特集 : シンポジウム どうつくるか 「総合的な学習の時間」 | |||
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【司 会】: 大変お待たせいたしました。 只今より開会いたしたいと思います。 私は教育研究所の手島と言います。 シンポジウムを始める前に皆さまにご連絡したいことがありますので、 よろしくお願いします。 今日のシンポジウムに関しまして、 皆さんのお手許に渡っていると思いますが、 『ねざす』 の次号にこの様子を掲載いたします。 また、 写真も撮らせていただきたいと思いますので、 よろしくお願いします。 では、 当研究所代表の杉山宏から皆さまへご挨拶があります。 杉 山: 只今ご紹介を受けました研究所の杉山でございます。 学校が休みの土曜日にこういった催しを行いますのは、 当研究所では初めてでありますので、 どういうふうになるのかなと懸念がありました。 加えまして、 神奈川県下に大雨注意報が出るという、 そういう気象状況になりまして、 そういう中でお越しいただき、 本当にありがとうございます。 私どもの教育研究所のシンポジウムも、 数えまして10回目という、 一つの節目の今日を迎えました。 今回はこの横看板にもございますように、 「総合的な学習の時間」 を取り上げてみました。 小中学校では移行の段階で、 かなり積極的に取り組んでいる学校、 特に、 小学校では実績をあげている学校があるように聞いておりますけれども、 それに比べて高校のほうは、 どうかなという感じがしております。 施行も小中学校が来年からというのに対して、 高校のほうは 1 年後、 2003年度からということではありますが、 高校のほうはどうもその 1 年以上の遅れがあるんじゃないだろうか。 そういう意味で、 今日ここでお互いの意見交換が積極的に行われれば、 大変幸いだなというふうに思っております。 なお、 シンポジストの方々ですが、 遠路お越しをいただきました大阪教育大学の長尾さん、 教育行政の立場からご意見をうかがいたいと思っております大杉さん、 学校現場からは岡津高校の久世さんという形で、 それぞれ立場の違う方たちの間で意見を出していただき、 さらに、 フロアからも意見を出していただければありがたい。 なお、 コーディネーターは私ども教育研究所の佐藤所員が務めます。 今日はよろしくお願いいたします。 (拍手) 佐 藤: 皆さんこんにちは。 只今ご紹介をいただきました、 教育研究所所員の佐藤治と申します。 普段は横須賀高校の定時制で教員をやっています。 今日はコーディネーターということで、 進行役を務めさせていただきますが、 まず、 今日の進め方についてご説明しておきたいと思います。 シンポジストそれぞれの方からお話をいただいた後に、 質問の時間を取らせていただいて、 その後また皆さんのほうからの意見をいただく、 あるいは各学校での取り組みであったり、 学校関係以外で総合学習についてこういうふうに見ているよ、 というようなこともお話しいただければ、 ありがたいと思います。 最後にシンポジストの方々からまとめの言葉をいただくという形で進行していきたいと思います。 最初にシンポジストの方々を紹介させていただきます。 ただ、 私自身もあまり深く知っているという関係ではございませんので、 後ほどのお話の中で普段の活動について触れていただければと思います。 まず最初に、 国立教育政策研究所・教育課程研究センターで活動されています、 大杉昭英さんです。 行政の立場、 あるいは教育課程を研究されていて、 文部科学省と兼務という形でいらっしゃいますので、 その辺りでの捉え方なりをお話しいただきます。 また、 皆さんからもご質問をいただけるのじゃないかなと思います。 次に、 岡津高校から参加していただいております、 久世公孝さんです。 久世さん自身、 高等学校教職員組合の活動でも教育課程について検討されていますし、 現場でもこの 「総合的な学習の時間」 について取り組みをされているということですので、 そういった活動を通じて見えてきたもの、 疑問に思ってきたものをお話しいただけるのではないかと思っております。 3 番目に大阪教育大学の長尾彰夫先生です。 ロビーでの書籍販売でも多くの著作が出ておりますし、 各都道府県をまわっての学習会での講師等としてもご活躍なさっているということです。 皆さまのお手許にあります研究所ニュース 「ねざす」 の中の言葉をとれば、 「小学校が青信号、 中学校が黄信号、 高校は赤信号」 という 「総合的な学習の時間」 を巡っての状況について比較の上のお話がいただけるのではないかと思います。 それでは順次、 座っている順番で、 まずは大杉さんからお話をいただきたいと思います。 |
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大 杉:どうも、 皆さん、 こんにちは。 大杉でございます。 今日は、 三点お話をさせてもらいたいと思っています。 「総合的な学習の時間」 ということで話しますが、 話の本題に入る前に一言。 私は広島県生まれで広島から出たことはなかったんですけれども、 5 年前に今の仕事になり、 関東に出てきました。 こちらに出てきてみるとカルチャーショックがいくつもありました。 例えば、 最初に官舎に入っていきなり電球がバン!と割れて、 これは怪奇現象だと思うくらいびっくりしたんです。 そのうち妻が、 「洗濯機の回りがえらく遅い。 欠陥商品を売られた」 とぶつぶつ言っていたんですけれど、 1 週間経ってよく考えたら、 理科でちゃんと習ってるんですね。 糸魚川線を越えると、 50ヘルツと60ヘルツ、 電気の周波数が変わる。 そうすると広島で買った洗濯機は、 広島弁で"ブチ遅い"というんですが、 非常に遅いんです。 これはよく本にあります"学校知"はあるが、"生活知"になっていない例なんですね。 その他にも、 例えば、 朝、 私は食パンを食べているんですが、 妻が言うには広島では 1 斤は 4 枚切りで厚いパンなのに、 関東に来ると 6 枚と 8 枚しかない。 薄いものしかないと騒ぐんです。 私はそんなことはないと言っていたんです。 ところが、 ある日、 テレビで 「関東には米を中心とした煎餅などのパリパリ文化があって、 関西は小麦を中心としたふっくら文化がある」 と放送していたんです。 すると、 それ見たことかと、 妻が勝ち誇ったように言うんですね。 自分の体験に根ざす課題を解明してくれるというのは、 非常に喜びを持ったようで、 妻はそれ以来、 パリパリ文化とふっくら文化でいろんなことを説明しているんです。 そういう経験があるんですが、 ここからが本題です。
今回、 教育課程が変わるということで何がメインかと言うと、 やはり、 「生きる力」 が大きな柱となっているわけです。 課題を見つけて、 考えて、 判断していくという 「問題解決能力」 とか、 あるいは、 「思いやる心」 「協調性」 「豊かな人間性」、 そして 「健康・体力」 を重視した教育課程をめざしたわけです。 私は一番最初の 「課題を見つけ」 というのが一番難しいと思っているんです。 先生方も卒業論文を書く経験があったと思うんですけれども、 卒論で一番悩んだのは何でしょうか。 それはテーマを決めることではなかったでしょうか。 それは、 何が課題かというところから出発するわけです。 「課題を見つけ」 というのが非常に大きなポイントだろうと思います。 それで問題を発見しながら、 解決の過程でいろんな力をつけていく。 あるいはその中で豊かな人間性を育むとか、 そういったことができるんだろうと思うんです。 まずは"課題は何なんだ"ということが難しいのです。 先ほど 4 枚切りのパンのことを言いましたけれど、 体験を通して課題を見いだすことが大切だと思います。 もう一つは、 しっかりとした知識がないとなかなか課題というのが生まれないということを述べたいと思うんです。 私は教育センター勤務の経験があります。 ローカルな話で申し訳ないんですが、 広島県教育センターの所在地は八本松町というところなんです。 昔の歌に"西の瀬野八、 東の箱根"というのがありました。 鉄道マニアならご存じでしょうけれども、 列車が牽引車 1 台で上がらないところが、 箱根と八本松ということなんです。 位置的には、 広島のちょうど真ん中にあるんですけれども、 私、 そこへ列車で通っていまして、 生物の先生とよく一緒になったんです。 山陽本線は瀬野川という川沿いを上っていくんですけれども、 春のある日に一緒に列車に乗っていて、 窓の外を見ると川に黄色い菜の花が咲いていたんです。 真っ黄色い菜の花が川の中洲に咲いているんです。 私は 「先生、 きれいですね。"菜の花や月は東に日は西に"という感じですね」 と言ったら、 「大杉さん、 あれはおかしいよ。」 と言うんです。 「何でですか。 きれいじゃないですか」 「いや、 あれはおかしい」 と言うんです。 植物専攻の先生だったので植生について非常に詳しいんです。 中洲にあの菜の花が咲くはずがないと言うんです。 あれは種子が何か自然現象以外の方法で運ばれたに違いない、 と言うんです。 その課題がなぜ先生にとって"おかしい"、 と思い、 私にとっては単に"きれいだ"と思ったかというと、 背景にある知識体系が全然違うんですね。 深い知識体系を持っていると、 自分が持っている枠組みではまったく説明できないものにぶつかる。 生き方もそうですけれど、 自分の生き方とまったく違う出来事にぶつかる。 そういうときに課題が生まれる。 それはやはり体験の中とか実際にその場にいて考えないと、 また、 体験しないと生まれないのではないでしょうか。 それと、 問題を解決するというのは、 実際に問題を解決しないとそういう力はつかないということを考えなくてはなりません。 自転車にどうやって乗れるかと言うと、 何回もひっくり返って乗れるようになるわけです。 右手にハンドルを持ってというふうに、 乗り方について書いている本を頭に入れれば乗れるかというと、 そうではないわけです。 実際に問題解決しないといけない、 そういうことが必要です。 そのために何が必要かというと、 やはり体験する時間なんです。 「ゆとり」 というのは 「遊ぶ時間」 ではなくて、 実際に深く考えるための時間が必要なんだということなのです。 「ゆとり」 の中で 「生きる力」 を育むことを具体化してお見せしているのが 「総合的な学習の時間」 なのです。
次に、 この時間を年間のカリキュラムに位置づけることの意味、 これが二点目の話しです。 最初は 「生きる力」 と 「総合的な学習の時間」 との関連ということでお話ししましたが、 今度は、 カリキュラムに 「総合的な学習の時間」 を位置づけることの意味を考えていただきたいのです。 私は社会科・公民科の担当の調査官なんですが、 現在この教科でのカリキュラムというのは、 小学校 1 、 2 年生で生活科があって、 3 年生から社会科があって、 中学校から社会科・地理的分野、 歴史的分野、 公民的分野があって、 高等学校では地歴科、 公民科というように、 従来の社会科から体系が変わりました。 生活科は、 子どもの知の未分化の時代に体系的な内容をストレートに子どもたちに見せて学習させるのではなく、 知が未分化の状態のときには未分化のところでの学習を、 それから社会科へ、 分野制へ、 科目制へ、 というふうに科目として総合的なものから、 専門的、 あるいは系統的に分化していくという、 そういう流れを取ってきたわけです。 これはよくよく考えると、 産業界も学問も教育もそういう体系になっていますね。 近代科学でいえば、 要素還元主義という考え方ですね。 あるものを総体として捉えるということは非常に難しいので、 それぞれ幾つかの部分に区切りながら、 それを分析して明らかにしていくという形で近代科学は発達してきたと言われます。 高校の科目や大学の科目名を見ると、 理科が 「物・化・生・地」 になり、 「物・化・生・地」 が植物学とか天文学というふうに分化していきます。 これが、 産業界ではフォードシステムやテーラーシステムに代表されますが、 分業と協業という形となります。 例えば時計を 1 人の人が作っていたのを、 ネジを作る人、 ガラスを作る人、 バンドを作る人というふうに分かれて、 それを協業して時計に作っていくという、 そういうシステムが生まれてきます。 私の中学の先輩で大学の先生をしている人がいますが、 講演の中でテーラーシステムを参考に最初に教育課程の学問化を図ったのが、 アメリカのシカゴ大学の先生なんだという話を聞いたことがあります。 人の生活に必要なものを科目へ細分化して学校のカリキュラムをつくるという考え方です。 一番最初、 学校知と生活知とか言いましたが、 生活の中でいろんな問題に直面したときに、 今まで学んだことが解決に結びつかないという状況がある。 小学校では教科も総合的なものが多いんですけれども、 中学校や高校になれば教師は専門化・分化していく。 私は個人的には、 高校にこそ 「総合的な学習の時間」 が必要だと思っています。 先ほど紹介されました 「ねざす」 のレター版のところにも書かせていただいたんですが、 私は中高ともバレー部の選手でした。 バレーの練習というのは、 パス練習をして、 アタックの練習をして、 レシ−ブの練習をして、 サーブをコートに入れて返すだけでは強くなりません。 試合の中の動きを、 パスとか、 トスとかレシーブとかアタックというふうに区分して練習しただけでは決して強くなりません。 強いチームはパート練習を組み合わせ連続的な動きを身につけさせるんです。 先生方も吹奏楽とかのクラブの顧問をされていると分かると思うんですが、 確かにパート練習は必要だけれども、 幾つかのパートを組み合わせたり、 試合形式の練習をしない限りは強いチームにはならないのではないでしょうか。 今、 高等学校のカリキュラムの中にパート練習はあるけれども、 いわゆる実践的な試合形式の練習部分に当たるものがカリキュラムにあるのかということなのです。 「総合的な学習の時間」 のキーワ−ドは"知の総合"です。 われわれがいろいろなパートで習って持っている知識をどう総合して活用していくかということがポイントになる。 そういう意味で、 理念的にはこういった形で 「総合的な学習の時間」 というものが語られるんですが、 ところが実際に学校ごとで 「総合的な学習の時間」 について聞いてみると、 やはり温度差があります。 |
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