【寄稿】

高校生のヤングケアラー

澁谷 智子

はじめに
  ヤングケアラーとは、 慢性的な病気や障害、 精神的な問題をもつ家族の世話をしている、 未成年の子どもや若者を指す言葉である。 これまで日本の社会では、 未成年の子どもが家族のケアを担っているケースがあることに、 あまり注意が向けられてこなかった。 しかし、 認知症の人が全国で800万人を超え、 10年以内には団塊世代が75歳を迎えて 「大介護時代」 が到来すると認識されるようになった昨今、 ケアを担うこうした子どもや若者に対する社会の関心も高まってきている。 2014年 5 月 6 日の朝日新聞夕刊では 『若い介護者 「ヤングケアラー」、 社会で支援を 高 1 から父支え 8 年 重い責任 心の負担に』 という記事が掲載され、 6 月17日にはNHKクローズアップ現代で、 「介護で閉ざされる未来 〜若者たちをどう支える〜」 が特集された【1。 NHKの番組では、 2013年に総務省が発表した 「就業構造基本調査」 を基に、 15〜29歳の介護者が17万7600人という数に上ることも紹介されている。
 筆者は2013年に医療ソーシャルワーカーの団体である東京都医療社会事業協会の会員の方々にアンケートを行い、 「過去に自分が関わったケースの中で、 18歳以下の子どもが、 家族のケアをしているのではないかと感じた事例はありますか?」 という質問をしたが、 402人の回答者のうちの142人は、 この質問に 「ある」 と答えた (35.3%)【2。 このアンケートに応じてくれた回答者402人の 8 割は、 主に病院に所属し、 患者さんやその家族の経済的・社会的・心理的な相談を受け、 問題解決のための援助をすることを仕事としていた方々である。 そのうちの 3 人に 1 人以上が、 18歳以下の子どもが家族のケアをしているのではと感じた経験を持っていた。
 以下では、 高校生の時に介護を経験された 4 人の方 (女性 2 人、 男性 2 人) へのインタビューを基に、 高校生のヤングケアラーたちの実態について、 論じていきたい【3】。

ある事例から
 Aさんは現在21歳である。 16歳の時から20歳までの 5 年間、 祖母の日常的な身の回りの世話を中心的に担った。 祖母は足や心臓に疾患を持っており、 自分で排泄をすることもできなかった。 Aさんの家は共働きで、 平日に母の帰ってくる時間は早くて 7 時、 遅いと10時ぐらいだったので、 週の半分ぐらいはAさんが夕食を作っていた。 家では祖母がずっとしゃべるため、 家で集中して勉強することは難しく、 Aさんは放課後学校の自習室で勉強するようにしていた。 それでも祖母がデイサービスから帰ってくる 6 時までには、 スーパーで食材を買って帰宅する。 塩分控えめなど、 祖母の病院の指示を意識しながら食事を作り、 毎食後の薬を管理するのもAさんだった。 祖母が家でお風呂に入る時には、 立っていられない祖母の身体を支えた。 祖母は、 昼間はデイサービスで寝ていることが多かったために、 夜は起きていて、 夜中も 「痛い」 とか 「ごはん食べたい」 とかAさんに話しかける。 祖母の部屋はAさんのすぐ向かいの部屋で、 しかもドアを開け放していなければならなかったので、 その都度、 Aさんが対応した。
A:きつかったのが、 自分の部屋のドアを開けていて、 向かいがおばあちゃんの部屋だったから、 その匂い。 オムツもはずしてしまっていたりして。
筆者:芳香剤を買って置いたり?
A: (うなずく)
筆者:やっぱりドアを閉めるということはできなかった?
A:閉めるとまた騒ぎ出すし、 何かあると怖い。
 祖母が夜中に具合が悪くなり、 救急車を呼ぶこともたびたびあった。 そういう時に救急車に乗って朝まで付き添うのはAさんだった。
 もちろん、 Aさんのお母さんも介護をしなかったわけではない。 Aさんから見れば、 「母が一番頑張っていた」。 しかし、 同時期に祖父も脳梗塞で半身不随になっており、 母は仕事を抱えながら、 県外の祖父の施設まで車で通い、 祖母の介護に関しても、 さまざまな事務手続きや入院手続きなど、 「一番重要なところはやってくれていた」。 でも、 こういう事情は、 学校の先生には理解されなかったという。 「親に任せろ」 という先生はいた。 でも、 うちは共働きだったし、 実際、 家族介護は親だけでやれるものではない」。 介護をしていく上で、 入院や介護の費用はかかるものであり、 家族の生活を続けるためにも親が仕事をやめるわけにいかないとAさんは感じていた。
 先生に祖母の状態と自分の状況を話して、 「おうちのお手伝いをしてるのね」 と言われてしまったこともある。 介護のために、 欠席が多かったり、 授業中に寝てしまったり、 受験勉強のための内職を授業中にしてしまったりするAさんは、 高校の先生には理解されなかったばかりか、 むしろ、 目の敵にされていたという。 祖母を看取った現在、 教員養成の大学に通うAさんは、 自分が受けている教育に照らして、 先生がヤングケアラーの状況を理解できないのも無理はないと語る。
A:今の大学ではまわりが先生の卵。 一般教養の授業の中で、 介護や障害児の映像を見たりするけれど、 映像を見るだけ。 こういう人たちが先生になるんだな、 と思う。 だから、 「おうちのお手伝い」 とか 「おばあちゃん思いの孫」 という見方しかできないのは仕方がないような気もする。
筆者:お手伝いと言われるのは違和感があると思うけれど、 何が一番違うと思う?
A:お手伝いという範囲じゃない。 学校の先生は、 ただおばあちゃんの部屋にごはんを持っていくだけと思っていたと思う。 (…中略…) お手伝いというのはしなくてもいいことという印象。 でも、 自分のしていたことは、 しないと命にかかわることだった。 薬も通院も救急車も排泄も食事も。 しなくてもいいことではない。

ケアについて語ることの難しさ
 自分の状況を周囲に説明することの難しさは、 多くのヤングケアラーが感じていることである。 今回のインタビューの対象者ではないが、 19歳の時から 6 年間、 祖母と共に祖父の介護をした経験を持つ松ア実穂さんは、 手記の中で、 当時、 介護をする体験について語る相手も場も見つけられなかったことを、 次のように書いている。 松アさんが介護をしていたのは大学生の時だが、 高校生のケアラーとも共通する部分があると思うので、 ここで紹介したい。
 まず、 わたしは自らの体験を語れる ことば を持っていなかった。 認知症の祖父について、 どのような ことば で語ればよいのか、 わたし自身がわからなかったのである。 昔とはまるで変わってしまった祖父のこと、 そしてそんな祖父と祖母とわたしという三者が日々織りなしている日々について、 他者にどんな ことば で語れば理解してもらえるのか、 見当もつかなかった。 というのも、 周囲の友人知人はほぼ学生で非常に若かった。 介護はおろか、 そもそも高齢者についてさえ、 興味も知識もない者が多かったことだろう。
 介護の話を身近に感じる中高年と違い、 10代・20代は、 自分がそれを担うという立場で介護について考えたり情報を集めたりしてきた経験が少ない。 そのため、 自分が今、 体験していることを、 他との比較や長期的な見通しの中で分析したり整理したりすることもできず、 日々こなしていくだけでいっぱいになってしまう。 感じることや考えることはあっても、 それを言葉にしていく時の困難がまずあるのである。
 Bさんは、 16歳頃から認知症の祖母の介護を担うようになり、 夜中の排泄介助や昼夜逆転する祖母の相手をしているうちに、 次第に消耗していった。 学校生活との両立に限界を感じ、 結果的に高校を中退した。 20代半ばになった今、 当時を振り返って、 その頃の自分は 「相談してもわかってもらえない」 と思っていたと語る。
B:先生には、 ある程度の説明はしていた。 祖母がてんかんの発作を起こして…とか。 先生は、 「え?大丈夫なの?」。 てんかんだから、 命にかかわるわけでもない。 でも、 てんかんの発作の説明をしても仕方がない。 てんかんは、 けいれんがあって、 祖母は年も年だから、 本人も疲れる。 先生は、 入院すると命にかかわるみたいなイメージがあったのかもしれない。 「ちょっと違います…」 と思っていたけれど、 でも、 そうすると、 てんかんの知識まで説明しなくてはいけなくて、 面倒くさかった。 でも、 今から思うと、 丁寧に、 自分の置かれている状況を人に話しておけばよかったとも思う。 少しずつ、 おばあちゃんがおかしいと先生に相談するとか。 当時は、 相談してもわかってもらえないと思っていた。
筆者: 「今なら?」
B:わかってもらえなかったとしても、 話すべきだと思う。 何もしないよりは、 何も変わらなかったとしても、 いいように思う。 今だから言えるんでしょうけれど。 その時は、 やさぐれる感じだった。 あぁ。 常に気を張っている。 ヤングケアラーはみんなそうなのかもしれない。 誰にも弱みを見せないようにしていて、 「自分は大丈夫です」 みたいに見せているのかもしれない。 たぶん、 100人に説明すれば、 そのうちの 1 人か 2 人わかってくれる人がいるのだろうけれど、 98人に同じ説明をすることはできない。 軽い説明なら、 友達にもしていた。 でも、 「そうなの?」 「大変だね」 といった反応。 高校生、 中学生の友達が私の家族のことでできることはない。 実際にケアをすることもできない。 悩みを聞くことはできても、 重い悩みになっちゃう。 友達から、 「週末、 どこかに行こうか」 といったような話が来ると、 誘われた時には断らなくちゃいけない。 断る理由を考えなくちゃいけない。 「ちょっと他の用事が入っていて…」。 友達は気付いていたと思うけれど。
 同世代と同じように 「普通」 でいたい、 変に目立ちたくないという気持ちが前面に出る思春期の子にとっては、 わかってもらえなかったとしても話すというのは、 かなり困難なことであると言えるだろう。

なぜ若者が介護をすることになるのか
 Aさんと同様、 Bさんも孫が祖母の介護をした形だが、 こうした孫介護の場合、 なぜ若者が高齢者の介護をすることになるのかというのは、 しばしば寄せられる質問である。 Bさんの家の場合は、 ひとり親家庭で、 祖母の認知症が進んでいよいよ一人にしておけなくなった時、 BさんかBさんの母が付き添うかという選択をしなくてはならなくなった。
B:やっぱり誰かがいなくてはいけなくて、 「誰がそばにいるの?」 と言って、 結局私がいる形になった。 金銭的な理由もあった。 母が仕事をやめて介護するのだったら私が働く形になるけれど、 収入的には母には及ばない。 できる仕事も限られている。 金銭的な問題も大きいと思う。
 退学に至る前に、 Bさんは 1 年間の休学をしている。 寝不足と疲れが溜まりすぎて、 身体が動かなくなり、 学校に行かなくちゃと思いながらも眠りこけてしまったのが、 学校に行かなくなったきっかけだった。 1 年間試行錯誤し、 考えに考えて、 退学という道を選ぶ。
B:どう考えても、 その時点での選択肢としては、 私が高校やめて介護に専念するか、 祖母に施設に入ってもらうとすると特養までどんなにがんばっても数年は待たなくてはいけない。 休学後、 学校に戻って卒業までたった 1 年だとしても、 それまで同じ生活をくりかえすのかと思うと、 とても無理だった。 15歳から16歳の 1 年間で、 ケアと学業の両立ができないとわかっていた。 休学している間にいろいろ考えたけれど、 またその前の同じような生活に戻るのはありえないことだった。
 あまりにも過酷な生活に疲れ切ってしまったBさんにとって、 卒業までのあと 1 年を頑張れるだけの気力がもう湧いてこなかった。 Bさんは、 高校をやめた後も独学で勉強して高等学校卒業程度認定試験に合格したが、 その後、 6 年におよぶ介護生活の中で、 経済的にも時間的にも余裕がなくなり、 最終学歴は高校中退のままになってしまっている。 Bさんは言う。
B:本来、 人間にはいろんな場所がある。 家庭とか、 学校とか、 地域とか。 でも、 何かしら家庭に問題があって、 自分がいられる場所を複数維持できなくなってしまう人がいる。 1 人の人が使えるエネルギーの限界ってある。 ケアに関わっていると、 学校で自分の居場所を見つけるために力を割こうという気力がなくなる。
  私は (家と学校の) どっちの場所でも居場所を確保しようとした。 高校に入って、 友達と普通に過ごすためには、 話を合わせられるようにしないといけない。 普段はテレビを見る時間もないのに、 芸能人の話題を調べたり。 新聞やニュース、 ドラマとかの情報を、 無理してわざわざ調べなくちゃいけない。 何かしらの事件、 芸能人の誰が結婚したとか。 そうやって調べないと、 こういう簡単な会話をする時の会話の元がなくなっちゃう。 携帯でezwebで調べて、 ドラマの要約や先週のあらすじを見たり。 すごく不自然。 でも、 そういうことをしてもつまらない。 むなしくなる。 そのドラマを見ていないんだから。 友達と話を合わせるのが疲れるっていうのを、 先生や母には言わない。 言うのも疲れる。
筆者: 「もし、 同じような立場で介護している同世代が近くにいたら、 話したかな?」
B:話をしたと思う。 わかってほしいというのはある。 それをあきらめてしまうんだけど、 心のどこかには理解してほしいというのがある。 自分でも忘れているとしても、 誰か自分の話を真剣に聞いてくれる人がいたら、 ずっと話し続けたと思います。
 施設に入ってもらうという選択は、 お金の余裕、 待機者問題、 要介護度によって入れる施設に限りがあるなどの理由で、 すぐには手が届かない。 Bさんの家の場合、 収入面の余裕のなさに加え、 家族外の人が関わることへの祖母の嫌がり様が半端ではなく、 その意味でも施設は敷居が高いものになってしまっていた。 しかし、 あまりの疲れで、 夜中に騒いだ祖母を反射的にぶってしまうという事件が起き、 このままでは自分がいつか祖母を殺してしまうのではないかと怖くなったBさんが、 家を売ってその資金で祖母を施設に入れることを決意する。 しかし、 自分を育ててくれた祖母との時間を大切に過ごしたいと思ってきたBさんにとっては、 それも苦渋の選択だった。 Aさんの場合も、 最後の 2 年ぐらいは、 自分が祖母を殺してしまう夢を何度も見て、 本当に怖かったと言う。 「こういう話は学校の先生や友達には言えない」 と語った。

学校が安心感を与えた事例
 ただ、 そうは言っても、 学齢期の子どもにとって、 学校は一日の多くの時間を過ごす場であり、 そこで理解を示してもらえるということは、 ヤングケアラーの大きな支えとなる。 高校 1 年の冬に父が脳梗塞で倒れて認知症を併発し、 母と二人で介護にあたったCさんは、 学校に感謝していた。
C:介護をしていた時には、 学校には救われた。 休んだり、 ホームルームに出なかったりしたんだけれど、 それを認めてもらえた。 おかげで、 父の病院に付き添ったり、 父の見守りを母と代わってあげたりすることもできた。 そういうふうにしてもらえたから、 学校をやめずにすんだ。
  でも、 後で先生と話す機会があったけれど、 先生は、 介護をしているというより、 「大変だから帰っていいよ」 という感じだったみたい。 介護がどういう状況か知ろうとは思わなかったと言っていた。
 Cさんは、 移動やお風呂の介助など、 重さのある父の身体を支える力仕事を男の自分が引き受けることで、 ただでさえ疲弊している母の負担を少しでも減らそうとしていた。 それがCさんにとっては家族を守るということであり、 事情はよくわからなくても、 学校が融通をきかせてくれたことで、 Cさんは 「やめずにすんだ」 と感じていた。  
 Dさんは、 小学校 4 年の時に母が癌を発症し、 高校 3 年の時に母の病気が重くなった。 入院している母を学校帰りに見舞い、 面会時間ギリギリまでいて、 父と弟と自分の食事やお弁当作り、 後片付けなどを行なう生活だったが、 Dさんの場合、 何かあった時には学校の先生たちに助けてもらえるという思いがあった。 「時々声もかけてもらって、 だから安心して、 看病に重きを置くことができた」。 Dさんは、 その後、 母を看取り、 成人して高校教員となる。 教員となった今、 ヤングケアラーのことを考えると、 ケアの内容や時期やその理由が明確でない状態では、 ケアを担う子をそんなに特別扱いできないと感じるところもあるという。 「勉強面については特にそう思う。 たとえば、 「病気がちの親がいて…」 という場合だったら、 その子はずっとその条件を抱えて生きていかなくてはいけないのに、 そうやって、 自分のやるべきことをやらないでいいわけではない。 声をかけるなどの精神的サポートは必要だと思うが、 それを言い訳にして生きていくのは良くないと思う」。

周囲の大人は何ができるか
 こうしたDさんの話からは、 実際にケアを担う子どもに対して、 大人は、 子どもがケアをしていることを評価し、 いざという時に相談できるような声掛けを行なうだけでなく、 その子がその子のやるべきことをやれるように、 もう一歩進んだ働きかけをすることが大切なのではないかと考えさせられる。 そのためには、 子どもや若者の話をその子の立場に立って聞き、 その子がケアをどう感じているか、 どういう状況にあるか、 何を望んでいるかを確認することが重要になってくるだろう。 筆者がインタビューした中では、 高校生のケアラーたちは、 学校の先生には介護についての話はできないと感じ、 介護の話は、 機会があればケアマネージャーさんにしていたが、 月に数回しか会わないケアマネさんたちはそもそも要介護者のために物事を判断する立場にあり、 ケアラーである自分の話は親身になって聞いてくれる存在ではないことも感じ取っていた。 「流されてる感 がある。 「そうなんですね」 「大変ですね」 みたいな」。 若くてまだ経験も人間関係も限られている子どもたちにとっては、 自分の家族が弱っていく様を目の当りにすること、 本来なら見ないで済むような排泄や性の部分なども目にしなければならないことなどは、 ショックも大きく、 受け入れるにも戸惑い、 恐れを感じ、 傷つくことでもある。 学校生活の中で日常的に顔を合わせ、 その年代の子どもたちの状況をよく知る先生が、 介護についての話もできる状態でいてくれたなら、 ヤングケアラーにとっては何よりの支えとなる。
 イギリスでは、 教育省の指導のもと、 先生や学校関係者がヤングケアラーを見つけ支援していくことができるように、 教員向けのトレーニング・ガイドやeラーニング・システムが作られている。 日本語に翻訳されたツールとしては、 「ヤングケアラー支援のホームページ (http://youngcarer.sakura.ne.jp/)」 に掲載された、 一連の 「質問シート」 がある。 これらは、 ヤングケアラーを見つけその状況を知るためのシート、 ヤングケアラーの行なっているケア内容やケア活動量を測定するためのシート、 その子がケア経験をどう感じているかを測定するためのシートで、 無料でダウンロードすることができる。 いずれも、 ヤングケアラー研究で著名なイギリスの大学が開発し、 イギリスのヤングケアラー支援の現場で使われているものである。
 さらに大切なのは、 立場を同じくするヤングケアラー同士がつながりあえる仕組みを作っていくことだろう。 たとえ直接的には何の解決にならなかったとしても、 同世代にわかってもらえる、 共感してもらえるという体験は、 学齢期のヤングケアラーにとって大きな意味を持つ。
筆者: 「同世代と話せたら大きかったと思う?」
C:思う。 同世代とは、 日常のなんてことはない話をしている時に、 デイケア、 認知症、 オムツ、 介護保険という言葉は出ない。 出しても盛り上がらない。 こういう話ができたら、 楽だったと思う。
 その子の家庭の状況に合わせて、 使えるサポート資源とつなげていくことも、 まわりの大人のできることである。 学齢期の子どもは、 たとえば介護保険などについての情報は大人のようには知っておらず、 同世代にそうした情報を持った人が身近にいるわけでもない。 その年代の子どもに合った方法で介護やケアに対する情報提供をしていくことは、 ケアを担う未成年を支援していく上で欠かせない。
 ケアを担うことで若者が学ぶ事柄は多い。 ただ、 そうした子どもたちが、 年齢に比してあまりにも重いケア責任を負っている時には、 彼らが安心して話せるような環境を整え、 彼らの不安や困難について一緒に考えようとする大人が、 大きな役割を果たすのも確かである。 ヤングケアラーが実際にしていることを評価し、 その話に耳を傾け、 必要な時には必要に応じたサポートができるようになっていってほしいと思う。

【注】
【1】 朝日新聞 「若い介護者 「ヤングケアラー」、 社会で支援を」 (2014年5月6日夕刊掲載。 朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/DA3S11121436.htmlで閲覧可能。 筆者は2014年8月6日に同ページを確認)。 NHKクローズアップ現代 「介護で閉ざされる未来 〜若者たちをどう支える〜」 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3515.html (2014年6月17日放送。 筆者は2014年8月6日にウェブページを確認)。
【2】 この調査結果は、 日経新聞 「「18歳以下が介護」 35% 病気や障害のある家族、 成蹊大調査」 などの記事にも取り上げられた (2014年3月5日掲載。 記事は、 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0500N_V00C14A3CR0000/で閲覧可能。 筆者は2014年8月6日に同ページを確認)。
【3】 インタビューの詳細は以下の通り。 Aさん:2014年6月にインタビュー、 女性、 インタビュー当時20代前半、 祖母を介護。 Bさん:2013年7月および9月にインタビュー、 男性、 インタビュー当時20代半ば、 祖母を介護。 Cさん:2013年10月にインタビュー、 男性、 インタビュー当時20代後半、 父を介護。 Dさん:2011年11月にインタビュー、 女性、 インタビュー当時30代半ば、 母を介護。 本原稿へのインタビュー掲載にあたっては、 4人の方すべてに原稿を確認して頂いた。

<引用文献>
 ジョセフ, S., F・ベッカー, S. ベッカー, 2009, 「自分がしているケアの仕事 MACA−YC18」 『子ども・若者のケア活動とその影響を測定するマニュアル』 ケアラーのためのプリンセス・ロイヤル・トラスト
(http://youngcarer.sakura.ne.jp/d-macayc18-trans.pdf).
 ― , 2009, 「ケアが自分にどう影響しているか PANOC−YC20」 『子ども・若者のケア活動とその影響を測定するマニュアル』 ケアラーのためのプリンセス・ロイヤル・トラスト (http://youngcarer.sakura.ne.jp/g-panoc-yc20-trans.pdf).
 松ア実穂, 2013, 「介護とわたし  体験・知識・思いの共有がつくりだす未来へ」 公益財団法人 日本女性学習財団 『2012年度 「日本女性学習財団賞」 受賞レポート集 学びがひらく』 Vol.2, 5-18.
 ラフバラ大学ヤングケアラー研究グループ, 2013, 「ヤングケアラー:スクリーニングと質問 (ヤングケアラーを見つけ、 その状況を知るために) YC−QST−20」 ラフバラ大学ヤングケアラー研究グループ (http://youngcarer.sakura.ne.jp/a-ycqst20-ja.pdf).

(しぶや ともこ 成蹊大学)


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