バトンリレー 研究所員による「書評」
『われ 科学者たるを恥ず』
小倉金之助 著
阿部博行 編
法政大学出版局
藤原 晃
 
「小倉の 『屈服』 を受け止めること」
 小倉金之助の名を知っている人は少ないのではないだろうか。
 評者が小倉の名前を初めて知ったのは、 大学院にいたころ総合図書館で 『階級社会の数学』 という背表紙を眼にしたのが初めてだった。
  「大学の自治」 や 「学問の自由」 が古いもののように言われ、 「産官学共同」 が当然のように進められていた。 この政策に憤りを感じていた私は、 とりわけ自分自身の専門である 「数学」 という分野が担うべき、 社会的役割とは何なのかに悩み、 こんにち 「正統」 と言われる 「数学」 の知識をいくら増やしても、 解決への糸口すら得られないように感じていた。 またこの意識が日本の 「数学者」 には、 あまりに希薄であるようにも感じた。 そんな時に、 この衝撃的な書名を眼にし、 その内容に、 また大きな衝撃を受けた。 自分自身がもっていた疑念が整理され、 約70年も前に同様の問題意識を持ち、 果敢に闘った人がいたことに励まされもした。
 しかし、 大学の数学科の図書館は専門書ばかりで、 数学史や数学教育関連の書籍は無く、 友人や教授の中にすら、 彼の名を知る人は殆ど無かった。 「数学」 の専門的研究には邪魔だということなのかと愕然とした。
 こんにち正統な 「数学」 とされ、 研究されつづけているものは、 深淵であることは確かである。 だから、 そうしようと思えば、 実社会から隔離された中にいつまでも浸っていられる。 その中で、 数学と社会、 歴史や哲学との関連とが、 無駄なものと切り捨てられてきているのであった。
 今日の思想的情況は、 約一世紀前に小倉が警鐘を鳴らし、 抗った頃と似通っていると感じる。 では、 それは何故か…。 それを、 考える意味で昨年、 再び小倉の主な論説が編纂され、 一冊の本となったことは実に大きい意義があると思う。 しかも、 年代を追って、 小倉自身が生きた時代の社会的、 経済的、 思想的状況を感じながら読むことが出来る。 中でも小倉が後に、 「屈服した」 と自己批判している時代の論文、 『現時局下に於ける科学者の責務』 がそのまま乗せられていることは、 我々にとって、 今アクチュアルに進行する情況を考えるのに意義深い。 編者の阿部博行氏も、 今の時代的風潮に問題意識をもって本書の出版にあたられたのだと思う。

 小倉は、 日本の科学・教育は 「牙 のない 精神 のない 科学」 と批判し、 当時にあって 「絶対主義的政府が取った科学・教育政策」 がその元凶であると断言した。 そして日本の科学界と科学教育の改造を訴え、 19世紀末から20世紀初頭にかけて、 欧米でおこった 「数学教育改造運動」 を日本において、 推し進めたのであった。 その中で小倉は 「科学の革命性」 「科学的精神」 を最も強調したのである。
 ところで 「数学教育の改造運動」 などと言うと、 計算速度と精度を高める練習法の改善だろうと思われるかもしれない。 しかしそれは、 日本においては、 小学校から、 あまりに計算技芸ばかりが強調されているからである。 「百升計算」 や、 「インド算術」 などの流行はその象徴的現象といえる。 しかし、 小倉が目指した改造運動が主張したことは、 そういった科学・数学教育の在り方への根本的批判であった。
 では小倉の言う 「科学の革命性」 または 「科学的精神」 とは何か。 それは 「一切の偶像を認めず」、 「強烈な批判的精神」 によって、 「飽くまでも真実を迫及する不撓の魂であり、 何よりも先ず真理に徹底する精神」 であると述べている。
 自然科学は元来、 物質や自然現象についての真実を追求する学問であるから、 その真実を歪曲することによって、 人民を騙し、 奴隷と化し、 搾取する側にとっては、 「危険」 な存在であった。 逆に科学が彼らにとって 「危険」 でなくなったとき、 それは 「牙 のない 精神 のない 科学」 となるのである。 それゆえ、 「科学の大衆化」 と言われる、 歴史的過程は、 同時に封建的世界から民衆を解放し、 近代思想への準備をすすめた過程でもあった。
 その科学・数学のもつ 「革命性」 の実証的研究の 1 つが冒頭に挙げた 『階級社会の数学』 であった。 そこには、 中世ヨーロッパにおいて、 当時の新興階級であった商工業者たちと、 その活動とあいまった民衆の中の数学と科学がいかにして発展し、 その一方で支配階級のそれがいかにして衰退せざるを得なかったか、 そして科学・数学が、 いかにして旧思想を駆逐し、 来るべき革命への思想的準備をしたのかが実証的に書かれている。 本書には 『階級社会の数学』 は収められていないものの、 同様に唯物的歴史観の下に書かれた 『数学の社会性』 や、 いわゆる和算の特徴とその限界を紹介した論文 『日本数学の特殊性』 も掲載されている。
 さて、 我々がその責任に一端を担うべき科学・数学教育 (それに限られた話ではないが) の現状はこのような小倉の主張と比べて、 いかがなものであろうか? たしかに、 小倉の時代と比べれば、 部分的ではあるが重要な前進を確認することはできるだろう。 しかし、 今日の検定教科書には、 小倉が主張した 「科学的精神」 が目指されているだろうか? また、 自らが担う教育実践に、 その思想を位置づけようとする教師集団の動きはあるだろうか? 教科書や指導要領の批判的検討が許されない官製研修はもとより、 今日の教師集団の中にも、 学校の中にも、 残念ながら見あたらない。 確かに、 個別には実践の中で奮闘している人はいる。 しかし、 集団としては無くなってしまったのではないか。
 例えば、 ここ神奈川でも高校間格差が急速にすすみ、 そのなかで、 「多様なニーズ」 (ニーズというが、 それは欲求に他ならない) の求めるままに、 教育課程から数学・理科は、 縮小か削除傾向にある。 事実、 中学生に向けて 「数Tだけやればいいんですよ。 嫌いな数学はやらなくいいですよ」 と自慢げに宣伝する高校も出てきている。 同時に、 指導要領の改定に伴って、 「理科・数学」 の必修単位数が削減され、 国の教育政策においても、 「一部の者にのみ、 教えればいい」 という傾向である。 その一方で、 「理科離れ」 がマスメディアに話題を提供し、 「科学リテラシー」、 「数学リテラシー」 などとヒステリックに叫ばれているが、 それらは畢竟、 技術的 「果実」 を手っ取り早く (低コストで) 利用し、 経済効果を挙げることが目指されるばかりである。 そして何よりも、 この傾向に、 他教科の教師はもとより、 当の数学科の教師すら疑問を感じられずに、 粛々と 「職務」 を遂行しているように見える。
 そこには自分が教えている 「数学」 が、 はたして何であるか、 数学教育の社会的役割はなにか、 といった反省的考察がなく、 したがって数学・科学にたいする本源的哲学を学ぼうとせず、 その結果、 学習指導要領と教科書を効率的に伝授する、 あるいは受験問題を素早く解答する技芸の伝達者としての意識しかないようになる。
「かような奴隷的態度をふり捨てて、 強い批判的精神、 抵抗の精神によって、 自主的態度に出なければなりません。 それなくして何の民主主義かといいたくなります。」 と、 小倉は約50年前に、 戦前戦中を振り返って反省的に述べている。
 小倉が目指したものをどう受け止め、 議論し、 目的を共有し、 実践を集積し、 再び 「数学教育の改造」 を押しすすめることが、 現在の数学教師の責務ではないだろうか。 ましてや、 大正デモクラシーの後にファシズムが来たように、 戦後民主主義が巻き戻されている現在にあっては。
 しかし、 「科学的精神」 「科学の革命性」 を訴え、 ファシズムの到来とも果敢に闘った小倉ですら、 戦況いよいよ厳しくなる40年代に入り、 「軍人が血を国家に捧げるように、 科学者の専門的才能と知識とは、 たとえどんなに彼の名声が国境を超えたところで、 ―一切を上げて、 国家に捧ぐべきものである。」 と檄を飛ばすようになるまでに変わっていった。 そして、 同時期に 「大政翼賛会促進の会」 にも加入していく。 後に小倉はこの時期を 「屈服」 したと述べている。 それが、 本書のはじめに収められている 『われ科学者たるを恥ず』 の最後に 「…一口で、 はっきりといっておこう。 要するに われわれの殆どすべては権力の前に屈服したのである。 もちろん私もまたその一人であったのだ。」 と彼をして述べさせている。 しかし、 この言葉を彼や彼と同様の科学者、 教育者個人の責任として、 指弾するのは無意味である。 それは、 こんにち流行の自己責任主義と同じである。 それこそ小倉金之助が、 生涯を通じて訴えた科学的精神、 すなわち、 「過去の科学的遺産を謙虚に学びながら、 しかも絶えずこれを検討して、 より新たなる、 より精緻な事実を発見し、 より完全なる理論を創造する精神」 とは異なるやり方である。 たとえ小倉が、 「転向」 したのであったとしても、 そのことで、 その偉大な功績が少しも色あせることはない。 だからこそ、 小倉が生きた時代と似通った、 社会的情況に生きるわれわれは、 小倉にすら現れた、 「転向」 という現象に注目する必要があると思うのである。 小倉はファシズムを批判しつつも、 なぜ、 「科学及び技術の研究を、 国家目的のために、 強力に統制」 することを原則とせよと訴えるまでに変わったのか? いや変わったのではないかもしれない。 彼の文章からは強制され、 やむを得ず書かされているような消極的様子は伝わってこない。 むしろ彼の中で、 一貫性を保ちつつ、 積極的に体制翼賛体制への協力を納得しているのである。
 戦前戦中に書かれた論文の中で、 小倉が 「科学的精神」 の発揚を呼びかけるとき、 その対象が、 「日本の国民」 「日本の民衆」 と強調されるあまり、 いささかナショナリスティックな臭いがする。 それが、 ただ 「日本国」 のエゴイスティックな 「発展」 をさすのか、 それとも、 世界人民の解放のための闘いにおける、 日本人民の闘いの 「発展」 を指すのかが曖昧に感じるのである。 すなわち、 彼は、 数学史を階級的唯物的歴史観 (評者は科学的と言い換えてよいと思う) の中に位置づけてはいたが、 自らが生きる社会を科学的に国際的に階級的なダイナミズムの中で見られなかったのではないか。
 それともうひとつ、 小倉の教育政策批判は、 「官僚機構」 にのみ向けられ、 その 「官僚機構」 を必要とし、 生み出した資本主義と資本家階級には及んでいないと感じる。 それが、 「官僚の支配」 から官僚的統制ではなく、 国益論を貴重とした国家への奉仕という 「統制」 へと絡めとられていった理論的限界ではなかったか。
 しかし、 繰り返しになるが、 それはただ小倉一人が出来うる仕事ではなかっただろうし、 ただ一人で成し得たとしても意味はない。 それは小倉が生きた時代、 彼を取り巻く諸環境に従属するものであって、 考えるべきはその環境を決定する社会構造でなければならない。
 さて、 今日、 いよいよ経済の世界的恐慌が起こり、 これまでは、 騙し騙し昇圧剤 (税金から市場への 「救済金」) を大量につぎ込んでの延命処置をしてきたが、 それも限界に達しているようである。 オリンピックや、 ノーベル賞などまでもが、 最大限に利用され、 国益主義がいっそう注入されている。 このような時代に直面する我々が本書から知り、 議論すべきことは実に多い。 教師だけでなく、 すべての教育労働者、 学生・生徒、 保護者に読んでほしいと願う。 とりわけ数学教師とは、 自分達自身の課題として、 共に本書が提起する課題を議論できたらと願う。


小倉金之助  1885年〜1962年
 山形県酒田町に生まれる。 東北帝国大学、 塩見理化学研究所、 大阪帝国大学等に勤務。 戦後、 民主主義科学者協会会長等を務めた。 小倉金之助著作集全 8 巻 (勁草書房) がある。


 (ふじわら あきら 高校教員)
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