映画に観る教育と社会[19]

偽りなき者

 
手島 純
エル・グレコ
 満開の桜に吸い込まれた人々の混雑を横目に、 上野の東京都美術館に向かった。 エル・グレコ展を鑑賞するためである。 昨年スペインに行ったとき、 エル・グレコが創作活動を行った世界遺産の城壁都市トレドを訪れたが、 クリスマスのため美術館も閉館、 トレドでエル・グレコを堪能できなった腹いせを上野で晴らした。
 彼の絵は、 神への信仰と人間の尊厳へのまなざしに溢れていた。 「無原罪のお宿り」 は聖母マリアへの純真な賛美と信仰に溢れ、 肖像画群は観る者を逆に見て、 我々の存在のまた確かなことを認めているようである。
 エル・グレコの絵画は信仰の力と信仰する人々の尊厳が力強く描かれていて、 敬虔な気持ちになる。 しかし、 彼が生きていた時代にも存在した 「魔女狩り」 にも見られるように、 人の存在の矜持と尊厳が蔑ろにされたらどうなるのか。 渋谷 「ル・シネマ」 で上映されていたトマス・ヴァインターベア監督作品 「偽りなき者」 はそのことを突きつける。

偽りなき者
  「偽りなき者」 の主人公ルーカス (マッツ・ミケルセン) が教師であるという設定ゆえに、 私はこの映画を観ることにした。 教師・学校をキーワードにもつ映画はできたら観ておきたいからだ。 しかし、 この映画は、 教師というより人間の矜持と尊厳とは何かということを炙りだした映画であった。
 中年男のルーカスは学校の教師をしていたが、 学校が閉鎖されてしまったために幼稚園で働くことになる。 幼稚園に通うクララ (アニカ・ヴィタコブ) という女児が心優しいルーカスを気に入るが、 その感情は歪んだ形で表出する。 クララの家庭は小さな諍いが続き、 彼女はいつもひとりぼっちだが、 ルーカスは相手をしてくれる。 そんなルーカスにクララはハート形のプレゼントを渡したり、 唇にキスをしたりしてしまう。 ルーカスはそれを嗜め、 注意する。 幼いクララは、 さらに気を引くためか 「ルーカスがおちんちんを見せた」 とウソを言う。 この小さなウソの内容は大人社会にとっては大変なことである。 しかし、 「幼い子がウソを言うはずはない」 という幼稚園の責任者や周囲の者は、 ルーカスを咎める。 クララの言葉が一人歩きをはじめると、 それはもう手がつけられなくなってしまった。 素朴にキリスト教が支配する田舎の共同体は異端を認めない。 真実は偏見のなかに埋没してしまった。
 ルーカスがいくら弁明しても受け入れられず、 彼の激しい抗議は、 何倍もの蔑みや反発になって返ってくる。 飼い犬は何者かに殺され、 家の窓ガラスは投石で割られてしまう。 スーパーに買い物に行っても売ってはくれない。 ルーカスはまさに魔女狩りの対象になってしまった。 かつてあれほど仲の良かった仲間も同様である。 しかし、 ルーカスはけっしてその村から逃げることなく、 無実を叫び続け、 自らの尊厳を守ろうとする。 ルーカスを演じるマッツ・ミケルセンの孤独で矜持を保とうとする演技は圧巻であった。
 どのようにルーカスが無実を主張しても、 周囲は彼を変質者としか見なくなってしまっていた。 あるクリスマスの夜、 自らの潔白を神の前で証明するかのごとく教会に出向くが、 そこに集う近隣の住民たちの囁きとまなざしは、 ルーカスから平常心を奪い去る。 彼は教会からも投げ出されるのだ。
 ルーカスには別れた妻との間にマルクス (ラセ・フォーゲルストラム) という名の子どもがいる。 そのマルクスもこの事件が起きてからは、 「変質者の息子」 として辛酸をなめる。 マルクスは父を守ろうとするが、 彼もまた尊厳を奪われ、 絶望的な立場にしばしば立つことになった。  
 その後、 クララは、 実はルーカスは何もしていないと彼女の父に真実を告げた。
 時が流れ、 ルーカスはかつての信頼を取り戻したようだった。
 鹿狩りが大人としての証である共同体のなかで、 ルーカスの子マルクスも猟銃を手にすることのできる年齢に達した。 マルクスが大人になる通過儀礼として猟銃が渡され、 はじめての狩りにでる。 獲物は鹿である。 はじめての狩りに森の中へと繰り出す。
 一方、 ルーカスも森の中を彷徨っていた。 その時、 銃声が鳴り響いた。 なんと、 ルーカスを狙った一撃である。 あわや命を取り留めたルーカス。 しかし、 一体誰が…。
 映画の銃声で、 映画館の観客の女性が悲鳴をあげた。 それほどに銃声は唐突で衝撃的な一発だった。

The Hunt
 エル・グレコはイエスの十字架刑を描いた。 十字架刑の意味することは、 人間の原罪への贖罪である。 イエスは死をもって神に許しを請うたのである。 私は、 この十字架刑と映画の中の銃声がどうしても重なってしまうのである。 この銃声は何を暗示しているのだろうか。 謎として残ったままである。 しかし、 このデンマーク映画 「偽りなき者」 の原題がデンマーク語で 「Jagten」、 英語では 「The Hunt」 であることを考えるなら、 これは 「偽りなき者」 の尊厳へ向けた福音ではなく、 無惨に狩猟されていくこの世界を、 まだ神は許していないという啓示なのではないかと思う。 一発の銃撃は、 ノアの洪水のように何度もリセットされた人間社会をここでもう一度覚醒させるための黙示のように思えてならない。




(てしま じゅん 教育研究所員)

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