●特集 T● 2014年度研究所討論会 関連寄稿 |
孤立する若者たちを支える労働教育 居場所と法律顧問の提供の視点から |
竹信 三恵子 |
キャリア教育と労働教育の両輪を。 こう説く人々が増え始めている。 労働教育に関心を抱く大学や高校も目立ち始めている。 だが、 労働教育がなぜ必要かについては、
実はさほど共有されていないのではないだろうか。 厳しい就職戦線を勝ち抜いて会社に入ったとしても、 職場のブラック化に対抗する方法を知らなければ働き続けることさえ難しい。
それ以上に、 自分を大切にし、 自分の創意工夫を生かして元気に働くには、 会社の論理を超える 「働き手の論理」 を支える何かが不可欠だ。 そのための労働教育こそが今、
求められている。 ●学生の顔が明るくなっていく 大学の教員になる前、 私は30年以上、 新聞記者として労働問題を手がけてきた。 企業の労務管理が劣悪化をたどり、 働くルールを知っていることや相談場所が働き手にとってどんなに大切かを、 取材ばかりでなく、 自身が働く中でも実感してきた。 だが、 2011年に大学の教員に転職し、 授業で労働問題について教え始めたとき、 学生たちの反応は必ずしも思うようにはいかなかった。 ブラック企業の実態を教えても、 「会社がそんなにひどいなら働く気がなくなる」 という声が出てくるだけ。 中には、 こちらが一言も戦えとは言っていないのに、 「自分は勇気がないから戦えません」 とコメントペーパーに書いてくる学生もいた。 日本の社会運動は、 闘う道具や備えも与えないまま、 「不正には立ち向かおう」 と励ましてしまう傾向がある。 それをなんとなく感じてきた若者たちは、 職場の不正を語られると、 反射的に 「戦え」 と押しつけられていると感じてしまうのだと知った。 若者の労働問題に取り組むNPO 「POSSE」 では、 「とりあえず逃げる」 という選択肢も示している。 この 「逃げる」 という選択肢を示すと、 学生たちは敏感に反応した。 買い手市場の社会ばかり見てきて彼らの世代にとって、 会社は勝てっこない存在だ。 立ち向かえ、 とだけ教えても尻込みしてしまう。 そもそも過労死しそうに疲れきっている時に、 戦えと言われてもできるわけがない。 「逃げろ、 という選択肢を聞いてほっとした」 とコメントペーパーに書く学生が出てきて、 ようやく授業の進め方がつかめたような気がした。 さらに、 「労働法を知っていたら就職に不利になると思っていないか」 とも聞いてみた。 何人かがうなずいた。 「就職面接で労働法を知っていますか、 なんて聞く会社はない。 会社には頭の中まで見えない。 何かを知ることは人の自由だ」 と強調することにした。 社会全体が会社主義に洗脳され、 会社はジョージ・オーウェルの小説のビッグ・ブラザーのような存在になっている。 その恐怖を和らげる方法を入れ込まないと、 労働問題を教えても浸透していかないことがわかってきた。 「労働法を使え」 というのもやめた。 働くルールは、 人間が人間らしく働くための基本ではあるが、 使いこなすことは、 そう簡単ではない。 1 日 8 時間労働も、 最低賃金も、 19世紀の過酷な工場労働の経験から、 これを続けたら人間生活そのものが立ち行かなることを皆が思い知ってできた社会の常識である、 とだけ説明した。 会社の力があまりに強く感じられて 「長時間労働は違法です」 などと言えない時には、 頭の中で 「 1 日 8 時間労働は世界のルールなんだ」 と繰り返すだけでいい。 それによって自分が悪いのではないと確認できる。 その確認を繰り返すうちに、 手を抜く、 休む、 転職する、 労組を作る、 といった自分を守る知恵も出てくる。 雇われたら何時間でも働くのが当然と思い込まされ、 自問もできないまま過労死に追い込まれた若者の例を、 私は取材で何人も見てきた。 だから、 「不当だから戦えとは一言も言っていない。 ただ、 働くにはルールがあると知っていればいい。 それがパワーになる」 「今は逃げていい、 周到に勝てる準備をしてから戦え」 と付け加え、 「労働法も詳しくは知らなくていい。 ただ、 変だなと思ったら労働相談」 と締めくくる。 それなら難しい知識がなくても出口はあると思うことができる。 こうしているうちに、 学生たちの顔が、 目立って明るくなっていった。 学期末には、 「労働相談や労働法など、 味方になってくれるものもあるんだ」 という感想が出てきた。 若い世代が動けないのは、 「勇気がない」 からではない。 支えてくれるものがないと感じているからだ。 正社員になれないのは、 非正社員が 4 割近くにも達し、 安くて便利な基幹労働力になってしまったからだ。 なのに、 若者たちは、 お前の努力や能力が足りないと責任を追及され続けてきた。 そんな中で、 不当な働かせ方に立ち向かえると考える方がどうかしている。 必要なのは、 味方もいる、 と教えることなのだ。 ●無援状態の若者たち 若者たちが置かれている無援状態は、 彼らが卒業した後の労働市場の変化とも大きな関係がある。 働き手の 4 割近くが非正規雇用になったにもかかわらず、 日本では働き手が人間らしい生活を送るための原則である 「無期雇用」 と 「家族生活が営める水準の賃金」 は、 正社員でないと確保できない。 そんな社会で、 若者たちは懸命に、 残った 6 割の正社員の座に潜り込もうとする。 ほとんどの人が正社員だったバブル期以前に就職した親たちも、 正社員になれない子どもたちを責める。 学校側も、 少子化の中での生き残り策として 「正社員就職率が高い学校」 を売り込まなければならないため、 学生の尻をたたく。 一方で、 非正規の労働条件の悪さが知れ渡るにつれ、 会社は、 若者を惹き付けるため 「正社員」 の看板に掲げるしかなくなってもいる。 そこで、 「正社員」 の長時間労働と滅私奉公を求めつつ、 定期昇給やボーナスなど正社員には当たり前だったはずの条件は外す、 という 「名ばかり正社員」 「義務だけ正社員」 が横行する。 若者 (そして親、 学校) はそれでも、 とにかく 「正社員」 として入れてもらえるよう懸命に資格を取り、 自己診断テストを受け、 企業への対抗力を奪われたまま、 会社に入って行く。 親も学校も会社に顔を向け、 若者同士は正社員の椅子取りゲームによって孤立させられる。 だからこそ、 「味方になってくれる場所もあるんだ」 という言葉が飛び出すことになる。 これに、 働く場での無援状態を当たり前と刷り込み、 あきらめさせる装置が拍車をかける。 在学中から始まっている 「ブラックバイト」 だ。 ブラックバイトとは、 中京大学の大内裕和教授の命名で、 学生バイトの過酷で劣悪な働かせ方を示したものだ。 たとえば、 労働時間をごまかして残業代を払わない、 病気で休みたいと電話すると、 代わりを探さなければ休んではいけないと言われる、 など、 労働法で認められている働き手の権利をバイトだからということで否定されてしまう例は、 あとを絶たない。 働いている時にお尻をさわられたり、 暴力を振るわれたりといったセクハラ・パワハラ問題も、 指摘されている。 労働社会学の私の授業で、 ブラックバイト体験を書いてもらったら、 7 から 8 割の学生がこうした体験を書いてきた。 それらは珍しい事例でないのだ。 そんなバイトの労働条件の悪さが、 さほどの非難も浴びずにきたのは、 「学業の合間の片手間仕事」 と見られていたからだ。 ところが、 いまでは 「店長に頼られてバイトを休めない」 といったバイトリーダー、 バイトマネージャーが登場している。 バイトが生活の基礎になっている学生を当て込んで、 バイトが基幹労働力として利用されているからだ。 そうした変貌を象徴するのが 「バイ活」 だ。 バイト先がないのは自分の印象が悪いからなのか、 と悩んだ学生の一人が、 友人たちを聞きまわって、 採用組と不採用組の違いを調べてみた。 わかったことは、 面接の際、 授業に合わせてシフトを選びたいと答えると不採用になり、 シフトを選ばず働くと答えた学生が採用になっていたことだった。 「就活で何十社回っても断られるそうですが、 もう 『バイ活』 ですよ」 と彼は言った。 ガソリンスタンドで物販成績を競わされ、 その上位の者からシフトを選べるというバイト職場もある。 営業成績を上げないと授業を受けられないということにもなりかねない仕組みだ。 それでも学生たちは、 アルバイト先の要望に添えない自分が悪いと思い込んでいる。 それらが違法行為だと知ると驚き、 働く場では当たり前のことだと思っていた、 と言う。 アルバイト先での扱いが当たり前と思い込まされた学生たちは、 就職して人権侵害に相当する扱いを受けても、 我慢しない自分が悪いと思い込んでいる。 だから、 対抗できない。 ●ブラックバイトを支える鉄の三角 これらの働き方の背後にあるのが、 親世代の貧困化、 学費の高騰、 奨学金制度の鉄の三角だ。 1980年代、 バブル経済を背景に人々は 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」 と舞い上がり、 日本人は世界一裕福だ、 という錯覚を抱いた。 この錯覚と、 1979年の第二次オイルショックによる財政難への不安の高まりを利用して、 中曽根政権下では福祉削減策が進んだ。 一方、 「国労つぶし」 に象徴される大手労組の弱体化政策も進み、 また、 75%だった所得税の最高税率が切り下げられ、 1989年からは逆進性の高い消費税も導入されていく。 富裕層の税を減らして中低所得層からの消費税で補てんしつつ福祉などの公的サービスを削り、 自己責任で市場を通じてサービスを買わせる路線がここから始まった。 その一環として学費は急上昇を続け、 団塊世代の学生時代に年 1 万2000円だった国立の学費が、 2010年には45倍になった。 そもそも返済が必要な貸与型しかなかった日本の公的奨学金に、 1984年には最大 3 %の利子つき奨学金が加わり、 学費が必要なら利子を払ってローンを借りればいいという自己責任政策がここでも前面に押し出されていく。 だが、 その後の1990年代後半、 アジア経済危機やバブル崩壊で生まれた大量の不良債権処理の失敗によって、 「公的サービスに頼らない自己責任政策」 を支えるはずの賃金が崩壊し始める。 リストラの横行で 5 %にまで上昇した失業率を改善するためとして、 労働者派遣法の大幅緩和をはじめとする非正規労働者の規制緩和が進み、 非正規労働者が激増する。 ところが日本には、 同一労働同一賃金の規定がなかったため、 正社員に匹敵する仕事をしていても最低賃金までは下げることが可能だ。 そんな中で正規労働者も、 「非正規は同じ仕事を半分の賃金でやっている」 と脅され、 賃金の減少が始まる。 1995年以降、 賃金が下がり続けた国は先進国で日本だけといわれる状態が始まることになる。 その結果、 日本の親たちは、 高騰を続ける学費を負担しきれなくなっていく。 これが、 学生たちを奨学金に向かわせる。 ところが、 奨学金だけで学費を賄おうとすると、 卒業時には多額の借金を負うことになり、 ここに利子が上乗せされる。 これを避けようとすれば、 アルバイトを通じて自力で学費を稼ぐしかない。 アルバイトはもう、 「レジャーに使うカネをひねり出すための気楽な仕事」 ではなくなり、 学業と生活を支える基礎的な費用を得る場所となった。 だから、 不当な扱いを受けても、 簡単にはやめられない。 また、 アルバイトに拘束されて学生同士が活動する時間や場が減っていく中で、 アルバイトは重要な 「居場所」 にもなっていく。 店長は、 そんな中での貴重な人間関係になる。 だから、 労働法を行使しろと叫んでも 「店長がかわいそう」 で終わってしまう。 確かに、 バイトを管理する側もまた正社員労働の劣化の中で厳しい働き方を強いられ闘う相手ではないことも多い。 しかも、 労組の弱体化の中で働くルールを教えられる場がないまま育ってきた店長などの社員たちの多くは、 人が人らしく働くための最低基準である労働基準法さえ知らない。 ブラックな労務管理をしている企業との労使交渉で、 企業側が 「労基法? うちはそういうの、 やってません」 と回答したことが労働界で語り草になっているが、 そんな事態を象徴するエピソードだ。 ● 「居場所」 と 「法律顧問」 これまで述べてきた事実は、 若者を正社員として会社に押し込んだり、 景気を浮揚させたりというこれまでの問題の解決策が、 必ずしも意味をなさないことを示している。 まず、 雇用の劣化からくる過労死は、 正社員・非正社員を問わず若者を襲う。 2007年には、 ファミリーレストランの契約社員の32歳だった男性店長が、 長時間労働の末入社 4 カ月で亡くなり、 同じ年に、 居酒屋チェーン 「日本海庄や」 の24歳の男性正社員も初任給に過労死の目安となるほどの長時間労働の残業代を組み込まれ、 長時間労働の末、 亡くなった。 その翌年には居酒屋チェーン 「ワタミ」 の26歳女性正社員が長時間労働の末、 入社 2 カ月で飛び降り自殺した。 いずれも働かせ方が原因の労働災害として認定されている。 総務省の労働力調査では、 アベノミクスの効果が喧伝された2013年時点で、 25歳から34歳の非正規比率は27%と 3 人に 1 人近くに達し、 1993年以来最高となっている。 低賃金で短期雇用のアルバイトや契約社員が人件費切り下げのための基幹的労働者となった今、 景気が良くなったからといって、 働き手は正社員になるわけではない。 決してなくなることはない。 一方、 正社員も、 安定した生活を保障する切り札といより、 会社への滅私奉公を約束してくれ、 長時間労働によって時間あたりの賃金をいくらでも切り下げられる便利な装置に変わりつつある。 会社の労働条件がひどいので、 やめようとしたら、 「無期雇用契約なのにやめるなら、 賠償金を取る」 と脅された正社員までいる。 だからこそ、 問題解決に労働教育が必要になる。 それは、 若者たちが、 働く場で自分が置かれている位置を話し合い、 それは自分だけに起きていることはないということを発見させてくれる 「居場所」 を提供し、 どう対応すればいいのかをそれぞれの事情に応じて助言してくれる相談窓口などの 「法律顧問」 にたどり着く方法を教える場となる。 だから、 授業ではまず、 職場のリスクや雇用形態が多様化している現状と歴史を教える。 次に、 労働者には、 2 つの権利があることを教える。 やめない権利とやめる権利だ。 やめない権利は、 生活を守るために不当な解雇をはねのける権利だが、 やめる権利は、 よりよい労働条件の職場へ移ることで生活を守る権利だ。 だから 「逃げる」 ことは、 ただ逃げるわけでなく、 やめる権利の行使として前向きに使うこともできる。 そして、 出口となる相談場所の仕組みと探し方を教える。 労組も 「労働者の既得権を守って会社に迷惑をかける存在」 ではなく、 こうした居場所であり、 相談場所として自分で作ることができることも教える。 卒業生の男子が来校して 「授業を受けておいてよかった」 と言ってくれたことがある。 彼は、 大手電気量販店の販売員などを派遣する派遣会社に就職し、 あちこちの量販店で販売に従事していた。 職場ではパートや派遣、 正社員が入り乱れて足を引っ張り合い、 精神疾患を起こしそうだったという。 だが、 どれも授業で聞いていた通りのことだったので、 その原因が理解でき、 心に余裕を持つことができたというのだった。 「働く場の現状については体験できたので、 これからはしばらく、 自分がやりたいと思ってきたことをやってみたい」 と言って彼は帰っていった。 いま、 すでに、 「出口」 としてのいくつかの若者のためのユニオンが生まれ、 労働教育のノウハウをだれもが得ることができる場として、 教員や研究者、 労組メンバーらによる 「労働教育ネットワーク」 も生まれている。 また、 だれもが使える教材として、 研究者らによる 「ブラック企業対策プロジェクト」 がブラック企業やブラックバイトに関する教材を開発し、 それがネット上で公開されている。 こうした動きを、 学校か地域かにかかわらず、 できるところすべてで知らせていくことは、 労組が弱まった時代に、 まともな企業へ向けた働き手の監視力を再生することになる。 またそれは、 社会からのまともな監視役を失って迷走する日本企業の立て直しにもつながる可能性をも秘めている。 |
(たけのぶ みえこ ジャーナリスト・和光大学) |
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