寄稿
「民間出身校長に聞く」 (「ねざす」 第39号) を読んで
宮田 雅己
 
 少し古くなるが、 職場にあった 「ねざす」 第39号 (2007.5) の 「民間出身校長に聞く」 を読んでみた。 今をときめく民間出身校長であるから、 何を言うのかという気持ちと的はずれなことを話すのではという両方の気持ちで読んだ。 読んでの結果は意に反してなかなかのものであった。 一つは、 民間出身の宮原さんの見識について、 もう一つは民間企業の運営に関する発想についてである。

【企業のことばと教育のことば】
  1. CS (顧客満足度)  
     企業のことばと教育のことばは似て非なるものと考えていたが、 宮原さんの目指すCS (顧客満足度) の高い学校と、 私たちが考える 「今いる生徒の現実と必要に立った学校づくり」 は大変近い位置にあった。 宮原さんの言う顧客とは、 生徒・保護者・進路先・地域であり、 その満足度の計測点は生徒卒業10年後に置くという。 生徒在学時には 「10年後に受けるであろう評価」 の現時点での想定評価を下しながら、 教職員は教育活動を続けることが大事ということだ。
     私はこれまで、 「卒業時に 『この学校で良かった』 と生徒に思ってもらえればそれでよい」 程度に考えていたが、 その上を超された。 アメリカ仕込みのゼロトレランスをにわかに取り込み、 髪の毛の色を校門でチェックすることに血道を上げるどこかの校長に読ませたいと思った。
  2. ミッションとヴィジョン 
     二つ目のことばは、 ミッションとヴィジョンである。 宮原さんは、 ミッションを使命と訳しているが、 私たちのことばにすれば、 「今いる生徒にとって意味ある学校」 を意識することがミッションであろうし、 「意味ある育ちを作り出す実践の方策」 がヴィジョンであろう。 「カタカナ語は信用するな」 が昨今の合い言葉だが、 この二つは使用に値する。 ただし、 「ミッション、 ミッション」 と声高に叫び出す輩が増え出すと警戒が必要だが。
【人事評価はできるのか・賃金に差をつけるべきか】
  「民間出身校長が教員の人事評価などできるものか」 と思いつつ該当箇所を読んだ。 宮原さんの答は、 自分が生徒として聞いて面白いかどうかという初級レベルはできるが、 その上のレベルのグレード分けはできないというものだった。 実に素直である。 教員上がりの校長でも自分の教科でなければ同様の答しか出せないのかも知れない。 また、 それでよいのかも知れない。
 宮原さん自身は、 「自分の仕事が上司やお客さんにどう評価されているか、 私だったら知りたいですね。 自分の仕事のレベルを上げていきたいという潜在的な気持ちを持っていますから…」 と発言するが、 あくまでも自分のレベルアップが目的となり、 人事評価に関する私たち教職員の主張とも一致する。
 実はここから、 人事評価制度や査定賃金への疑義へと話が進むと良かったのだが、 「公務員の世界で、 仕事の成果と賃金が全然リンクしないというはおかしいと思います。 世の中の常識からしたら、 アウトプットの多い人には少しは多くした方がいい」 と進んだ。 冷静な宮原さんなら、 見識を持って、 「世の中の常識からしたら…」 などという根拠のない発言は控えてほしかった。
 こうした評価観、 賃金観の宮原さんだが、 一点はっきり発言していたことがあった。 それは、 「ダメな人の選別はできる」 「はっきり言ってやめた方がいい教員」 「生徒と話ができないとか、 生徒にとって少しでも楽しい授業をしようという気持ちのないこととか」 というものだった。
 公務員としての教職員の仕事は、 分業と協業であり、 その協業もピラミッド型の上下関係ではなく、 水平的協業が仕事の中心となっている。 この特性をしっかりと読み込み、 「仕事の成果と賃金のリンクは必要ないし、 悪い結果をもたらす」 ことを証明するのは、 私たちの仕事なのだろう。 そこに、 「ダメな教員」 の問題も深く組み込みながら…。

【第一線の声を反映する学校運営に職員会議はいらないか】
 宮原さんは、 「組織というのは校長が全部やるというのではなくて、 大事なのは現場第一線です。 学校の価値を生むのは全部現場で生徒と接触しているみなさんです」 と発言している。 と同時に、 「大人数で 2 時間もかけて会議をするのはコスト的にペイしません」 とも語っている。 職員会議は、 「本音が出ない」 「対立構造が見えている」 「特定の人しか発言しない」 というのである。 校長はすべてを決めることはできない→分掌などに権限を委譲してある (ここで第一線の声を反映するらしい) →企画会議で校長とともに最終決定、 これでよいとする。
 宮原さんのいう職員会議の負の部分は肯んずることもできるが、 日本の学校はこれまでも職員会議という形式だけで教職員の意思疎通や合意形成をしてきたわけではない。 インフォーマルな形での教職員同士の会話や情報交換、 他分掌や学年への事前の投げかけで、 職員会議を充実させてきたはずだ。 会議コスト論も検討する必要はあるが、 形式的であるように見える職員会議で、 宮原さんが想像する以上の目に見えないペイバックもあるのではないか。 学校という職場での会議論を深める必要があろう。

【ジョブデザインのない教育行政】
 宮原さんの出したカタカナ用語で今後使えることばをあげて小論を終えたい。 それはジョブデザインである。 インタヴュアーが止めどもなく上から降ってくる仕事についての民間の感覚について問いかけると、 宮原さんは即座に 「異常です」 と答えている。 企業では、 ジョブデザイン (仕事の設計) といって、 業務量に応じて人員を配置するという。 仕事の軽重を問わず、 教職員の実態もわきまえず、 職場をいじくり回すだけの県教委のやり方に対する有効な反撃の武器となりうる。

【さいごに】
 宮原さんが、 校長としての 2 年間にどのようなどれほどの仕事をしたのかは知るよしもない。 また、 現場教職員との付き合いや教職員に対する振る舞いが、 どのようなものであったのかも分からない。 しかし、 宮原さんの言説には、 私たちの日々の取り組みを励ますものもあり、 教育のことばに通じる企業のことばの紹介もあった。
 県教育委員会も、 せっかく採用した民間出身の校長のことばにも耳を傾けつつ、 それを教育のことばにつなげながら、 宮原さんも言うとおり 「教員も民間も大差ない」 ことに確信を持ちつつ、 自ら統括する現場教職員を馬鹿にするだけでなく、 現場第一線のことばこそ大事にした教育行政を展開してほしいものである。

 (みやた まさみ 生田高校教員)
ねざす目次にもどる