検証

「高校改革推進計画」・補遺
通信制高校の座標点

手島  純
            
はじめに
 本稿では、 教育研究所のなかで長く時間をとって議論してまとめた検証 「高校改革推進計画」 (以下 「検証」 とする) における補遺として、 通信制高校についての論考を行う。 加えて、 2011年11月に行われた当研究所主催の教育討論会 「通信制高校は今」 及び 『ねざす』 誌上における通信制高校に関する報告・論文を踏まえ、 現地点における通信制高校の座標点を明らかにしたい。 それは今後の通信制高校のあり方のみならず、 高校教育改革の行方を考える際の参考にもなると思われるからだ。

高校改革と通信制高校
  「高校改革推進計画」 では、 通信制高校の意義が、 高校教育改革の推進要素であるとの認識を基に語られることはなかった。 改革の一分野に過ぎなかった。 しかし、 「検証」 においては、 以下のようなことが指摘されている【1】。
  • 「課題集中校」 はそれまで当たり前だと思われていた日常に疑問を投げかけた。 その日常とは、 生徒は毎日学校に通って授業を受け、 一方学校は校則を設定し、 カリキュラムにそって指導を行う、 といったことである。 この疑問は、 脱学校論的な疑問であった。
  • 1990年代に入ると社会構造は大きく変化し、 学校もこれまでと同じやり方ではうまくいかなくなってきた。 構造変動は、 生徒を取り巻く環境に及び、 意識の変化も促した。
  • 学校に居ることや学ぶことの意味が明確でなくなり、 学校は存在意義を含めて問われることになった。

 これらの指摘は、 「課題集中校」 の現実とそれに応じた教育実践から絞り出された知見である。 「課題集中校」 問題は教育改革の重要事項であった。 一方、 「課題集中校」 から生み出される高校中退者を結果的に通信制高校が受け入れざるをえないというなかで、 通信制の存在が浮かび上がり、 通信制側の発言も強まった。 通信制高校に勤務する者や関係者で作成した冊子 『先生 教えないで 私 学びたいの』 (通信制高校問題検討会議) は、 そのタイトルからも分かるように、 「脱学校」 という考え方を推進した。
 脱近代化に向かう社会やその制度に対して、 近代主義を頑に守り続けようとする学校とのズレが生み出すのが教育問題であると私は思う。 学校のシステムを脱近代的な教育システムに改変すべきで、 その例として通信制高校はひとつのモデルになると考える。 教育改革に関しては、 集団から個に視点を変え、 学校システムのフレキシブル化を構想したものであるようなので、 私は基本的に賛成であった。

中退問題
 1980年代、 課題集中校を中心として高校中退者が増え、 彼ら彼女らは通信制高校へ転編入するようになった。 一方、 「いつでも」 「どこでも」 「だれでも」 を標榜する通信制高校は、 その受け入れに基本的には同意し、 実際に多くの高校中退者が通信制高校に入学した。 この現実を踏まえ、 通信制高校側は、 中退者を大量に出さないようにはならないのかという視点で、 高校全般のフレキシブル化を求めた。 1 単位落としても進級・卒業できなかったり、 さまざまな事情で不登校になったりする生徒を、 学年制中心の全日制の仕組みではどうにもできないなら、 その仕組みを問題にするべきだという視点である。 それは通信制の仕組みが、 全日制とかなり違うということがある。 実際、 両者の仕組みの違いは一高校、 一教師にとっては遺憾ともしがたい問題なのだが、 もっと柔軟に単位や校則を考えて見たらどうかということであった。 管理的な校則も見直すべきだという提案も 「校門圧死事件」 の反省から生まれてきた。 しかし、 この時点で中退問題が社会的格差の問題として語られることは、 今日ほど人口に膾炙していなかったことは付け加えておきたい。
 神奈川県教育委員会は、 1997年 「県立高校将来構想検討協議会」 を設置し、 答申 「これからの県立高校のありかたについて」 で、 次のような提案をした。

 多様で柔軟な高校教育の展開を行い、 個が生きる高校教育を実現する。 そのため、 単位制普通科や総合学科、 新たな専門学科等、 特色ある学校を作るとともに全体として柔軟なシステムを実現する。

 ここに描かれた高校のビジョンは、 通信制高校の問題提起に沿った形での答申であるともいえる。 冒頭の検証(1)〜(3)にも呼応する。 この後、 全日制高校の改革が進むが、 現実的には高校のフレキシブル化だけではなく、 学校運営に関するさまざまな規則や慣習が管理的になっていく過程と歩を合わせて始まったゆえに、 結果的には混沌としてしまった。 高校をフレキシブル化しようという試みが、 まったくフレキシブルな発想を持たない管理職やその周辺によって押し進められてしまうという 「悲劇」 も生じつつ、 形骸化した高校改革が押し進められていった側面もあった。

通信制高校自身の改革
 通信制自身に関しては、 「高校改革推進計画」 のなかで、 「(1)多様な選択科目の開設、 (2)修業年限の弾力化、 (3)諸制度の活用 (実務代替・大検 [高校認定試験] ・技能連携・単位制の活用) ということが提起された。
 こうしたことをうけて、 通信制単独校の横浜修悠館高校が登場した。 この通信制高校は斬新で期待も大きかった。 しかし、 横浜修悠館高校は当初、 通信制だということをはっきり表明しなかったため、 入学者に混乱を生じさせ、 多い募集定員、 私立高校と公立高校の入学定員の取り決めのなかで、 全日制高校に行きたくても行けない生徒の進学先になってしまった。 通信制高校というコンセプトによる魅力的な学校というより、 「最重要の役割はさまざまな課題を抱えるさまざまな生徒たちのセーフティネットになることとなった」【2】。
 しかし、 通信制の仕組みに精通する教員たちの努力で、 現在は徐々に通信制高校としての機能を活用した高校へと舵取りがなされている。

サポート校と株式会社立通信制高校
 前述の教育討論会 「通信制高校は今」 のなかで、 第一学院 (旧第一高等学院) 横浜校校長の川島光貴氏は、 公立通信制高校の卒業率の低さに対して、 「100人いれば100通りの時間割があるという形になる。 ・・・・生徒はほとんどが3年間で卒業している」【3】と言う。 教育内容は別にしても、 この差は大きい。 川島氏の発言は公立通信制高校の問題点を突いている。 私もかつて通信制高校の体験をもとに公立高校の問題点を次の4点に絞って提起した【4】。
  1. きめ細かいサポートができていない。
  2. 新しい生徒群 (勤労青少年という枠組みではない生徒たち) への対応が不十分である。
  3. 教育方法が固定し、 生徒の実態にあっていない (レポート作成のための教科書中心主義から脱していない)。
  4. 卒業率が低い。
 この公立通信制高校の限界をサポート校・私 立の通 信 制 高 校・株 式 会 社 立 通 信 制 高 校【5】が乗りこえようとし、 生徒集めの核にした。 しかし、 学校によっては授業料が高く、 インフラが出来ていないものもあるので、 一律の評価はするべきではないだろう。 今後の調査・研究が必要である。
 一方、 多くの公立高校の教員はこうした通信制高校を基本的に評価しない。 お金で単位を買うといのは問題だろうというのである。 確かにそうした部分はあるが、 そう主張するだけでは、 実は多くの課題・取り組みを捨象していることになると私は考える。

通信制の座標点
  「ゆとり教育」 から 「確かな学力」 へと向きを変えた教育政策は、 その両者の要素を混在させたまま、 学校管理の強化、 ゼロ・トレランス運動なども孕みながら、 五里霧中の状態である。
 教育改革時に思いつきのように打ち出された 「改革」 のいくつかは、 時の流れの中で修正されつつある。 何も改革しないことが、 「特色」 であるというアイロニーも笑えない現実になっている。
 通信制高校は歴史的に見て、 「その時々の社会情勢を反映したものである」【6】ということが明らかである。 高度成長期は技能連携生が増え、 全日制の中退者が多いときは転編入が増え、 不登校者が増えると通信制の入学者も増えるということである。 神奈川県では全日制高校への入学率の低さの影響を受けて、 横浜修悠館高校へ入学者が押し寄せてきたが、 最近はやや減少しつつある。
 通信制は旧来からのレポートと面接指導というシステムに代わって、 新しいメディアや教育方法を駆使してさらにフレキシブルな学校になることが求められている。 それに加えて、 「いかに進路に繋げるか」【7】という問題もある。 これは公私立共通の問題であり、 今後の課題である。
 通信制高校はフットワークをさらに軽くして、 小回りしながら 「実験」 を重ねいくべきだ。 横浜修悠館高校や株式会社立通信制高校も含めたさまざまな通信制高校はまだまだ未知数だが、 脱近代化へ向けた学校システムの取り組みとして注視していこうと私は思う。



【1】 『ねざす47』 p.47
【2】井上泰宏 「横浜修悠館高校は今」 『ねざす49』  p.11
【3】引用は発言をまとめた川島光貴 「通信制サポート校からの報告」 『ねざす49』 pp.15-16による。
【4】拙稿 「通信制の現状と課題」 『ねざす49』 p.29
【5】株式会社立高校は、 2002年、 小泉内閣の際の構造改革特別区域法よって成立し、 そのすべてが現在は通信制高校である。
【6】拙稿 「通信制の現状と課題」 『ねざす49』 p.29
【7】樋口明彦 「通信制高校における受容と滞留のジレンマ」 『ねざす49』 p.19
 (てしま じゅん 教育研究所員)
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