映画に観る教育と社会[20]最終回

映画館はボクの学校だった

 
手島 純
はじめに
 「映画館はボクの学校だった」 は、 映画の題名ではありません。 この 「映画に観る教育と社会」 は今回をもって終わりにしますので、 淀川長治著 「映画はボクの教科書だった」 になぞらえて、 タイトルを決めました。 うれしいことに、 何人かの方から、 「 『ねざす』 での映画評、 楽しみにしていますよ」 などと言われていい気になって、 20回にもなってしまいました。 これは10年間の掲載を意味します。 しかし、 ひとつの区切りです。 徒に書き続けることは遠慮することにしました。
 このコーナーでは、 主に 「教育・学校・教師」 などをキーワードにした映画を取りあげてきました。 映画の世界でもこれら教育関係へのまなざしは熱いものがあります。 紹介した映画の中には単館上映も多く、 新宿・渋谷の映画館まで足を運んだこともしばしばありました。
 今回は、 私の映画遍歴を中心に書かせていただくことにしました。 それは、 今までに取りあげてきた映画評論のバックボーンだと了解していただければと思います。 私は教育関係の映画だけを観てきたわけではありません。 基本的に映画であれば何でも観てきましたし、 そうした中で教育関係の映画も位置づけてきたつもりです。

東映チャンバラ映画
 私の生まれた場所は、 福岡県の中洲です。 中洲といえば、 ピンとくる人もいるかもしれません。 東京では歌舞伎町です。 そんなところに生まれたので、 家から歩いて映画館に行くことができました。 父に連れられて、 東映チャンバラ映画ばかりを観ていました。 しかし、 私が何を観たかの記憶も記録もありません。 残っている記憶は、 「たくさん観た」 ということだけです。 それでも記憶を絞り込むと、 中村 (萬屋) 錦之介の映画が多かったように思います。
 今の時点で中村錦之介の出演映画を見ると、 「森の石松鬼より恐い」 「赤穂浪士」 「宮本武蔵」 等があります。 きっとこれらの映画を観ていたに違いないのです。 その映画群によって 「映画はおもしろい」 ということが、 無意識の中で形成されたと思います。 今では、 まったくおもしろくないけど、 内容がある映画も観ていますが、 やはり映画はおもしろさです。 インド映画でたとえて言えば、 「大地のうた」 (シリアスでマジメ) もいいけど、 「踊るマハラジャ」 (ほとんどバラエティ) も捨てがたく、 「スラムドッグ$ミリオネア」 (シリアスなエンターテインメント作品) は最高であるということです。
 私の幼年期の映画体験は、 教員としての授業観を形成したと思います。 授業というものは、 内容はもちろんですが、 楽しくおもしろくなければならないということです。 教育方法の充実です。 実際にそうなっているかは別として、 「楽しくためになる」 ことが一番だという考えをもっています。

アメリカンニューシネマ  
 中学 3 年の時は東京に住んでいました。 高校入試も終わって、 友人とともに池袋に行き、 キューブリックの 「2001年宇宙の旅」 を観ました。 これは何だか分からない映画でした。 しかし、 何かひかれるのです。 映画で使われていたシュトラウス作曲 「ツァラトゥストラはかく語りき」 もすごく印象的でした。 そもそも 「ツァラトゥストラはかく語りき」 はニーチェの本です。 この哲学的で難解な本のような映画が 「2001年宇宙の旅」 だったのです。 一度観ても意味が分からなかったので、 二度観ました。 中 3 生には理解ができませんでした。 しかし、 この映画によって、 よく分からないけど深みのある映画=世界があるのだなということを教わりました。
  「2001年宇宙の旅」 の衝撃は、 私を映画に駆り立てました。 高校生当時、 世を席巻していたのは、 アメリカンニューシネマでした。 「俺たちに明日はない」 「卒業」 「イージー・ライダー」 「明日に向かって撃て」 「真夜中のカーボーイ」 「マッシュ」 「いちご白書」 …キリがありません。 高校生の時、 全部映画館で観ました。 とくに 「真夜中のカーボーイ」 は大好きな映画で、 何回も観ました。 ジョン・ボイトとダスティン・ホフマン演じる二人のダメ男の友情がしんみりします。 今、 話題の渦中にいるアンジェリーナ・ジョリーは、 ジョン・ボイトの娘です。
 アメリカンニューシネマが教えてくれたことは、 社会性だったと思います。 いくら個人で頑張ってもどうにもならない世界があるということです。 その世界とは戦争であったり、 貧困だったりします。 しかし、 そうしたことにぶつかって未来を拓く必要があることもこの映画群は教えてくれたのです。

日活ロマンポルノ
 学生時代は日活と東映の映画館でアルバイトをしていましたので、 無料で映画を観ることができました。 当時、 日活はロマンポルノ、 東映はやくざ映画が主流でした。 ポルノ映画なんかとはじめはバカにして、 観ている客を蔑んでいましたが、 それはまったくの間違いだということが分かりました。 低予算で作らなければならないこともあって、 撮影場所は四畳半の世界というような状態でしたが、 それを逆手にとって、 その四畳半で、 日本の社会のあり方を 「逆照射」 し、 若者の気だるさを 「性」 を通して表現するのです。 多くのロマンポルノは、 ただの秘め事の繰り返しではあったかもしれませんが、 私が観た 「四畳半襖の裏張り」 「色情めす市場」 「実録阿部定」 「暴行切り裂きジャック」 「人妻集団暴行致死事件」 は、 品位すら感じさせるものでした (タイトルに品位はありませんが…)。 どれも鑑賞後に重いものが残りました。 日活ロマンポルノは、 映画監督の作家性とでもいうのでしょうか、 監督の重要性を認識しました。 田中登、 神代辰巳、 長谷部安春などの映画監督の作品はとにかく観ようと思ったものでした。
 田中登監督 「人妻集団暴行致死事件」 は特に印象的でした。 室田日出男演じる泰造は、 ドロップアウトした若者たちの面倒を見てあげ、 若者たちも泰造を慕っていました。 しかし、 この若者たちは酔った勢いで泰造の妻を犯し、 彼女は死んでしまいます。 心臓が悪かったのです。 泰造にとってショックだったのは、 彼女との秘め事の最中に、 彼女が悶えていたのは快楽のためではなく、 心臓が悪く苦しんでいたことが分かったことです。 泰造は妻を誤解していたのです。
 1970年代に作られたこの映画は、 まさに学生運動の総括のように思えました。 自分たちが正しいと信じていたことは、 まったくの幻想であったということなのです。 田中登はロマンポルノで 「革命幻想」 を表現したと、 私は強く思っています。
 日活創立100周年記念として、 元東大総長の蓮實重彦氏や映画評論家の山根貞男氏らが 「生きつづけるロマンポルノ」 という特別企画を行いました。 渋谷で行われたこの企画に私も参加していくつかの作品を観てきましたが、 いま観ても優れた作品群です。

東映やくざ映画
 東映やくざ映画は時代的に大きくふたつに分けられると思います。 前半は高倉健が活躍する映画群です。 「網走番外地」 にはじまって 「日本侠客伝」 シリーズの健さんは、 一匹狼で、 われを顧みずに大勢の敵の中に突っ込んでいきます。 これは全共闘世代の喝采を浴びました。 自分自身に健さんを重ね合わせたのでしょう。
 しかし、 私は健さんの映画は同時代的には観ていません。 私が主に観たのは、 菅原文太主演の一連のやくざ映画です。 特に 「仁義なき戦い」 は強烈でした。 終戦後、 広島の焼け跡・闇市からのし上がっていくやくざたち。 彼らは修羅場をくぐり抜けながら、 自らの足場を固めていきます。 そこでは多くのやくざが撃たれ死んでいきます。 そして、 映画は、 まるで昆虫を虫ピンで標本にするがごとく、 「享年何歳」 と表記し、 死を始末していきます。 これはまるで 「内ゲバ」 の処理のようでした。
 私が学生だったときは、 大学紛争は終焉に向かい、 連合赤軍の事件が人々を驚かせ、 凄惨な内ゲバが行われていました。 1960年代後半の情熱は、 悲惨な結果も生みだしていました。
 やくざ映画を観終わり、 トイレに行くと、 観客は皆やくざのような出で立ちで用をすましていました。 映画館を一歩出ればうだつのあがらない男でも、 トイレではやくざでした。

ATGの世界
 ATGとは、 1960年代からはじまった 「日本アート・シアター・ギルド」 の略称です。 これは非商業的な映画制作をめざす人たちが作った映画組織で、 政治的・芸術的な映画を生み出しました。 その背景にはフランスのヌーヴェルバーグの影響があります。 ゴダール、 トリュフォーなどが有名です。 かなり実験的な映画が多く、 難解なものもありましたが、 新鮮でした。 私はヌーヴェルバーグの映画を観るために、 新宿文化や蠍座などによく足を運んだものでした。
 大島渚、 吉田喜重、 松本俊夫、 篠田正浩、 羽仁進などがATG作品を作り続けました。 私は大島渚が好きで、 彼の作品は映画館で観ました。 当時はDVDなどなかったのですが、 名画座も多く、 オールナイト興業も盛んでしたので、 観損なった映画はそんな場所で観ました。 低料金で一度にまとまった作品を観ることができましたので、 池袋の文芸座・文芸地下などにもよく行ったものでした。
 大島はもともと松竹の映画監督でしたが、 創造社という独立プロを作り、 「絞死刑」 「少年」 など社会性のある作品の監督をしました。 しかし、 松竹時代に比べ、 かなり観念的な作品になってきたなという感想をもちました。
 私は、 大島が松竹時代に作った 「愛と希望の街」 が大好きです。 この映画は、 もともと 「鳩を売る少年」 というタイトルの映画でしたが、 会社からそのタイトルはよくないと言われて、 まったく違う 「愛と希望の街」 にしたという皮肉たっぷりの 「演出」 もあったのです。 ストーリーは単純で、 鳩を売る少年がいて、 その鳩は伝書鳩なので、 放たれるとまた少年の所に戻ってきます。 こうして少年はお金をかせぐという話です。 詳細は割愛しますが、 この映画には日本社会の欺瞞性を剥ぐメッセージが内包されているように思いました。
 大島は松竹という枠の中で仕事をすることに嫌気がさし、 松竹を飛び出したのでしょうが、 私は、 創造社作品より松竹という枠の中でもがきながら作った大島作品が好きです。 管理され、 不自由であっても、 「愛と希望の街」 のような作品を作ることができたのです。

おわりに
 ここまで書いてきたら、 すでに紙幅はなくなってきました。 まだまだ、 書きたいことは山ほどありますし、 ここまでの記述では、 私の映画人生のほんの一部分です。 しかし、 無理を言って、 普段より分量を多くしてもらっていますし、 核となる部分はお伝えしたので、 これにて終わりにします。 続きは 『ねざす』 誌上ではなくて、 違うところになるのでしょうが、 可能ならば続きを書くつもりではいます。
 映画で多くの人生を追体験できましたし、 時間や空間を自由自在に飛び回り、 さまざまな知識を得ることができました。 こんな贅沢な時間はないと思っています。 まさに映画館はボクの学校でした。
 最後に、 拙稿を読んでいただいた読者の皆様に感謝して、 筆を置きたいと思います。

(てしま じゅん 教育研究所員)

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