●特集 U● 研究所独自調査
「教員の意識」聞き取り調査を読んで
手島  純
  1. はじめに
     教師へのまなざしは、 だんだん厳しくなっている。 それは、 教育問題が頻発しているということと、 教育という 「聖域」 に関わる仕事をしている者に 「間違い」 があってはならないという前提が、 大きな割合をもって影響を与えているからである。 また、 日本の社会が新自由主義に向かったとき、 教育に市場原理が持ち込まれたとき、 教師への 「まなざし」 は加速して厳しくなったように思う。 教育がサービス業化していったからだ。 「生徒や保護者は顧客である」 というような発想もあった。 保護者の無理難題にたいして、 学校は平身低頭で応えていく場面によく遭遇するようになった。
     しかし、 この 「まなざし」 の変化は、 教師の質の向上をもたらすのだろうか。 教師が生き生きと教育活動に従事しなくては、 教育も学校もよくならず、 最終的には生徒へ不利益を及ぼすとのではないかと私は思う。 やりがいがあり、 経済的にも安定性のある教職という職業のイメージは、 OECDの調査からも分かるように、 崩壊しはじめた。 今回の調査でもその一端が炙り出された。
  2. 聞き取り調査を読んで
     調査を読んで目についたのは、 せっかく教職についたのに会議や事務処理ばかりであるという指摘である。 「教員および教職に関するイメージは変わったか」 という質問に対しての若い教員の回答である。 「生徒と向き合う時間があると思った。 そのために先生になったのに。 何のために会議ばかりやっているのだろうと思う」。 「とにかく事務作業だらけだと思った」。 これらの感想は、 特に若い層の言葉として表れている。
     また、 「若者にしわ寄せが多いかなと思う」 という回答に集約されているように、 若い層は仕事の不公平感をもっている。 年配の教員が家庭や身体の問題、 加えて 「やる気」 の問題もあって、 なかなか 「残業」 ができなかったり、 週末に学校に行けなかったりする分、 若者層ががんばっている。 「もっと分担できたらいい」 というのが若者層の本音である。
     特に部活動は、 勤務時間に関しての大きなウエイトを占めているし、 勤務時間外の部活動に支払われる特勤手当の安さも問題である。 教育界がブラック化する原因の主要な要素である。
     次に総括教諭の方のインタビューのいくつかを紹介したい。
     50歳代の方 (女性) は総括教諭になって感じたこととして、 「総括制度が入ってきて、 みんなの気持ちが一つになりにくくなった」 と言う。 また、 「やりにくいことがあると、 総括がやれ、 と言われ」 るとのことである。 一方、 職員会議に関しては、 「建設的な意見を言ってほしい。 ケチをつけるだけで終わっている」 と訴える。 総括教諭と一般の教諭の溝を感じているのだろう。 いろんな人がリーダーをやることが大切で、 そうでないから、 無責任な仕事が増え、 「言いっぱなし、 やりっぱなしの人を増やしている」 と現状を分析している。
     50歳代の方 (男性) も 「企画会議で議論がスムーズにはいくが、 意見をたくさん聞く場が減っている感じがする」 と言う。
     40歳代の方 (男性) はかなり手厳しく現状を批判する。 観点別評価はコンピュータで算出され、 以前のように生徒の顔が思い浮かばないとし、 職場には 「事故やミスを極端に恐れている雰囲気が蔓延している」。 さらに 「保護者・生徒が 『教育』 を 「サービス業」 と勘違いしているように思えてならない」 と言う。
     総括教諭でさえ現状のシステムを 「良し」 としていないことが分かる。
  3. 昔と今と・・・
     50歳代の多くの教員は、 かつて民主的であった時代を懐かしみ、 現在の学校システムを批判する。 観点別評価も生徒による授業アンケートも総括教諭制度もなかった時代、 多数決で職員会議が進行している時代を知っている教員は、 現在の事態を許し難いと思うのは必然である。
     ただし、 観点別で評価することや生徒による授業アンケートなどは、 そのこと自体が問題なのではないと思う。 この言い方は誤解を生むかもしれないが、 もともとこれらのことは真面目な教師たちがやってきたことである。 生徒をテストの点だけで見るのではなく、 意欲や関心、 提出物の状況、 授業態度などを加味して評価していたし、 自分の授業のやり方がいいのかどうかに対して、 常にアンテナを張り巡らせて、 生徒の意見を聞いていた教員も少なくない。 問題なのは、 それらが制度化されることで、 原初のしなやかさが消え去り、 さらに形骸化してしまっている点である。
  4. いくつかの疑問
     調査報告を読むことで、 以前から私が疑問に思っていることも、 また浮かびあがった。
     テストの点だけではなく、 観点別に評価することは大切だとしても、 現行の観点別評価は、 多くの制約があり、 フレキシブルな制度になっていない。 そもそもスクール・ネットの 「す」 を打ちこむ際に、 評価と観点も連動していなくて、 オールAの観点に対して 「1」 の評価をしてもエラーがでない。 なぜなのだろうか。
      「意欲・関心」 の評価をどう見るかが、 やはり非常に難しい。 発言の多いことを意欲・関心が高いとするのか、 授業中に寝ていないことがそうなのか、 もしくは結局テストの点がいいのが意欲・関心を高いとすべきだという議論まで幅が広い。 そもそも、 授業のコマ数が多く、 全員の生徒の顔と名前が一致しない。 そんな状況で、 関心・意欲に観点別評価をつけていいのかと思う。
     生徒による授業アンケートの現状を見ると、 授業別の細かい質問事項が列記されている。 そのアンケートに対して、 生徒はめんどうくさがって、 機械的に 「オール 1 」 などと答える場合がよくある。 しかし、 アンケートを処理する人は、 特に管理職から言われないので、 「オール 1 」 であっても回答をそのままデータ化する。 統計の世界では、 たとえばすべての回答を 「 1 」 にした場合などは、 統計的な処理から排除するが、 学校はそうではないことが多いようである。 また、 授業ではなく教員の個人的な好き嫌いで生徒は評価する。 たとえば、 教師に怒られた後などは、 仕返しに怒った教師の評価を下げるなどということは当たり前の現象である。 高校では生徒指導がかかわるので、 教科指導だけの評価にバイアスがかかる。
     かつて職員会議では普通に挙手が行われて、 議題の採決がされていた。 多数決は、 国会でも行われているように民主主義の基本である。 現在は企画会議での議論を踏まえ、 その結果をもとにスムーズに職員会議が行われることを企図されているのだろうが、 職員会議では、 そのほとんどが報告事項になっていて、 教職員のモチベーションがあがらなくなっている。 スムーズな職員会議というより、 上意下達の打ち合わせ会議に堕している場合も少なくない。 場合によっては多数決でもいいと思うのに、 多数決をすること自体が 「違反」 のような雰囲気がある。
     こうした状況を50歳代の教職員は苦々しく思い、 若い教員は当たり前のこととして受け入れる傾向はある。 この意識の差と若い人に仕事が押しつけられている状況下で、 世代間の確執も生じてきている。
  5. おわりに
     調査を読むと、 多くの教員が授業を大切に思いながら、 なかなか授業準備ができない状況であることがわかる。 みなさん授業をしっかりやりたいのである。
     テレビ番組で高視聴率だった 「ドクターX」 のなかで、 米倉涼子扮するフリーランスの医者は、 医者の免許と関係のない仕事や派閥争いにかかわる仕事に関して、 「いたしません」 とはっきり言う。 それが好評を得た。
     そう、 私たちも教員免許に関係ない仕事にたいしては 「いたしません」 と言えないものだろうか。

     
 (てしま じゅん 研究所員)

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