学校から・学校へ (U)コーチングってどうですか? 実例求む |
石 臥 薫 子 |
気分の悪い朝だった。 朝食時、 行儀の悪さを注意され逆ギレした娘は、 「行ってきます」 も言わずに出て行った。 ったくもう!仕事を始めようと机に向かったものの、 どうにも腹の虫がおさまらない。 とその時、 目に入ったのが 「子どもの心のコーチング」 (PHP文庫)。 数年前から流行し、 ビジネスの世界ではかなり定着した感のあるコーチング。 今まで、 会社員でない私にとってどこか他人事だったのだが、 最近は子育て分野でもその手法が注目されているというので、 そのうちに、 と買っておいたものだった。 気分転換にパラパラするつもりが、 どんどん読み進んでしまう。 「朝顔は、 種に土をかけ日当たりの良いところに置いて水を与えるだけで立派に育つ。 それは朝顔が必要とするすべての情報は、 種の中に宿っているから。 私たちがするのは、 環境を整えることだけ。 人間の子どもも同じ。 どの子も育とうとし、 自分の中に答えを持っている。 親がすべきは逐一、 ああしろこうしろと指示することではなく、 子どもが自分で学び、 発見できるよう、 サポートすること」 「親は叱っているつもりでも、 自分の都合で怒っているだけ」 ―今朝の私も、 自分の指示に従わない娘に感情的に怒ってたな、 などと反省するうちに、 心が落ち着いてくる。 一番、 耳が痛かった指摘はこれだ。 「親は漠然とした 『理想の子ども像』 を持って、 思い通りにならない子どもに怒りをぶつけているだけ。 まずあなた自身の 『理想の子ども像』 に気づきましょう。」 そして例まで挙げられている。 「朝、 自分で起きる素直である身支度が早い進んで手伝いをする好き嫌いをしないいつも機嫌がいい親の言うことをよく聞く。 わがままを言わない。 ハキハキしている…きりがありませんね。」 ハイ、 仰る通り! とそこで思った。 この世の中、 相手に無意識のうちに 「理想」 を追い求め、 それに沿わないと勝手に怒り、 相手を責めた結果、 互いに不幸になっている例はゴマンとあるじゃないか。 理想の妻像・夫像・上司像・部下像…。 先生方には 「理想の生徒像」 というのもあるかもしれない。 「理想像」 には無意識どころか、 あからさまなものもある。 その最たるものが、 企業が求める 「理想の若者像」 だ。 因みに日本経済団体連合会の 「21世紀を生き抜く次世代育成のための提言」 (2004年) によれば、 若者に求められているのは @志と心:社会の一員として規範を備え、 物事に使命感を持って取り組むことのできる力 A行動力:情報の収集や交渉、 調整などを通じて困難を克服しながら目標を達成する力 B知力:深く物事を探求し考え抜く力―だそうである。 さらにご丁寧に、 これらを細分化した様々な能力や資質まで掲げられている。 職業観、 責任感、 コミュニケーション能力、 プレゼンテーション能力、 基礎学力、 戦略的な思考力、 専門性、 独創性…まだまだ続く。 娘が小さかった頃、 「おかあさんといっしょ」 に 「そうだったらい〜いの〜にな〜」 ♪という歌があったが、 幼児も顔負けの 「願望オンパレード」 である。 「理想の子ども像」 があれば、 子どもには 「理想の親像」 があるかもしれない…そう思った瞬間、 うはぁ、 お許しを 〜!Nobody's perfect というじゃないか、 と即刻自己弁護に走ったが、 理想の若者像を言い募る企業人は、 果たして皆さん、 そんな○○力を備えているのだろうか。 ま、 Nobody's perfect ではあるが、 ここまで言い募られると 「で、 あなたは?」 と問いたくもなる。 なにより、 若者に一方的に理想像を押し付けられるほど、 企業が 「理想の職場」 を提供し得ていないことは明らかだ。 「労働生産性」 ならぬ 「労道凄惨性」、 「労働」 ならぬ 「牢働」 を強いる 「ブラック企業」 のリストが就活学生たちの関心を集めているが、 (経団連加盟企業の名前も散見される) それが 2 チャンネル世界の戯言だと言い捨てられない状況であることは、 就職・進路指導に関わる先生方には常識であろう。 90年代後半以降の急激な社会・経済状況の変化に伴う雇用の悪化を、 若者の能力や意欲の問題にすりかえる論調は、 フリーターやニートが話題になった数年前に比べ若干下火にはなったものの、 いまだ根強い。 そして詰るところ、 若者を送り出す教育界に対しても 「理想の学校像」 が押しつけられ、 しっかりとした 「職業教育」 や 「キャリア教育」 をしてもらわないと困る、 という話になってしまう。 個人的には、 職業との関連を重視した実践的な 「職業教育」 は必要だと思うし、 職業体験やインターンシップは、 仕事について考えるきっかけとして有益であろう。 しかし、 今年 5 月の中教審のキャリア教育・職業教育特別部会の中間報告に取り上げられているような 「人間関係形成・社会形成能力」 「自己理解・自己管理能力」 「課題対応能力」 「キャリアプランニング能力」 等を育むという 「キャリア教育」 には違和感がある。 経団連が若者に期待する様々なナントカ力とも似通ったこうした力の多くは、 具体的に仕事をしながら、 それこそ良いコーチたる上司との出会いなどによって培われていくものであって、 学校段階では、 もっとその根っこの部分を大事に育むべきじゃないのか。 根っことは、 国際調査でもとりわけ低いとされている日本の子どもたちの 「自己有用感」。 随分、 脇道に逸れてしまったが、 ここでコーチングの話題に戻る。 コーチングについては、 まだ素人の域ではあるが、 最も重要なポイントは恐らく、 子どもや部下の話を 「傾聴」 し、 「承認」 することで、 自己有用感を高めることにある。 自己有用感があってこそ、 他人とコミュニケーションも成立する。 課題に対応する意欲や仕事への興味関心も沸く。 反対に自己有用感が低ければ、 「理想の若者像」 を言い募れば募るほど、 当人たちは立ちすくんでしまうだけではないか。 学校現場でもコーチングの手法を取り入れる動きが広がっているようだ。 神奈川県では今年度、 県立総合教育センターがコーチング研修講座を設けており、 ネットでは県内の公立中学での実践レポートも公開されている。 私自身、 コーチングで私と子どもがどう変化するのかしないのか、 模索中であるが、 教育現場での実践例などあれば、 是非、 取材してみたいと思っている。 |
(いしぶし かおるこ 教育研究所員) |
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