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授業研究の国際的ひろがり |
村山 拓 |
昨年11月、 インドネシア教育大学 (バンドゥン) で開催された世界授業研究学会 (World Association of Lesson Studies) に参加し、 講演の機会を得ました。 その名の通り、 授業の事例研究やカリキュラム、 教師の同僚性の研究や校内での授業研修の持ち方などから、 授業研究を通した学校づくり、 それぞれの国や地域、 学校での授業研究の事例など、 多彩なテーマで研究発表や議論が行われました。 日本からの参加者も多く、 特に数年前、 東京大学でこの学会が開かれてからはさらに増えたと聞いています。 日本の授業研究は、 海外からも注目を集めています。 授業研究を “Lesson Studies”としてだけではなく、 横文字の “Jugyo-Kenkyu”などと紹介する人もいるくらいで、 授業研究が日本のお家芸として (も) 知られていることが垣間見えます。 今回の大会テーマは 「反省的な教育者、 学びの専門家になること」 でした。 私自身は特別支援教育やインクルーシブ教育に関心があり、 毎年、 何らかの形で支援が必要な児童生徒にかかわるテーマで発表をしてきました。 わが国の学校現場での特別支援教育への関心は相当高いものがありますが、 それは海外でも同様のようです。 この学会でも、 今回初めて、 特別ニーズ教育をテーマとする部会が作られました。 数年前、 発表前に司会者から 「これは本当に授業研究のテーマか?」 と聞かれた (発表後は理解してもらえましたが) ことを思い起こすと、 学校現場での特別ニーズ教育への関心の高まりは相当なものといえます。 この日の部会も、 あとで実行委員の方に教えてもらったところでは、 計80か国、 130名程度の参加者があったそうです。 学校教育の内容や制度には、 それぞれの国の独自の考え方や理由があって現在の形になっています。 同時に、 比較教育学などの領域で、 複数の国の教育政策や制度などを比較検討しようとする取り組みや、 ある国で特徴的な取り組みを紹介することで、 それを日本の文脈で実現可能な形を探ろうとする取り組みにも大きな意味があると思います。 また、 国が違うゆえに、 日本が経験していなかったり、 あまり知る機会のなかった事例に触れることができるのも、 国際会議の重要な意義だといえるかもしれません。 例えばこの学会の開かれたインドネシアでは、 JICA (国際協力機構) や国内外の大学などの支援を受けながら、 各地で授業研究の取り組みが進められており、 それを教育省 (日本の文部科学省に相当) も全面的にバックアップしているとのこと。 現地で聞いた話では、 授業研究は、 教師の専門性向上と、 教育の質の向上と、 学校改革のために重要な位置づけを与えられているのだそうです。 授業研究学会ですから、 もちろん授業研究に関心の高い人が集まっているのだと思いますが、 学校改革のために授業研究を推進するとは、 何とも心強い言葉です。 しかも、 国内で同一の取り組みを進めるのではなく、 各地の取り組みを国が支援してくれるというのも、 スマートな改革の形といえるかもしれません。 「専門家は事例研究を通して学ぶ」 とよくいわれます。 特別支援の領域で仕事をしていると、 医療系や心理系の方とお話しする機会もありますが、 彼らはいわゆる 「ケース会議」 で事例研究を行っています。 ある症例や相談者のケースを学ぶときに、 年齢も体調も生活環境も全く同じ患者、 相談者にもう一度出会うことはまずありません。 つまり、 会議に参加している趣旨は、 取り上げられるケースと完全に同じ状況に自分が直面したときにきちんと対処できるように、 というわけではないといいます。 授業研究も同様だと感じています。 そもそも教室や学校の置かれている文脈は違っていても、 教師として、 専門家として課題を共有していることが少なくないということは、 現場の先生方からよくうかがうことでもあります。 授業の研究も、 その日の実際の授業の事例の検討によって進められます。 同じく学校づくりも、 その学校の経験を知らせてもらうことによって、 多くの人が自分たちの学校づくりを考える手がかりを得ることができるのだ、 ということを改めて感じさせられます。 改めてインドネシアでの学術交流をふり返ってみると、 授業研究は、 その伝統ゆえに、 日本が海外から 「学ばれる」 ものとして紹介されることが強かったようですが、 私たちも海外の授業研究から学ぶことが少なくないと感じた機会でした。 |
(むらやま たく 東京学芸大学教員) |
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