主権者を育てる「人権学習」 の取り組み
 
境   光 春
  人間が人間らしく生きていくためには、 誰にでも分け隔てなく幸せに暮らすための条件が保障されていなくてはなりません。 しかし、 今までの人類の歴史が示しているように、 どこかの誰かがその条件を与えてくれるわけではありません。
 憲法には基本的人権の尊重がうたわれています。 学校教育でも子どもたちにそのことを教えることは大切なことです。 そして、 人権の尊重ということはどういうことなのか、 具体的な例を知り、 学ぶことで、 人権意識が育つと思っています。
 学習指導要領でも、 道徳教育の根幹に 「生命の尊重」 「人間愛」 「国際平和」 「真実の追求」 がうたわれています。
  1. 「生命の尊重」:生命の尊さを理解し、 かけがえのない自他の生命を尊重する。
  2. 「人間愛」:温かい人間愛の精神を深め、 他の人々に対し感謝と思いやりの心をもつ。
  3. 「国際平和」:世界の中の日本人としての自覚をもち、 国際的視野に立って、 世界の平和と人類の幸福に貢献する。
  4. 「真実の追求」:真理を愛し、 真実を求め、 理想の実現を目指して自己の人生を切り拓いていく。

 中学校での人権教育は、 本来の道徳教育で行われるべき以上の 4 つの指導事項を特化して学習させています。 「人間愛」 「生命の尊重」、 人間が互いの生命や権利を尊重して生きていくための意識を、 過去の歴史や現在の社会から学び育てることが目的となっています。
 そのための、 本校の昨年と今年の具体的実践例を紹介します。

1. 09年度
 水俣病裁判で国と県を断罪した相良弁護士の 「真実に生きる」 活動をビデオ視聴し、 本人の講演を聞いて、 有機水銀による身体障害者や家族の現実・想いに触れ、
  • 人間には誰もが安全で平和に生きる権利 (人権) があり、 そこに人権の尊重がある。
  • 人として正しく生きるには勇気が必要であり、 そこに他者を思い、 理解する優しさがあることを気付かせる。

    という目的と趣旨で学習を行いました。
 講演の前に各学級で 「水俣病の実態と裁判の経緯」 のビデオを視聴し、 予備知識をもたせるようにしました。
 講演を聞いた後で、 作文という形で、 学習の成果を表現させました。

生徒作文の紹介
「水俣病はとても大変な病気。 相良先生が裁判で 『国がいけないことをした。』 といったことは、 とてもすごいし、 私にはできないなぁと思った。 ビデオの中で、 相良先生が、 ずっと仕事をして、 水俣病の人たちのためにがんばっている姿に感動した。 とくに、 印象に残ったことは、 相良先生自ら水俣病の人に会いに行ったこと。 すごいと思う。 チッソの人たちは、 水俣病の被害がすごいと知っていながら、 秘密にしていたことに、 相良先生が怒ったのは、 私にもなんとなく分かる。 有機水銀は人体にとても悪い物質。 水俣病になった人たちがとてもかわいそう。 猫や人が死ぬのは、 なった人もいやだと思うし、 家族も悲しむと思う。 チッソ工場が国のトップだからと言って、 国が人を悲しませることをしてはいけないと思う。 相良先生の 「勇気」 は、 水俣市の人たちに、 とても感謝されたと思う。 たぶん相良先生は、 国のせいで多くの犠牲者が出たのが一番いやだったのかなぁ?と思う。 『勇気』 って大切なんだなぁと思いました。」  ( 1 年女子)


2. 10年度
  「平和をつくる」 というテーマで、 ビデオで地元潮田地区の空襲被害の実態と、 15年前鶴見区の当時40代の 「おばさんたち」 がつくった 「鶴見の空襲を伝え、 平和を願う実行委員会」 の活動を 聴き取り記録文集 で知ることで、 自分たちも、 人権尊重の活動ができることを意識させ、 「平和をつくる」 ために生徒たちのこれからの生き方を考える参考にさせる。
学習内容
(1) 「鶴見の空襲を伝え、 平和を願う実行委員会」 の主な活動紹介
  1. 戦争の悲惨さを伝えるために、 1995年当時、 1945年 4 月15日の鶴見大空襲を体験した方々 (65歳〜75歳) に聴き取り調査をして記録集をつくり、 鶴見区内の小・中・高等学校と、 市内の図書館に送る。
  2. 1995年 4 月15日 (鶴見大空襲のちょうど50年後の日) に、 空襲体験の聴き取りを基にした朗読劇を高校生を中心として上演した。
  3. 1995年当時、 戦争・紛争の中で育っていくカンボジアの子どもたちの学校をつくるために、 バザーや、 チャリティーコンサートをおこない、 300万円以上を集め、 実際にカンボジアに行って小学校を 1 校建設した。
(2) 隣接校潮田中学校で作成した 「潮田大空襲」 のDVDを視聴してその感想文を書く。

学習後の生徒作文の紹介 
  「鶴見大空襲の学習をして」  
  「私は、 5 月に学校の人権学習で、 自分の住む鶴見で起きた鶴見大空襲の学習をしました。 大空襲のことは、 人権学習などをやる前に何度か耳にしただけで、 鶴見区に 「鶴見の空襲を伝え、 平和を願う実行委員会」 というものがあるとも知りませんでした。 活動内容を見てみると、 記録集をつくって区内にある小・中・高等学校や図書館に送ったり、 お金を集めてカンボジアに学校を設立したりと、 戦争や平和に関する活動をしていました。 「戦争は二度と起こしてはいけない」 という反戦へのメッセージが込められているなと、 私は思いました。
 人権学習の時、 鶴見大空襲を体験した人たちの体験談の資料を全部読んでみました。 体験談の文章を見ているだけで怖くなり、 一字一字心臓をバクバクさせて読んでいたのを覚えています。 その人たちが見た?変わり果てた鶴見の町″を頭の中で想像すると、 ますます怖くなり、 ゾッとしました。
 人権学習をやって 1 週間ぐらいが経った頃、 更にビデオを見ました。 それは、 大空襲を経験した人の体験談や貴重な写真や映像をまとめたビデオでした。
 私は以前、 テレビのドキュメントでも東京大空襲と広島原爆を見たことがあります。 東京大空襲は鶴見大空襲よりも大規模な空襲で、 何万人という人が亡くなっていきました。 また、 広島の原爆は、 私たちが最も忘れてはいけない出来事だと思います。 そのドキュメントでB29機に実際に乗っていた人がこう話していたのを覚えています。 「広島に原爆を落としたのは、 我々にとって戦争を終わらせる為に必要だったと思っている。 広島に原爆を落として正解だった。」 と。 でも大空襲を起こしたり、 原爆を落とす事は、 私は正解じゃなかったと思っています。
 今回、 鶴見大空襲の事を詳しく知ることができ、 改めて戦争は怖くて恐ろしいものだと思いました。 そして、 戦争は絶対に起こしてはならないものだということを改めて感じました。 また、 鶴見大空襲についてもっともっと深く知りたいと思いました。
 私はこれからも鶴見区に住む人間として、 昭和20年 (1945年) 4 月15日という日に鶴見大空襲があったということを忘れません。
  「人が人として生きる為には、 平和であることが必要です。」 この言葉は、 人権学習のプリントのはじめに書いてあった言葉です。 私は、 この言葉を心に刻んで生きていこうと思います。

    (さかい みつはる 横浜市立寛政中学校教員)
ねざす目次にもどる