●特集● ゆらぐ教員世界 2012年教育討論会より |
2012年の11月17日に神奈川県民活動サポートセンターで開かれた、 当研究所主催の教育討論会における、 中田康彦氏の講演、 教員の意識についての調査の中間報告、
関連する論考、 さらに参加者の感想などをまとめることをもって今号の特集とした。 大きく変わろうとする教員の世界を考える上での視点のひとつを提供するものになればとおもう。
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教員の意識に対する教育政策の影響 |
中田 康彦 |
改革原理としての 「説明責任」 2012年の 1 年間を通してみると、 教育政策については劇的に変わったことはない。 民主党政権が発足した2009年 9 月以降の 2 〜 3 年間で変わった部分はあるにはある。 しかしそうした短期的なスパンでみるよりももう少し長い中期的なスパン、 具体的には2003年からの10年間で、 何が起きているのか見直してみたい。 様々な教育改革が国レベルでも都道府県レベルでも行われている。 だが、 それらの教育改革は誰に向けたものなのか。 より正確にいえば、 誰に向けて責任を果たそうとしているのだろうか。 過去10年間の改革は、 責任を果たすという課題が 「変わり続けなければ」 という強迫観念を生み出し、 改革の原動力となっている。 つまり、 あることを変えて良くしたいという思いが改革の原動力になっているのではなく、 「ある責任を果たさねばならない」 という動機づけが、 行政機関においても学校においても、 変わらねばならないという圧力になっている。 その責任とは accountability (説明責任) を果たすことであり、 説明責任の遂行が教育の現場でもより徹底して求められるようになってきたのである。 accountability という言葉はもともと教育の世界にあったものではない。 行政改革が行われる中で、 公共部門、 とりわけ会計監査の中できちんと説明できるようにしてほしいと要請されたところから出発した言葉であった。 1972年にアメリカ連邦会計監査院 (GAO) が発表した政府監査基準では、 財務及び適法性の監査だけではなく、 経済性、 効率性および期待された業績の達成度に関する監査も含まれるとされ、 1981年の改訂版では 「完全なる説明責任 (a full accountability)」 というかたちで、 概念の拡大・強化が図られた【1】。 この概念は行政の計画や組織の運用にまで適用されることとなり、 行政組織全般の見直しが行わる中で広く普及することとなった。 そして、 行政改革の一環として展開されるようになった教育改革の中にもaccountabilityという言葉が入ってきたのである。 会計学者の碓氷悟史は、 「公的な力の付与または行使に関して課された責任を果たしたかどうかを説明する責任」 と定義したうえで、 アカウンタビリティの内容としては、 (1)政治的ないし政策的、 (2)財務的ないし会計上、 (3)法律的、 (4)管理的、 (5)環境的、 と多岐にわたるとしている【2】。 この 「説明責任」 という言葉は、 従来教育の中で考えられてきた (教育) 責任とは異質なものが含まれている。 「教育責任」 という言葉についてもいろいろな理解の仕方がある。 教師の職務責任の遂行を語る際に 「国民の教育権論」 では、 単に 「教師の教育の自由」 自体を独自に存在する絶対的なものとして語るのではなく、 教師の専門職性に基づき、 親・子どもの信託を受けて 「子どもの学習権を保証するための職務責任」 と語ってきた。 このような戦後教育学が構築してきた教育責任論の一方で、 ここ10年くらいの教育改革の中で強調されている 「責任」 とは、 公共機関としての説明責任であり、 学校も公共機関である以上、 公共機関としての説明責任を果たさねばならないというものである。 こうした二種類の教育責任が、 きちんと使い分けられていればよい。 一方のみが正しく、 他方は正しくないといった排他的な二項対立関係にあるわけではないし、 公共機関としてaccountabilityを果たすべきだというのも一理あるからである。 しかし現在の改革では、 説明責任こそが学校の果たすべき役割の一番大事な課題であるかのような形で語られてきている。 そして教育という営みの固有性に由来する教師の専門職性や、 それに裏打ちされて果たされる教育実践上の職務責任が顧みられなくなっている。 こうしたいびつな責任論を改革原理とする教育政策は、 学校現場の教員の意識にどのような影響を与えるだろうか。 影響の典型的な現れ方は、 人事評価をはじめとする書類作成の増加である。 書類作成業務が増加してきた背景には、 説明責任を果たすことを至上命題としている改革原理がある。 すべての書類が日常の学校運営に利用されるわけではない (むしろ使われることが少ない) が、 必要が生じた際に説明責任を果たせるように、 記録を残しておいてほしい、 というわけである。 その一方で、 情報公開制度や個人情報保護制度の普及に伴い、 あら探しをされないように職員会議の議事録は簡略化せよといった逆の流れも存在している。 必要な情報の保存を放棄する一方で、 不必要な情報を過剰に創出するという状況は、 説明責任 (accountability) という原理の原点に立ち返ったとき、 すでに本来的姿からかけ離れている。 さらに、 むやみやたらと書類作成が増えてきて、 教師の本務を圧迫しているという本末転倒な事態は問題だといわざるをえない。 数値化というノルマ しかし、 こうした教育改革批判を向ける先を文部科学省・教育委員会と想定しておけばよいのだろうか。 少なくとも国レベルでは、 教育行政機関である文部科学省が強力に権力的統制を展開しようとしているようにはみえないし、 現実に強力に統制しているとも思われない。 中央省庁レベルで見れば、 むしろ文部科学省は国政の中で 「翻弄されている」 といった方がよいだろう。 十数年前でいえば、 中央省庁の実質的な統制権を握っていたのは、 総務庁の行政監察局であった。 1990年代半ばの構造改革以降、 行政の組織改革のみならず、 行政評価・政策評価を通じて行政の方向性を誘導する力をもっていたのである。 現在、 霞ケ関で政策形成の主導権を握っているのは財務省である。 首相直属の諮問機関がプレ政策形成過程として実質的な政策形成を担っているという考え方もある。 2000年の教育改革国民会議以降、 こうした傾向が確かに強まりつつある。 これは最近の首長主導の教育改革にも通じる動きである。 しかし2009年以降の民主党政権においては、 首相直属の諮問機関による教育改革といった傾向は抑えられていた。 変わって政策形成の主導権をとりかえしたのが財務省であった。 教育という領域を扱っている以上、 数値指標化しづらいのは学校現場だけではなく、 教育行政機関にも当てはまる。 それゆえ文部科学省はそもそも予算を獲得しづらく、 文教予算の編成時に、 期待される成果を数値化して事前に提示することが要求されると、 文部科学省は数値をひねりださざるをえない。 数年前に概算要求の予備交渉で財務省と文部科学省の間でやりとりされた内部資料によれば、 すでに数値化による目標管理が政策形成全般の基軸となっていた【3】。 財務省が国民に対して説明責任を果たすためには、 適切な成果があげられることが確実に見込めるところに予算をつけねばならない。 そこで財務省は、 成果を数値で示せる施策を各省庁に要求し、 文部科学省は対応に窮するのである。 数値目標による目標管理体制で 「とにもかくにも数値化して説明せよ」 という話が、 今度は文部科学省から教育委員会に降ってくる。 「目標・成果を数値化できるように」 という要請は地方公共団体内部からもやってくるため、 教育委員会は、 国から降ってくる要請と地方公共団体内部からの要請の二重の要請の中で数値化に励むことになる。 この数値化指向が、 学校評価や人事評価を通じて学校に浸透してきているのである。 改革の機能不全を生む公共部門の体質 財務省を含む政策アクターがいずれも説明責任原理に突き動かされているという政策過程の状況をみると、 悪者を見つけて非難することでうっぷんを晴らすのは建設的な行為とはいえない。 教育改革原理の問題点そのものを問い直す必要がある。 その際には、 新自由主義というイデオロギーで語るより、 New Public Management (以下、 NPM) という組織改革原理で分析した方がわかりやすいだろう。 NPMとは、 (1)成果主義、 (2)市場原理、 (3)顧客主義、 (4)ヒエラルキーの簡素化、 (5)決定と執行の分離、 といった要素を備えた組織運営原理である。 (1)〜(3)は目標管理というかたちで学校現場に浸透してきている。 (4) 「ヒエラルキーの簡素化」 については、 現実の教育改革はむしろ逆行している。 学校改革では組織マネジメントの名のもと、 教職員集団を重層化し、 主幹教諭・首席教諭といった中間管理職を設けたり、 さらに主任教諭という職を設けたりと、 階層化をむしろおしすすめている。 (1) 「成果主義」 による影響は大きい。 民間部門では現在、 成果主義の導入は一段落し、 修正や撤退が行われている。 こうしたフレキシブルな対応を欠いたまま、 教条主義的に成果主義を導入しようという公共部門の姿勢は確かに問題である。 これは成果主義そのものの是非というより、 フレキシビリティ (柔軟性) の欠如という体質の問題である。 今、 便宜的に 「民間部門では…」 と述べたが、 民間部門ではいろいろな模索がなされており、 すべての企業が同じ動き方をしているわけではない。 だから 「民間は」 という括り方は簡単にできないはずである。 公共部門も領域によって固有性があるのだが、 民間で行われている試行の一つを取り出して、 「民間はこうしているらしいからそうせよ」 とひとくくりにする画一的な導入自体、 民間部門のあり方からすでに大きくずれてしまっているのである。 決定と執行の分離 ここで注目したいのは、 (5) 「決定と執行の分離」 である。 公共部門の体質上の問題点もさることながら、 学校現場に対して、 より大きな浸透力と影響力を持っているのは、 実は 「成果主義」 というインセンティブ原理ではなく、 「決定と執行の分離」 という組織編制原理ではないだろうか。 「決定と執行の分離」 というのは、 組織の中で意思決定をする部分と執行する部分を分離する、 つまり脳みそと手足の役割分担をきっちり分けるという考え方である。 決定と執行の分離のわかりやすい事例は、 株主総会と代表取締役の関係である。 本来の意味での株式会社という組織の中での意思決定機関は株主総会であって、 頭脳にあたるのは株主である。 株主の意向を受けて、 雇われ人である代表取締役以下経営陣が執行するのが株式会社という制度である。 いわゆる経営陣 (現場指揮者) が株主に情報を出さず、 取締役会段階で経営情報をとどめることが往々にしてみられる。 巨額の損失を出したことを初めて知らされた株主がそこで初めて怒りだすというのは、 決定部門と執行部門の情報の非対称性に由来する。 そこで、 現場は経営陣に、 経営陣は株主にきっちりと情報を出せと強調する声が強くなってきた。 こうした議論の代表例が、 プリンシパル‐エージェント理論でいう 「決定と執行の分離」 である【4】。 <プリンシパル=主人>は<エージェント=代理人>に対し、 「きっちりと指示を出すから言われたとおりにやれ」 と主張する。 そこでは 「現場が考える必要はない、 その代わりきちんと現場から情報を出せ」 「きちんと情報を出さないと適切な決定ができない、 その代わり適切な決定をするから従え」、 という関係が想定されているのである。 これを学校にあてはめてみると、 「学校では校長副校長が意思決定をするから、 一般教員は従え」、 「学校のあり方は<手足>たる教員が決めることではない」 とおきかえられる。 従って、 職員会議は補助機関にすぎないという職員会議補助機関説とマッチする論理構成になってくるのである。 決定過程から教員を外そうという動きは伝統的な管理統制の中にもなかったわけではない。 それに対し学校現場では、 そうした圧力を跳ね返す合意を作り、 決定は職員会議で行うことを慣習法的にも定着させてきた。 理論的にも宗像誠也と伊藤和衛の単層−重層構造論争にみられるように、 学校経営近代化論への強力な批判が行われてきた【5】。 学校経営近代化論では、 教育行政と学校現場の不完全な官僚統制の状態を前提として、 上意下達的な教育政策の遂行形式をいかに現場に浸透させるかを重要な問題意識としていた。 これに対し今日では、 国家・自治体レベルの政策を貫徹させようという権力作用が弱まったわけではないが 、 むしろ形式的には校長裁量を強化し、 自己責任論と市場原理を前面におしだそうとしてきている。 つまり、 市場原理の中で個々の学校組織がいかに効率化していくか、 生存競争が要求されるようになってきているのである。 NPMでは<民間部門の手法>を掲げ、 「より効率的に物事を進めるためには民間のやり方を公共部門に入れなければならない」 という議論の仕方で、 全体での話し合いの場をなくし、 構成員全体で決めることをなくそうとしている。 今、 教育関係者が問われているのは、 「決定と執行の分離」 という考え方そのものではない。 もちろん理論内在的な問題点を経営組織論の視点から指摘することはできるだろう。 また、 こうした 「決定と執行の分離」 原則で学校運営しようとした時の運用上の課題を指摘することもできるだろう。 しかし教育関係者がすべきなのは、 NPM、 プリンシパル−エージェント理論、 組織マネジメントといった一連の改革原理に対抗する、 説得的な教育論理を提示するということである。 「学校は民間企業と違う」 「教育は特殊だから」 という論調がある。 教育・医療・福祉は公共性の高い領域として競争原理のなじまないものという暗黙の合意が存在してきた。 これを 「もはや聖域はない」 とばっさりと切ったのが小泉政権期の構造改革である。 その議論はあまりにも乱暴であった。 しかし、 教育の特殊性論で今日の改革路線をどこまで押し返せるのだろうか。 新しい公共経営 (NPM) という原理が公共部門全般に入ってきている中で、 公共部門の中であえて 「教育だけは別です」 とすることがどれだけ説得的たりうるのか。 官民二元論ではなく、 公共部門をさらに二元化することが理論的にも現実的にも妥当といえるのか。 確かに教育の世界の固有性はあるだろう。 個人的には教育条理論を手離すつもりはない。 しかし 「教育の固有性」 の自明性がゆらいでいる今日、 固有性という言葉を持ち出すだけですべてを語り切ったつもりでいるのはまずいのではないだろうか。 NPMの諸類型 NPMにもいろいろなパターンがある。 それぞれの具体例がじわりじわりと公共部門の中に現れている。 (1)赤字さえ減らせればいいから、 赤字削減さえできればよいという議論はNew Public Managementの中でも初期の段階にある話である。 (2)は市場原理を決定過程に導入することを意味している。 なぜこの決定が正しいのか、 なぜこの決定に従わねばならないのかは、 市場が決めた均衡点だからとして、 市場原理が持っている合理性に委ねる考え方であり、 多数決という決定手法がその例である。 その典型的な教育政策が公立学校選択制である。 選ばれない学校はどんどん人数が減ってリストラの対象にされていく。 選ばれなかった学校は淘汰されてもしかたないという議論である。 (3)は、 時間的金銭的コストを減らせという主張である。 先日、 大阪府で自動車運転免許の更新業務の競争入札をしたら、 民間のコンサルティング会社が勝ち取り、 大阪府交通安全協会は免許更新業務を次の競争入札の期間までは手放さざるを得なくなった。 官民合わせた強制入札はイギリスで90年代後半に行われた手法である。 これを効率性の改善手段として、 執行過程に市場原理を入れる考え方である。 (4)は公共部門をとにかく小さくしたいという、 新自由主義のコアとなる 「小さな政府」 論である。 政府は監督者として位置し、 市場の規制だけ担う。 評価による品質保証 それらの共通点は、 「(事後) 評価による品質保証」 であり、 「行政が提供する公共サービスの品質を保証するにはどうすればいいのか」 という問いへの答え方である。 伝統的な手法は、 サービスを提供するプロセスをきっちり管理するというものであった。 工場の生産ライン管理と同じような形でサービスを生み出すプロセスを管理する方法で、 学習指導要領をめぐる統制がその典型である。 工場の場合はPL法制定以前から製造物責任が一応課されていた。 だから製造物責任を取らなかったら、 簡単に信用が失墜して大企業でもつぶれてしまう。 ところが、 特に小中学校では、 教科書使用義務とか教育課程の範囲はこと細かに指示される一方で、 結果として落ちこぼれや不登校、 高校中退者が出ても、 倫理的には問題だとなるが 責任を学校が問われることはなかった。 つまり結果に対する責任を実は学校は取らされてこなかったのである。 そこで、 義務制もふくめ、 結果責任を志向し、 学校に 「製造物責任」 を取らせるべきという主張が台頭してきた。 その嚆矢は90年代のヨーロッパにおける大学への予算配分である。 「成果を出した大学には予算をつけるが、 成果を出さなかったところからは予算をカットする」 とした結果、 大学は成果をあげるべく、 しゃかりきになって 「改善」 にとりくむようになった。 これが高等教育から中等教育へ広がり、 ヨーロッパ大陸から英語圏を媒介して日本まで飛んで来たのである。 しかし、 外国と日本、 民間と公共部門、 その両方の違いがある。 日本の公共部門では今までの管理手法を捨てていない。 「From A to B」 という改革にならず、 Aを捨てないままBが付け加わるために、 「規制も厳しいが結果も求める」 という二重の責任を問う息苦しい世界になった。 もちろん 「From A to B」 という全面移行がいいとはかぎらない。 NPMへの移行における 「From A to B」 の究極のあり方は完全な規制緩和である。 そうすると結果を出すためにはどんな手段を使ってもいい、 ということになり、 「大学進学率を上げるためなら、 見境なく資源を投入する」 「教員のフリーエージェント制だけで駄目なら、 ゼロ時間目、 7 時間目を設ける」 「それでも駄目なら、 予備校から講師を呼ぶ」 …とエスカレートしてもよいことになる。 こういう 「結果が出ればいい」 という割り切り方をやったのが、 ヨーロッパ的なNew Public Managementだった。 イギリスのトニー・ブレア元首相も強制入札をやる一方で、 「困難地域には予算を手厚くするから、 あらゆる手段を使ってとにかく改善せよ」 というテコ入れをした。 Education Action Zone (EAZ) という政策である。 福祉国家的志向性をもつ政策だが、 その手法としてはNPMが使われたのである【6】。 新自由主義とナショナリズムの関係 それでは、 日本で捨てきれなかった古典的な管理統制はどういう形で残っているのか。 今の改革の中の延長上にあるのは愛国心が肥大した国家ではない。 改革の流れはあくまでも科学技術エリートに支えられた国家に向かっている。 新自由主義は自己責任を基本とする個人主義で、 社会を支えるのは一部のエリートだという前提にたつ。 したがって教育政策の課題は一部のエリートを育てることであり、 国民全般の水準を引き上げることではない。 しかしエリート優先で社会が回転するためには、 最低限足並みがそろうための国民の共通教養とか基礎学力以外に、 日本国民というくくり方が崩れないようにノンエリートをも束ねておこうとする (ナショナリズム) 必要がある。 新自由主義とナショナリズムは呉越同舟だが、 親和的でもある。 新自由主義は、 自らの路線のサポートになる限りにおいてナショナリズムを 「放置」 している。 従って、 愛国心教育は新自由主義の教育政策の中では本当はミニマムなものにすぎない。 日本は、 ある明確な国家観を共有することを構成員に要求する共和主義を前面に出している国ではない。 だからミニマムなものとしてしか国民に価値の共有を要求してこないはずである。 しかし、 ミニマムであるがゆえにすべてのところまで浸透させようとするため、 非常に抑圧的に政策が行われるのである。 もちろん日の丸・君が代問題には、 教員統制という側面もある。 しかし、 60年前の勤務評定の時代とは違って、 教員統制を最終目的としてやっているとは思えない。 新自由主義の考えからすれば、 学校教員の統制は目的ではなく、 改革を進めていくための必要条件にすぎないのである。 政治主導と専門性の否定 21世紀初頭には 「東京の全国化」 というかたちで改革が広がった。 今や改革の発信地は大阪に移りつつあるが、 東京から大阪へ焦点が移ったとか、 石原慎太郎氏と橋下徹氏のどちらがリーダーシップを取るのかとかが問題なのではない。 行政主導から政治主導へと変化しつつあることの政策的意味を考える必要がある。 1990年代末から始まった地方分権改革も、 行政内部からというより、 政治的圧力の中で行政が変えられるという性格が強かった。 しかし行政の問題は行政の組織と運用のあり方を変えることで解決しようという発想にたっていた。 今日の改革はあくまでも政治主導であることをおしだそうとする。 政治は意思決定で行政は執行、 という役割分担の説明は必ずしも間違っているわけではない。 だが今は、 行政に対する政治の優越性がむき出しに主張され、 同じ論理が政治と教育の関係でも語られている。 1990年代末の地方分権改革とここ 2 〜 3 年の地域主権改革には、 この点で大きな違いがある。 2012年夏に行われた中学校教科書採択で、 横浜市では歴史と公民の教科書について 4 対 2 で決まった。 ここで注目したいのは個々の教科書の是非ではない。 前市長が選んだ人が 4 名、 現市長が選んだ人が 2 名できれいに意見が分かれたという事実である。 これは、 教育委員をだれが選んだのかで教科書採択は決まることを意味しており、 図式的に言うならば、 教育委員選びの段階で昨年の教科書採択は決まっていたことになる。 任命制教育委員会制度において、 委員の人選ですべてが決まる状況になっているのである。 そして、 行政が行政として持っている専門技術性、 学校が学校として持っている専門性が評価されず、 むしろネガティブなものとして語られるようにさえなってきた。 政治主導派が専門性に対置するのが、 「民意」 という言葉である。 彼らは 「民主主義」 ではなく、 「民意」 という言葉を用い、 首長は選挙で選ばれた代表なのだから首長の意向を教育行政に反映させよ、 と主張する。 議会も同様である。 公選制では、 教育委員は住民から直接選ばれた代表ではない。 だから、 教育委員会事務局や任命制教育委員会制度における教育委員には直接民意が反映されているわけではないとしたうえで、 専門技術性と代表性を対置し、 正当性の審判をするよう住民に求めてくるのである。 専門性をネガティブなもの、 あるいは住民代表性や民主主義と相反するものと位置づけ、 「民意」 を掲げながら教育委員会や学校の専門性を否定する図式を、 政治主導派が意識的に主張するようになってきたら、 厄介なことになるであろう。 教師の専門職性論でどこまで 「民意」 論に対抗できるかというと、 現実的にも理論的にも厳しいだろう。 教職の裁量を専門職性だけで説明できる時代でもないし、 そもそもそういうものでもない。 「専門性か民意か」 の二項対立という図式の立て方自体、 他に選択する余地を与えない、 一種の誘導となっている。 だから、 この図式の恣意性をまずは認識する必要がある。 教育委員会廃止論にみる 「教育の政治化」 の問題点 1990年代に起こった教育委員会廃止論が、 また復活しつつある【7】。 石原前都知事は教育委員会を傀儡化していたが、 教育委員会そのものをつぶすという発想はなかった。 これに対して大阪では教育委員と橋下前知事が対立して教育委員会と首長が対決したことによって、 教育委員会廃止論がかつてとは違う意図の中から復活している【8】。 公務員バッシングや政治主導の声、 体罰事件の発覚などの中で、 現在、 教育委員会は非常に弱い状況にある。 だが、 文科省や教育委員会を廃止したら教育行政はもっと悪くなるだろう。 橋下徹氏は、 「政治的介入の何が悪い」 と主張する。 これは、 政治的介入をするにしても何らかの正当性を付与しようと苦慮してきた従来の議論とは異なっている。 1950年代以降、 約60年続いてきた、 「政治的中立」 という名の下の政治的介入を当然のものとする。 このような政治的介入が認められるかどうかではなく、 政治によって教育のあり方を決めるのが基本なのだと主張する。 政治的中立性をめぐる文部省と日教組の激しい対立は何だったのかと思わせられるくらい、 従来とは全く違う主張である。 これを 「教育の政治化」 と呼ぶことにしよう。 その際に問われるのは、 その政治の中身や首長自身のよしあしではない。 「政策の内容が悪いから良くない」 という言い方と、 「良くない人が言っている政策は悪いに決まっている」 という言い方をしばしば耳にする。 もちろんその可能性は否定できないが、 「悪い人が言っているのはみんな悪い」 という批判のしかたでよいのだろうか。 たとえば 「総合的な学習の時間」 についてはどう評価できるだろうか。 1970年代に日教組が出した総合学習と同じアイデアを、 文部科学省が 「総合的な学習の時間」 として言い出すと、 こぞって反対に回るのは、 自己否定の矛盾に陥ってしまうのではないだろうか。 誰が主張したのかによって賛否を決めるというのは問題がある。 与野党逆転は1990年代にも、 現在も起きている。 自由民主党という政治的基軸がズレることによって起きた構造改革の悲喜劇は、 教育政策の形成過程や方向性に大きな影響を与えた。 これらに一貫して言えるのは、 政治という領域は不安定であり、 政治によってコントロールされると、 教育が不安定になるということである。 「子ども中心」 は絶対的な切り札ではない さて今、 教師は誰のまなざしを気にしているのか。 同僚の目と保護者の目の気になり方が、 今回のアンケートにも表れている。 校長・生徒・保護者・同僚以外に考えられる相手は、 教育委員会と世論だろう。 教師にとって自分の行動のあり方を決定する重要なまなざしはどれで、 「重要な他者」 は誰か、 という問題である。 「子どもが大事だ」 という議論のまとめ方をよく聞く。 「子どもが大事だ」 というと、 その場にいる皆が同意して終えられるからだろう。 しかしそれでは議論をまとめたことにならないのではないか。 というのは、 「子どもが中心」 ということ自体は教育委員会も文部科学省も否定していないのであり、 「子どもが中心」 というまとめ方は、 改革の議論の対立点を覆い隠し、 安易な自己正当化を招いてしまう。 重要なのは、 子どもが中心であることを前提としつつ、 その子どもをどんな存在と位置づけているのかを把握することである。 New Public Managementでは、 保護者と子どもを顧客として位置づけ、 「子ども中心=顧客中心」 という立場をとる。 大阪万博の時の三波春夫さんの言葉を借りれば 「お客様は神様」 となるが、 このような民間企業の伝統的発想を公共部門にも適用しようというのである。 「教師と生徒」 ではなく、 「サービス提供者と顧客」 と言い換えると、 (両者の質的違いに目をつぶれば) 顧客中心主義は子ども中心主義だともいえるわけである。 だから 「子ども中心主義かどうか」 という議論の立て方ではそもそもかみ合わないのである。 もっとも、 現在の教育改革・公共部門改革が本当に顧客中心主義になっているかといえば、 民間部門の眼からは否定されるだろう。 民間流の顧客主義を目指すのが正しい教育改革の方向性だとは思わないが、 今の改革の進む方向性はそれとも異なっている。 学校不信と教育官僚制批判 学校不信が根強い。 選挙の時には便利なツールとして利用されている。 漠然とした学校不信がニアリーイコールで 「教職員に対する不信」 と化し、 保護者は 「自分で何とかしなければいけない」 という新自由主義の自己責任論にからめ捕られるだけでなく、 「やつら (教師) に任せておけない」 という言い方に収斂していく。 さらに、 「そもそも教師に学校教育を独占させていいのか」 という問いが投げかけられる。 つまり、 専門家による独占支配というように現状を評価し、 「独占させていてよいのか?」 「いや、 よくないよね」 と問いかけているのである。 これは、 専門職統制と民主主義の関係をどう考えるかという問いであり、 現在に始まった問いではない。 教育の専門家としての教師と保護者・子どもの関係だけでなく、 教育行政の専門家としての教育委員会事務局と住民の関係にもあてはまる。 戦後の旧教育委員会法では、 教育行政専門職 (教育長) による専門性に教育行政を委ねる一方で、 住民の教育要求が正しく反映されるよう、 公選制教育委員という民衆統制 (layman control) の制度原則を確立し、 チェックアンドバランスが機能することがめざされた。 その後、 1956年の地方教育行政の組織及び運営に関する法律によって教育委員任命制に移行し、 教育委員の住民代表性が希薄化した。 こうした法制改革とそれに伴う制度原理の転換とは別に、 実態として教育委員会も学校も官僚制に近くなっている側面は確かに否定できない。 しかし 「どれだけ官僚制化しているか」 とか 「問題は官僚制化に起因しているのか」 とかをつきつめることなく、 「官僚制に近くなっている組織で問題が発生しているから、 あれを何とかしなきゃいけない」 という短絡的な図式で、 教育行政や教育の基本原理を顧みることなく崩している【9】。 こうした教育官僚制批判は、 保護者や子どもは学校にどう関わることが想定しているのか。 それは、 「チェック&バランスをかけるために、 消費者あるいは顧客として学校をチェックする機能を果たしていただきたい」 というものである。 学校教育のよしあしは顧客満足度で測定され、 顧客満足度で測定されない部分はクレームというかたちで意見表明するという図式が想定されている。 それは、 保護者・子どもを外部として位置づけることであり、 当事者性ではなく外部性を付与することによって保護者・子どもを学校運営にかかわらせようという改革である。 教師の性格という点では専門性の否定というべき改革である。 「教師の」 専門職性の否定という側面もあるが、 むしろそもそも 「専門職性」 自体に対する信頼をなくす動きである。 まず専門職への全般的不信感をうえつけたうえで、 不祥事がおきると 「教師の」 資質能力を否定し、 教育行政機関と保護者による二重のチェックの必要性が説かれるという議論の図式がつくりあげられている。 消えぬ献身的教師像 それでは本当に教師は見捨てられているのかというと、 そんなことはない。 保護者も世論も教師自身も、 献身的教師像を手放していない。 教師聖職論は、 理論としては50年前にほぼ消滅している。 しかし 「あるべき姿」、 あるいは 「あるべき」 とまで語らなくても 「こうあってほしい」 という願望の中には、 献身的な教師像が根強く存在している。 何より教師自身が強く献身的教師像を抱いている。 いや、 とらわれているといってもよいのではないか。 現場で問われる問いの一つは、 上から降ってくる改革にどう向き合うのかだけではなく、 改革に左右されやすい職場環境の中で自分がどういう意識を持ち続けるか (あるいは組み替えていくか)、 だろう。 改革によって負担が増え続けて子どもと向き合うことが次第に困難になる中で、 従来どおりの教職像を維持しようとすることが、 教師や学校のあり方にひずみを生みだしているということはないだろうか。 子どもに対して献身的姿勢をもつことは教師として重要である。 だが、 子どもを教師が丸抱えすることが本当に子どものためになるのだろうか。 そういう問いが、 教師の中から出てこないと、 疑似的聖職論としての献身的教師像から解放されないのではないだろうか。 目標管理がもつ誘惑 7 〜 8 年前から、 各地の都道府県教育委員会で組織マネジメントが語られるようになってきた。 組織マネジメントとは民間企業の経営組織論の考え方であるが、 民間企業では、 フレキシビリティを損なわない組織マネジメントが大前提である。 ところが公共部門では、 「組織マネジメントとはこういう考え方らしいから、 こうやらねばいけない」 と恐ろしく硬直的に取り入れている。 古典的な組織管理の手法を残しつつ、 違う形が入ってくる結果、 民間部門とも従来の公共部門とも異なるかたちになっている。 そこで生み出されているのは、 東浩紀氏の表現を借りるならば環境管理型権力の作動である【10】。 トップダウン的な権力行使だけではなく、 環境を変えることで逸脱を許さない管理のかたちである。 これは職務命令をおしつけるよりはるかに効率的な管理の仕方といえるだろう。 学校現場でその最たるものは多忙化である。 「会議で発言すると、 同僚の勤務時間をとってしまって顰蹙をかう。 だいたい自分も忙しいから、 いちいち考えたいとも思わない」 という状況下で、 発言を自粛し、 考えることもしなくなる。 これが飼いならされていく道のりである。 規律訓練型権力はトップダウンで来るから目に付く。 しかし環境管理型権力は、 その意図をむき出しにして行使されるわけではないので気づきにくい。 自己管理自体は悪いことではない。 過重負担による精神性疾患を回避するには、 状況をある程度受け流すことで対応することも必要であろう。 最も注意が必要なのは、 「もう流されちゃっていいや」 という諦念・割り切りタイプではなく、 「デモシカ教員になってはいけない、 教育者として何らかの形でやりがいと意義を感じ続けていたい」 という良心タイプである。 これは、 ある意味では教育者として自然な願望であり、 手放してはいけない姿勢でもある。 しかし、 子どもと向き合う時間が減らされ、 子どもからいきがいを調達するのは難しい中でPDCAサイクルと自己申告型の目標管理は、 達成感を自ら調達できるツールとして立ち現れる。 だから多忙化に流されずに教師としてのプライドを手放すまいと抗う人ほど、 この誘惑にはそそのかされやすくなる。 組織マネジメントのカラクリ そんな中で、 教職員集団からは横のつながりが消え、 校長と一人一人の教員が書面を通じて 1 対 1 でつながる関係になっている。 大学の授業では、 受講票を学生に配り、 「質問や授業の感想あったら書いてください」 とする教員が多い。 学生は平常点の獲得も期待しつつ、 自分が考えたことを書く。 その内容は、 学生の理解度や考え方をはかるうえで教員にとって参考になるし、 学生も頭を働かせる機会として意義がある。 しかし、 これは、 受講票の提出を通じた、 教員と個々の学生との 1 対 1 の関係である。 次の授業で代表的なコメントを紹介する教員もいるが、 基本的にはコメントを書いた学生と授業担当教員だけでしか内容が共有されないからである。 学校の教職員集団のつながり方も、 今これに近い状態になっているのではないか。 組織マネジメントにおける 「学校の裁量権の拡大」 という眼目で、 学校内の意思決定権は学校管理職に集中している。 しかし、 教育委員会との関係では、 校長が裁量権を発揮できる余地はほとんどなく、 (職業差別的な表現だと言われたこともあるが) フランチャイズのコンビニ店長以下の裁量しかもたされていないのである。 上層部から評価され管理される一方で、 裁量のないまま部下を管理することが求められる中間管理職は、 民間企業でも最も管理的になるといわれてきた。 かつて1950年代に勤務評定が導入されたとき、 校長は教職員組合からの脱退を余儀なくされ、 「評価する―される」 関係における評価者、 教育政策の実行者として一般教職員から離脱することが求められた。 今日の組織マネジメントは、 その時よりもソフトなかたちで、 しかしおそらくは強力に、 教職員組織に管理を浸透させるものといえるだろう。 若い世代の感覚との向き合い方 こうした教育改革をみなで議論していくうえで必要なことは何か。 「国家権力vs反権力の運動」 という伝統的な図式は、 55年体制の終焉や、 分裂後の日教組が文部省と協調路線を歩むようになった時点で崩れた【11】。 1990年代初めのことである。 それ以前の状況に再び戻れるかというとおそらく不可能だし、 戻る必要もない。 教員の世代交代が高校でも始まっている。 小学校ではすでに劇的に世代が変わってきている。 世代による感覚の違いをまずはおさえておきたい。 人事評価に関するいくつかの調査結果を見てみると、 若手の高校教員は成果主義に対し、 比較的親和的である。 性別傾向まではわからないが、 若手であることと 「高校」 教員という立場が重なると、 成果主義の導入を肯定する比率が高くなる傾向にある。 今回実施・集約されたアンケート結果にも表れているが、 「仕事の負担が不釣合いである」 「若手はコンピューター関連その他の業務をやらされ、 部活動の顧問もやらされているのに給料は安い」 という不満を持っている。 民間企業で日本的経営がゆらいでいるだけでなく、 教育公務員である公立学校教員でも早期退職が増えている。 若い世代は、 終身雇用が大前提という発想になっていないので、 「今は賃金が低く抑制されているけれども、 定年まであるから生涯賃金ではトントンだ」 とか、 「こうした役割分担の偏りは誰もが経験する道だから、 自分だけが損しているわけではない」 と考えないのである。 だから、 「私はこんなに仕事ができるし、 実際こなしているのに、 こんなに虐げられている」 という感覚が若手教員の中に生まれるのはある種の必然ともいえる。 こうした不満は、 終身雇用を前提とした日本的経営が浸透していた時代には、 なかなか表面化しにくかったものではないだろうか。 古市憲寿氏の現代若者論をそのまま支持するわけではないが、 今の若い世代は不満と不安だらけで生きているわけではない 。 少なくとも教員は定職を得ているので、 若手教員は一定の社会的位置を得られた安定的なポジションにある。 将来の展望が見えているわけではないので不安はあるが、 だからと言って何か動こうというほどの不満があるわけではない、 という古市氏の状況把握は若手教員にはよくあてはまる。 世代を超えた対話をするためには、 若い世代はそんな感覚であるという現実をまず認識する必要がある。 おまけに、 若い世代はかつての学校現場や教育行政の状況を知っているわけではない。 知っているとしてもそれは 「○○年史」 の中に書き込まれた、 過去の一つの情報にすぎず、 自分のことだという感覚になるのは難しい。 だから、 先輩世代の教師から 「神奈川県はだいぶ変わったんだよ」 と言われたところで、 「変わってしまった」 という言葉を実感をもって受けとめることは困難である。 若い世代に何をどうやって伝えていくべきなのか。 今ある現実の学校現場と教育政策に対する認識を共有するところから始めていくことが大切なのではないか。 (この原稿は、 2012年11月17日に神奈川県高等学校教育会館で行った同名の講演記録に加筆修正したものである。) 注 【1】 The Comptroller General of United States, Standards for Audit of Governmental Organization, Programs, Activities and Functions, 1981, p.3. 【2】 碓氷悟史 『アカウンタビリティ入門』 中央経済社、 2001年、 p.4. 【3】 拙稿 「内閣における文部行政の位置」 『教育』 第755号、 国土社、 2008年12月、 13〜20頁。 【4】 John W. Pratt and Richard J. Zeckhauser eds., Principals and agents : the structure of business, Harvard Business School Press, 1985. 【5】 宗像誠也 「学校経営近代化論批判」 『宗像誠也教育学著作集 第4巻』 青木書店、 1975年、 pp.218〜264 (初出は、 1965〜66年)。 【6】 イギリスのNPM行政改革については、 竹下譲・横田光雄・稲沢克祐・松井真理子 『イギリスの政治行政システム』 ぎょうせい、 2002年、 内貴滋 『英国行政大改革と日本』 ぎょうせい、 2009年、 を参照。 【7】 1990年代の地方分権改革と教育委員会制度廃止論については、 日本教育行政学会研究推進委員会編 『地方政治と教育行財政改革』 福村出版、 2012年、 を参照。 【8】 東京と大阪の改革の対比については、 拙稿 「大阪の改革はわれわれに何を考えさせようとしているのか」 中田康彦・佐貫浩・佐藤広美編 『大阪 「教育改革」 が問う教育と民主主義』 かもがわ出版、 2012年、 pp.2〜9、 を参照。 【9】 アメリカを対象としているが、 民衆統制という教育委員会の基本原理を明確に論じているものとして、 坪井由実 『アメリカ都市教育委員会制度の改革』 勁草書房、 1998年、 教育官僚制の概念を論じているものとして、 松原信継 『アメリカにおける教育官僚制の発展と克服に関する研究』 風間書房、 2012年、 を参照。 【10】 東浩紀・大澤真幸 『自由を考える―9・11以降の現代思想』 NHK出版、 2003年。 【11】 55年体制下の教育政策過程については、 レオナード・J・ショッパ 『日本の教育政策過程』 三省堂、 2005年、 を参照。 【12】 古市憲寿 『絶望の国の幸福な若者たち』 講談社、 2011年。 |
(なかた やすひこ 一橋大学) |
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