●特集● 教育討論集会に参加して
教師の仕事と教師の専門性を考える
曽田 裕介
 
 はじめに、 今回、 教育討論会に参加させていただき、 非常に感謝しています。 教師というのは 「 1 」 教えるためには 「10」 学ばなくてはならない、 という大学時代の教授の言葉を思い出した。 教育討論会は、 意見交換以上に、 自身の学びの場として、 また自分がどのような状況にあるのか、 自分の考えがどのような位置にあるのかを確認する意味でも、 非常に充実した時間であった。 学びという意味では、 中田康彦先生の講演は、 非常に興味深いものであったし、 現場の中にいる私自身には感じ取れなかった部分を見せられたような気がした。 現場にいるだけでは学び取れない、 大事な視点を与えてもらったように思う。 質疑討論では、 神奈川の教育の現状から、 今の教育現場の状況・課題まで、 多岐にわたって意見の交換がなされた。 どの話も尽きることなく、 今の教育が抱えている問題の大きさを感じたが、 その中でも、 私自身が意見し、 今一番敏感に感じ取っている教師の仕事と教師の専門性、 この 2 点について、 考えや意見を述べたいと思う。

1. 教師の仕事
 教師の仕事の筆頭は教科指導である。 教材研究をし、 いかに生徒に分かりやすく教えられるかということが大切になると思う。 そのほかにも、 担任であればクラス経営、 分掌の仕事、 部活動などがある。 しかし、 これらは決してバランスがとれているわけではないと思う。 課題集中校と呼ばれるような学校では、 当然生徒指導への比重は大きくなる分、 教科指導にかけられる時間は減少する。 となると、 優先順位の低いものは順を追って減っていってしまう。 部活動の指導は、 そのあおりを真っ先に受けるものではないだろうか。 実際に、 私自身もそれを感じ取りながら仕事をしている。 またクラス経営では、 進路指導となると、 進学だけならまだしも、 就職指導も絡むとそれだけでも担任にかかる負担は大きくなる。 教師の仕事といっても、 文字で並べることはできても、 その比重や負担は決して平等ではないと感じている。 また、 教育へのニーズも広がり仕事が多様化している中で、 今まで教師が担ってきた仕事が、 外部資源を活用することで変化してきた部分もある。 青年期の問題解決のため、 スクールカウンセラーやNPOなどを活用することで、 学校や教師だけではフォローしきれない部分をカバーしてきていることも事実としてある。 つまりは、 さまざまな課題を丸抱えしてきた教師が部分部分において、 その仕事を手放しているということになる。 仕事の専門性への限界が見えてきた瞬間ではないだろうか。

2. 教師の専門性
 教師の専門性は、 先にも述べたが、 やはり最初に来るのは教科であろう。 その教科の専門家として、 さまざまな知識や経験を蓄えている。 また、 生徒指導の専門家でもあり、 この2本柱は教師にとっての重要な要素となっているはずだと思う。 しかし、 その生徒指導が、 近年では変化してきている。 反社会的な視点から非社会的な視点へと移行してきている気がする。 現に、 暴力的な生徒指導件数より人間関係やネットの書き込みなどからくる生徒指導件数の方が増えてきたことは現場でも感じている。 このような新たな問題への対応として、 今までのような指導という視点でなく、 支援という視点に立った専門性が求められてきているのではないだろうか。 その結果、 スクールカウンセラーをはじめ、 教育相談コーディネーターなど、 心のケアや支援をする体制が年々整ってきているように思う。 また、 進路決定のため、 田奈高校では、 有給の職業体験プログラムであるバイターンを始めるなど、 新しい取り組みも行っている。 ( 『ねざす』 48号を参照) しかし、 これらは教師の専門性というよりは、 外部の専門家に自身ではまかないきれない部分を委託する形で学校全体としての専門性を維持している。 裏を返せば、 教師としてではない分野における専門性もまた、 教師には求められてきている現状なのではないだろうか。
 
 終わりに、 神奈川では、 現在50代の教師が56%を占めている。 つまりは、 ここ10年で半分の教師が入れ替わることになる。 もちろん、 再任用、 非常勤となれば話は別だが、 これは大きな問題であると誰もが感じていると思う。 30代40代が少ない中、 急激に増えた20代の教師にかかる仕事と責任は非常に大きく、 分からない、 出来ないでは済まされない時代がやってくる。 ここ10年の過ごし方が神奈川の教育を変える、 そういっても言い過ぎではないと思う。 そのためにも、 今を大切にし、 日々の多忙に流されないよう様々な場面で準備が必要になってくる。 日々の立ち話(オンザフライミーティングとでも言おうか)や外での付き合い、 学校の枠を越え、 このような討論会に参加することなどで意見と心の共有をはかることができる。 1 人では何事にも限界がある。 さまざまな問題や逆風に一丸となって立ち向かうことが今求められるのではないだろうか。 私はそのように感じているし、 そうでなければならないと思う。

 (そた ゆうすけ 神奈川県立田奈高等学校)
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