寄稿 |
運動部活動の憂鬱
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牧野 紀子 |
私と部活動 私は中学生になった時から今日までなんと48年も部活動に関わってきた。 中学に入れば当然部活に入る。 それも運動部。 自分で選択した誇らしさのようなものがそこにはあった。 その頃は今より学校がずっと自由で、 部活動も、 そこそこ、 いい加減だった。 高校に入ると部活動はより存在感を増し、 全国の大会につながる広い世界が見えてきた。 大学の運動部も経験した。 教員になれば当然のこととして部活動が付いてくる。 研究室の教授には 「体育の教師になるのであって部活の指導者になるな」 といわれた。 現場では先輩教師に 「授業だけで給料をもらっていると思うな」 ともいわれた。 部活動で育てられたものとしては悩ましい状況だった。 多くの教員にとって部活動は極めて負担感のあるものである。 以前のように、 生徒の活動を後方で支援し見守っていればよかった頃は、 教科以外での生徒との繋がりはそれなりに、 楽しいものであったが、 土日・放課後の立会い義務・試合の引率、 怪我の対応、 外部団体との関連、 その上自立できない生徒・部活動それらと関わる事はこの雑事多忙な状況では結構面倒くさくなっているのが現状である。 部活動は変わったか? 48年の間に教育の状況は教育の根幹である教育基本法が改訂されることに象徴されるように様々な変化があった。 時代の受け皿としての教育は社会の変化をまともに受けてきた。 その中で部活動の諸問題も顕在化し、 その問題を解決すべく、 1995年、 神奈川県教育委員会は 「運動部活動考」 を発表し、 1997年、 神奈川県高等学校教職員組合は 「部活動の未来を探る」 へとつなげた。 私は 「運動部活動考」・「部活動の未来を探る」 のどちらの議論にも参加したが、 私の最初の発言は 「この問題は、 いくら話し合っても解決するような性質のものではない。」 というものであり、 その委員会に講師で来た、 故中村敏雄氏も同じ発言をした事を覚えている。 要するに、 運動部活に関しては、 「運動部活動考」 が出される前から極めて多くの問題を抱え、 「運動部活動考」 等が出て、 様々な議論がなされ、 戦略プロジェクトも展開されてきたが部活を覆う雰囲気を決定的に変える事はできなかったし、 「話し合いましょう」、 「がんばりましょう、 指導方法に気をつけましょう」 といった類の方法では部活動の問題を解決することは極めて難しかったということだったのである。 体罰・・・大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将自殺問題 部活動の中で起こったこの事件は続いて明らかになった女子柔道暴力の問題と共に学校、 スポーツ界におおきな衝撃を与えた。 体罰が日本の教育の中に持ち込まれたのは、 明治以降近代教育が欧米から導入され、 軍事訓練が学校教育に組み込まれてからの事といわれている。 それも戦後民主教育への転換・教育の戦争協力への深い反省の中で払拭されてきたはずである。 事実、 戦後の教科体育は 「楽しい体育」 をめざし 「出来る事」 より 「楽しく行う事」 にその目標をシフトさせ、 種目の選択を生徒に任せて自分たちが生涯楽しめるスポーツを獲得していくものとなってきた。 体育の授業の中で全く体罰がないとは言い切れないが、 教科体育の教育目標と体罰はきわめて違和感のある存在となった。 しかし、 今回の桜宮高校の事件とその後次々に発覚した一連の体罰・暴力事件は、 体罰が部活動の中で日常のように行われ、 しかも一言で 『ダメ』 と言えない複雑な雰囲気をいまだに持ち続けていることを明らかにした。 一見教育的組織として存在しているかのように見える部活動は 「みんなでスポーツを楽しむ」 場所ではなく、 顧問という名の指導者の私的空間であり、 勝利という目標に向かって 「指導するもの」 と 「指導されるもの」 の非対称の中で暴力が正当化されてきた活動なのである。 桜宮高校の事件はこの半世紀、 部活について多くの議論がなされ、 改善が試みられても、 基本的な状況・問題は変わっていないことを如実に表していると思う。 部活動は社会体育に移行すればいいのか もしくは移行する事が可能か 部活動の問題点の指摘と同時に社会体育への移行もずっと言い続けられてきた。 その間にスポーツは社会におけるその存在価値や意義を大きく変え、 文化・社会・経済 (場合によっては政治) それぞれの分野で確固たる地位を築いてしまった。 スポーツ振興法からスポーツ基本法へ、 「国民の皆さんスポーツをしましょうね」 という政策から 「スポーツは国民の権利である」 と言わしめるところまで変わったのである。 その内容が基本的にはオリンピックでメダルを取る事に偏っているといわれても法律ができたことはスポーツの在りようにとっては極めて大きな事である。 このようにスポーツが国民の権利として社会に認められ、 存在意義を確固たるものとした中で、 全国に総合型スポーツクラブを作るという政策とあいまって、 可能であるなら部活動が社会体育に移行してもいい頃なのである。 しかし、 全くといっていい程その兆しは見られない。 運動部活動は政策として学校現場に作られたものではない。 自然発生的に学校の中で成立し、 社会に定着してしまった。 色々な規則や制度も基本的には後付けである。 しかも、 構想もモデルもなくできてしまった部活動は、 チャンピオンシップも青少年の健全育成も、 学校の宣伝や生徒・保護者・卒業生のアイデンティティーなどをも背負い込んで存在する。 このように生徒や教師の熱意の中に複雑にから見合って出来上がってしまったものをそう簡単に他のシステムに移行することは難しい。 しかもその運営費はほとんど教師のボランティアで成り立ち、 その成果に見合う支出を全くといっていい程伴っていないのである。 文部科学省も各教育委員会もその熱意とお金に見合うだけのものを用意する事ができないのである。 改めて運動部活動の意義を考える ねざす50号 「特集:運動部活動」 の 『運動部活動の国際比較』 にも書かれているように 「青少年のスポーツの中心が学校運動部にあり、 かつ、 その規模が大きい日本は、 国際的に珍しい国」 なのである。 それ故、 諸外国からも注目され、 韓国や中国の研究者がずいぶん日本の運動部活動についての視察を行い、 自国に適用できないかを研究してきた。 日本のスポーツ施設の大半を占めるのは学校体育施設である。 学校には、 わざわざリクルートしなくても運動をしたい青少年が集まってくる。 しかも学校の外には運動する場所がない。 また、 日本では欧米などで見られるスポーツ種目の階層的偏りが少ない。 サッカーは労働者のスポーツでテニスやゴルフは上流階級のスポーツなどという区分がないのである。 多くの場合中学校に入学するとその学校にある部活動には誰でも入部する事ができる。 お金持ちではなくても誰でもスポーツをする事ができるしくみを学校部活動は持っている。 (吹奏楽部なども同じような機能を持っている)。 だとすれば運動部活動を社会に移行するのではなく、 日本独自の珍しい運動部活動のスタイルを大事にした方が得策なのではないか。 それが、 「部活動の未来を探る」 で提案した 『学校スポーツクラブ構想』 なのである。 学校の中に 『クラブ』 を作るのである。 クラブとしてのマネージメントがシステム的に行われ、 「コーチ」 と 「メンバー」 が対称に存在し、 豊かなスポーツを展開できる場である。 もちろんお金も人もかけなければできない。 部活動の外部委託 杉並区の動き 夜の授業を進学塾と契約して有料で 「夜スペシャル」 として展開している杉並の和田中学では 「部活イノベーション」 として、 休日の部活の指導を、 保護者が企業と直接派遣契約を結び指導者を派遣してもらい、 一人当たり500円の生徒負担で顧問なしでも土日に練習ができるようにした。 家庭への負担を考えて委託は 2 回までに限定している。 また、 杉並区の教育委員会は体罰防止策として、 「学校運動部の指導が特定の教員に一任され閉鎖的雰囲気になると体罰がおきやすくなる」 という理由で民間の指導者を部活動に派遣するという取り組みを始めた。 昨今の状況の中で杉並区は外部委託という方策を出してきた。 切実な顧問不足と体罰というトレンディーな問題に対処するためである。 実際に 「動いた」 という事では評価できるが、 慎重に検討しないと青少年のスポーツがどこに行ってしまうのか不安である。 前者は受益者負担が原則である。 指導者は業者から送られてくる。 一回の指導料、 一人500円では収支としては見合わないといっている。 本当に貧しいスポーツ環境である。 これから社会を担う青少年のスポーツ政策がこれでいいのだろうか。 桜宮高校の教職員を全て入れ替えても、 業者にお金を払ってもこの問題はそう簡単には片付かない。 東京オリンピックの誘致にかけるお金とその開催費用を青少年のスポーツシステムの開発とその運用に回せば東京都の青少年スポーツの将来は・・・・・・・・。 そのくらい、 あるいはそれ以上のビジョンを持って望まなければ、 これからも部活動は生徒にとっても教職員にとっても永遠の憂鬱となる事だろう。 |
(まきの のりこ 元県立高校教員) |
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