- 遺児らを物心両面で支えるあしなが育英会
あしなが育英会は、 病気や災害、 自殺などで保護者を亡くす、 または保護者が重度後遺障害の高校生や大学生ら 3 万 7 千人に366億5,500万円の奨学金を貸与し、 進学を支えてきた (2014年 3 月現在)。
あしなが育英会という名称は、 米国ウェブスターの小説 「あしながおじさん」 から、 親を亡くした子どものための奨学制度として命名された。 毎年春秋の街頭募金 「あしなが学生募金」 は、 1970年以降44年にわたって47都道府県で実施している。 これまでに100億円以上の募金実績がある。
経済的支援としては、 奨学金制度がある。 年間で高校生3,900人、 大学生・専門学校生ら1,800人の計5,700人を対象に総額22億7,700万円の奨学金を貸与している。 国公立高校生には月 2 万 5 千円、 私立高校は 3 万円。 大学生には 4 万円か 5 万円、 専門学校生は 4 万円、 大学院生は 8 万円で、 無利子貸与だ。 卒業後20年以内に返還してもらっている。
経済的支援以上に、 精神的サポートに注力しているのが特徴で、 心のケアと教育を通じて子どもたちの支援をしている。 その大きな柱が遺児のケアセンター 「レインボーハウス」 で、 1999年に阪神・淡路大震災の遺児のための 「神戸レインボーハウス」 を開設。 07年には東京都日野市に 「あしながレインボーハウス」 がオープンし、 全国の遺児を対象にケア活動を行っている。 さらに今年度は、 東日本大震災遺児のための 「東北レインボーハウス」 を仙台・石巻・陸前高田にそれぞれ竣工した。 また日本のみならず03年にはアフリカ・ウガンダにエイズで親を亡くした遺児のためのレインボーハウスを設立した。
神戸と東京のレインボーハウスには学生寮を併設しており、 1 日 2 食、 家具付き、 光熱費込みの寮費は月 1 万円。 生活保護を受けている家庭の子どもでも大学進学が可能にしている。
夏休みに全国の高校生・大学生・専門学校生を対象とした 「つどい」 とよばれるキャンプを開催。 高校生のキャンプでは、 10人前後の高校生に 3 〜 4 人の大学生が 「お兄さん・お姉さん」 役として、 3 泊 4 日間、 高校生たちと寝食を共にする。 この 「ななめの関係」 がとても大きな効果をあげる。 遺児の親たちの大部分は非正規雇用で働き、 仕事をかけ持ちしている場合も少なくない。 親との時間を十分持てない子どもたち孤立している場合も多く、 「どうせ僕なんてバカだし…」 などと意欲や希望まで失ってしまっている高校生も少なくない。 そういった高校生たちが、 似たような境遇でも自分の夢を持って厳しい環境でも進学した大学生たちがロールモデルになる。 そして、 「僕でもできるかも‥」 といった気持ちが生まれる。 この子どもが自分の力で生きていくための自助と共生がつどいのテーマだ。 こうした精神的サポートによって、 奨学金が活きた支援になっていく。
- 被害者がつくったあしなが運動
あしなが運動の原点は、 1961年に岡嶋信治さん (当時高 3 ) のお姉さんと生後半年の甥が、 酔っ払いのダンプに轢き逃げされた事故にある。 まだ生きていたお姉さんと甥を、 ジグザグ運転を続け、 初めて殺人罪が適用されたむごい事故だった。 岡嶋さんが 「こんなことがあっていいのでしょうか」と朝日新聞に投書したところ、 131通の励ましの手紙が届き、 岡嶋さんはこの励ましに応えたいとの思いがあった。 一方、 玉井義臣・あしなが育英会会長も交通事故で母を亡くし、 交通評論家として、 交通事故撲滅と被害者支援のキャンペーンを展開し二人三脚で、 67年に「交通事故遺児を励ます会」を設立、 69年に交通遺児育英会を設立した。
私も交通事故で父を亡くした遺児だった。 私が 8 歳の誕生日に父が事故に遭った。 家族そろって外食して帰宅すると、 家の前の県道に一面砕石が転がっていた。 父がその石を片付けていると、 免許を取得して半年の19歳の青年の運転している車が父に気づかず、 60キロ以上のスピードで父を跳ね、 父は15メートルほど跳ね飛ばされた。 私はそのとき家の中にいたが、 急ブレーキの音、 青年が家に駆け込んできて 「もうダメです」 という様子、 母が 「何がダメなのよ」 と狂わんばかりに119番に電話する叫び声、 さっきまで一緒に食事していた父が頭から血を流し、 生きているか死んでいるかも分からない変わり果てた姿になっている様子などを今でも昨日の出来事のように鮮明に覚えている。 その後父は、 一命は取り止めたものの、 植物状態のまま、 7 年100日間の闘病の後、 他界した。 当時は高額医療費を補助する制度も無く、 自賠責保険と貯金を切り崩して月40〜50万円もの医療費を賄っていたが、 私が中学 2 年のとき、 いよいよお金がなくなった。 ある夜、 いつもは 「お金のことは心配しなくてもいい」 と言っていた母が、 突然、 「もう一家心中をするかしかない」 と言われたときは、 自分が何もできない無力さと、 なんで何も悪いことをしていない私たち家族がこんなひどい目にあわなくてはならないのか、 こんなに苦しまなくてはならないのかとの思いで涙が止まらなかった。
中学3年のとき、 自分は高校に行けるとしても定時制高校だろうと思っていたところ、 先生からあしなが奨学金を紹介され、 「これで働かなくても全日制の普通科高校に行ける」と思った。
高校 1 年の夏休みにあしながの 「つどい」 に参加した。 私はそれまで 「過去のつらい経験を誰にも話すまい。 こんな体験は話しても分かってもらえないだろう」 と思っていた。 また事故後、 周囲の大人の態度が変わったことから人に対する不信感も強かった。 つどいで初めて父の無念の死、 母の苦労、 自分自身のつらかった体験を語り、 同じ班の似たような境遇の高校生や大学生が、 うなずきながらただ一緒に泣いてくれた。 そして 「つらいのは、 僕だけじゃなかったんだ」 と感じた。 両親を亡くしたり、 自分よりもっと大変な境遇なのに一生懸命生きている同じ班の高校生の話も聞いて、 心の中にたまっていた重たいものが、 すーと消えていくような感覚だった。
私が学生だった当時は、 まだ交通遺児のための奨学制度しかなく、 他の理由で親を亡くした遺児には制度がなかった。 私が高校生の頃、 北海道の北炭夕張炭鉱事故のニュースをテレビ中継で見ていたときのことを忘れられない。 炭鉱の中にまだ人がいて安否は分からないという状況で、 2 次災害を防ぐため、 家族の了解を得て、 坑道に水を入れて消火しようとしていた。 坑道に大量の水が流れ込んでいく轟音、 泣き崩れる母子の様子を見て、 言葉を失った。 私は父を交通事故で亡くしたが、 仲間と出会えて、 奨学金で高校にも行かせてもらったのに、 同じ事故でも災害で親を亡くした子どもには、 奨学制度も心の支えもない。 何とかしたいと思い、 全国の仲間と運動をすすめて88年に災害遺児の奨学制度がスタート。 次は、 病気で親を亡くした子どもたちを助けたいと、 交通遺児と災害遺児が手を携えて、 街頭募金などさまざまな呼びかけをして、 病気遺児奨学金制度ができた。 こうして93年にあしなが育英会が設立された。 95年に阪神・淡路大震災が起こったとき、 ボランティアが 1 軒ずつ廻ってローラー調査をした結果、 573人の親を亡くした子どもが判明。 そのうち110人が両親を亡くしていた。 この深い心の傷を負った子どもたちを何とかしたい、 子どもたちを日常的・継続的にケアできる場所が必要だと99年に 「神戸レインボーハウス」 が竣工。 すると今度は、 台湾やコロンビアなど世界各地で大震災が起き、 神戸の震災遺児たちが 「台湾やコロンビアの子どもたちも私たちと同じような思いをしているに違いない。 その子どもたちのために何かできることはないか」 と募金活動をして、 海外遺児にまで支援が広がっていった。
2011年 3 月11日の東日本大震災では、 2 千人以上の子どもが親を亡くした。 あしなが育英会では、 東北の震災遺児に 「特別一時金」 として世界中からご寄付を募って給付するとともに、 すぐに 「東北レインボーハウス」 づくりにも取り組んだ。 成長した神戸の震災遺児たちが、 東北の被災地に何度も足を運び、 東北の子どもたちや保護者たちとの 「つどい」 などにボランティアで参加している。
その時々一番つらい思いをしている子どもたちに次から次へ手を差し伸べていこう、 それも救われた子どもたちがまだ救われていない子どもたちを支援していこうと拡大してきたのが、 あしなが運動の大きな特徴だ。 私たちはこれを 「遺児の恩返し運動」 と呼んでいる。 恩を受けた人に返すのではなく、 前へ前へ、 次から次へと広げていく 「恩送り」 ところにあしなが運動の大きな意味がある。
- 庶民・若者が育てたあしなが運動
あしなが育英会の財源は、 すべてご寄付であり、 政府などからの補助金・助成金はゼロだ。 遺児の実態など支援の必要性を社会に最も伝えているのが街頭募金 「あしなが学生募金」 だ。 1970年から始まり、 全国200か所で募金活動を行っている。 遺児以外の中高生ら多くのボランティアが街頭に立って募金を呼びかけてくださっている。 この募金活動を運営しているのは、 遺児の大学生たちだ。 彼らは、 自分は学校に行けたが、 まだ学校に行けていない後輩の子どもを支援したいと、 やはり 「恩返し」 「恩送り」 の気持ちで取り組んでいる。
また継続的に奨学金を送ってくださる 「あしながさん」 のご支援が財源の大きな柱だ。 「自分が学校に行きたかったがお金がなくて行けなかったので」 「貧者の一灯です」などという動機から応援くださっている方が多い。 こういう心のこもった温かいお金だからこそ、 支援を受ける子どもにとって大きな意味がある。 「私も大変な思いをした」という方々の心が、 子どもたちの心に染み渡る。 奨学金の返還率は 9 割近くで、 「卒業後しっかり奨学金を返さなくては」 という意識の高さにもつながっており、 現在、 奨学金貸与総額の約半分が卒業生からの返還金で、 いただいたご寄付と温かいご支援者の気持ちが脈々と次の世代につながっている。
- 急増する子どもの貧困問題の解決のために
「もし成立すれば、 『貧困』 という言葉を冠する初めての法律になる。 その意義は大きい。 『あってはならない状態にある子どもたち』 の存在を認め、 国が政策課題として位置づけるからだ」。
子どもの貧困対策法案を朝日新聞は、 社説 (2013年 5 月18日付) でこう評した。
半世紀に及んで遺児らを支援してきた 「あしなが運動」 の果実として、 誇るべき法律が誕生した。
2013年 6 月19日、 参議院本会議で 「子どもの貧困対策法案」 が全会一致で可決、 成立した。 そして、 2014年 1 月17日に施行された。
厚生労働省 「全国母子世帯等調査」 によれば、 124万世帯の母子世帯のうち、 親と死別した遺児世帯は7.5%足らず。 すべての貧困世帯の子どもの中で遺児は、 ほんの一握りである。
今年 7 月に発表された2012年の18歳未満の子どもの貧困率は、 16.3%で過去最悪を更新し、 6 人に 1 人の子どもが貧困にあえいでいる。 さらにひとり親世帯の貧困率は54.6%で、 OECD34か国で最悪のレベルだ。
正社員ではなくパートや派遣社員など不安定で低賃金で働かざるを得ない人々が増えている。 離婚の増加などでひとり親世帯の子どもも増えている。 こうした理由から、 貧困状態の子どもは、 増え続ける一方だ。 この子どもたちを放置しておけば、 大人になっても貧困から抜け出せず、 社会を支える側にまわることができない。 「貧困の連鎖を断ち切らねば、 日本の未来に希望はない。 子どもの貧困は、 子どもにまったく責任はない。 ならば、 社会全体で子どもたちを支えねばならない」。 この認識がすべての政党・国会議員に浸透し、 「子どもの貧困対策法」 が成立した。 法律の第 1 条には、 「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう」 と書かれている。 そして、 国など行政が責任を持って総合的に子どもの貧困対策をすすめなくてはならないと定めている。
- 経済的にも精神的にも追い詰められる厳しい現実
あしなが育英会が2013年11月に実施した、 高校奨学金を借りている全国の保護者へのアンケート調査によると、 6 割の親が 「十分なおこづかいやお年玉をあげられなかった」、 3 人に 1 人の親が 「クリスマスプレゼントや誕生日祝いをしてやれなかった」 と回答した。
そして 3 分の 2 の家庭が、 「教育費が不足している」 と答えた。 不足する教育費をまかなうために 「教育費以外の削減」 48%、 「貯金の取り崩し」 41%に次いで多いのが、 「子どものアルバイト」 で25%にも達する。 教育費不足で 「学習塾に通わせられず」 42%、 「進路変更」 33%、 「進学断念」 18%などと深刻だ。 高校卒業で就職を希望する高校生の理由は、 半数以上が 「お金がないから」 で、 2年前の調査より13ポイントも増加している。
働いている親の 6 割がパートなどの非正規雇用で、 仕事を 2 つ以上かけもちしている人は15%にものぼる。 月給の平均額は、 13万 8 千円。 働いても、 働いても生活は楽にならない、 ワーキングプア状態だ。
子どもも親も生活だけが苦しいわけではない。 心の問題も深刻であることがわかった。
親の死や障害以降に 「不登校や登校をいやがった」 子どもが29%、 「暗い表情が増えた」 28%、 「カウンセリングや精神科など通院」 24%、 「怒りっぽくなった」 23%、 「無気力になった」 20%、 「いじめを受けた」 12%など、 精神的な面でも追い詰められている。
親も同様だ。 「気分が沈み、 気が晴れない」 42%、 「いつも駆り立てられて不安」 41%、 「神経過敏」 25%、 「何をするにも骨折りだ」 19%、 「自分は価値のない人間だ」 17%、 「絶望的だ」 16%、 「そわそわして落ち着かない」 15%、 「自殺や心中を考えた」 10%。 抑うつ的な心の状況である保護者がとくに増えている。
これらの実態は、 遺児家庭だけではなく、 ほかの貧困世帯にも共通すると思われる。
また、 子どもの学力調査では、 親の収入によって明らかな差がある。 貧困家庭の子どもたちの中には、 学びたくても学べないことだけではなく、 「頑張っても仕方ない」 など学ぶ意欲さえなくしてしまう子どもたちも多い。 さらに不登校やひきこもり、 高校の中退などの背景に家庭の貧困がある。 親が仕事に追われ、 心の面でも追い詰められ、 ゆとりを持って子どもと向き合えないなどで、 子どもが孤立してしまう。 自信を失い、 自己肯定感を持てず、 将来への希望をなくしてしまう子どもたちも少なくない。
子どもが自転車に乗れるようになるために、 子ども用自転車の後輪には補助輪がついている。 そして、 親が自転車の後ろを持ってあげたり、 近くにいて 「大丈夫だよ」 と声をかけたり励ましたりしている光景をよく見かける。 やがて多くの子どもたちは、 補助輪を外しても親がついていなくても一人でスイスイ自転車に乗ることができるようになる。
貧困などの理由で生きづらさを感じている子どもたちが将来、 自立できるために、 国などがさまざまな支援をする制度としての 「補助輪」 と、 たくさんの人々が子どもたちを温かく見守る 「眼差し」 の両方がとても大切ではないかと思う。
子どもを誰ひとり見捨てず、 ひとりぼっちにしない社会をつくるために、 子どもが生まれてから社会に巣立つまで、 切れ目のない温もりあふれる支援がいま求められている。
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