所員レポート
「教員の意識調査」 が示唆すること
  −先行調査・研究を照らし合わせて−


 沖塩 有希子
はじめに
 第 50・51 号の 『ねざす』 誌面において、 2012年度実施の教育研究所独自調査:「教員意識調査」 の中間報告1および全体報告【2】が示された。 単純集計や概要については、 各号をご覧いただきたい。
 本レポートのねらいは、 「教員の意識調査」 が示唆する点を明らかにすることにある。
 その際には、 教員の意識に作用する要素という視座も加味し、 日本の教職の特徴に焦点を絞って考察してみたい。
 また、 先行調査・研究も参照し、 「教員の意識調査」 を俯瞰的にとらえることに留意したい。

T. 「教員の意識調査」 分析
 T 章では、 「教員の意識調査」 (以下では 2012年調査 と記述) について 6 つの観点から分析を加えていく。

(1) 前回調査との相違をめぐって
 2012年調査においては、 前回 (2003年度) の 「教育改革期における教員の意識調査」 (以下では 2003年調査 と記述) が実施された時期との学校現場の情況の変化を勘案して、 2003年調査の質問項目の削除・追加を一部に行いつつも、 両調査の比較分析作業を見込んで2003年調査時の項目をできるだけ反映する方針をとった。
 両調査で統計的に異なる回答傾向が確認できた項目について具体的に挙げてみる。
 まず、 教員がふだん感じていることについてたずねた項目群に関しては次の 3 つがある。
【生徒とのふれあいを苦痛に感じる】
「(いつも・時々) 感じる」
 2012年:28.6%、 2003年:23.0% 
【教員の間で教育観や教育方針に関する議論が少なくなっている】
「(いつも・時々) 感じる」
 2012年:86.6%、 2003年:77.5%
【教員への管理が強く、 仕事がやりにくい】
「(いつも・時々) 感じる」
 2012年:67.9%、 2003年:97.0%  
 これらの数値からうかがえるのは、 2012年調査において、 生徒とのふれあいに抵抗をおぼえたり、 教員間で教育議論が乏しくなっていると感じる教員が増えていること、 管理が強く仕事がやりづらいと感じる教員が減っている、 といった意識の変化である。
 【教員への管理が強く、 仕事がやりにくい】と感じる教員が減少しているのは、 想定外の結果であった。 なぜなら、 前回調査が行われた2003年以降に学校組織体が様変わりしたことで教員が管理によるしめつけを感じているものと推測していたからである。 その辺りの状況を具体的に述べてみたい。 学校の (校長と教頭以外は一般教諭という横並びの) いわゆる鍋蓋型組織の機能不全を根拠として、 指揮系統を明確化し合意形成の効率化を図るべく、 学校運営体制は再編されることになった。 組織体のトップとして校長は権限を強化され、 以下副校長 (2006年から導入)・教頭・総括 (2006年から導入)【3】という縦系統の経営型組織の整備が進められることとなる。 彼らを構成員とする企画会議が学校運営の中核を成し、 学校全体としての方針・方策などを策定していく。 そして、 これらを実現するために各部局単位の目標・対策が設定され、 PDCAサイクルに基づいたマネージメント理論が学校にも移植されることとなった。 そして、 こうした仕組みが入り込んできたことにより、 2012年調査では2003年調査の時期と比して、 さまざまな事案が上意下達で指示・要請される管理運営が常態化し、 組織体の一部として職務に従事することへの不自由を教員は感じていると考えていた。
 しかし、 2012年調査は予想とは逆の傾向を示すものとなった。 理由として考えられるのは、 とりわけ20〜30代の若手世代にあっては、 教職についた当初からそのような管理運営体制になじんでいて、 このシステムにそもそも違和感や抵抗感を持ち合わせていないことがあり、 そういった事情などが、 管理が強く仕事がやりにくいと感じる教員の割合を減少させる結果として作用した可能性がある。
 上記の理由が見当はずれではないことを説明するのに参考になりそうなのが、 油布たちが実施した調査 (以下では 油布ら調査 と記述) である。 これによると、 1990年代半ば〜2000年代に学校組織の運営制度が変革 (職員会議の法的根拠の明確化、 主幹教諭の配置、 学校評価・教員評価制度の導入 等) されたが、 この動きに呼応して教員の間には 「(学校) 組織の一員」・「組織の担い手」 と自らを位置づけ、 学校の組織目標と整合的に自己の目標を立て、 それを達成すべく職務に邁進する傾向が (過去の同様の調査 [1995年・1999年] と比較して) 認められるという。4
 もちろん油布ら調査は2012年調査とは別個の調査であるので、 ここから得た知見を2012年調査に短絡的に援用することは控えなければならない。 が、 2012年調査を分析する上での 1 つの手がかりになると思われる。
 なお、 【教員の間で教育観や教育方針に関する議論が少なくなっている】と感じる教員が増加したことに絡んだ検討は、 T章 (5) の箇所で行うことにしたい。
 次に制度改革に関わる項目群についてであるが、【学校 5 日制・スクールカウンセラーの配置】は2012年調査で賛成が微増、【学区撤廃・教員人事評価システム】は2012年調査で反対の割合が減っている。【生徒による授業評価・学校評議員制度】は反対が増加傾向にある。  
 【教員人事評価システム】の項目に関わって若干コメントしておきたい。 これをめぐっては、 2012年調査で 「(やや・とても) 反対」 が71.2%であり、 2003年調査と比べて14.4%減少している。 2012年調査では【教員評価の給与への反映】という新しい項目も加えられた。 回答結果は、 「(やや・とても) 反対」 が71.3%、 「どちらとも言えない」 が20.1%、 「(やや・とても) 賛成」 が8.6%となっている。 両項目で反対の割合がほぼ同じ値であることから判断すると、 教員人事評価システムに否定的な教員の反対理由が、 この人事評価に連動した給与の決定が制度化されることへの懸念にあると推測される。 別の言い方をすれば、 現状のところ教員人事評価が給与・昇任といった教員の処遇に直接結びついてはいないので、 教員人事評価システムへの反対表明の比率が減った可能性も考えられよう。
 
(2) 多忙感をめぐって
 2012年調査で多忙感に該当するアンケートは次の 2 つである。
【生徒と接する時間が足りない】
「いつも感じる」:39.4%、 「時々感じる」:47.4%、 「あまり感じない」:12.4%、 「全く感じない」:0.8%
【忙しすぎてゆとりがなさ過ぎる】
「いつも感じる」:59.1%、 「時々感じる」:33.1%、 「あまり感じない」:7.0%、 「全く感じない」:0.8%  
 こうしたデータより、 相当数の教員が忙しさを感じながら仕事に取り組んでいる様子がうかがえる。
 だが、 これら多忙感に関わる回答結果から、 それゆえに教員は多忙化したと解釈し、 「多忙感」 と 「多忙化」 を混同させてしまうことには慎重さが求められよう。 あえて確認するまでもないが、 2012年調査は教員の意識調査であり、 質問項目に対する意識の持ち方は各人各様なので、 そうした事情を踏まえて意識調査の数値を見ていく必要があるだろう。
 ただし、 『ねざす』 第52号で、 ある県立高等学校の教員の多忙化の様相 (学校の規模の大幅な縮小にともなって教員数は減っているものの、 部活動の数は依然として変わらず、 科目数や対外的業務などは増加していることから、 教員の業務は拡大方向にあり多忙化が進んでいる)【5】が補足的にレポートされているので、 現実に教員が多忙化していることが推察される。

(3) 教員間の仕事負担の不均衡をめぐって
 2012年調査での教員間の仕事負担の不均衡に関する項目は【教員間の仕事の負担感がアンバランスである】で、 「(いつも・時々)感じる」 と回答した割合は、 全体:93.1%、 20〜30代:95.2%、 40代以上の非総括教諭:92.3%、 40代以上の総括教諭:95.0% となっており、 世代・職位を問わずおしなべて教員間の仕事の負担量のアンバランスが実感されている。
 では、 このような教員によって仕事負担が不均衡であることに一定の傾向性は認められるのだろうか?2012年調査では上記のデータしか判断材料がないため、 答えを出すことは難しい。 今後、 関連調査である本年度(2014年)実施のインタビュー調査 (以下では インタビュー調査 と記述) の内容も突き合せて分析検討していくことになろう。
 そのような訳で、 ここでは、 ベネッセ教育総合研究所が実施した 「教員勤務実態調査」 (以下では ベネッセ調査 と記述)【6】の中にヒントを探してみたい。 ベネッセ調査においても一部の教員に業務が集中するアンバランスが指摘されている。 例えば、 残業時間量を問うたところ、 高等学校の教員では、 平均 1 時間以内が28.7%、 平均 2 時間を超えるのは36.6%と、 教員の残業時間はまちまちである。 3 時間超えも 1 割以上となっている。 残業時間が比較的短い教員がいる一方、 長時間勤務が日常化している教員も存在していることがうかがえる。
 さらに、 ベネッセ調査では、 属性 (1.性別、 2.年齢別、 3.職階別、 4.教諭・(各種) 主任の別、 5.部活動顧問の有無別、 6.学級担任の有無別、 7.担当教科の別) ごとの (勤務日 1 日あたり・休日 1 日あたりの) 残業時間量も明らかにされている。 参考データとして、 高等学校教員の勤務日 1 日あたりの平均残業時間量を@・A・B・D・Eに限って挙げてみたい。
【性別】
男性:1 時間49分、 女性:1 時間27分
【年齢別】(管理職でない教諭のみを取り出して数値化したもの)
30歳以下:2 時間20分、 31〜40歳:2 時間、 41〜50歳:1 時間42分、 51歳以上:1 時間21分
【職階別】
校長:1 時間35分、 教頭・副校長:2 時間38分、 教諭:1 時間44分、 講師 1 時間48分、 養護教諭:1 時間2分、 実習助手:1 時間12分、 その他:1 時間32分
【部活動顧問の有無別】
運動部顧問:1 時間50分、 文化部顧問:1 時間34分、 顧問をしていない:1 時間23分
【学級担任の有無別】
高1担任:1 時間49分、 高 2 担任:2 時間 2 分、 高 3 担任:1 時間54分、 高 4 担任:1 時間36分、 担任をしていない:1 時間35分
 以上の数値から、 30〜40歳の若手世代、 教頭・副校長の役職者、 運動部顧問担当者の業務負担時間の相対的な長さが読み取れる。
 ベネッセ調査も2012年調査と異なる調査であるので安易な判断はできないが、 今後2012年調査やインタビュー調査を分析していく際の糸口になると思われる。

(4) 学校運営への関与をめぐって
 2012年調査の中間報告において仮説的に述べられているのが、 【学校運営にかかわっている感じがしない】の回答結果に世代・職位による意識の差が確認できるという点である。 神奈川県下の学校では2006年度から 「総括教諭」 の職位が導入されていることはすでに触れたが、 この総括のポジションにあるか否かによって学校運営への関与に意識差が出てきている可能性がうかがえるという。
 【学校運営にかかわっている感じがしない】に 「(いつも・時々) 感じる」 と答えた者を、 世代、 総括教諭かそうでないか、 の属性別でデータ化した場合、 20〜30代 (この世代での総括教諭該当者はなし):42.2%、 40代以上の総括でない教諭:68.4%、 40代以上の総括教諭:30.6% となる。 ここから、 40代以上の世代では総括の役職にあるか否かで学校運営に関与しているとの意識に大きな開きが認められるといい、 40代以上の非総括教諭が学校運営に対してある種の疎外感を抱いているかもしれないとの指摘がされている。
 この意識の差には、 先の (1) でも言及したように、 学校運営・指導体制の意思決定の合理化・迅速化に向けたシステムの改変が密接に関わっているであろう。 学校は、 校長 ― 副校長 ― 教頭 ― 総括に階層化され、 彼らを成員とする企画会議が学校運営のコアとなり、 同会議での種々の決議事項が下ろされてくる組織運営体に再編成された。 その結果として、 学校での位置づけ (職位) によって教員の学校運営への関わり方に差異が生じてきているものと思われる。 企画会議のメンバーである教員にあっては、 学校の運営にコミットしているとの実感を得やすいが、 それ以外の教員にとってはそうした意識を持つのが困難になっている可能性が考えられる。
 加えて、 【職員会議での議論が尊重されていない】も上述した意識の隔たりを裏づける回答結果となっている。 この項目に 「(いつも・時々) 感じる」 と答えた比率は、 20〜30代:64.8%、 40代以上の非総括教諭:84.2%、 40以上の総括教諭:55.0%である。
 2000年に 「学校教育法施行規則」 が改められ、 職員会議については、 「設置者の定めるところにより、 校長の職務の円滑な執行に資するため、 職員会議を置くことができる」、 「職員会議は、 校長が主宰する」 との文言でその位置づけが法令上明確にされて、 同会議の最高意思決定機関説は斥けられることになった。 この点が職員会議に対する教員全体の意識に少なからず影響していることが前提としてあろう。 だが、 とりたてて40代以上の非総括教諭の層に職員会議の議論が軽視されていると感じる割合が高いのは、 自分たちが学校運営に十分に参画できていないとの強い実感を現わしていると思われる。

(5) 同僚との関係性をめぐって
 先の (4) の記述内容にも連関するが、 40代以上の場合、 総括の役職にある教員とそうでない教員との意識のギャップや、 良好な関係性が疑われる回答結果が、【教員への管理が強く、 仕事がやりにくい】の項目において確認された。
 この項目については、 2003年調査と比較してそう感じている割合が減少傾向にあることを先述の (1) ですでに指摘しているが、 属性別に見るとこれとは違った傾向が読み取れる。
【教員への管理が強く、 仕事がやりにくい】に関して、 「(いつも・時々) 感じる」 と回答したのは、 20〜30代:40.4%、 40代以上総括教諭:57.0% であるのに対して、 40代以上の非総括教諭:80.0%であり、 非総括教諭の大半が管理による息苦しさを感じている様子がうかがえる。 副校長や総括といった職位の導入によっておおかたフラットであった学校組織がピラミッド型の階層構造へと組み替えられ、 管理する側とされる側の区別が鮮明になり、 非管理職の教諭が仕事のやりにくさを感じることとなり、 教員の関係性や意識が変容してきていると思われる。
 ところで、 (1) で取り上げた【教員の間で教育観や教育方針に関する議論が少なくなっている】も同僚との関係性に絡んだ項目であり、 そう感じている教員の割合は2003年調査と比べて増加していることをすでに述べている。 が、 ここで油布ら調査を参照して再び考えてみたい。 油布ら調査に関して (1) で引用したのは、 学校をめぐる組織運営改革に呼応し、 教員の間には 「(学校) 組織の一員」・「組織の担い手」 として自らを認識し、 学校の組織目標と整合的に自身の目標を設定し、 そのクリアーに向けて職務に邁進する教員の傾向が見られるという点であった。
 油布らは、 教員同士の交流のあり方についても分析を加えている。 これによれば、 学校運営のあり方に順応するかのように、 「組織下の交流」 (他の教師の学級経営に口を挟まない・職員会議では積極的に意見を言う) が、 「日常的な交流」 (同僚と教育観や教育方針について語り合う・同僚と学校を離れてもインフォーマルにつきあう) や、 「実践上の交流」 (同僚の授業を見たり同僚があなたの授業を見たりする) に対して高まってきているとしている。【7】
 この指摘が2012年調査に該当するかは定かでないが、 仮に神奈川県立高校教員の一部にも同様の傾向が認められるとすれば、 同僚教員とはあくまで学校の枠内での割り切ったつきあいを好む教員が一定数存在していて、 教員同士が教育談義を交わすようなフランクな関係性が維持しにくくなっている可能性も想定される。

(6) 世代・職位ごとの意識の相違をめぐって
 2012年意識調査においては、 世代 (20〜30代・40代以上) や職位の違い (非総括教諭・総括教諭) によって回答に有意な差が見られる項目が多数あった。 具体的に挙げれば次の通りである。

【学校運営に関わっている感じがしない】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :42.2%
「(あまり・全く) 感じない」 :57.8%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :68.4%
「(いつも・時々) 感じない」 :31.6%
40代以上の総括 
「(いつも・時々) 感じる」 :30.6%
「(いつも・時々) 感じない」 :69.4%
【教員の間で生徒に関する情報は共有されていない】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :42.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :57.8%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :57.5%
「(いつも・時々) 感じない」 :42.5%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :61.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :38.8%
【出勤時刻になると気が重くなる】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :42.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :57.8%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :50.6%
「(いつも・時々) 感じない」 :49.4%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :43.8%
「(いつも・時々) 感じない」 :56.2%
【教員をやめたいと思うことがある】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :28.3%
「(いつも・時々) 感じない」 :71.7%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :56.5%
「(いつも・時々) 感じない」 :43.5%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :43.8%
「(いつも・時々) 感じない」 :56.2%
【授業を意欲的にできない】
20〜30代 
「(いつも・時々) 感じる」 :30.6%
「(いつも・時々) 感じない」 :69.4%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :49.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :50.8%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :33.9%
「(いつも・時々) 感じない」 :66.1%
【生徒とのふれあいを苦痛に感じる】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :16.1%
「(いつも・時々) 感じない」 :83.9%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :34.0%
「(いつも・時々) 感じない」 :66.0%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :23.1%
「(いつも・時々) 感じない〉:76.9%
【コンピュータを扱う仕事を苦痛に感じる】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :22.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :77.8%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :50.1%
「(いつも・時々) 感じない」 :49.9%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :32.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :67.8%
【部活動の負担が重い】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :47.0%
「(いつも・時々) 感じない」 :53.0%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :57.8%
「(いつも・時々) 感じない」 :42.2%
40以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :37.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :62.8%
【部活動をもっとやりたいと思う】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :47.4%
「(いつも・時々) 感じない」 :52.6%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」:25.0%
「(いつも・時々) 感じない」 :75.0%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :36.4%
「(いつも・時々) 感じない」 :63.6%
【生徒の基礎学力を保障する取り組みが不足している】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :86.0%
「(いつも・時々) 感じない」 :14.0%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :84.7%
「(いつも・時々) 感じない」 :15.3%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :92.6%
「(いつも・時々) 感じない」 7.4%
【生徒と接する時間が足りない】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :83.9%
「(いつも・時々) 感じない」 :16.1%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :86.3%
「(いつも・時々) 感じない」 :13.7%
40代以上の総括 
「(いつも・時々) 感じる」 :95.0%
「(いつも・時々) 感じない」 : 5.0%
【忙しすぎてゆとりがなさ過ぎる】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :86.1%
「(いつも・時々) 感じない」 :13.9%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :94.0%
「(いつも・時々) 感じない」 :6.0%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :94.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :5.8%
【教員の間で教育観や教育方針に関する議論が少なくなっている】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :68.6%
「(いつも・時々) 感じない」 :31.4%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :92.3%
「(いつも・時々) 感じない」 :7.7%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :91.7%
「(いつも・時々) 感じない」 :8.3%
【職員会議での議論が尊重されていない】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :64.8%
「(いつも・時々) 感じない」 :35.2%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :84.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :15.8%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる〉:55.0%
「(いつも・時々) 感じない〉:45.0%
【教員への管理が強く、 仕事がやりにくい】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :40.4%
「(いつも・時々) 感じない」 :59.6%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :80.0%
「(いつも・時々) 感じない」 :20.0%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :57.0%
「(いつも・時々) 感じない」 :43.0%
【教員の仕事に対する社会的評価が下がっている】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :83.0%
「(いつも・時々) 感じない」 :17.0%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :94.2%
「(いつも・時々) 感じない」 : 5.8%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :90.9%
「(いつも・時々) 感じない」 : 9.1%
【授業の内容やHRでの発言が、 保護者や外部からどう思われるか気になる】
20〜30代
「(いつも・時々) 感じる」 :49.8%
「(いつも・時々) 感じない」 :50.2%
40代以上の非総括
「(いつも・時々) 感じる」 :44.4%
「(いつも・時々) 感じない」 :55.6%
40代以上の総括
「(いつも・時々) 感じる」 :32.2%
「(いつも・時々) 感じない」 :67.8%

 列挙してきた項目で、 生徒の基礎学力を保障する取り組みが不足している・生徒と接する時間が足りない・教員の仕事に対する社会的評価が下がっている などは、 世代や職位の意識差以上に、 全体としてこう感じる比率の高さが懸念される。【8】
 20〜30代、 40代以上の非総括教諭、 40代以上の総括教諭 の属性別に傾向性を析出したいところだが、 以上の項目と数値のみでは判断の材料が限られそれは難しい。
 インタビュー調査を分析していく時の検討課題の 1 つとしたい。

U. 教員の意識に作用する要因   日本の教職の特質に焦点化して  
 U章では、 T章で述べてきたような意識を抱く教員に影響を与えている要因をめぐって検討を加えてみたい。 要因については種々考えられようが、 日本の教職 (教員の働き方) の特質に焦点を絞って述べることにしたい。

(1) 長時間勤務
 日本の教員の働き方として度々指摘されるのが勤務時間の長さである。 民間企業と比べれば さしたる長さでないとの声も一部には聞かれるがそのような意見は措き、 ここでは、 最近 (2014年 6 月) 発表されたOECD国際教員指導環境調査 (Teaching and Learning International Survey, TALISと略される。 以下では TALIS調査 と記述)【9】を引いて、 日本の教員の勤務時間を国際的にとらえたい。
 TALIS調査によれば、 日本の教員の 「通常の 1 週間」 の仕事時間の合計は平均53.9 時間であり、 参加国平均の 38.3 時間を大きく上回って参加国中トップである。 ちなみに、 各国・地域の仕事時間は、 最長の日本から最短29.2時間のチリまで幅が見られる。【10】

(2) 大量かつ多種多様な業務内容
 TALIS調査などの先行調査・研究は、 日本の教員が大量の多岐にわたる業務に従事している点も指摘している。 日本の教員は指導以外の種々の任務を負っており、 それは事務業務や課外活動までさまざまな領域におよぶ。
 TALIS調査によると、 日本の教員が指導 (授業) に使った時間は17.7時間で、 参加国平均の19.3時間と大きな開きはない。 しかし、 他の参加国と比較してこれ以外の業務に相当の時間を費やしており、 業務過多の傾向がうかがえる。【11】
 こうした勤務状態に絡んで、 岩田は、 教師は英語では“teacher”だが、 日本の初等・中等教育の教師にとって“teach”(教えること・授業) はその職能のごく一部でしかなく、 彼ら教師は、“counselor”(児童生徒の生活や進路についての相談に乗る) であり、 “social worker”(児童生徒が家庭生活に問題を抱えている場合に対処する) であり、 “instructor”(部活動等の各種の教科外活動を指導する) であり、“administrator”(校務分掌の名の下に割り振られている学校の管理運営的な業務を担当する) であり、“guardian”あるいは“policeman”(児童生徒の素行の取り締まりや校区の秩序維持を担当する) であり、“coordinator”(学校の属する地域の活性化に寄与する) の役割をも担う存在である、 といみじくも表現している。【12】
 このように、 日本の教員は、 生徒に関わることのみならず、 保護者・(地域)社会・行政などともつながり、 あらゆる事柄に対応する万能人であることが求められている。

(3) 多種多様な業務内容を同時に進行
 先の (2) にも関連するが、 日本の教員は、 そうした多様な業務内容を並行してこなすことを迫られている労働状況にあることも先行研究は指摘している。 また、 単一の仕事に専念することが難しく、 限られた時間内で複数の仕事を断続的に行うシチュエーションに置かれているために、 その時点でどの仕事を優先させるべきか的確に判断し対応する必要性もあるという。
 (かなりの時間が経過してしまっており、 かつ、 高等学校の教員についての研究でもないが、) 藤田たちの研究 (以下では 藤田ら研究 と記述) によれば、 小・中学校教員は、 平均して 1 時間あたり 3 ヶ所以上の場所で 7 つ以上の異なる仕事を行っていたという。【13】
 さらに、 藤田ら研究では、 デスクワークよりもそれ以外の業務内容が教員に多いことも指摘されており、 職員室でのデスクワークの割合は、 小学校32%、 中学校34%で、 残りの 6 割強は立ち仕事であったという。【14】
 ただし、 昨今はパソコンでの作業が学校現場にも押し寄せているので、 パソコンの画面と対峙してのデスクワークにかなりの時間が割かれていることが予想される。
 あくまで小・中学校という学校種の異なる教員に関する研究結果ではあるが、 高等学校の教員の業務形態とかけ離れてはいないと思われる。

(4) 短い休憩時間
 ベネッセ調査によると、 本来は45分であるところの休憩時間が、 高等学校教員の場合約30分程度しか確保されておらず、 休み時間を削って業務をこなしている労働状態が指摘されている。【15】

(5) 同僚との共同業務が多い
 藤田ら研究は、 教員の業務は同僚と共同での業務が多いことも明らかにしている。 (これも高等学校教員の数値ではないが、) 単独で行う仕事は小・中学校教員ともに 4 割弱、 残る 6 割は同僚と共同での仕事であり、 中学校教員ではそのほとんどが同学年の教員との共同であるとしている。【16】

(6) 無境界性
 ここまで取り上げてきた特質が教職の物理的な勤務形態に相当したのに対して、 (6)と(7) は教師という職が内包している特殊性と言える性質のものである。
 日本の教師に限らず佐藤が指摘しているのが 「無境界性」 と呼ばれる教師の特質である。
 教職は時間的・空間的に連続して拡張する 「無境界性」 を持っており、 教師の実践は 「ネバー・エンディング・ストーリー」 で、 教室のカレンダーと時計だけが教師の実践に区切りを与えるという。 そして、 この 「無境界性」 が、 教師の職域と責任の無制限な拡大や恒常的な多忙をもたらし、 教師の職業生活をおびただしい雑務の集積 (シャドウ・ワーク) へと変換しているという。【17】
 佐藤は教職全体の特質として 「無境界性」 を論じているが、 他国の教員と比して日本の教員たちの間ではそうした事態がつとに先鋭化し、 先ほどの (1) と (2) で言及したような長時間で大量かつ雑多な業務を抱え込む情況を招いているとは言えないだろうか。
 さらに、 推断の域を出ないが、 日本の教員は、 そのような不定量で多種の業務を、 たとえそれが教師本来の職務である教育行為との関連性が希薄であっても自らの任務と受け止め、 どんな仕事もそつなくこなせてこそ一人前の教師だと了解しているように思われる。
 この点を考える際に 1 つの手がかりを与えてくれるのが、 日本の教員は自分たちの役割をめぐって 「指導の文化」 という独自の知識を共有している との酒井の指摘である。
 酒井によれば、 日本の教員は、 学校での多様な活動を教科指導や生徒指導といった形で一括りにして教育活動を 「指導」 という概念で把握しているので、 いずれの業務も教育的営為としての価値が付与されており、 多岐にわたる活動が教育的意味の下に展開されることになるという。【18】
 酒井の論に従うと、 日本の教員が、 部活指導・進路指導 等々 「指導」 という枠組みで業務を一手に引き受けて活動領域が拡散していく勤務実態や、 これら職務を全うできてはじめて自他ともに認められる教師ととらえる心性がある程度説明できるように思われる。
 そうした点から、 いずれの業務内容もどこまでやれば完了といった境界があいまいで やればやるほど際限がなくなってしまう 「無境界性」 は、 日本の教職労働に顕著な特質であると見なされる。

(7) 不確実性
 ローティーは、 教師以外の専門職の取り扱う問題の大半が科学的知見や合理的技術の確実性に基づくのに対して、 教師の業務内容のほとんどが 「不確実性 (uncertainty)」 に支配されていることを指摘し、 これを 「職業的風土病 (endemic uncertainty)」 と表現した。【19】
 この 「不確実性」 もまた日本の教職にきわめて特徴的であると思われる。 先の (2)で挙げたように、 多方面におよぶ業務を並行してこなさねばならない日本の教員にとって、 自らが従事する種々の仕事においてどういった方法が最善であるのかいずれも明瞭ではないので、 ベストと思われるやり方をその時々で選び取っていくことが常に求められる。 よって、 「不確実性」 も日本の教職の特質を語る上で外すことのできない概念だと考える。
 ところで、 佐藤は、 「無境界性」 や 「不確実性」 が教員の特質となるのは、 教職が 「中間的性格」 を持つことに起因すると論じている。 教師は、〈子ども〉と〈大人〉、〈素人〉と〈専門家〉、〈大衆〉と〈知識人〉、〈実践家〉と〈理論家〉、〈市民〉と〈官僚〉、〈権力者〉と〈従属者〉、〈俗人〉と〈聖人〉等、 「中間者=媒介者」 に位置しているために、 その職には 「曖昧さ」 や 「複雑さ」 がもたらされ、 「無境界性」 や 「不確実性」 といった特質を帯びるとしている。
 さらに教師は、 科学的な理論や合理的な技術の不確実性を根拠として、 「準専門家」 の枠に押し留められ、 大衆への献身的奉仕が世間から絶えず突きつけられる存在であるとも佐藤はいう。【20】
 日本の教員が、 使命感を抱いてあらゆる仕事に労を惜しまず取り組むよう、 保護者・(地域) 社会・行政等から過剰とも取れるまなざしを浴びせられるのには、 こうした点も係わっているのであろう。

むすびにかえて
 U章で述べてきたように、 日本の教職には、 (1)長時間勤務、 (2)大量かつ多種多様な業務内容、 (3)多種多様な業務内容を同時に進行、 (4)短い休憩時間、 (5)同僚との共同が多い、 (6)無境界性、 (7)不確実性 の特質が確認できる。
 神奈川県立高校教員の場合も、 程度の差はあろうが同様の特質を有しており、 これが2012年調査における意識の有り様に作用しているものと考える。
 さらに論の飛躍を恐れずに言えば、 そうした特殊かつ難しい境遇で教員が仕事に従事しているからこそ、 職階的区分を設けたり、 一握りの管理職が主だって学校運営を担うシステムの確立といった方向よりも、 むしろ、 フラットで、 教員それぞれの特性や強みを活かし、 互いにフォローし合いながら協働できる、 民主的な組織や同僚関係の構築が目指されることが肝要であるように思われる。
 しかし、 現実のベクトルは逆向きであるので、 学校運営・指導体制の合理化を第一義に、 トップダウンで物事を決する合意形成が学校現場に持ち込まれ、 管理する側とされる側といった教員間の差異や、 一部の教員に業務が偏る事態を招き、 学校運営への関わり方や同僚との関係性といった面でひずみが生じてきているようにうかがえる。
 学校組織の純然たるメンバーである教員が、 その運営に当事者意識を持てない職場環境は健全とは言いがたい。 現状の学校運営のあり方を相対化してみる必要があるのではないだろうか。 意思決定の効率性や迅速さが追求されるのを否定する訳ではないが、 背後で失われていくものがあることにも自覚的でなければならないと思われる。 教員が業務に駆り立てられ多忙感を募らせ余裕のない状況であるために、 同僚と教育について語らう機会が限られたり、 生徒との交流を躊躇する教員が増えているとすれば、 教員の業務負担軽減に向けた策定が急がれる。 校務分掌の適正化、 教員間の仕事負担の平準化、 一部を外部に委託し業務を精選、 教職員の増員 等々取り組まれるべきことは少なくないが、 TALIS調査やベネッセ調査などから、 事務処理や部活動の顧問がとりわけて教員を圧迫しているのは明らかなので、 事務作業のスリム化や部活指導についての検討がまずは望まれる。
 なおTALIS調査によれば、 教員の自己効力感は、 年に 5 回以上、【専門性を高めるための勉強会に参加する・他の教員の授業を見学し、 感想を述べる・学級内でティーム・ティーチングを行う】といった経験を教員がしている場合統計的に有意に高く、 教員の仕事に対する満足度と正の相関があるのは、 年に 5 回以上、【他の教員の授業を見学し、 感想を述べる】ことであるという。【21】
 また、 川村による教師の成長に関する調査では、 自分にとって意味ある学校への赴任・学校内でのすぐれた先輩や指導者との出会い・学校内での研究活動】といった学校内部での経験が、 世代を問わず教員の実践や教育観に強い影響と変化を与えることが示されている。【22】
 上記 2 つの調査が指摘している事柄は、 日本の教員にとって目新しいことではないだろう。 だが国際的に見れば そうでもなく、 例えば、 日本の学校の慣行である 「授業研究」 は、 レッスン・スタディ (lesson study) として海外で紹介・注目され、 日本の教育水準を支える鍵として高く評価されていることが知られている。
 結局のところ、 日本の教員がこれまで連綿と育んできた実践文化に根ざし、 双方向的に学び、 同僚と語り、 学校内外で研鑽を積み上げていくといった地道な営みこそが、 教員に自信や満足感、 あるいは同僚との協働的な関係をもたらし、 ひいては円滑な学校運営や生徒への教育効果に波及していくものと考える。 T章 (6) で触れたように、 2012年調査においても【生徒と接する時間が足りない・生徒の基礎学力を保する取り組みが不足している】と実感する比率の高さが確認された。 現状ありとあらゆる仕事を果たさねばならない労働条件に置かれている教員ではあるが、 教師職というのは本来生徒に向けた教育的働きかけに始まり教育的働きかけに終わるものと理解する。 業務過多や学校の運営体制が見直されない限り、 教職の根幹としてのそうした取り組みが不十分に留まって生徒への教育保証がゆるがせになり、 状況の打開は見込めないものと考える。 教員が物理的にも精神的にもしめつけを感じず、 確かな当事者意識の下、 同僚と支え合いながら任務に携われる職場環境の実現に向けた手立てが講じられることが俟たれる。

【注】
【1】 神奈川県高等学校教育会館教育研究所(大島真夫) 「『教員の意識調査』 中間報告」 『ねざす』 第51号、 2013年5月、 23-8頁。
【2】 神奈川県高等学校教育会館教育研究所 「研究所独自調査 『教員の意識調査』 本報告」 『ねざす』 第52号、 2013年10月、 4-23頁.
【3】 総括教諭は、 学校教育法改正に伴って設けられた主幹教諭に相当する職位であり、 中間管理職のポジションに位置づく。
【4】 油布佐和子・紅林伸幸・川村光・長谷川哲也 「教職の変容−『第三の教育改革』 を経て−」 『早稲田大学大学院教職研究科紀要』 第2号、 2010年、 51-82頁。
【5】 本間正吾 「学校規模の縮小にともなう業務の変化について、 ある学校の状況を見る」 『ねざす』 第52号、 24-6頁。
【6】 ベネッセ教育総合研究所 『平成18年度文部科学省委託調査 『教員勤務実態調査』 (高等学校)報告書』、 2006年。
 (http://berd.benesse.jp/berd/center/open/report/kyouinjittai/2006/index_kou.html) 
ちなみに、 同調査に先行する、 教員の勤務の実態に関わる全国規模で幅広い職種が含まれサンプル数が多い調査は、 1966年実施の 「教職員の勤務状況調査」 にまでさかのぼる。
【7】 油布ら 「教職の変容−『第三の教育改革』 を経て−」、 77-80頁。
【8】 ちなみに、 これら2つの項目については、 2003年度も同様の傾向(【生徒と接する時間が足りない】「(いつも・時々)感じる」:85.7%、 【生徒の基礎学力を保障する取り組みが不足している】 「(いつも・時々)感じる」:86.6%) を示している。
【9】 OECD国際教員指導環境調査 (Teaching and Learning International Survey, TALIS) は、 教育政策に役立てることをねらいとした学校の学習環境と教員の勤務環境に関わる国際的調査である。
2008年に続いて2回目で、 日本の参加は今回初となる。
OECD加盟国を中心に34カ国・地域が参加した。
1カ国・地域あたり中学校約200校を無作為抽出し、 各校から教員・校長約20人が勤務状況や学級の環境、 仕事への満足感といった内容の質問紙に回答した(所要時間は約1時間)。
【10】 国立教育政策研究所 編 『教員環境の国際比較 −OECD国際教員指導環境調査 (TALIS) 2013年調査結果報告書』 明石書店、 174頁。
同報告の概要はインターネットでも閲覧可能。
「OECD 国際教員指導環境調査 (TALIS) 2013年調査結果の要約」
(http://www.nier.go.jp/kenkyukikaku/talis/imgs/talis_points.pdf )
ここでの 「通常の一週間」 とは、 休暇や休日、 病気休業などによって勤務時間が短くならなかった一週間を指している。 週末や夜間などの就業時間以外に行った仕事も含まれる。
【11】 『教員環境の国際比較−OECD国際教員指導環境調査(TALIS)2013年調査結果報告書』、 174-5頁。
この調査では、 仕事時間を10領域(1.指導[授業] 2.学校内外で個人で行う授業の計画や準備 3.学校内での同僚との共同作業や話し合い 4.生徒の課題の採点や添削 5.生徒に対する教育相談 6.学校運営業務への参画 7.一般的事務業務 8.保護者との連絡や連携 9.課外活動の指導 10.その他の業務) に区分している。
【12】 岩田康之 「教育改革の動向と教師の 『専門性』 に関する諸問題」 久冨義之 編著 『教師の専門性とアイデンティティ−教育改革時代の国際比較調査と国際シンポジウムから−』 勁草書房、 2008年、 43頁。
【13】 藤田英典・油布佐和子・酒井朗・秋葉昌樹 「教師の仕事と教師文化に関するエスノグラフィ的研究」 『東京大学大学院教育学研究科紀要』 第35巻 1995年、 43-8頁。
【14】 同上
【15】 鈴木尚子 「教員勤務実態調査の報告−教員給与改革に向けて明らかになったこと−」 『BERD』 No 9、 2007年、 51-2頁。
【16】 藤田 ら 「教師の仕事と教師文化に関するエスノグラフィ的研究」、 46頁。
【17】 佐藤学 「『中間者』 としての教師−教職への存在論的接近−」 『教育哲学研究』 第75号、 1997年、 1-4頁。
【18】 酒井朗 「『指導の文化』 と教育改革のゆくえ−日本の教師の役割観に関する比較文化論的考察−」 油布佐和子 編 『教師の現在・教職の未来−あすの教職像を模索する−』 教育出版、 1999年、 115-36頁。
【19】 Dan Lortie, Schoolteacher:A Sociological Study, The University of Chicago Press,1975.
【20】 佐藤 「『中間者』 としての教師−教職への存在論的接近−」、 1-4頁。
ただし、 「中間者」 である教師は 「媒介者」 でもあり、 教育が意味ある経験や創造的な行為として成立する契機はこうした中間の領域において準備されているので、 教師の 「中間者」 としての 「曖昧さ」 や 「複雑 さ」 は積極的に捉え直す必要があるとも佐藤は述べている。
【21】 国立教育政策研究所 編 『教員環境の国際比較−OECD国際教員指導環境調査 (TALIS) 2013年調査結果報告書』、 194-7頁。
【22】 川村光 「教師の成長に関する地域比較−2011年度質問紙調査の結果から− 」
  『関西国際大学研究紀要』 第14号、 2013年、 19-30頁。
 

  (おきしお ゆきこ 教育研究所員)
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