるほどの意味を認めている中で、「大器晩成型」と分類され、年齢より学年が遅れることは、どういう結果を招くだろう。もし義務教育の段階であれば、「大器晩成型」の子どもは、課程未終了のまま義務年齢を終えてしまうことになる。たとえば、こんな不幸な事例もあった。

 「石川の学歴は中学校を“義務年齢終了”つまり学校をサボっているうちに、自然除籍 された。・・・同校の記録には石川の成績簿はおろか住所、保護者の名前さえ残されて いなかった。・・・」

 これは、「狭山事件」において、容疑者とされた石川一雄さんについて報じた、新聞の記事の一部である(埼玉新聞新聞 1963 年 5月25日)。「大器晩成型」だから、無理に先に進もうとしなくてよい。でも、義務年齢が終了したから、ここで終わりなさい。こんな結果でよいのだろうか。もともと、「大器晩成型」の子は、文部大臣の言うように「ゆっくり勉強したいから」、「大器晩成型」を選んだわけではない。先に進みたくとも、進めなかったから取り残されただけなのである。そして、義務教育終了後であれば、そのような子どもは、「原級留置」を重ねながら、いつまでも卒業できずに、年齢のみが加わっていくことになるだろう。

■ 「公平・平等の原則」の見直し
 就任したばかりの新文部大臣には、酷な言い方が続くかもしれない。しかし、彼の「丁寧に教えて」という言葉も、誤魔化し以上の意味をもっているとは思えない。彼は「すべての子どもたちに全く同じ教育をし、同じレベルに持っていくのがいいことか」とも言っている。おそらく、ここに彼の本音があるのだろう。「早く理解していく子」は早く学年の階梯を進み、上級の学校へと進んでいく。そして、「大器晩成型」の子は途中で学年の階梯をおりることになる。結局、「丁寧に教えて」という場はなく、「大器」は「晩成」しないのである。新文部大臣もさすがに後ろめたさを感じたのか、「旋盤大学」なるものを提起して、多少の救済策は考えている。別に数学や英語を勉強しなくても、手に職をつけ努力すれば、大学に行くこともできる。こう言いたいのだろう。しかし、「大器晩成型」の子に、それ以外の選択肢があった上での、「旋盤大学」の選択ではない。早期に「大器晩成」と印しづけられてしまった子が、「早く理解できる子」の占めている席に入り込む可能性は、ほとんど閉ざされてしまっている。他に行ける大学がない中での「旋盤大学」である。もっとも、こんなことよりも、「国際競争を勝ち抜いていくために」必要な「傑出した人」を生み出すことの方に、新文部大臣の関心はあったのだろう。しかし、「傑出した人」とはどんな人なのか。たとえば、日本を代表する大学の教授、学長をつとめ、大臣にまでなるような人物は、おそらく「傑出した人」の典型だろう。ただし、この程度の人物を生み出すために、わざわざ「公平・平等の原則」を捨てなければならないとは、どうしても思えないのである。
 さて、話を「年齢主義」にもどす。新文部大臣も「心配している」ように、「すべての子どもに全く同じ教育」を求めることには、たしかに無理がある。人の成長は、まさに人それぞれである。人の中を流れている時間は多様である。それなのに、年齢という一様に流れる時間で、人の成長を区切っていこうとすることには、土台無理がある。「大器晩成型の子」は、十分に学習内容を理解できないまま上級学年に進まされ、「よくできる子」は、授業内容に不満を持ちながら退屈な時間を過ごすことになる。この意味では、年齢と学年の一致を求める「年齢主義」という考え方は、無理に無理を重ねるものと言わざるをえない。しかし、それでも「平等、公平」を確保する上で、この「年齢主義」という考え方は、けっして無視できない意義をもっていた。たとえ「形式的」な「平等、公平」にすぎないと批判されようとも、実質的な「格差」が広がる傾向をしめす現在の状況のもとでは、「公平・平等の原則」を守ることが、これまで以上に必要になってきているのではないだろうか。
 

 「年齢」を手がかりにした、ひとつの「改革案」

 ここで多少話を広げてみたい。先ほど問題にしていた「課程主義」は、各学校の中ばかりではなく、学校システム全体を規定する考え方にもなっている。わかりやすく言えば、現在の学校システムは、ある段階の「課程」を修了してはじめて、次の段階の「課程」へと進むことが許されるシステムになっている。たとえば、大学への入学資格を定めた学校教育法の第56条はこうなっている。

 「大学に入学することのできる者は、高等学校を卒業した者若しくは通常の課程による 十二年の学校教育を修了した者(通常の課程以外の課程によりこれに相当する学校教育 を修了した者を含む。)又は監督庁のさだめるところにより、これと同等以上の学力を あると認められた者とする。」

 どんな条項を追加しても、高等学校以外の学校にも、同等の資格を認めるというかたちで入学資格が広がるだけであり、一定の課程の修了を前提にするという基本的しくみは揺らぐことがない。いわゆる大学入学資格検定なるものも、高等学校卒業と「同等以上の学力」があることを認めることであり、その意味では、このしくみから逸脱するものではない。ついでに言えば、高校への入学資格も、ほぼ同じかたちになっている(第47条)。

 「高等学校に入学できる者は、中学校若しくはこれに準ずる学校を卒業した者又は監督 庁の定めるところにより、これと同等以上の学力があると認められた者とする。」

 いずれにせよ、現在の学校システム全体が、前の段階の課程を修了した、あるいは修了に相当すると認められてはじめて、次の段階に進むことができるという「課程主義」にそったものになっている。ところが、すでに論じてきたことであるが、「課程主義」という考え方そのものが、怪しげなものであった。高等学校の課程を修了していなければ、なぜ大学に入学できないのか、と問いはじめたらどうなるだろう。おそらく答えを見つけることは、先ほどと同様に不可能となるだろう。もし、この根拠の怪しい「課程主義」から離れて、学校システム全体を考え直してみたらどうなるだろう。たとえば、この二つの条文全体を、年齢を基準にする単純なものに変えてみたらどうなるだろう。

● 「大学に入学することのできる者は、満年齢十八歳以上の者とする。」
● 「高等学校に入学することのできる者は、満年齢十五歳以上の者とする。」

■  この案の意味するところ
 こう変更することにより、高校を卒業した者であろうが、就職した者であろうが、自宅でひたすら本を読んでいた者であろうが、「認可」されていない教育機関にいる者であろうが、何であれ、一定の年齢に達しさえすれば、大学への入学資格だけは与えられることになる。もちろん、この場合でも受験勉強をひたすらやってきた者、ただ「学力」の高い者だけが、勝ち残る可能性は十分にある。どんな結果になるかは、入学させる側の選考の仕方の問題である。特別な資格をもっている者ではなく、大学全体がすべての子どもたちに、同じ条件で開かれているということに意味がある。高等学校への入学資格も、同様である。そして、大学や高校の入学資格の変更は、他にも影響するはずである。他の教育機関、たとえば専修学校の専門課程(学校教育法第82条の三「高等学校若しくはこれに準ずる学校を卒業した者・・・」)の入学資格も変わるだろう。また、学校への入学資格が改められることにより、他の様々な受験資格も変わっていくだろう。そして、就職の際の受験資格等も、それなりに影響を受けることになるだろう。
 もちろん、こんな提案に様々な批判があるのは当然である。とくに、いま文部省の提唱する「改革」の流れは、十八歳以前であっても、特にすぐれた「素質」をもつ子ども、特定の教科の「学力」の高い子どもには、大学入学を認めていこうとする方向に向かっている。ここで提起した案は、この流れに反するものである。多分こう批判されるだろう。なぜ、十八歳でなければ、大学に入れないのか、大学教育についていけるだけの「学力」「興味・関心」のある子どもならば、入学させればよいではないか。この批判に対しては、こう答えたい。余裕があるなら、本でも読んでいればよい、旅行でもすればよい、あるいは大学の講義にでももぐり込めばよい、おそらく教室から無理やり排除する大学の先生はいないだろう。冷たい突き放し方と言われるかもしれない。だが、大学に入る前に積み重ねるべき経験はいくらでもある。「早く理解していく子」が、余裕ある時間を使う場所はいくらでもある。もし、彼らが「経済、法律を含めて日本を率いていく人(インタビューにおける新文部大臣の言葉から)」になるならば、この余裕をもって過ごした時間は、大きな意味をもつだろう。ようは、無駄に時間を過ごさずにすむ方法、退屈しないですむ方法を考えればよいだけである。

■ この案で、何が変わるか?

 いま、子どもたちは、自分が所属していた年齢集団から脱落することを恐れている。だからこそ、原級留置という措置が、子どもたちに重いものとなるのである。みんなから遅れたら、淋しいということだけではない。同年齢集団の中でなければ育たないからなどという「教育的配慮」の問題も、子どもたちの意識するところではない。単純な話である。進級できなければ、卒業が遠のくからである。かりに単位制をとって、進級の問題を一時的に回避することができても、結局は卒業の問題が残ってしまう。そして、学校を卒業することが、進学なり、就職なり、あるいは資格取得なりの必須ともいえる条件になっている。卒業は学校からの出口であると同時に、次の段階への入口でもある。このことを子どもたち自身もよく知っているし、繰り返し教え込まれてもいる。「高校に入ったら留年せずに、卒業することが目標だ」。こんな切実ではあるが、さびしい言葉を、新入生の口からしばしば聞くこともある。いまの学校制度の中で、卒業の意味はあまりにも重い。
 ここで示した案が実現されるならば、卒業の持つこの重みは、多少は軽くなるだろう。年齢は、容赦なく、公平、平等に、だれにでも与えられる。年齢がそれだけで資格と認められるならば、何があっても、どんな経歴を経ようとも、次の段階に進む資格だけは与えられる。たとえ学校に行っていなくとも、ある年齢に達しさえすれば、チャレンジする機会だけは、公平に与えられる。逆説的ではあるが、年齢がそれだけで資格と認められたときはじめて、子どもたちは年齢に追われる事態から解放される。「早く理解できる子」も「大器晩成型の子」も、機会という点では同じ土俵に立つことができるのだから。
 また、高校の卒業が、出口ではあっても、次の段階への入口ではなくなるならば、高校を卒業することの意味も、当然変わってくるだろう。高校を卒業しなくとも次に進めるなら、あえて高校に入る理由は何か、高校に何を求めるのか、子どもたちは自分自身に問いかけざるを得なくなるだろう。高校の側も、高校とは何か、なぜ高校で学ぶのか、その意味の説明を迫られるだろう。そして、社会全体も、たんなる通過点としてではない別の意味を、あらためて高校教育の中に求めることになるだろう。
 とはいえ、いま法の改定にまで進める状況にあるわけではない。また、これで明るい未来が、ただちに開けるわけでもない。おそらく、その年齢に達するまで、何をしたか、何を得たか、その内容を、個々人が問われることになるだろう。あるいは、「自己責任」という言葉が使われるかもしれない。もともと、「自己責任」を問うためには、公平に機会が与えられているという前提がなければならない。機会を与えずに、責任を問うことはできないからである。年齢による「公平・平等」な機会が保障されたとき、「自己責任」という言葉が、大手を振って闊歩することになるかもしれない。こうなると、個人個人の置かれている状況が、これまで同様、あるいはこれまで以上にきびしいものになっていく可能性もある。また、高校を卒業することが、大学入学の条件とならないならば、よりアナーキーな受験競争がおこる可能性も考えられる。いまの大学入試制度が変わらないままであれば、特定の有名大学に入るために、すべての「余分なもの」を切り捨てて受験勉強に励むような事態が起こる可能性もある。こうした危険性は十分に考えられる。教育制度の一角に手を付けようとする場合には、制度の全体にわたって手を加える覚悟を持たなければならない。それを承知の上で、子どもたちにかかる学校の重みを多少とも「軽くする」手だてとして、こんな案を提起してみた。

 

 最後に

 進む方向については議論が分かれるところであるが、高校にかぎらず学校は、いま大きな変化のときをむかえている。だが、どんな変化があろうとも、学校のはたす基本的役割が大きく変わるとは思えない。入ってきた子どもたちを、出口まで、卒業という資格を得るところまで、無事にたどり着かせる努力を続けることは、おそらく学校に課せられている変わることのない役割だろう。そして、この役割に限ってみるならば、多くの子どもたちについて、現在でも学校はその役割を一通りは果たしている。だが、取り残された子どもたちもいる。彼らにのみ、集中的に原級留置という重荷が負わされている。もちろん、それは当たり前だ、自分の責任だから仕方がない、という声もあるだろう。だが、すでに書いてきたように、修了しなければならないとされる「課程」の意味は不明である。意味の分からないものの責任を問うても、それは言いがかりにすぎなくなってしまう。いま学校現場が、様々な矛盾をかかえ、その解決の糸口さえ見つけることができないままでいるのも事実である。それでも、いま抱えている子どもを、ひとりでも多く、無事に卒業の場に立たせることができるよう、学校現場は力を尽くすしかない。そのためには、現実にあった「柔軟な学校システム」をつくっていくことが、何よりも必要だろう(この点については、この巻に収められた三橋氏の論考を参照されたい)。
 しかしまた、これまでも現場の工夫、努力を阻んできた壁が、手をつけられないまま存在しつづけていることも、最後に指摘しておかなけばならない。ひとつの壁は、現場の工夫を支えるはずの、条件整備の不十分さである。ふたつ目の壁は、学校間の大きな「格差」の存在、とりわけ様々な困難な問題を集中させられている学校の存在である。これらの壁は、個々の学校の力で乗り越えられるものではない。もし、壁の彼方へと通ずる道が見つからなければ、現場の工夫や努力は、またもや虚しい結末に終わってしまうであろう。いま行政は、「これからの県立高校のあり方について(将来構想検の答申のタイトル)」新たな提起をしようとしている。当然、行政による提案の中身は、現場の工夫、努力を支えるものになっていなければならない。

(ほんま しょうご 研究所員 県立田奈高校教諭)

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