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学校から希望を語ること

小国 喜弘

 この言葉を合い言葉にして、 日々の教育活動において 「すべての子どもに学習権を保障する」 ことに本気で取り組んでいる学校が橋本市政に揺れる大阪市にある。 大阪市立大空小学校。 考えてみると、 学校教育が民主主義の創出と維持・再生産に大きな役割を担うことについては誰一人疑問を持つものはいないはず。 にもかかわらず、 日々の教育活動の細部を、 この民主主義の理念に照らして作り上げようとしている学校がどれほどあるだろうかと考えると、 とたんに心許ない。 持ち物検査・服装検査をはじめとして、 学校でごく当たり前にやられていることが憲法に違反していることはこれまでにも指摘されてきたが、 大勢に変化がないのが現状だろう。
 私はこの数年、 年に 3 回ほど大空小学校に通って学校の様子を見学してきた。 その経験を少しここに紹介してみたい。
 全校生徒200人余りのこの学校には、 学習障害・発達障害を持つ多くの子どもが通っている。 いや、 ここで学習障害・発達障害という言葉の使い方をしたのは間違いだ。 大空小では、 「障害」 という言葉を一切使わない。 すべての子どもは異なる個性を持っており、 「障害」 もまたその個性の一つなのだというのが学校の基本姿勢だ。 「あの子、 障害あるんとちゃう?」 という子どもの何気ない質問にも、 教師は常に 「あれはあの子の個性やねん」 と返す。
 また、 特別支援教育として、 特定の子どもを特定の時間に取り出して教育するといったことも一切行っていない。 みんなで学ぶことができるような仕組みをどのように作るのか、 みんながいるからこそ一人一人が伸びるという教育の環境を作るためにどうしたらいいのか。 先生たちが常に考えているのはその問題だ。 そして子どもたちは、 クラスの仲間のために何が出来るのか、 そして上級生は下級生のために何ができるのかをいろんな機会に考え、 そして思いつくことはとりあえず実行してみる。 そして振り返りの中で、 反省すべきことは反省し、 次に活かす。 フットワークの軽さと自省的活動の重視。 それが大空流のやり方だ。  そんな学校だから、 校則はたった一つしかない。 「自分のいやなことを人にしない」 だ。 これを校則といわず 「約束」 と呼んでいる。 一つだけを 「約束」 に定めるのなら、 「自分がされてうれしいことを人にする」 の方がいいのではと思う向きもあるだろうが、 「されてうれしいこと」 というのは発達上の課題を掲げる子どもたちにとっては難しい。 そういう子どもでも守れることは何なのか、 この先の人生で身につけておくべき習慣は何なのか、 それを考え抜いた結果だという。 当然、 「約束」 だから破ってしまうこともある。 でもそうしたら、 「やりなおし」 をすればいいというのが大空小の作法だ。
 大空小には周辺学区からのみならず、 他県からも多くの転入生がある。 それも大空小に通学させるために、 わざわざ母と子だけが引っ越してくるという例があとを絶たない。 学校という空間において人が人として扱ってもらえる喜びを求めて、 人が人として成長しえる機会の保障を求めて、 多くの犠牲を払って転入してくる親子の存在を知ると、 教育に関係する者として大いに反省させられる。
 大空小にはこの 9 月にも 4 人の転校生があったようだ。 新自由主義が跋扈する環境において、 我々はともすると教育政策に対する絶望を口にしがちだ。 しかしそのとき、 自らがすべきことを怠ってはいなかったか。 自らの努力の方向が知らず知らずのうちにずれていたのではないか、 子どもの学習権を保障することを一時間一時間の現実の授業においてどのように実現すればよいのか、 教育学者はその理論において、 教師はその実践において本気になって検討してきたのか、 そのことが改めて問われているように思うのだ。
   
 (こくに よしひろ 東京大学教員)


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