【所員レポート】

学校の 「開閉」 を選択するために
―近年の 「開かれた学校」 論の整理から―

香川 七海

はじめに
 1960年代ごろから、 「社会の学校化」 にともなって、 学校空間が閉鎖性を持つようになってくると、 それに対応して、 学校を外部に開くべきだという言説 (= 「開かれた学校」 論) が立ちあらわれてくるようになりました。 こうした動きに対して、 本誌 『ねざす』 でも、 これまで何度か 「開かれた学校」 論について検討してきました ( 7 号、 9 号など)。
 しかし、 「開かれた学校」 論は、 それぞれの語り手が、 何を前提としているのかがわからないと、 なかなか議論が噛み合わないものです。 たとえば、 「開かれた学校」 を論じるにしても、 ある人は、 「脱 (非) 学校」 の文脈から議論を進めるかもしれませんし、 ある人は、 市場原理論の文脈から議論を進めるかもしれません。 同じ 「開かれた学校」 を論じているように見えても、 それぞれの語り手がめざす学校のあり方には、 大きな違いが出てくるのです。 さらに、 今現在、 「開かれた学校」 論が、 教育制度や教育政策の中でどのように位置づけられているのかということも押さえておかなければ、 個々の人々が個々の理想を前提として語る 「開かれた学校」 論が、 結局、 制度や政策の意図する 「開かれた学校」 論に回収されてしまう可能性もあるでしょう。 ですから、 「開かれた学校」 論について議論するためには、 まず、 自分たちが、 どのような前提に立っているのかということ、 そして、 近年の教育制度や教育政策の中で、 「開かれた学校」 論がどのように位置づけられ、 展開されているのかということを踏まえておく必要があるのです。
 このような問題意識から、 本稿では、 今後、 読者のみなさんが 「開かれた学校」 について議論する際の手がかりのひとつとすべく、 「開かれた学校」 に関する研究成果に学びながら、 近年の教育制度や教育政策の中に見られる 「開かれた学校」 論の整理を試みたいと思います。 「開かれた学校」 論の整理を通して、 学校は、 何に対して開かれるべきか、 あるいは、 何に対して閉じられるべきかという、 「開閉」 の選択を考えるきっかけづくりに本稿が役立つことを願っています。
  1. 「開かれた学校」 論の方向性
     そもそもの前提として、 「開かれた学校」 とは、 学校の何を誰に開くということを想定しているのでしょうか。 かつて、 『ねざす』 9 号 (1992) に掲載された 「開かれた学校」 特集 (1991年度の教育研究所シンポジウムを記録したもの) でも、 こうした点が議論の対象となっていましたし、 昨年の教育討論会でも、 同様の向きの議論が見られましたので、 まずは、 「開かれた学校」 とは、 学校の何を誰に開くのかという部分について考えてみたいと思います。
     日本において、 「開かれた学校」 論が教育制度や教育政策の文脈の中に登場するのは、 臨時教育審議会 (以下、 臨教審と略) 第三次答申 (1987年 4 月 1 日) 以来のことです (「開かれた学校」 とは、 ここ20年来に登場した政策用語のひとつ)。 これ以降、 多くの答申によって制度的な 「開かれた学校」 論が形づくられてきましたが、 そうした諸答申を手がかりにして考えると、 そこには、 学校を開くということについて、 4 点の流れを見出すことができます。
     まず、 第 1 点目としては、 学校の設置主体を開くという流れがあります。 これは、 学校の設置主体の多元性を求める、 「官から民へ」 という規制緩和論の流れの中に位置づけられる動きです。 おもに、 教育改革国民会議 (2000) における議論や総合規制改革会議 (2001) の答申に見られる意見で、 こうした意見は、 学校と地域の結びつきを強調するものの、《 「学校評価」 ― 「特色ある学校づくり」 ― 「通学区域の弾力化」 ― 「学校選択」 》の 4 点がセットになって主張されており、 学校と地域の結びつきを断ち切るという方向性でも議論が進められました。 このように、 学校の設置主体の多元性を求める意見は、 地域との関係性に矛盾を抱えた 「開かれた学校」 論であったといえるでしょう。
     次に、 第 2 点目としては、 学校の運営を外部に開くという流れがあります。 こうした意見は、 教育改革国民会議におけるコミュニティ・スクール構想 (学校運営協議会の設置) や学校教育法施行規則の改正による学校評議員制度 (2000) などに代表されるもので、 近年では、 民主党のマニフェストで提唱された学校理事会 (2009) などの動きもこれに相当します。 これらの要求は、 保護者や地域住民の意見を学校運営に反映させるべきという主張を核としたものでありますが、 大人だけではなく、 生徒 (児童) 参加も求められるという 特 徴 を押さえておく必要があるでしょう【1】。 しかしながら、 日本の教育界には、 こうしたものが制度化されるよりも前から、 保護者や地域住民の学校参加を求める動きがありました。 また、 冷戦体制下では、 全国各地の学校で盛んな生徒 (児童) 参加がなされていました【2】。 ですから、 このような 「開かれた学校」 論自体は、 かなり以前から教育現場にねざしていたものだといえるでしょう。
     さらに、 第 3 点目としては、 学校教育の制度的接合 (カリキュラムの接合) としての開きという流れがあります。 これは、 「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」 中央教育審議会 (以下、 中教審と略) 第二次答申 (1997) 以降の諸答申に見られる小中一貫校や中高一貫校の推進などに代表される動きで、 児童生徒の学力を高めるという目的や、 少子化のために小中学校を統合するという目的によって生まれた流れです。 しかし、 小中学校と高等学校は、 設置主体が異なるので (市町村立―県立)、 制度的接合が容易ではありませんし、 こうした学校の開かれ方は、 「エリート校」 や 「底辺校」 などという、 学校間格差を生む可能性もあり、 むしろ、 逆に、 「閉じられた学校」 (=ある一部の階層にしか開かれていない閉鎖的な学校) を増やす可能性も捨てきれません。
     また、 第 4 点目としては、 教育活動そのものを外部に開くという流れがあります。 答申としては、 臨教審第三次答申にルーツが求められる流れで、 教育的資源を外部に求める 「総合的な学習」 の実践などに代表される動きです。 学校外の人材を教育活動に取り入れたり、 児童生徒を含めて、 学校内の人材を外部に放出するといった学校の開かれ方や、 予備校や学習塾の講師を教育活動に呼び込むという開かれ方、 そして、 大学生や地域住民をボランティアとして教育活動に呼び込むという開かれ方などが事例として挙げられます。 こうした学校の開かれ方は、 教育活動をより良質のものにしようとする意図から行なわれますが、 教育的資源を外部に頼りすぎることで、 公教育を内部から切りくずすことになるかもしれません。
     以上のように、 教育制度や教育政策に見る 「開かれた学校」 論の枠組みは、 こうした 4 点の流れによって形づくられています。 「開かれた学校」 について議論をする場合、 こうした点を前提として共有しておかなければ、 議論はボタンのかけ違いに終始しかねませんから、 学校の何を誰に開こうとしているのか、 その点をよく見極めて、 開かれ方の意図やルーツを押さえておく必要があるわけです。
  2. 法的に見る 「開かれた学校」 論
     では、 次に、 法的な側面から 「開かれた学校」 論について考えていきましょう。 まず、 「開かれた学校」 を議論するときに、 忘れてはならないのは、 学校を開くということのそもそもの根拠はいったいどこにあるのかということです。
     諸答申の前提ともなりますが、 学校を開くということの法的根拠は、 旧・教育基本法の中に 2 点見出すことができます。 まず、 第 1 点目ですが、 新旧・教育基本法の第 6 条には、 「法律に定める学校は、 公の性質をもつものであって、 国又は地方公共団体の外、 法律に定める法人のみが、 これを設置することができる」 とあります。 これは、 学校の公共性を根拠づける規定とされていますが、 その公共性は、 1.設置主体の公共性 (教育事業主体説) と、 2.学校の機能の公共性 (教育事業説) のどちらを指しているのかという部分で、 かなり意味の変わってくるものですが、 いずれにしても、 これは、 学校が公共的教育空間でなくてはならない根拠としての規定であると見なされます。
     次に、 第 2 点目ですが、 旧・教育基本法の第10条には、 「教育は、 不当な支配に服することなく、 国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである」 とあります (新・教育基本法の第16条に相当)。 ここでは、 「国民全体」 に対して 「直接に」 責任を負うという規定が重要になります。 この規定を個々の地域と学校の関係性のレヴェルで考えるとすれば、 学校は地域全体に対して 「直接に」 責任を負っているということになるわけです。 「開かれた学校」 が教育政策の文脈で議論されはじめた80年代当時、 この政策が依拠していた理念は旧・教育基本法にありました。 しかしながら、 2006年に改正された新・教育基本法からは、 この 「直接責任性」 の条項が削除されています。 この条項は、 「開かれた学校」 の根拠となる規定であり、 それまでの諸答申の内容とも関係していたので、 新・教育基本法のもとでは、 「開かれた学校」 論の法的根拠に、 それ以前と若干の差異が生まれたといえるでしょう。 実際のところ、 新・教育基本法のもとで、 「開かれた学校」 論の法的根拠がどこに位置づけられるのか、 それは、 よくわからないのです。 今後、 「開かれた学校」 の実践をめぐって、 教育法学者が研究を進めたり、 「学テ裁判」 のような、 具体的な教育裁判が起こるなかで、 それは、 明 確 に確 認されていくことになります【3】。
     さまざまなことを述べましたが、 結局、 以上のように、 第 1 点目に見られる学校教育の公共性 (=公共的教育空間) と、 第 2 点目に見られる学校教育の国民 (=地域住民) 全体に対する 「直接責任性」 が、 学校教育を地域住民や保護者らに対して開かれなければならない法的根拠になるのです。 とりわけ、 経済格差の広がりつつある現代の日本においては、 青少年の教育条件に格差を持ち込まないためにも、 学校教育の公共性 (=教育の機会均等) の担保は欠かせないものとなります。
  3. 「開かれた学校」 をめぐる学校論
     また、 「開かれた学校」 を論じる際には、 そもそも学校教育という営みを、 どのようにとらえるのかという学校論の存在が重要となります。 なぜなら、 学校教育への外部からの介入が正当化されるのは、 それぞれの教育活動の文脈に介入の理論が合致する場合だけだからです。 政治や経済の理論が、 そっくりそのまま学校教育に介入する事態は避けなければなりません。 市場原理論など、 教育学域外の理論に対しては、 むしろ、 学校は積極的に閉じることが求められるといえるでしょう。 それゆえに、 学校は、 つねに、 最新の教育学域の研究や学校の現実に裏打ちされた学校論を基軸として、 その 「開閉」 を選択しなければならないのです。
     しかし、 これまでの 「開かれた学校」 に関連する諸答申の中には、 そうした学校論についての言及は、 ほとんどありませんでした。 多くの答申に共通しているのは、 真摯な学校論の展開などではなく、 市場原理論や行政改革の理論による改革案であるとか、 中教審委員の個人的な経験にもとづく改革案ばかりでした。 こうしたことについて、 中教審の委員を歴任している教育学者の安彦忠彦さんは、 教育について議論するとはいっても、 百人百様の教育論があるのは自分の子どもについての 「私教育」 の部分であって、 法律などによって明確に規定される 「公教育」 には、 百人百様の教育論を持ちこむことはできないと主張し、 そうした 違いを 意 識 せずに 議 論 を 進めていく中教審のあり方を批判しています【4】。
     このような批判は、 個々の学校を開く実践においても念頭に置いておかねばならないものといえるでしょう。 教職員や保護者、 地域住民の三者間において、 教育現場の現実にねざした学校論を展開し、 その学校論に合致するかしないかという点を基軸として、 学校の 「開閉」 を選択する  これこそが、 「開かれた学校」 の実践であるといえるのです。 たとえば、 北海道滝川市で学校運営協議会 (コミュニティ・スクール) の調査をした北海道大学大学院の渡辺宏輝さんは、 協議の場においてなされた 「授業前の時間でドリル学習を全学年で実施して欲しい」 という保護者からの要求に対して、 教員がモジュール制の是非や授業時間の法定について説明し、 その要求が教育活動への介入の理論を得ていないと説得する場面のやり取りを記録しています【5】。 こうしたやり取りは、 「開かれた学校」 の実践校では、 ささいな一場面にすぎないものですが、 学校論を基軸として学校の 「開閉」 を選択するということの実例がうかがい知れる好例ではないでしょうか。
  4. 公共性と学校自治のはざまで
     さて、 ここまで述べたことからも明らかなように、 学校を開くという実践には、 必然的に、 保護者や地域住民の学校参加が求められます。 そして、 そこでは、 学校レヴェルの 「参加民主主義 (participatory democracy)」 がなされ、 学校教育の 「素人統制 (layman control)」 が進むことになるでしょう。 ですが、 教員の 「開かれた学校」 への認識を調査すると、 多くの教員は、 学校を保護者や地域住民に開くことに肯定的であるものの、 基本的には、 学校運営は教職員に任せてほしいと考える傾向が強いそうです【6】。 こうした調査の結果からは、 多くの教員は、 保護者や地域住民の学校参加に賛成を示しつつも、 みずからの専門職性や学校自治を侵蝕されたくないという葛藤を抱えていると推測することができます。
     しかしながら、 学校レヴェルの 「参加民主主義」 や学校教育の 「素人統制」 は、 以前から教職員組合の側からも繰り返し主張されてきたという歴史的経緯があります。 ですから、 先に見たような調査の結果は、 決して、 教職員や学校教育の閉鎖性を示すものではないのです。 そもそも、 戦後の日本の学校づくりは、 国民の教育権論を理論的な背景とした学校自治論によって支えられてきましたが、 国民の教育権論は、 法や制度に関する議論にかたよりがちで、 教育現場で巻き起こる 「いじめ」 や体罰、 管理主義的な生徒指導などの現実的な諸問題には、 対応しきれないところも多くありました【7】。 そのために、 70年代以降、 個別の教師の主体的な対応だけではなく、 子どもや保護者、 地域住民による学校づくり、 すなわち、 学校参加が理想とされるようになり、 教職員組合の教育運動や民間教育運動の活動の中からも、 保護者らの学校参加の必要性がより強く主張されるようになったのです。 こうした経緯からもわかるように、 「開かれた学校」 論につながる土壌は、 日本の教育界に早くから存在していて、 学校を開くという視点は、 ここ数年のうちに生まれたというものではありません。 したがって、 教員が保護者や地域住民に対して学校を開くということに感じる躊躇は、 学校が開かれるということそのものよりも、 それが制度化されたものとして、 現場におりてくることに対しての憂慮の感情だと考えられます。 ここ数年、 「改革すればよくなる」 という改革幻想に踊らされ、 日本の学校教育は様々な混乱を強いられてきました。 そうした経験値から、 教員の間には、 「開かれた学校」 に関するしくみが制度化されていった場合、 その制度によって、 なんらかの機能不全や逆機能が教育現場にもたらされるのではないかというような憂慮が生まれて、 学校を開くという実践を躊躇させているのでしょう。
     実際のところ、 学校教育の公共性や学校自治の倫理を欠いた教育ガバナンスやコミュニティ・スクール構想には、 とても危険な逆機能が備わっています。 たとえば、 コミュニティ・スクール構想における学校運営協議会を例に取り上げて考えてみると、 学校運営協議会は、 協議会での決定に地域住民が参与することによって、 その決定へ正当性が権威づけられるという可能性があります。 したがって、 協議会での決定そのものが 「地域住民の総意」 や 「地域住民の要望」 という 「錦の御旗」 を得ることにもなりかねません【8】。 自分の提案を採用させたいと考える人々にとって、 そうした 「錦の御旗」 は、 魅力的なものですから、 学校運営協議会や地域住民が政争の具として利用される可能性もあるでしょうし、 「錦の御旗」 を得た、 とんでもない決定が学校教育へもたらされる可能性も捨てきれないのです。 「地域住民の総意」 や 「地域住民の要望」 といったフレーズのついた決定に対して、 反対意見を唱えることは、 なかなか容易なことではありません。 このように制度化された 「開かれた学校」 によって、 公教育が切り崩されていく可能性はないとはいえないのです【9】。
     それゆえに、 あらためて強調しますが、 こうした 「開かれた学校」 をとりまく複雑な状況の中で、 教職員には、 学校を開くという選択だけではなく、 ときには、 学校を閉じるという選択も必要となってくるわけです。 当然のことながら、 学校を 「開閉」 する基軸としては、 先に見たような学校論の存在が欠かせないものとなりますが、 それだけではなく、 教職員全員がひとつとなる、 統一的な組織体としての学校づくりもまた重要となってきます。 もちろん、 その場合、 個々の教職員の自主性と自発性が担保されるという前提があるのですが。
     しかし、 あえて附記すれば、 「開かれた学校」 が制度化されて現場におりてきても、 それを実践のレヴェルで制度の意図とは異なったものに読み替えることは不可能なことではありません。 パウロ・フレイレの翻訳で知られる教育社会学者の里見実さんは、 次のように教育の制度化について指摘しています。

     教育実践とは学校という制度をそれ以外の何かに変えていく地下行為のようなものだ。 教育改革とか制度改革とかいわれるものに、 ぼくは根本的に懐疑的だ。 …… (中略) ……制度の内実をその内側からずらしていく実践をともなわぬかぎり、 どんな制度改革も茶番に終わるほかないからだ。 (里見実 『働くことと学ぶこと』 太郎次郎社、 1995、 275頁)

     このような趣旨の指摘を踏まえて考えると、 制度化された 「開かれた学校」 を、 どのような内実のものにするのかということは、 結局、 教職員たちの実践によるところが大きいといえるでしょう。 ですから、 諸答申に規定された 「開かれた学校」 論を、 制度化されたものとは違ったものに変えていくということは充分に可能なのです。
おわりに
 本稿では、 近年の 「開かれた学校」 に関する研究を手がかりとして、 「開かれた学校」 論の整理を試みました。 また、 その整理の過程で、 学校の何を誰に開き、 何を誰に閉じるのかという、 「開閉」 の選択についても言及してきました。 ここでなされた 「開かれた学校」 論の整理を参考としつつ、 今後、 ますます 「開かれた学校」 に関する議論が盛り上がることを願っています。
 なお、 ここ数年の教育改革の余波によって、 学校教育に携わる教職員には、 授業や生活指導を中心とする 「純粋な」 教育活動ではない仕事が多く課せられるようになってきました。 それはたとえば、 一枚の学級通信を発行するために、 校長から教頭、 主任 (主幹) にいたるまで、 各役職に許可を得なくてはならないといった東京都の公立小学校の事例などにも典型的に象徴されていると思います。 このような学校教育を取りまく状況の中で、 「開かれた学校」 の実践とは、 そうした 「純粋な」 教育活動以外の仕事を外部に分担する試みとしても機能させることができるかもしれません。 いわゆる 「教員の多忙化」 が主張されて久しいですが、 そうした課題に対しても、 「開かれた学校」 の実践は、 かすかな光をもたらすものになるかもしれないのです。
 しかしながら、 本稿の冒頭でも触れたように、 「開かれた学校」 が教育制度や教育政策の中で、 どのような前提に立って進められているのかということを踏まえておかなければ、 各々が、 理想をもって語る 「開かれた学校」 論は結局、 制度や政策の意図するところに回収されてしまうことになるでしょう。 もちろん、 制度や政策の意図する 「開かれた学校」 論が必ずしもまちがいであるというわけではありません。 ただ、 いかなる制度や政策にも問題点はつきものですから、 そうした点をよく見きわめておくべきでしょう。

《脚註》
【1】なお、 生徒 (児童) 参加によって 「開かれた学校」 の優れた実践を生みだしている公立の高等学校としては、 千葉県立東葛飾高等学校、 東金高等学校、 埼玉県立川越高等学校、 長野県立辰野高等学校、 北海道立美瑛高等学校、 白老東高等学校などの各校の実践が有名です。 また、 神奈川県川崎市では、 川崎市学校教育推進会議を中心とした 「開かれた学校」 の実践が数多く見られます。
【2】しかし、 60年代末から70年代にかけての 「高校紛争」 などの要因によって、 そうした動きはしだいに衰退してしまいました。 なお、 2011年に公開された映画 「コクリコ坂から」 (スタジオジブリ、 宮崎吾朗監督) は、 1960年代の学校を舞台としたものですが、 主体性を持って学校運営に関わる当時の生徒たちの雰囲気をよく伝えています。
【3】新・教育基本法は、 その全文を独立させて、 ひとつひとつの条項を個別に読むかぎりでは、 なかなかの 「名文」 に見えるかもしれません。 しかし、 旧・教育基本法は、 戦後のさまざまな教育法規だけではなく、 教育制度や教育政策、 そして、 教育実践と網の目のように複雑に結びついたものでしたから、 それらを踏まえずに、 気軽な気持ちで改正をすることで、 このような問題点を産むことになったのです。 改正に踏み切るのならば、 充分に時間をかけて検討するべきでした。
【4】安彦忠彦 「公教育と私教育について」 ( 『教育デザイン研究』 横浜国立大学教育デザインセンター、 第2号、 2011) 7頁。 こうした指摘は、 取り立てて真新しいものではないのですが、 中教審の委員を歴任している安彦さんによる指摘だからこそ、 現在の教育改革の問題点がより強く感じられます。 …… 「子どもは叩けばいい子になる」 といったような教育論は、 あくまでも、 個人の家庭の 「私教育」 であって、 「どうぞ、 ご自由に」 と苦笑するしかないレヴェルのものですが、 それを 「公教育」 に制度や政策として持ち込むには、 教育学域の理論によって、 全国各地の子どもが本当に 「いい子になる」 ということを実証しなければなりませんし、 関連する法規や制度などを厖大な税金と労力をかけて変えていく必要もあるのです。 「私教育」 は、 誰にでもできる議論ですが、 「公教育」 は、 一定の知識 (=理論) と経験 (=実践) がなければ、 実りのある議論ができないものです。
【5】渡辺宏輝 「「開かれた学校づくり」 における合意形成過程に関する研究」 ( 『北海道大学大学院教育学研究院紀要』 北海道大学大学院教育学研究院、 第102号、 2007) 148‐150頁。 しかし、 いまのところ、 「開かれた学校」 づくりのケース・スタディは、 統一性を欠いた分散的な知見に留まっています。 それぞれのケース・スタディが、 地域や学校との文脈の違いのために参考にならないという指摘や、 あまりにも高度な実践記録であるために、 かえって参考にならないなどの指摘がなされることもあります。
【6】岩永定・芝山明義・岩城孝次 「「開かれた学校」 づくりの諸施策に対する教員の意識に関する研究」 ( 『日本教育経営学会紀要』 日本教育経営学会、 第44号、 2002) 83‐86頁。 なお、 この結果は、 この調査は、 四国4県の小中学校の教員4,000人以上を対象に行われました。 地域や学校による差異はあるでしょうが、 ある程度、 全国各地の教員による 「開かれた学校」 への認識に共通する指摘ではないかという思いから、 本稿でも参考としました。
【7】たとえば、 そうした経緯は、 尾崎ムゲン 「日教組運動の理論とその欠落」 (岡村達雄・編著 『教育運動の思想と課題』 社会評論社、 1989) 86‐89頁などにまとめられています。
【8】このような指摘については、 植野妙実子 「教育目的と公共性」 ( 『教育における公共性の再構築』 日本教育法学会年報、 第34号、 2005) に詳しく書かれています。
【9】また、 保護者に学校参加をうながす取り組みが、 各家庭の格差を強化する可能性も心配されるところです。 本来、 保護者の学校参加を増加させて、 各家庭の不平等を軽減させようとする趣旨の取り組みは、 経済的・階層的に上位に位置する家庭よりも、 そうではない家庭がより学校参加に頻繁に取り組み、 なおかつ、 利益を得られて初めて効果のあるものだとされています。 したがって、 無計画な学校参加の取り組みが、 かえって学校内・学校間格差を生む危険性 (=格差の再生産) もあるということを押さえておく必要があるでしょう。 なお、 アメリカの社会学者であるミシェル・ファインさんは、 保護者の学校参加を 「上辺だけの保護者参加 ([ap] parent involvement)」 と呼び、 保護者は教職員や行政、 企業の代表と平等であるかのように謳われているものの、 実際のところ、 低所得層の保護者は、 専門家より 「劣った」 存在として扱われていると指摘しています。 こうした傾向は、 日本の 「開かれた学校」 づくりの実践でも問題視される部分でしょう。

《参考文献》
  • 仲田康一 「「開かれた学校づくり」 における保護者の位置の諸問題」 ( 『東京大学大学院教育学研究科行政学論叢』 東京大学大学院教育学研究科、 第29号、 2010) 23‐37頁。
  • 大崎功雄 「「学校をひらく」 とはどういうことか?」 ( 『北海道教育大学紀要 (教育科学編)』 北海道教育大学旭川校教育学研究室、 第57巻第1号、 2006) 1‐16頁。
  • 黒崎勲 「新しいタイプの公立学校と教育行政の課題」 (『教育学雑誌』 日本大学教育学会、 第41号 2006) 1‐13頁。
  • 横井敏郎ほか 共著 「高校三者協議会の意義と可能性」 ( 『公教育システム研究』 北海道大学大学院教育学研究科、 第5号、 2005) 1‐43頁。
  • 藤田英典・清水宏吉 編著 『変動社会のなかの教育・知識・権力』 (新曜社、 2000) 217‐260頁。
  • 黒崎勲 「市場のなかの教育/教育のなかの市場」 (森田尚人・藤田英典・黒崎勲・片桐芳雄・佐藤学 編著 『教育学年報』 世織書房、 1996) 25‐95頁。

(かがわ ななみ 日本大学大学院文学研究科博士前期課程・教育社会学)


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