模擬投票を考える
  「選挙ごっこ」 と五本の柱  

 
小 杉 一 也
はじめに
 深沢高校では本年 7 月に実施された参議院通常選挙に伴い、 7 月 9 日に模擬投票を実施した。 本稿では深沢高校での模擬投票の概略を報告するとともに、 シチズンシップ教育の抱える問題点を探り方向性を考えたい。
  1. 模擬投票について
    (1) 模擬投票の概要
    模擬投票は参議院比例区を想定して、 全校生徒による同日一斉投票を実施した。 事情で投票できない生徒のために、 期日前投票期間を直前 3 日間 (7 月 6 〜 8 日) 設けた。 全校在籍生徒563名中255名 (期日前投票含む) が投票し、 期日前投票を含む全体の投票率は42.9%であった。 (なお、 本稿執筆時点で開票は行われていない)  
    1. 事前指導について
       事前指導については、 1 年生は 「現代社会」 (必修) において各政党の政策・政見リポートの発表を含んで 2 〜 3 時間、 2・3 年生は同様に 「総合的な学習の時間」 において 2 時間の指導を実施した。 3 年生のうち 「政治・経済」 選択者は当該授業の中でさらに 2 時間実施した。 2 年生は、 このうち 1 時間は 「情報」 におけるインターネットを使った学習を充て、 投票のために各政党・候補者の政策・政見などの情報を集めた。 広報活動として、 2 週間ほど前からポスター掲示や生徒会選挙管理委員会などの呼びかけも実施した。
    2. 投票について
       投票は地歴・公民科教室で行い、 7 月 9 日帰りのH.R終了後の 2 時間を投票時間とした。 投票した大半の生徒はH.R終了後40分以内に投票を行っていた。 投票用紙は校内で作成・印刷した。 投票箱は昨年購入した物を設置し、 配布された工業高校作製の投票箱は期日前投票で用いた。 記載台は投票箱同様に昨年購入したものを設置した。
       この日は 「校外就学・就業体験」 に当たり、 3 年生全員が校外学習のために不在であった。 従って、 3 年生で投票を行った者は、 すべて期日前投票によるものである (期日前投票は 3 年生しか利用しなかった)。
    (2) 投票を終えて
    投票率が参議院選挙確定投票率である57.92%を下回った点は大いに議論検討が必要である。 学年ごとの投票率は 1 年生42%、 2 年生57%であり、 3 年生は28%で前述のとおりすべて期日前投票である。 参議院選挙の期日前投票率は20.06%なので、 模擬投票のほうが上回っていることになる。
    1. 事前指導の効果
       3年生の 「政治・経済」 は54名の生徒が選択しているが、 投票した生徒は選択に関係ないことが投票記録から分かる。 このことから深沢高校の場合、 「学年が進行するにつれ選挙への関心が高まる」 と推測することができそうである。 このことは、 2 年生の投票率が 1 年生の投票率を上回っていることにも現れている。 3 年生が期日前投票にならずに 2 年生と同程度の投票率であると仮定した場合の全体の投票率は、 50%を超えたのではないだろうか。
       1 年生の場合、 「現代社会」 の授業ですべての学級において政党政治と選挙制度についての学習活動を行ったが、 校内事情で政党・候補者の情報を調べて発表する指導が完結できなかったクラスがあったことが投票率低迷の一因となったと思われる。
       一方、 2年生は直前に 「情報」 の時間でインターネットを使って選挙情報を調べ政党や候補者について調べる機会を持った。 模擬投票の際にこのときのワークシートを見ながら投票した生徒が多数いるところを見ると、 この調べ学習はかなり有効であったと思われる。
       つまり、 模擬投票に際し一定の事前指導は効果的であり、 投票日近くにその指導を行うほど効果が上がることがわかる。
    2. 投票しない理由
       投票しなかった生徒にその理由を問うと 「どの政党 (誰) に投票してよいか分からなかった」 という答えが大半で、 決して無関心から投票しなかったわけではない。
    (3) 事前指導を考える
    1. 積極的な指導…
       では、 さらに積極的な指導を試みるとどのようになるのであろうか。 この場合問題となるのは、 2・3 年生に対する 「総合的な学習の時間」 における指導である。
       高校教育企画課は模擬投票に参加する生徒に対しては事前指導を行うように各校に指示していて 1 、 事前指導をまったく行わずに模擬投票に臨むことは避けるべきとしている。 全学年の生徒が公民科授業を履修している状態は考えられないので、 「総合的な学習の時間」 またはL.H.Rなどの時間を活用して指導することになると思われる。 深沢高校の場合、 地歴・公民科の教諭は 4 名 (長研派遣者を除く) なので、 全クラスの 「総合的な学習の時間」 を地歴・公民科教諭で対応することは困難である。 そこで統一したプリント教材を作成し、 各担任に指導を委ねることになった。 他教科の教員が指導を行うことを考慮し、 簡便かつ内容は平易な教材 (高校教育企画課配付の資料を一部改良したもの) となった。
       今回は、 各担任の快い協力を得て、 この教材を使用しての指導を実施することができ、 質問等にも適切に対応してもらった。 しかし、 他教科の教員にこれ以上の積極的で専門的な指導を期待するのは難しい。 もし実施するとなると全教職員対象の長時間の研修会を設定しなければならない。 そして、 校務多忙の折、 そのような研修会の設定は困難である。
    2. 実際は…
       つまり、 現体制でより積極的な事前指導を試みることは、 ある時期から学校中を 「選挙一色」 にしないと難しいと思われ、 少なくとも複数の県立高校がそのような状態になるのはかなり異様な状態になるのではないだろうか。 全校投票を想定し、 すべての担任による事前指導を実施した上で、 かつ担任の負担を最小限にすることを考えると今回の結果は一定の限界を示しているものと思われる。
    (4) 事前準備のあり方
    本校では、 シチズンシップ教育の試行校として、 昨年の衆議院選挙に向けて模擬投票の準備を済ませていた。 本年度は、 それを流用したものである。
    1. 2009年の衆議院選挙
      (a) 2009年に起こったこと
       昨年の衆議院選は投票日が 8 月30日であった。 深沢高校は 2 学期の始業式が投票日前であったので、 始業式に模擬投票を実施することを計画したが、 高校教育課 (当時) から 「夏季休業中で事前指導について十分行えないのではないか」 との指摘を受け 2 、 校長判断により模擬投票を中止したという経緯がある (計画された事前指導は 1 学期中に終了し、 ワークシートは夏季課題とした)。
      (b) 「十分な指導」 とは
       確かに本年度の結果をみると、 直近の事前指導は模擬投票率の向上に有効である。 では、 十分な事前指導とはどのような状態であろうか。 長期に亘る選挙に関する学習指導は一定の効果はあろう。 その際避けられないのは、 教員の思想・信条が生徒に与える影響である。 もとより、 公教育に携わる教職員が政治的中立を求められ、 選挙運動への関与についても一般公務員よりも強い制約を受けることは周知のとおりである。
       しかし、 授業を通じて生徒の政治的信条に一定の影響を与えうることも忘れてはならない。 都立高校で模擬投票の実践を数多く手掛けた松田隆夫氏は 「教員のバイアスが避けられないので事前指導は必要最小限のものにしたほうがよい」 と発言している 3 。 十分な事前指導とは常にそのあたりのバランスを考慮しなければならない。
    2. 事前指導における課題
       初めて模擬投票を実施する場合は、 教職員にもその適切さの判断は困難である。 本年の全校実施の前に試行がぜひとも必要であったのである。 今回あえて最小限の指導時間 4 で模擬投票に臨んだことになるが、 必要最小限の適切な事前指導の在り方については学校の実態を踏まえつつ、 今後の研究課題としたい。
  2. 「選挙ごっこ」 にしないために
    (1) 事後指導の大切さ
     たとえ投票率が低調に終わっても模擬投票で最も大事なことは事後指導である。 投票の結果を本物の選挙結果と比較・考察することである。 結果がどのようになっても 「なぜそうなったのか」 を考えることは重要である。
     改めて選挙制度に内包される諸問題を考える機会を作ることもできる。 また、 必ず少数に投票した者がいるので、 多数に投票した者には目前の 「少数意見をどのように考えるか」 という課題を突き付け考察させることができる 5 。 投票しなかった者には投票しなかった理由を考えさせることもできる。
    (2) 民主主義の教室
     事後指導こそが民主主義の本質を考えさせる場となり、 模擬投票が 「選挙ごっこ」 で終わってしまうかどうかのポイントとなる。 高校教育企画課は事前指導とともに必ず事後指導も行うように指示 6 を出しているので、 各校・各担当者の工夫と指導で模擬投票の教育的効果を最大限に引き出す余地がある。
  3. 「シチズンシップ教育」 と模擬投票
    (1) 模擬投票の目的
     模擬投票の最大の目的は 「@ 情報を収集し、 A 考察を加え、 B 結論を出し、 C 実際に行動する」、 という一連のプロセスを実践し訓練することにある。 「主体的に政治に参加する意欲と態度を涵養する」 とか 「投票率の向上に資する」 などは付随的な目的にすぎない。 このプロセスを実践させることから、 模擬投票はシチズンシップ教育の重要な手法の一つとされる。
    (2) シチズンシップ教育とは何か
    1. シチズンシップ教育の本質
       そもそも各国で行われているシチズンシップ教育を大略すると、 社会の 変化 を受けて、 変化に 対応する意識・知識・技能 を 自発的・実践的に身につける ことを目的とする教育実践ということになる。 それ以上でも以下でもない。 模擬投票の場合は、 若年者の政治的関心の低さ、 社会への関心の低さを 変化 と受け止め、 投票への意識を喚起し情報収集と比較検討を行い、 実際に投票することが対応する内容となる。
    2. シチズンシップ教育の目的
       シチズンシップ教育を実践するに当たり、 問題となるのは 「何が 変化したのか」 とそれを受けて 「何を 対応する意識・知識・技能とするのか」 を見出し、 決めることである。 この内容は国によって様々である。 シチズンシップ教育の内容に 「警察や消防への電話のかけ方」 を含める国 7 もあれば、 奉仕活動に主眼を置く国もあるし、 多文化共生や宗教教育や国家への忠誠心などを重要な眼目に挙げる国々もある 8 。
  4. 神奈川のシチズンシップ教育 「問題」
    (1) いわゆる 「四本柱」
     神奈川県はシチズンシップ教育の推進を明言して 「四本柱」 を掲げている。 具体的取組としての政治参加教育・司法参加教育・消費者教育・道徳 (モラル・マナー) 教育である。
    (2) 「資質」 と 「能力」
     神奈川のシチズンシップ教育の指導資料には 「ねらい」 や 「育成したい資質・能力」 には 「責任ある積極的な社会参加とその知識・能力」 といった文言が見られる 9 。 これらについて、 確かに今の高校生に欠けている要素もある。 しかし、 高校生自身が自ら必要とする内容は検討されたのであろうか。 また、 我々がそれを真剣に考えたことは何回あるのか。
    (3) 我々の対応
    1. 自主編成のチャンス
       教員集団が高校生とともに 「何が変化したのか」 と 「何を対応する意識・知識・技能とするのか」 そして 「どう実践するのか」 を共に考えた時、 各校・各教員のシチズンシップ教育の実践内容・指導内容は、 お仕着せではなく、 自主編成しなくてはならないものになってくるはずである。
    2. 例えば…
       思い付くまま例を挙げれば、 政治参加については模擬投票だけでなく、 生徒が意見を発信して地域社会に関与する活動を取り入れることが可能である。 司法参加については、 裁判員制度への対応や単なる規範意識の教育ではなく、 権利の行使と義務の履行について司法的な観点からのアプローチを身につけることが求める取組みが可能であろう。 消費者教育は経済教育に発展させて、 会計や納税または起業あるいは労働者の権利とその問題といった、 従前の教科指導を深化・実践化させた取組みも可能である。
    (4) 道徳教育・ボランティア活動
    1. 道徳教育との関係
       シチズンシップ教育と道徳教育の関係については、 変化を受け入れて変化に実践的に対応するのがシチズンシップ教育であるということを再度明言しておきたい。 伝統的価値観の醸成も教育活動の一つであることは否定しない。 しかし、 それはシチズンシップ教育とは相容れず、 他の教育実践で行うべきある。
    2. モラルとマナー
       神奈川県はシチズンシップ教育における道徳教育について 「交通マナー のようなモラル・マナーの教育である」 としている 10 。 単に礼儀・作法の指導という訳にはいかず、 ネット社会におけるモラル・マナーや環境問題に関するに対するアプローチなどが想定されている 11 。
    3. ボランティア活動との関係
       ボランティア活動もシチズンシップ教育の一角を占める。 特にアメリカのサービスラーニングなどの 「奉仕活動」 の実践を紹介し、 これがシチズンシップ教育の本当の姿と思っている者も多いが、 それは一国のシチズンシップ教育の例に過ぎない。
       シチズンシップ教育の本来の目的を考えると、 ボランティア教育はあくまでもボランティア活動へ取り組む自発的姿勢を醸成して知識・スキルを身につけるものであり。 全校一斉に実施するボランティア活動は、 思考・判断・実践を重んずるシチズンシップ教育とは言えない 12 。
  5. 「五本目の柱」
    神奈川のシチズンシップ教育の今後を考える時に、 「五本目の柱」 には何が立てられるかを考えることが重要である。
    神奈川県ではすでに四本まで柱が立っている。 今は、 各校または各教員が、 日々生徒に向き合う中で 「社会の何が変化し」、 その 「対処法はどのようなもの」 で 「それをどう身につけ」 「実践させるか」を生徒とともに検討・模索しなければならない時である。 学校を含めた地域社会と、 生徒・保護者が本当に必要とする 「五本目の柱」 が立てられるかどうか (または四本が修正できるか) が問われているのである。

1 平成22年 3 月15日付 
高校教育課長発 県立高等学校長宛通知
 「シチズンシップ教育に係る平成22年度模擬投票の実施について」 に付属する 「神奈川県教育委員会編シチズンシップ教育指導用参考資料」 の 「模擬投票実施にかかるQ&A」 より
2 公示前の模擬投票は望ましくないとされたのは当然としても、 夏季休業中の課題として政策・政見調べのワークシートを作成させることは指導が行き届かないのではないかと指摘された。
模擬投票は中止となったが、 生徒が提出した夏季課題としてのワークシートの完成度は高かった。
3 本年 5 月26日神奈川県立総合教育センターで行われたキャリア教育研修講座〜シチズンシップ教育の推進〜の際の講師としての発言。
4 注 1 の文書に付随する指導事例では、 事前指導は 2 時間を想定している。 前掲の杉浦真理著 『主権者を育てる模擬投票』 きょういくネット刊、 2008年、 の中のスタンダードコースを参考にしたと考えられる。
昨年の深沢高校の指導計画案は、 時期の特定が難しい衆院選に対応し同様のスタンダードコースの指導計画を策定した。 深沢高校の指導案と高校教育課案は類似している。 しかし前述の通り、 昨年は深沢高校案の事前指導について危惧があるとされた。
準備が十分できる参院選では指導時間を増やすことを当初計画したが、 松田氏の発言を受け、 最小限の指導実施とした。
5 杉浦真理著 『主権者を育てる模擬投票』 きょういくネット刊、 2008年、 の75頁。 なお、 杉浦はこの指導を事前指導で行うとしているが、 筆者は事後指導での実施が効果的と考える。
6 注1に同じ。
7イギリスの場合。 『市民性形成論』 二宮晧編、 放送大学大学院教材、 2007年。
8 嶺井明子編著 『世界のシティズンシップ教育』 東信堂、 2007年。
  差異はあっても各国ともに異文化理解や多文化共生は柱の一つとなっている。
9注 1 の文書に付随する指導用参考資料 2 頁。
10 2009年12月11日シチズンシップ教育連絡協議会における高校教育課福田課長代理 (当時) の発言並びに注 1 の参考資料中の 2 頁 (3) Cに記載。
11 注1の参考資料中の 2 頁 (3) Cに記載。
12 地域社会や家庭の機能が低下し、 公務員削減と財政縮小で行政サービスの向上が期待できない。 福祉サービスの一翼をボランティア活動に担わせるためにも、 若年層のボランティア活動への意識向上が喫緊とされる考えがある。
(こすぎ かずや 深沢高校教員)
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