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「六年間の部活動を振り返って」

小泉 幸太

 目覚ましをかけてなくても、 朝の六時に目が覚める。 この習慣だけは今も直りそうにない。 六年間という歳月はそれほどのものだ。
 私は中学入学とともに、 陸上と出会った。
顧問の先生の指導は厳しく、 辛い練習もあったが、 それでも仲間とともに練習に励む日々は充実していた。 自分の成長を実感できる陸上が大好きだった。 中学では、 市の大会の砲丸投で三位になったのが、一番の成績だった。
 高校に入学した時は、 陸上に対する情熱は消えており、 部活には入らず、 適当な毎日を過ごしていた。 だが、 体育の持久走がきっかけで、 走る楽しさを思い出し 「陸上をやりたい。」 という気持ちが再び自分の中に芽生え、 すぐに陸上部に入部した。 当時の陸上部は、 部員も顧問もいながら、 全く活動してない状態だった。 私は一人ではあったものの、 陸上ができることが楽しく、 毎日練習に励んだ。
 高校二年の春、 新入部員が増え、 顧問も変わり、 「これからの陸上部は活気づくぞ」 と意気込んでいたが、 そんな期待は裏切られた。
 新入部員が毎日練習に来ることはなく、 時がたつにつれ、 一人、 また一人と辞めていった。
 二年目にして唯一変わったことは、 陸上は素人ながら部活を全力でサポートしてくれる顧問の先生が加わったことだ。
 夏休みも週六日練習するスタイルは変えなかった。 そんなやり方に嫌気がさしたのか、 部員はほとんど練習に来なくなり、 一人の練習が続いた。 一人だと何をすればいいかわからず、 ひたすら砲丸を投げる毎日。 「はたして今のままでいいのだろうか。」 と自分の行っていることが無意味に思え、 不安な日々が続いた。 本やインターネットを参考に練習したが、 自信はなかった。 誰かに助けてほしくても、 グランドには、 自分以外誰もいない。 一人ぼっちのグランドは時に残酷なものだった。 不安に押し潰されそうな時、 静かなグランドに 「パコーン」 とボールのはじく音が、 体育館からは、 「キュキュッ」 とシューズのこすれる音が響いてきた。 それらは、 他の部活で頑張ってる友人達のものだった。 彼らが頑張ってるのに自分が頑張らないのは情けないと思い始めた時、 ふと、 ある言葉を思い出した。 それは、 中学時代の顧問の先生が好きだった 「継続は力なり」 という言葉だ。
 私はその言葉だけを信じて、 全力で練習に取り組んでいこうと決めた。
 夏休みも終わり、 新人大会に参加した。 地区予選は通過したものの、 県大会では予選敗退。 まるで歯が立たなかったことが、 無性に悔しかった。
 以来、 悔しさをバネに、 誰よりも早くから練習し、 誰よりも遅くまで練習することにした。 雨の日も雪の日も毎日練習に励んだ。
 高校三年目の春、 力のある一年生が一人入部し、 陸上経験のある先生が顧問となった。
陸上部は今までとは変わった。
 迎えた最後の地区大会で、 私は砲丸投げ二位、 円盤投げ三位。 後輩は幅跳び二位、 三段跳び一位となった。
 何もない陸上部で、 自分を信じ、 全力でここまでこれたことは嬉しかった。 しかし、 後輩は、 私に対して 「なんでどっちも一位じゃないんだ。」 と文句を言ってきた。 私はそのことが、 嬉しかった。 「勝たなきゃ意味がない。」 という志を、 仲間を失い、 迷ったために見失っていたのだ。 だが今、 同じ志を持った仲間がいること嬉しかった。 この時、 陸上部のバトンを次の世代に渡せた気がした。
 六年間、 陸上を続けてこられたのは、 周りの支えがあったからこそだ。 また、 高校の部活動では、 自分の気持ちの大切さを深く感じた。 何を目標に、 どう練習に取り組むかは、 自分次第。 壁にぶつかることもある。 ただ、 その先に目標があるのなら、 たとえ一人であっても、 全力で向かっていかなければならない。 目標を達成した時、 自分は成長し、 新たなことを発見できる。 あきらめず、 自分の可能性を信じれば、 きっと壁は乗り越えられる。 そう学んだ高校の部活動だった。
 この経験を力に、 これからも全力で人生を走り続けていきたい。


 (こいずみ こうた)

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