- はじめに
この間、 教育研究所は教職員の意識調査のためのインタビューにとりくんできた。 教員世界の変容を分析することが、 その目的の一つである。 変容といえば、 これを書いている私自身が、 気がつけば50代になっていた。 若い頃の自分を棚に上げ、 「最近の若い教員は…」 といった同年代の教員との 「エビデンスに基づかない飲み屋談義」 をしたりすることもある。
分析のために集められたインタビューの記録を読み、 教員世界の変容について考えることが、 この稿のテーマである。 インタビュー個々の発言を載録することはできないが、 協力に感謝したい。 インタビューからは、 20代、 30代の教員の情熱といったものが伝わってきた。 もっと冷めているのだろうと予想していたのだが、 予想はくつがえされた。 また、 50代の教員は、 きっと嘆いているのだろうなと予想していたのだが、 その声は嘆きというよりも現状に対する警鐘であり、 一人ひとりの振り返りはドラマを見るようでもあった。
- 状況の変化
現在、 神奈川県立高校の教職員は、 20代、 30代の教員が増加しつつあり、 採用当時からずっと少数派であった40代を挟んで、 50代が過半数をしめる年齢構成となっている。 この30年の神奈川県立高校の現場は、 生徒急増期の1980年代、 高校教育改革を議論した1990年代、 改革推進計画を遂行した2000年代、 ポスト改革推進計画の時代を迎えている2010年代を経験してきている。 職場環境、 学校運営という観点からすると、 「教職員の人事評価システム」 の導入 (2003年)、 「管理運営規則 (神奈川県立高等学校の管理運営に関する規則)」 における職員会議の位置づけに関する変更 (2005年)、 「新しい学校運営組織」 の導入 (2006年) などが2000年代に行われ、 1980〜90年代と2010年代を比較すると職場は大きく変化した。 教職員の意識の変容を考える際、 この職場環境、 学校運営のあり方の変化は重要な要素となるであろう。
- 「民主化モデル」 と 「あたらしい学校運営モデル」
私自身も含めて50代の教員が20代から30代のころに共通して経験してきた高校現場は、 職員会議、 校内組織、 人事、 カリキュラム、 財務、 学校行事など、 学校運営のすべてをボトム・アップで進めようとする 「民主化モデル」 のなかにあった (以下、 便宜的に、 1980〜1990年代の職場を 「民主化モデル」 とよぶことにする)。 特に、 1980年代は大量採用の時代であり、 「職場は若かった」 のだろう。 私の場合、 20代で議長団や各種委員会のメンバーとして仕事をし、 33才で分掌主任も経験した。 私と同世代の教員の多くは、 同様の経験をしているはずである (私より 2 歳年上のある人は29才で進路指導部主任をやっていた)。 1990年前後、 「渡りの禁止」 (一人の教員が同一の分掌の主任を 2 年度間連続することを禁じる民主化ルールをさらに厳密に適用し、 分掌を変更しても 2 年度間連続で主任ポストに就くことを禁じること) を徹底するために新採用 3 年目の20代の教員が主任に互選されるといったこともあった (任命するのはもちろん校長である)。 こうした 「民主化モデル」 は、 教員が主体的に学校を運営すること自体に大きな労力をあてる…各種会議への対応、 各セクション間の事前調整、 人心への配慮など…ものであり、 当時の若い教員たちにとってはさまざまな経験を得る貴重な機会となっていた。 また、 校内暴力、 不登校、 中途退学などの問題について学校の外側からの既存の学校システムへの批判が高まりはじめ、 学年制のなかでの生徒の進級や卒業をめぐる課題を中心に、 「単位制」 や 「履修と修得の分離」 や 「総合学科」 の導入などにかかわって多様な議論が繰り広げられていた時代とも重なっていた。
2000年代に入ると、 「民主化モデル」 はじわじわと解体されていく。 先述したように、 人事評価システムの導入 (2003年)、 職員会議の位置づけの変更 (2005年)、 新しい学校運営組織の導入 (2006年) が2000年代に次々に行われ、 企画会議を学校運営の中心に置き、 総括教諭をグループリーダーに据えたタテ型の進捗管理と学校運営を行う体制へと移行していった (こうしてできあがった2010年代の職場については、 以下、 便宜的に 「あたらしい学校運営モデル」 とよぶことにする)。
ところで、 1970年代の学校の多くは、 校務運営委員会を中心に学校運営が行われていた。 校務運営委員会は、 分掌主任で構成される主任会議のことで、 ここで学校運営の方針が実質的に決められていた。 こうした体制が解体されていく中で生まれてきたのが 「民主化モデル」 なのだともいえる。
ここからは、 「民主化モデル」 と 「あたらしい学校運営モデル」 とを図式的に比較しながら、 教員世界の変容について考えてみる。
- 「若い人」 と 「ポスト」
2000年代は、 「民主化モデル」 から 「あたらしい学校運営モデル」 への 「構造改革」 の期間であった。 それは、 「学校の中枢を若い教員たちが人気投票や巡り合わせで就いたポストを使って牛耳っている状況」 や、 「学年や分掌や各種委員会が校内中間組織として守旧勢力となる状況」 を解体していくプロセスでもあった。 委員会組織がなくなり、 分掌の主任が互選されることもなくなった。 「あたらしい学校運営モデル」 のなかでは、 20代〜30代前半の人がグループリーダーになるといったことはない。 その学校での経験を一定程度積んだ20代、 30代でも、 総括教諭にならないとグループリーダーにはなれないため、 転任してきた総括教諭をグループリーダーとして迎え入れるようになっている。 つまり、 「あたらしい学校運営モデル」 は、 制度的に若い人がポストに就けないシステムになっており、 「民主化モデル」 と 「あたらしい学校運営モデル」 との間の違いの一つとなっている。
- 総括教諭と企画会議
「あたらしい学校運営モデル」 は、 企画会議を学校運営の中心に置き、 総括教諭をグループリーダーに据えたタテ型の進捗管理と学校運営を行う体制であり、 総括教諭は管理職とともに企画会議に参加する重要なポストとなっている。 総括教諭は、 管理職ではないため、 管理職と教諭との間の 「板挟み」 になって苦しんでいるといった話をよく耳にする。 管理職は、 総括教諭を使って教員を動かそうとするし、 教員は総括教諭を通じて企画会議での議論に自分たちの意見を反映させようとする。 グループ業務の進捗管理は総括教諭に任されるため、 業務を進めようとして大量の仕事を引き受ける総括教諭が出てくる。 他方、 自分は教員の作業の進捗を管理する管理職の代理なのだという総括教諭もいる。 こうした正反対の対応を総括教諭がとらざるを得ないということは、 この職を考える上での、 重要な要素となる。 また、 総括教諭を職員室でパフォーマンス的に怒鳴りつける管理職がいるという話もある。 「民主化モデル」 の時代にはしばしば見られた職場での怒鳴りあいが、 「あたらしい学校運営モデル」 の時代になるとタテ型のパフォーマンスへと変容している。 こうしたことが職場をしらけさせ、 モチベーションを低下させているのであれば考え直さなければならない。
今回のインタビューからは、 総括教諭の多くが 「あたらしい学校運営モデル」 の中心である 「企画会議」 が機能していないととらえていることが読み取れた。 企画会議に参加しながら、 それが機能していないことに警鐘を鳴らしているのである。 また、 「企画会議が機能していない」 との見方は、 20代、 30代、 50代に共通してみられる指摘でもあった。
各現場は総括教諭の確保ができずに困っている。 総括教諭が職場に半数程度いて、 交代制でグループリーダーができるといった状況を作らないことには、 「あたらしい学校運営モデル」 は持続可能なものとなってはいかないようにも思われるのだが、 総括教諭がなかなか供給されていかない。 「民主化モデル」 の分掌主任とは異なる 「あたらしい学校運営モデル」 の中心となる総括教諭は、 その困難さに比して魅力的なものとして捉えられていないようである。
- 「参加」 と 「効率」
50代の教員の 「あたらしい学校運営モデル」 へのとらえ方のなかに、 「民主化モデルなら、 互選されて自分に主任が回ってくるかもしれない。
そうとなれば、 それなりに仕事を憶えようとするし、 いろいろなことを考えるようにもなる。 だけど、 総括に任せておけばいいや式では若い人は育たない」
といった趣旨の指摘がある。 これは、 「あたらしい学校運営モデル」 は、 少数派である40代中堅を酷使しつづけ、 50代の有能な非総括教諭ベテランのモチベーションを低下させて活用できずにおり、
総括教諭に仕事を押し付ける教諭を構造的に発生させるシステムであり、 人的資源の活用という点から見ると 「民主化モデル」 よりも効率が悪いとする立場である。
つまり、 学校運営への参加意識が低下して 「効率」 が悪くなっているという指摘である。 他方、 50代の教員は、 「民主化モデル」 が全面的に優れていると考えているわけではない。
たとえば、 会議が多く、 根回しが必要で、 派閥があって、 職員会議の票固めの情報戦がくりひろげられ、 「民主化モデル」 からアウトプットされてくる決定や学校運営が
「ろくでもないもの」 となることもあるということを経験として知っている。 それでも、 「民主化モデル」 の中で学校運営に参加していることの体感が担保されていたことが、
自分にとって 「ろくでもないもの」 であったとしても、 それに 「主体的に従う」 ことになっていたのであり、 「あのころのドラマ」 を熱く語ることへとつながってくるのであろう。
「民主化モデル」 と 「あたらしい学校運営モデル」 について、 20代、 30代の教員は、 どう見ているのだろうか。 「民主化モデル」 は激しくなり過ぎるといかがなものかとも思うし、
「あたらしい学校運営モデル」 は間違った決定をつづけていてもそれを軌道修正するビルトインスタビライザーがないといった指摘をする30代の教員が複数いた。
この 「民主化モデル」 か 「あたらしい学校運営モデル」 かの問題については50代の教員ほどの熱い語りは見られないが、 「あたらしい学校運営モデル」
の見え方について20代、 30代の教員が共通して強く指摘することがある。 それは、 「民主化モデル」 があったことは知っているけれど、 でも、
いまはない。 「あたらしい学校運営モデル」 は、 いまのシステムで、 それは私たちにとっては、 新しいものでもなんでもないということである。
20代、 30代の教員にとっては、 「あたらしい学校運営モデル」 は新しいシステムではなく、 「仕事のかたよりが激しい、 こなせる人とこなせない人とを峻別するシステムであり、
そのなかで自分たち若い者たちを中心とする特定の人たちが酷使され、 全員の参加がしにくく、 効率が悪いシステムである」 と受けとめられているようである。
いまの20代、 30代の教員のエネルギーが、 かつての 「民主化モデル」 のなかに放り込まれれば、 もう少し違った形で、 「人的資源の活用」 が行われ、 エネルギーはもっと燃えるのではないかと考えたりする。 逆にいえば、 若い世代の充溢したエネルギーというものの噴出口がふさがれてしまっているのが現在の高校の職場なのかもしれない。
- 「仕事の膨張」 と 「実践の交換」
若い世代の充溢したエネルギーは、 どこへと向かっているのだろうか。 インタビューを通してわかったことは、 20代、 30代の教員の多くが、 教員になったばかりのころに 「教員って、 こんなことまでやるのか」 という衝撃を受けているということである。 そして、 現在の若い世代の充溢したエネルギーと時間は、 膨張する仕事の中で、 ブラックホールに吸い込まれるように消尽されている。 目の前の膨張する仕事に追われ、 同じく目の前の膨張する仕事の中で格闘している他の学校の教員との間で実践を交換するということもかなわなくなってきている。
世代間の実践の交換はどうなっているのだろう。 私が20代だったころ、 50代の人たちは、 別世界の人のように映ったものである。 ネクタイを締め、 スーツを着て、 職員室でたばこを吸っている大先輩たち。 「参加」 と 「効率」 という観点で言えば、 埒外におかれた、 敬して遠ざけるべき人たちということになるだろう。 それに対して、 いまの50代は、 総じて若い。 「参加」 と 「効率」 という観点からすると、 「敬して遠ざけるべき人たち」 などではなく、 「少なくとも一人ぶんは、 ちゃんとやってくれよ」 と若手から厳しく評価される立場にある。 「こなせる人とこなせない人」 という評価の対象となり、 「やれるのにやらない人」 などといった評定を受けることとなったりするし、 職場の仲間としてほんとうの意味で尊敬され、 実践を交換することもある。
- 「第3のモデル」
さて、 「民主化モデル」 は解体され、 「あたらしい学校運営モデル」 はすでに新しくはない、 のだとすれば、 これらのモデルを越える 「第 3 のモデル」 を考えていくべきときが来ているのだろう。 「あたらしい学校運営モデル」 が、 「構造改革」 の期間に対応するモデルであったのだとすれば、 すでに 「第 3 のモデル」 が提唱されてしかるべきときに入ってしまっているのだ。 特に、 20代、 30代の人たちが現在進行形で蓄積している、 学校のあり方、 職場のあり方、 生徒との向き合い方についての議論や実践を、 学校を越えて交換し、 提案することができるしくみをつくっておく必要がある。 より複雑化するであろう新しい時代への対応の準備のためである。 そして、 知っている者が知らない者に何かを継承することよりも、 ともに現在の状況と格闘することが 「第 3 のモデル」 の特徴となるであろう。 「伝達か、 対話か」 (パウロ・フレイレ) で言えば、 タテの伝達型システムではなく、 縦横の対話型システムが 「第 3 のモデル」 となるはずである。 それぞれの職場における、 タテ型の進捗管理では対応しきれないほどの複雑化し拡大していく課題への対応のしくみを 「対話」 を軸に考えていくことになるのである。 そして、 「第 3 のモデル」 は、 総じて若くなった50代が、 前向きに参加して人的資源として効率を上げられるシステムになっているはずであり、 それは、 これから学校現場へと参入してくるさらに若い教員たちにとっても風通しのよいものになっているはずである。
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