キーワードで読む戦後教育史 (1)
教育体制の転換 (1951〜1953年)
杉 山   宏    

 はじめに
  
 連合国軍最高司令官総司令部は、 1946年 1 月 4 日、 日本の教育改革を積極的に進めるために、 教育専門家による使節団の来日を米本国に求め、 また、 同月 9 日、 日本政府にこの使節団に協力する日本側の委員会設置も勧告してきた。 2 月 7 日に29名の委員よりなる日本教育家の委員会が発足した。 一方、 米国教育使節団員27名は 3 月 5 日と 7 日に分かれて来日したが、 使節団は来日以前に報告書の基本的な部分は検討を終えていた。 使節団の中に 4 委員会があり、 その内の 2 委員会は既に試案の草案が起草されていたということであった。 使節団は 3 月末までに、 日本教育家の委員会の協力により報告書の作成を終えるが、 この期間に行ったことは、 在米中に討議してきたことを日本の現状に合わせ、 また日本側委員の意見を聞き修正したものであった。 報告書
は、 4 月 7 日総司令部から公表されたが、 2 万語に達する文書で、 その内容は、 六・三学校制度、 教育委員会制度、 教科書制度、 教師教育制度、 学習指導要領導入、 社会科新設等が柱となっていた。 戦後教育改革の基盤をなしたものであった。 この報告書を基に、 教育改革の具体化を図るために教育刷新委員会の設置が決まり、 教育刷新委員会官制が 8 月10日公布され、 内閣総理大臣の所轄の下、 教育に関する重要事項の調査審議を合議制によって行っていくことになった。 その後、 憲法・教育基本法が制定され、 日本の戦後教育は比較的順調な歩みを続けるかに見えたが、 米ソの対立を受けて米国の対日占領政策が大きく転換していく中で、 教育政策も例外ではなかった。
 15年戦争で、 日本が人的に物的に他国の人々に与えた莫大な被害に対する問題は、 戦争終了後半世紀以上経過した今日でも多くの未解決のものを残しているが、 直接日本人に関する問題に限ってみても、 政府発表で、 37年から45年にかけての戦病死者233万人、 戦傷者と空襲などによる一般国民の死傷者、 行方不明者の合計は100万人ということである。 これ等の人々の犠牲で得た貴重な民主主義でありながら、 定着せず今日に至っている。 教育民主化も、 戦後僅かの期間は急激に進むかに見えたが、 間もなく一部で復古的な動きが生じ、 以後、 定着したとは言えない状態で今日に至っている。  小論は、 敗戦後の一時期広がった民主主義が、 その方向を変えてゆく動きについて51年〜53年初を中心に考察してみた。

  (1)  政令改正諮問委員会

 50年 6 月25日、 朝鮮戦争が開始され、 8 月10日に警察予備隊令が公布施行された。 その間の 7 月19日、 新潟大学で総司令部民間情報教育局顧問イールズが、 全国の大学から共産主義者の教授を排除すべきであるとする演説を行った。 イールズは、 これを皮切りに、 30校余りの大学を翌年 5 月にかけて巡回したが、 かなりの大学でボイコットされ、 南原東大総長の反論表明や全国大学教授連合の総会での反対決議もあり、 その目的は失敗に終わった。 しかし、 公然としたレッド・パージは行われなかったが、 学制改変の段階で任用切り替えを拒否し、 旧制学校廃止による自動退職の形で、 結果的にレッド・パージが行われた例も出た。
 50年 8 月27日に第二次米国教育使節団が来日し、 翌 9 月22日にマッカーサーへ報告書を提出している。 「昭和21年の訪日アメリカ教育使節団によって大要を示された教育計画は、 りっぱに実現されつつある」 としながらも、 教師の団体に対し 「日本の最善の福祉のために必要な教育を妨げようとする団体に対しては、 反対する自由を持つものである」 と、 考え方によっては反対すべき教師の団体があるかの如く述べており、 アメリカン・デモクラシーの枠からはみ出した者には強権を振るうということを感じさせるものであった。 日教組はこれに先立って、 9 月 7 日に 「再び米国教育使節団を迎えて」 と題した主張を 『日教組教育新聞』 に掲載している。 前回の米国教育使節団報告書は、 その後の日本教育界にとって貴重な指針となったとし、 その指針を受けての日教組の組織作りと活動について述べた後、 「文部省や教育刷新審議会とは別個の立場で、 日教組こそ日本の民主教育確立の運動を教員自らの手で最も強力に推し進めて来た唯一の全国組織である」 と記述していた。
 51年 5 月 1 日、 リッジウェイ総司令官は、 対日講和に備え、 占領諸政策の緩和と日本政府に対してポツダム政令等の修正・再検討の権限を付与するという声明を発表した。 これに応じ 5 月 6 日に首相は、 首相の諮問機関としての委員会を設置し、 14日に発足させた。 この委員会は、 石坂泰三、 原安三郎、 小汀利得、 板倉卓三、 木村篤太郎、 中山伊知郎、 前田多門で構成されたが、 後に石橋湛山や田中二郎も委員となっている。 田中二郎は日本教育法学会研究総会の特別講演(1)の中で、 委員会の先発メンバー 7 名の名を挙げた上 「その考え方はむしろ、 その当時進んでいた行政制度とか教育制度の改革の線とは、 かなり違った、 中には、 まったく逆の方向をめざした考え方をもった人が多くを占めておりまして、 中には、 その力強い推進力になろうというような人もありました」 と構成員を評し、 委員会における論議を述べた後 「終戦後僅か 6 年しかたっていない昭和26年のことですが、 僅か 6 年の間に、 終戦当時の考え方とは、 根本的に変わってきていたように思います」 と述べている。 この委員会は、 名称を特に付けるようなことはなかったが、 政令諮問委員会が発足当初以来の通称であった。 しかし、 後述の11月16日の答申書に政令改正諮問委員会と印刷されてから、 公的にも、 また研究書等においてもこの名称が使用されるようになった。
 7 月26日に自由党は、 52年度予算案の編成に当って、 中学 2 年制・義務教育費国庫負担制度・教員養成大学 2 年制等の意向を文部省側に通告している。 これに対し、 8 月11日に天野文相が六・三制完全実施を言明し、 更に、 文部省として 8 月14日に 「六・三制を存続せしむべき理由(2)」 を政令改正諮問委員会に提出した。
 即ち、 義務教育の年限を延長したことは、 決して外部からの圧力によるものではなく、
わが国は過去においても常に義務教育の年限の延長に努力して来ていた。 この長年の懸案を平和国家、 文化国家として再出発した際に、 自発的に解決したものである。 六・三制の義務教育を実施した理由は、 満15歳は身体的にもまた精神的にも丁度少年期の分かれ目であり、 学力も最も伸びる時期であると共に、 最も身体に保護を要する時期でもある。 また、 義務教育の年限を延長することは、 近代国家の趨勢であり、 新学制は、 平和日本の重要な国策として万難を排して実施されなければならないものである。 そして、 真に国民全体の一致協力によって今日あるを得たのであり、 これが一朝にして後退するならば、 国民は国家の政策に信を置かないことになる。 更に、 これが一部政党に利用される危険もあると考えられるとし、 現在の教育費が国力に対して過重であるという理由に対しては、 いささか疑問の点があるのではないかとしている。 先ず、 国民一人当りの公教育費の比較から始め、 以下教育費総額の国民所得に対する比率等を数字を挙げて説明し、 教育費の増大ということにはならないと論じている。 但し、 文部省は昭和10年度、 同11年度、 同24年度を比較検討し、 むしろ昭和24年度の方が減少しているとしているが、 六・二制論者は、 単なる経年比較で論じているのではなく、 敗戦後の経済状態に適合した学校制度をと提唱していたのであった。
 この時点での文部省は、 戦後の教育改革を強力に推進していこうとしていた最後の時期であった。 47年発行の学習指導要領の第一次の改訂を行っている段階であり、 初期社会科をより良いものに育成するという考えの下に動いていた。 指導要領に試案の語もまだ記載してあり、 文相も学者文相の時代であった。
 前記の田中二郎の講演記録に、 政令改正諮問委員会内に敗戦時と考え方の根本的変化を感じたとあるが、 戦後の六・三制の平等主義的学校制度に再編成を目指す日本側の動きが顕著に表面に出て来たのは、 51年11月16日の政令改正諮問委員会の 『教育制度の改革に関する答申(3)』 辺りからではなかろうか。
 この答申の内容は、 戦後の教育制度改革は、 民主的な教育制度の確立に資するところが少なくなかった。 しかし、 この改革の中には、 外国の諸制度を範とし、 理想を追うに急で、 わが国の実情に即していないものも少なくなかった。 わが国の国力と国情に合わせ、 真に教育効果をあげることが出来るような合理的な教育制度に改善する必要がある、 と先ず述べている。 次いで、 基本方針として、 社会の要請に対応出来る教育制度や職業教育の尊重強化等を考慮することを前提に、 六・三・三・四の学校体系を原則的に維持するとしている。 更に、 具体的措置では、 学校制度、 学校体系、 現存学校の再編成について論じている。 この具体的措置の項では、 本文に対して相当量の備考欄を設けている。 以下、 その備考欄の記述と併せて、 答申の狙いを見てみる。
 日本の現状に合わせて是正するという考えの下に、 中学校、 高校において、 職業課程を選択しても進学の途を開くと一応説明を付けながらも職業教育充実強化を名目に普通課程と職業課程に分化し、 戦後の袋小路を作らない単線型教育の体系に陰りが出てきたといわざるを得ない。 総合制・学区制を廃止し、 中学校と高校を統合して六 (五) 年制職業高校を、 高校と短大を統合して五 (六) 年制専修大学を設置するという構想等が出された。 これ等の変革も学校体系の複線化への路線と考えられる。 普通教育を偏重する従来の制度を改め、 高校や専修大学で専門的職業教育を主として行う教育制度を確立するということは、 この当時、 朝鮮戦争における国連軍の兵站基地としての役割を果たし、 軍需景気に沸くなかで、 生産性向上、 労働力形成を考慮した答申であったと言える。 また、 備考に 「学芸大学は、 これを教育専修大学 (高等学校を併せて五年または六年) とし、 文理学部、 学芸学部、 教育学部等についても適宜整理を考えること」 とあり、 9 年間の義務教育を終えた者を集めて、 教師を養成する単科の教育専修大学をつくる構想が出てきた。 師範学校教育を否定して、 教師養成は一般大学でという戦後の大目標と異なった構想が打ち出された。 「教育専修大学が旧師範学校化することのないよう特に考慮すること」 と備考にあることは、 師範教育復活という懸念が当然出てくると予想されたのであろう。 これ等の改革構想は、 その後の政権の文教政策に大きな影響を与えた。
 この答申には、 国力の回復まで六・三制の延期を求める少数意見(4)が付記されている。
 12月22日に東京大学教育学部関係教授団15名が、 「いわゆる政令改正諮問委員会の 『教育制度改革に関する答申』 に対する意見」 を発表した。 発表文は 「われわれ有志の者はこの答申を検討し黙過してはならないものがあると認め、 ここに批判的見解を表明する」 として 9 項目の意見を掲げている。 「これからの日本人がいかにあるべきかという、 教育にとって基本的な問題を無視している。 財政緊縮の要求から、 すなわち教育外の観点から、 教育を節約の対象としてのみ扱っているように見える」 と半世紀後の今日でもそのまま当てはまるようなことなども記されている。

  (2)  教育刷新審議会廃止

  『中央教育審議会答申総覧(5)』 の 「はじめに」 の部分に、 教育刷新審議会のことが述べられた後、 「昭和26年11月、 同審議会は、 一応その使命を達したものとし、 今後は、 それまでの教育改革の基礎の上に、 文教の普及・充実を図るため文部省に恒常的な諮問機関を置く必要がある旨の建議を行い、 5 年半に及ぶ審議を終えた。 そこで、 昭和27年 6 月 6 日、 文部省設置法の改正が行われ、 新たに文部大臣の諮問機関として中央教育審議会が設置された」 とある。 『教育刷新審議会会議録(6) 』 の第36回、 第38回、 第39回、 第40回、 第41回、 第42回、 第44回の各総会議事速記録によると、 必ずしも問題無しに内閣総理大臣直属の教育刷新審議会から文部大臣の諮問機関の中央教育審議会へ引き継がれたのか疑問が残る。 第39回総会議事要録に議事として 「中央教育委員会の組織について」 を取り上げているが、 [備考] 欄に 「第 9 回建議、 中央教育委員会の組織は次の通り」 として、 以下の記載がある。
 中央教育委員会の定員は15名とし、 その選任は次のごとき方法によることとする。 一、 委員中 6 名については、 各都道府県内の教育委員会の委員中より 2 名ないし 5 名 (県の大小に準じ) の選挙人を選挙し、 この選挙人が12名の中央教育委員候補者を選定し、 文化大臣 (仮称) はそのうちより 6 名を指名する。
 地方教育委員会委員は、 中央教育委員会委員を兼ねることができない。
二、 中央委員中 2 名は、 衆議院および参議院より、 その議員中より各 1 名ずつを指名する。
三、 委員中 7 名は文化大臣 (仮称) これを推薦し、 国会の承認を得ること。 中央教育委員の任期は 4 年とする。
 たゞし、 一号委員中の 3 名および三号委員中、 3 名の最初の任期は 2 年とする。
 委員は重任することができる。
 この第 9 回建議を基に審議会の論議が行われている。 衆参両院より 1 名ずつ……というのは今日では出来なくなったという委員長の発言があったが、 この発言には、 出来なくなった理由付けはなかった。 次いで、 中央教育委員会は地方教育委員会とコネクションは持つべきだと思う、 という意見が出た。 そして委員構成に関しては、 「委員中 6 名については、 各都道府県内の教育委員会……」 とあるが、 全国的な方法は事実上むずかしいことだが、 全国教育委員会委員連絡協議会を使えば可能とされた。 教育刷新審議会委員には、 年 1 回ぐらいしか出席しない人がいたので、 中央教育委員会の委員の半数はその職に専任すべきだ、 と論じられたのに対し、 専任にするというより、 待遇をよくすることの方が出席をよくする結果になる等の論議の後で、 次官の中央教育委員会の組織について、 全く自由な個人としての意見が求められた。 劒木次官は全く個人としての意見だが、 私はこう思っているとし、 国立大学、 公立大学、 私立大学の各審議会から、 それぞれ代表者を出してもらう。 更に学識経験者をこれに加える。 私は、 専任制には必しも賛成出来ない。 待遇については、 俸給制よりも、 出席による手当制がよいと思う。 また、 文化財保護委員会にしても、 公安委員会にしても、 いずれもそれ自体、 行政機関である。 従って行政機関と諮問機関とでは待遇が同じにはいかないであろう、 と述べた。
 2 月23日の第40回総会の論議中では、 「中央教育委員会」 という名称が用いられており、 審議内容も地方教育委員会との関連が論議になっていた。 しかし、 総会終了間際に、 委員長より 「中央の教育委員会のほうの構成なども、 先程お話になった特別委員会を作りますので」 という発言があり、 8 名の委員が挙げられ、 教育刷新審議会第20特別委員会が発足(7)した。 3 月 2 日第 1 回の特別委員会が開かれたが、 委員の推薦母体選びから入り、 最後の纏めとして、 委員長は 「中央教育審議会委員を選出するために、 推薦母体として二つの案が考えられる。 一つは現在文部省内外に設置せられておる公定というか公の審議機関。 それを具体的に言えば、 教育刷新審議会、 大学設置審議会、 それから日本学術会議、 社会教育審議会を以てこれに当てること。 第二の案は、 以上の外に全国教育委員会委員連絡協議会、 それから日教組、 その他の任意協議会を若干加えるということ。 この二つの案があるわけです。 次はそういうような推薦母体からおのおの 2 人ずつの推薦委員を選出してくる。 その推薦委員が中央教育審議会の委員の定数である15人の倍数を選んで、 その中から文部大臣が15名を任命する。 その場合に推薦委員の選ぶ15名の中 8 名を教育、 文化、 学術界から選び、 7 名を政治、 社会及び産業、 経済界から選ぶ。 これを総会において又議してもらうこととする」 としていた。
 3 月 9 日の第41回総会の議題に入ったところで委員長は 「前の総会で 2 、 3 回、 中央教育委員会の組織とか構造とかいうことにつきまして、 ここで大体のことは一応フリー・トーキングがあったのでありますが、 それに対しまして、 特別委員会をこの間作りまして」 と述べた後、 3 月 2 日に行われた特別委員会の討議結果についての報告が係官からあり、 その中に 「中央教育審議会」 の名称が総会の場に出てきた。 ここで反対論も出たが、 文部大臣の諮問機関として既存のものは専門的なものばかりで、 中央教育審議会は全体的な文部省の審議会という性格であれば良いという考えも出た。 委員長が、 暫く教育刷新審議会を開店休業にして、 格別のことがない限り休みたいと述べ、 事務次官より 「暫くお休みだそうでございます。 併しこれはいずれは新しい形で同じようなものが、 文部省の知恵を貸して下さる、 中央のこういう審議会ができることを期待しております」 という挨拶で終わっていた。
 第 2 回特別委員会は、 3 月16日に開催され、 先ず、 中央教育審議会の権限を審議した。 即ち、 中央教育審議会の権限については、 次の二案が考えられる。
(一案) 文部大臣は、 教育、 学術、 文化に関し、 左に掲げる事項についてその基本方針を決定する場合においては、 あらかじめ中央教育審議会にはかり、 その意見を、 聞かなければならない。
ア 学校教育に関する重要な事項
イ 社会教育および文化事業に関する重 要な事項
ウ 教育財政の大綱
エ 国・公・私立大学に関する重要な事項
(二案) 中央教育審議会は、 文部大臣の諮問に応じ、 教育、 学術、 文化に関する重要事項を調査審議し、 およびこれらに関し必要と認められる事項を文部大臣に建議する、 であった。 次いで、 設置趣旨の審議に入った。 設置の趣旨として原案は、
 教育刷新審議会は創設以来わが国教育改革の根本的政策の樹立に多大の貢献をなし、 今日一応その使命を達した。
 しかし、 民主的教育の完全なる実施と、 広く国民文化の向上をはかるため、 また情勢の推移に応じ、 今後なお慎重に調査審議し、 再検討すべきいくたの問題に直面しているので、 文部省に恒久的な諮問機関として中央教育審議会を置く必要がある。
というものであったが、 「しかし」 の部分と入れ替えに 「これらの教育改革の基礎の上に」 を入れ、 「また情勢の推移に応じ、 今後なお慎重に調査審議し、 再検討すべきいくたの問題に直面しているので」 の部分は削除となった。 多くの問題を残しての引継ぎとはしない考えが示されている。
 続いて、 組織の問題に移り、 原案として、
 一、 組織 中央教育審議会は定員15名の  委員をもって組織する。
 二、 委員の選任 中央教育審議会委員の  選任は左の方法による。
  (1) 主として、 文部省の内外に設置されている法定の審議会等から、 各 2 名の選挙人を推薦し、 この選挙人が定員の倍数の委員候補者を制限連記の方法で選出する。
 なお、 選挙人を推薦すべき団体としては、 さしあたっては、
ア 教育刷新審議会
イ 大学設置審議会
ウ 日本学術会議
エ 社会教育審議会
等の法定の団体のほか、 全国教育委員会委員連絡協議会その他、 全国的な教育に関する任意団体で、 適当なものがあればこれを加えることも考えられる。
(2) 委員候補者の選出に当っては、 教育・学術・文化の分野から16名、 政治・社会・産業・経済の分野から14名を選出する。
(3) 文部大臣は、 委員候補者のうち、 教育・学術・文化の分野から 8 名、 政治・社会・産業・経済の分野から 7 名を基準として、 委員を任命する。
(4) 委員の任期 中央教育審議会委員の任期は、 4 年とし、 欠員が生じた場合の補欠委員は再任されることができる。
であった。 第一項は原案通りとなり、 第二項のところでは、 人数の分配で、 教育、 学術、 文化のほうへ多く入れて、 最後の任命のところで10名の人を入れ、 政治、 社会、 経済という人を 5 名入れる。 また、 委員の任期は 4 年は長過ぎるからとして 2 年となった。 それから補欠と次期選挙のところで、 創設する時における方法に準じて行うという規定を設けることとなった。
 その後第44回総会が 8 月24日に開かれ、 委員長より 「本日は特に重大な事柄につきまして文部省御当局のお話を承り、 ご意見を交換したい」 と六・三制の問題につき文部次官の発言(8)を求めた。
 次官は、 教育委員会が教師の身分のことを取扱いながら、 教師の俸給そのものは県或いは市町村が行うというようなことで、 県の知事の立場と教育委員会の立場とは、 必ずしも教育について一致しない点もあったかと思われる。 そして、 この際六・三制は日本が自主的に考え直さなければならないのではないか、 という意見があったと思うが、 併しこれは政府も政党も正式の問題として取上げられたわけではなかったのである。 8 月の初め頃、 文部大臣が岐阜へ出張した時の車中談に六・三の根本は変えないと言明した。 恐らく新聞記者が六・二になるという噂があるけれども、 それに対して大臣はどう思うかというような質問をしたのに対しての答えと思うが、 自分が職にある限りは六・三制は決して変えないと言明した。 文部省にも、 政府与党である自由党の首脳部の方にも、 大蔵省にも、 六・三制を変えては困るという陳情や電報や抗議や激励等が来ている。 しかし、 文部大臣は変えない、 大蔵大臣も閣議にかけないで、 変えるのどうのということはいうべき筋のものではない、 総理大臣は国会で変える意思はないということを言明しているので、 憂えはなくなったと思われる、 という発言をした。
 第一次米国教育使節団に協力した日本教育家の委員会の後継組織である教育刷新審議会としては、 六・三制に対しては重大関心があったので、 審議会として文部省次官の意見を聞いたのであろう。
 教育刷新審議会の最後の総会である第45回総会の議事速記録は、 現在欠本になっているが、 総会は11月 8 日に開催されており、 同会において政令改正諮問委員会答申に対する批判的声明を出している。 その声明は現存 (文部省調査普及局 『教育刷新審議会要覧』 昭和27年 6 月) しており、 以下の通りである。

  中央教育審議会設置に関する声明
 伝えられる政令諮問委員会の教育改革案は、 わが国の教育上、 幾多の重要な問題を含んでおり、 にわかに、 賛意を表しがたい。 政府は、 今後さらに、 中央に、 教育のための恒久的な審議機関を設け、 教育刷新の基本精神を堅持して、 慎重に審議すべきものと認める。
  昭和26年11月 8 日
  教育刷新審議会委員長 南 原  繁
 
 上記 「声明」 は、 教刷審第45回総会の決議事項であった。 その後、 中央教育審議会の正式発足までの間、 教育刷新委員の一部入れ替えに依る暫定的教育刷新審議会の存置という計画も出たが、 実現はしなかった。 52年 6 月 6 日に文部省設置法の一部を改正する法律が公布され、 同法の附則に 「第15条第 1 項の表中教育刷新審議会の項を削る」 で正式に廃止された。 更に、 同月12日に以下の如く教育刷新審議会を廃止する政令が公布され、 廃止は法的にも完了した。
 教育刷新審議会令を廃止する政令をここに公布する。
  御 名 御 璽
   昭和27年 6 月12日
     内閣総理大臣 吉 田  茂
政令第185号
 教育刷新審議会令を廃止する政令
 内閣は、 文部省設置法の一部を改正する法律 (昭和27年法律第168号) の施行に伴い、 この政令を制定する。
 教育刷新審議会令(昭和21年勅令第373号) は、 廃止する。
   附 則
 この政令は、 公布の日から施行する。
     内閣総理大臣 吉 田  茂

  (3) 義務教育費国庫負担法

 義務教育費国庫負担法という法律は敗戦以前からあったが、 シャウプ勧告の結果、 地方財政平衡交付金制度が創設され、 50年度に国庫負担法は廃止された。 そのため、 52年の時点で義務教育に対する国の財政上の保障はなくなっており、 地方公共団体独自の税収入で義務教育費を賄うことの出来るのは、 9 都府県に過ぎなかった。
 51年12月23日付朝日新聞に 「義務教育費の確保をはかれ」 と題した社説(9)が掲載されている。 この当時の教育費を巡っての諸問題を、 年末の社説として纏めて述べている。 内容の一部は 「今年ほど教育のことがいろいろと論議されたことはあるまい。 六・三制への批判、 教育委員会制度の再検討、 給食問題、 国民実践要領、 産業教育など、 数えれば限りがないほどであるが」 と書き始めた後、 義務教育費確保の問題を取り上げ、 地方財政の自主自立、 教育の地方分権のために、 義務教育費が国庫負担から平衡交付金制度の中に組替えられて以来、 義務教育費がつねに不安定の中におかれている。 高瀬文相の時に、 平衡交付金にヒモをつけた 「標準義務教育法案」 を出そうとして実現しなかった。 そこで文部省は、 最低義務教育費を国庫で保障する案に直し、 「義務教育費国庫負担法案」 として、 国会に出す準備を進めている。 この案の目指すものは、 現在の平衡交付金制度から義務教育費を切り放し、 最低義務教育費の算定方法を法律で定めこれに対する地方の負担率を決めて、 この差額を全て国庫負担とするものである。 地方財政委員会は、 平衡交付金からの教育費の独立に対してはその立場から当然反対の意向をもつとともに、 これは中央集権的な補助金、 補給金の復活と同様で、 地方財政民主化の方針に反するものとしている。 地方の教育委員会が文部省に直結される結果、 かつての官僚的文教政策が再現するようなことがあってはならない。 また、 講和関係費による文教費圧迫を危惧している、 としている。
 この義務教育費に関する文部省案が、 翌52年 3 月13日に発表された。 即ち、
   義務教育費国庫負担法文部省案
 地方平衡交付金制度を改め、 義務教育費国庫負担制度を新たに確立するため、 本省ならびに全国教育委員会協議会では、 昨年 5 月来法案の研究を続けているが、 準備中の 「義務教育費国庫負担法案」 の概要は下の通り。
一、 義務教育にどれだけの費用がかかる かということをこの法律で明らかにす る。
  (1) 教職員の給与費は、 それぞれの学校の規模に応じた適正学級数を算出して、 これに必要な教職員数が必ずえられるようにし、 これをもととして適正な給与費を算出する方法を定める。
  (2) 学校維持費は過去の実績をもととしていろいろ研究した結果、 教職員の給与費の35%が必要であることが明かになったので、 これを確保できるように定める。 これによってPTAによる多額な寄附金を解消し、 将来教科書、 学用品、 給食等も無償で支給できる途をひらいておく。
  (3) 学校施設費は給与費の算定にもちいた適正学級数をもととして、 1 学級45坪 (小学校では児童 1 人当り0.9坪、 中学校では生徒 1 人当り1.28坪) とし、 これに時価による坪単価 ( 2 万3000円) をかけて建築費の所要額を計算し、 その校舎が40年間使用にたえるものと考え、 毎年度その40分の 1 の額を確保できるようにする。
 二、 このようにして計算された義務教育費について、 国がその総額の二分の一を下らない範囲で国庫負担金を予算に計上し、 これを地方団体に交付する。
 三、 この場合、 この国庫負担金を、 裕福な地方と、 貧乏な地方にどのように配分するかということや、 地方がどれだけ負担すればよいかということについては、 近く地方税法の改正が予想されるので、 今後充分検討することとなっている。
 四、 27年度は、 この国庫負担金を計上することが予算上困難であるから、 暫定的な取扱として、 義務教育費は、 従来どおり平衡交付金制度の中で計算されるが、 その算定基準とか算定に必要なことがらは、 この法律の附則で定めることとする。 したがって、 このように計算した義務教育費を必ずしもこのとおり府県や市町村が支出しなければならないということではないので、 その点は今までどおりとなんら変わりがない。 異なる点は、 義務教育費の算定が今までよりも一層合理的に地方の実情に即して計算できるように改善されることである。

とあり、 二分の一を下らない範囲での国庫負担としている。 そしてこの文部省案に関連して、 天野文相談話(10)も発表されている。 文相は、 文部省の案では各府県の財政能力に応じて国庫負担に弾力性をもたせてある。 反対理由の中に、 再び中央権力による統制を復活することになるというのであるが、 要するにこれは平衡交付金制度が大切か、 国の教育が大切かという問題である。 私は国の教育の方が大切だと考える、 と文部省案の妥当性を述べているが、 中央権力による統制復活の否定に対する説明の不十分さは感じられる。 この文部省案を受け、 同13日に以下のような自由党政調会の義務教育費国庫負担法妥協案が出された。
 義務教育費国庫負担法を本国会において制定する。 その内容は次の通りで、
 (1) 義務教育費の算定基準は文部省案の趣旨による。 (細部については更に検討のこと)
 (2) 義務教育費の国庫負担は標準義務教育費総額 (全国) の二分の一を下らざる範囲とする。
 (3) 国庫負担金の配分基準及び配付に関する事項は別に法律で定める。
 (4) 昭和27年度の義務教育費については、 平衡交付金制度の中で考慮することとし、 その基準財政需要額の算定基準及び算定に関する事項は此の法律の附則で定める。
 ◇本法は前記 (4)を除き28年度より実施する。
 地方公務員たる義務教育学校職員の給与費の半額を下らない範囲を国庫負担とするということであるが、 国の教育の大切さが力説される中、 政治問題化する懸念が起きてきた。
 義務教育費国庫負担法案は、 5 月 7 日、 第13国会の衆議院に議員提案として提出された。 8 日の衆議院文部委員会で自由党竹尾弌委員が 「義務教育費のように、 憲法上国がその最終的責任を負うことを要請されており、 しかも地方財政においてきわめて大きな地位を占めている経費につきましては、 どうしても平衡交付金制度とは別に国庫がこれを補償する制度を確立し、 義務教育の妥当な規模と内容とを国民のすべてに対して保障いたしますとともに、 地方財政の安定をはかることが必要であると考えるのであります」 等と述べ、 この法律案の提案理由とした後、 法律案の骨子の論述に入り、 「この法律案は、 昭和28年度から実施すべき義務教育費国庫負担制度等につきまして必要な規定を設け、 附則においてこの趣旨を実現するため、 昭和27年度についてさしあたり地方財政平衡交付金制度の特例に関して所要の規定を設けたのでございます。 御承知のように、 本年度はすでに予算も定まり、 また国庫負担制度を実施いたしますためには、 なお相当の準備も必要でありますので、 このような方法をとったわけであります」 と述べてから、 逐条説明を行っている。
 一方、 5 月13日、 同国庫負担法について田中初中局長が談話(11)を発表している。 局長は、 義務教育は憲法上国民の重要な義務であると同時に権利でもある。 現在の平衡交付金制度とは別に国庫負担の制度を確立して義務教育について国が財政上の最終的責任を負うことが必要となったのである、 として文部省の態度を明らかにした。
 52年 8 月 8 日に義務教育費国庫負担法は公布され、 53年度から義務教育諸学校の教職員給与費の半額が、 平衡交付金とは別に地方の独自財源として支出されることになった。

  (4)  義務教育学校職員法

 敗戦直後の45年 8 月17日に鈴木内閣が総辞職し、 同日東久邇宮内閣が組織され、 新内閣で松村謙三が 1 日だけ文相を兼任した翌18日、 文相に前田多門が就任した。 彼は、 内務省入省後、 東京市助役を経て東京朝日新聞論説委員、 新潟県知事、 貴族院議員を歴任しており、 官僚の色合いも強いが、 文化人でもあった。 以降の歴代文相は、 安倍能成は漱石門下、 哲学者で一高校長。 田中耕太郎は法学者、 東大教授、 文部省学校教育局長。 高橋誠一郎は経済学者、 慶大教授。 森戸辰男は社会政策学者、 東大助教授、 大原社会問題研究所所員。 下条康麿は統計学者、 貴族院議員。 高瀬荘太郎は会計学者、 東商大学長。 天野貞祐は哲学者・教育家、 京大教授、 一高校長であった。 この 8 人の中には、 官僚として活躍した者もおり、 全員が純粋な学者というのではないが、 学者・文化人の中には当然入る人達であり、 この人達が文相当時は、 政治の力が教育に直接介入してくることが一応防がれた時代であった。 義務教育費国庫負担法が公布された直後の52年 8 月12日、 天野文相は病気を理由に辞任し、 学者文化人文相に終止符が打たれた。 天野の後は、 党人文相の登場となった。 岡野清豪である。 岡野清豪は、 三和銀行頭取から政界に入り、 この時、 国務大臣で総理府の外局自治庁長官(12)であったが、 文相兼任となった。 第 4 次吉田内閣では文相留任となり、 吉田首相の意をうけ逆コースの推進役となった。
 戦後制度の再検討が行われる中、 産業界から教育制度についての要望も出されてきた。 10月16日に日本経営者団体連盟 (日経連) から要望書(13)が発表された。 戦後の新教育制度に日本の国情を無視した点があり、 再検討の必要を痛感するとし、 中央教育審議会の早期発足を求め、 実業高校の充実と新大学制度の改善の二点に関し産業界の要請に応えて欲しいとしていた。 労働運動の鎮静化と生産性の向上を希求する産業界の教育改革への要望と、 自由党を与党とする政府の目指す方向とがほぼ一致しており、 産業界の要望が政策面に生かされ、 新しい政治の方策は更に産業界の要望を引き出すことになった。 特に日経連は、 その経営者団体としての性格より、 教育問題への関心は大きかった。
 52年の年末、 大蔵省が義務教育費国庫負担のことを問題にした。 それまで平衡交付金を受けていなかった富裕団体にも、 多額の負担金がいくことになり、 他県との財源調節が必要となり、 国庫負担法の実施はそれらの処置が済まなければ出来ないと大蔵省が主張した。 12月 3 日の閣議で、 53年度予算編成に当たり義務教育費半額負担は 1 年延期を決定し、 大蔵省はこれに関する予算を全額削除した。 かくして情勢は急変した。
 翌53年 1 月 8 日の次官会議、 9 日からの引続く閣議において教育公務員の身分を地方公務員から国家公務員に切替えて、 給与を全額国庫負担とする案が諮られ、 連続討議された。 13日に本多自治庁長官の反対を除いて閣議で了承された。 更に、 17日の閣議で 「公立義務教育諸学校教職員の身分及び給与の負担の特例等に関する法案要綱」 を決定し、 次いで、 23日の閣議で、 義務教育費全額国庫負担制度を53年度から施行することを内定した。 岡野文相はこのことに関して、 閣議終了後、 文部省記者団と会見し大略以下のような談話を発表している。
  「政府は本日の閣議で義務教育全額国庫負担制度を昭和28年度から実施することに内定いたしました。 この制度の骨子は義務教育諸学校教職員の給与を全額国庫が負担することとし、 その身分を国家公務員とするものでありますが、 さしあたり昭和28年度においては給与について、 国は都道府県に対し法律の定める定員によって算出した額を交付するという方法によって実施する方針であります。 この制度によって、 義務教育について教職員の身分の安定をはかることができ、 憲法に規定する義務教育の機会均等の国家的保障を確保することができるのであって、 本制度の実施が内定しましたことは、 わが国教育の発展のためまことに喜ばしいことと存じます。 政府は今後最善の努力をもって、 その実施にあたる考えであります」
政府及び自由党の真の狙いは日教組対策であったといわれている。 日教組は国政選挙、 地方選挙で常に保守勢力と対立し、 平和運動、 労働運動においても重要な役割を果たしていた。 しかし、 文化人・学者文相時代は直接攻撃を加えることはなかった。
 1 月20日に開催された日教組第27回臨時中央委員会おいて討議された 「教育防衛闘争に関する件(14)」 において、 日教組はこの情勢について、 経過の概要として 「秋季闘争における文部大臣回答は昭和28年度の教員給与費については義務教育費国庫負担法にしたがって実支出額の半額を確保することを確約した。 しかるに28年度予算編成に当って定員定額を主張する大蔵省と文部省の半額要求とが鋭く対立し、 遂に大蔵省は義務教育費国庫負担の 1 年延期を前提として予算編成を進めるに至った。 この動きに対して自由党総務会は文部省と協議し、 一挙に教職員の政治活動を全面禁止するために義務制教職員の身分を国家公務員とすることを条件として、 定員定額方式による教員給与の全額国庫負担を決定し、 政府に申入れた」 と述べている。 また、 1 月25日から 4 日間、 高知市で第 2 回全国教育研究大会が開催されていたが、 28日に 「義務教育学校職員法案に関する日教組第 2 回教育研究大会声明書」 と 「同講師団声明」 が出されている。 この間の21日、 地方制度調査会が政府諮問の義務教育費全額国庫負担問題で論議し、 翌22日法案提出反対を決議している。
 義務教育費全額国庫負担について、 教職員の反対行動等も考慮して 2 月 3 日付文部広報に劒木文部次官談話(15)が出されている。 内容は、 昨年12月の閣議で昭和28年度予算編成にあたり義務教育費半額負担は 1 年延期となった。 半額国庫負担は国会で論議をして決定したばかりのもので、 それを実施延期するような予算では困るので反対した。 しかし、 1 年延期の理由が、 半額国庫負担は予算編成上非常に困難で、 地方財政、 税制にも影響があり実施困難と分かった。 そこで最も合理的な方法として定員定額による全額国庫負担を主張した。 国民は子女に普通教育を受けさせる義務を負わされており、 最終の責任は国がとるべきだと思う。 また、 教員の不利益処分も、 国の機関に訴えられるようにする意味で教職員を国家公務員とする。 28年度は暫定措置として、 8 都府県には交付されないことになるが、 交付されるよう努力する、 と述べていた。
 だがこの政府の行動に対して、 批判的な意見も出ていた。 2 月 4 日、 全国都道府県教育委員会委員連絡協議会は義務教育費全額国庫負担法案に反対声明を発表した。 また、 2 月 7 日付毎日新聞社説は 「今年に入って突然義務教育費の全額国庫負担法が、 自由党から出て、 国会休会中の閣議で承認され、 急転直下、 全額国庫負担という、 それまで予想されなかった問題が当面の焦点になるようになったのである。 義務教育費の全額国庫負担という言葉は、 実際のところ甚だまぎらわしい。 いかにも父兄の負担している教育費が軽くなるかのような印象を与えるが、 実は教員の給与を国が負担し、 定員定額制を実施しようというのである。 もちろん教員給与の外に教材費の一部、 総額にして19億円を国が負担する案であるが、 去る23日の閣議決定で901億円に決まった給与があくまで中心である。 むしろ教員給与国庫負担案というベきもので、 それを義務教育国庫負担案と呼ぶのは名実相ともなわないのである。 この案のもう一つのネライは、 国が教員の給与を全額負担することによって、 教員の身分が国家公務員に変わることである。 政府筋の説明によれば 『勤務秩序を保持し、 統一的な人事行政による身分の安定を図る』 というが、 実は身分の切りかえによってもたらされるものは、 日本教職員組合を中心とする教員の政治的活動に制限を加えることと、 文部省の力が今日より大きくなって教育の中央集権化が強められるということであろう。 閣議で卒然として、 この問題が決定した主な理由は、 このような政治的なネライによるものであることは明らかである。 同じ政府部内でも最後まで、 この案に反対態度をとって来た地方自治庁の発表したものにすら、 右の点を指摘していることを見れば、 思い半ばにすぎるものがあろう。 つまり政府が当面の政治的ネライだけで、 あるいはもっと極論すれば与党の選挙対策だけで、 教育の問題を扱う点に、 最大の問題がある」 としていた。
 9 日に日本PTA全国協議会が、 義務教育費全額国庫負担に不満を表明し、 14日に左派社会党が、 義務教育学校職員法案に反対を声明している。
 12日に文部省は、 義務教育学校職員法案を決定し、 17日には政府が、 同法案を閣議決定した。 法案の内容は、 義務教育教職員給与の全額を国の負担とし、 「義務教育について教職員の身分の安定」 「憲法に規定する義務教育の機会均等の国家的保障の確保」 を図るとしていた。 他方、 この法律の目的は、 総ての義務教育教職員を国家公務員として政治活動を制限する文部省による教職員管理を目指すものであり、 教組対策だったとする考えもあった。 同月19日、 全国知事会議は、 義務教育学校職員法案に反対決議し、 21日、 政府に質問書(16)を提出した。 また、 22日には、 全国連合小学校長会が教員の国家公務員化に反対し、 義務教育費全額国庫負担の要望を決議している。 更に、 25日に日本教育学会理事会において、 上村福幸等10名の理事が連名で、 「学ぶ自由を抑圧」 と義務教育学校職員法案に対する見解(17)を日本教育学会有志の名称において表明している。
 26日、 衆議院文部委員会で文相が義務教育学校職員法提案(18)理由の説明(19)を行い、 27日には文部省が義務教育学校職員法案に関する全国知事会議の質問に回答している。 しかし、 28日、 衆議院予算委員会で吉田首相が西村栄一の質問に怒り、 「バカヤロー」 と口走った。 与野党勢力が接近していた上に、 与党の内紛が加わったため国会は荒れ、 首相の懲罰動議の可決、 内閣不信任案の可決へと発展し、 3 月14日議会解散となった。 義務教育費全額国庫負担法案は廃案となり、 既に成立していた義務教育費国庫負担法が 4 月から施行された。

 おわりに

 80年代の初め頃、 海老原治善は、 戦後における教育改革の行政側の基本文書を三つ挙げよ、 と問われれば、 教育刷新審議会の諸建議、 政令改正諮問委員会の 「教育制度の改革に関する答申」、 71年の中教審答申を挙げると述べていた。 教刷審による諸教育改革とこれを逆転させようとした政令諮問委の答申、 戦後教育史の初期における大きな動きであったと共に、 今日の問題にも繋がるものであろう。 本稿においては主として四つの項目を取り上げたが、 与えられた紙数を超えてしまった。 しかし、 それぞれの項目が別々なものではなく、 一連の流れの中で捉えて行くべきであると考え併記した。 教刷審の後継機関である中教審は、 発足の段階から政令諮問委の答申路線を歩んでいた。 やがては、 中教審路線の語が罷り通るようになる。 依って、 53年・54年頃の中教審についても取り上げようと考えたが、 紙数の都合により本稿からは削除した。
 戦後の文教行政において、 52年 8 月は大きな転換点の一つであった。
         註

註1 1974年 3 月30日、 名古屋大学において開催された 「日本教育法学会第4回総会」 で、 『地方自治と教育委員会制度』 と題した田中二郎氏の特別講演が行われた。 講演内容は、 同学会年報第 4 号 (1975・3・25発行) に掲載されている。

註2 文部省が 8 月14日に政令改正諮問委員会に提出した 「六・三制を存続せしむべき理由」 は、 長文ではあるがこの時点での文部省の戦後教育に対する態度を明確にするものとして、 以下全文を掲げた。
 新学制の実施は、 わが国が平和的文化国家として再発足いたしますためには絶対に必要な要請でありました。 最近、 義務教育の年限につきまして、 国力不相応との理由から、 これを 8 年に短縮するというような意見があることを聞いておりますが、 これはまことにいかんなことであると考えているのであります。
 そもそも、 義務教育の年限を延長いたしましたことは、 決して外部からの圧力によるものではないのでありまして、 わが国の長年の懸案を平和国家、 文化国家として再出発いたしました際に、 自発的に解決したものなのであります。 例えば、 旧国民学校令は、 義務教育を 8 年に延長したのでありますが、 これは戦時特例によって 6 年に抑えられていたのであります。 また終戦前一般男子に対しましては、 満19歳まで青年学校に在学する義務があったことを考えれば、 わが国が過去におきましても常に義務教育の年限を延長しようと努力していたことはお解りのことと存じます。
 次に、 それでは何故に六・三制の義務教育を実施いたしたかと申しますと、 満15歳は、 身体的にもまた精神的にも丁度少年期の分れ目になっており、 学力も最も伸びる時期であり、 またその反面、 最も身体的に保護を要する時期だからであります。 現在、 労働基準法が満15歳未満の就労を禁じておりますのは、 満15歳の者が義務教育を受けているからではなく. 身体的に保護を要する時期にあるためでありまして、 世界各国に共通の措置なのであります。 また、 このことは学界の定説となっております。
 第三に、 義務教育の年限を延長することは、 近代国家のすう勢でありまして、 例えば、 米国におきましては10年又は12年の義務教育を行っており、 イギリスにおきましては10年の義務教育を延長する計画を持っていると聞いております。 また、 ドイツにおきましても12年 (うち 4 年は定時制) の義務教育を実施いたしております。 しかし、 如何なる理由がありましても、 義務教育の年限を短縮いたしました例は、 古今東西の歴史を通じてかつて聞いておらないのであります。
 第四に、 若しも義務教育の年限を短縮いたしましたときは、 学校制度全体に大きな影響を与えますことは当然予想されるのでありますが、 就中、 教育内容につきましては、 例えば、 カリキュラムにいたしましても、 教科書にいたしましても、 教員の養成にいたしましても、 全面的な改変を必要といたしますので、 再び、 六・三制実施当時と同様の混乱を繰り返すことは容易に予想されるところであります。 若しもこのようなことがありました場合には、 戦時中の空白時代のために学力の低下が叫ばれ、 最近漸く軌道にのりつつあった義務教育は再び混乱に陥り、 そのために生じる教育の効果の面におきます損失は、 実に計り知れないものがあります。
 第五に、 新学制は、 平和日本の重要な国策として万難を排して実施され、 真に国民全体の一致協力によって今日あるを得たのでありまして、 これが一朝にして後退いたすことになりますならば、 国民は国家の政策に信を置かないことになり、 また、 これが一部政党に利用される危険があると考えるのであります。
 第六に、 既に六・三制の完遂のために投ぜられた今日までの費用はその全部が無駄になる訳ではございませんが、 地方といたしましては、 かなりの無駄を生ずることは否定できないと存じます。 特に、 各地方公共団体の責任者が、 民主的な文化国家の建設のためと信じて校舎の建築等を強行した場合も少くないと考えますが、 その立場は全て失われることとなると思うのであります。 また、 義務教育の年限短縮によりまして、 若しもその大部分が上級学校に入学しないものと仮定いたしますと、 多数の新たな労働者を社会に送り出すことになり、 国は、 当然これらのものに対しても就職あっせん、 失業対策等の措置を講じなければなりませんが、 この措置が完全に実施されない場合には、 新たな社会不安を醸成し、 青少年の不良化に一層拍車をかけることにもなるとともに新たな財政上の需要を生ずることはいうまでもないと思います。
 第七に、 講和条約が締結され、 わが国が独立国家として再出発いたしますと同時に、 義務教育の年限を短縮いたしますことは、 国内的な信用のみならず、 国際的な信用をも悪化させるのではないかと思います。 これは、 将来わが国が平和な独立国として立って参ります上に、 大きな障害となるのではないかと憂慮される次第であります。
 最後に、 現在の教育費が国力に対して過重であるという理由に対しましては、 いささか疑問の点があるのではないかと考えるのであります。 先ず、 国民一人当りの公教育費を比較いたしますと (日銀小売物価指数により換算、 昭和24年度を100として) 昭和10年度1455円、 同11年度1580円、 昭和25年度1505円となっております。 この間に学制の改革や教育内容の変更のあったことを考えますと、 公教育費の国民一人当りの額は、 むしろ減少していると申せましょう。 これを義務教育費 (小・中学校費) についてみますと、 昭和10年度には877円、 同11年度には875円、 同24年度におきましては825円となっております。 このように国民一人当りの義務教育費の負担は決して増加しているということは申せないと思います。 次に教育費総額の国民所得に対する比率をみますと、 昭和10年度の3.6%に対して、 昭和25年度におきましては、 3.8%でありまして、 わずか0.2%の上昇となっております。 この, 程度の増加でありますならば、 文化国家の教育費として当然ではないかと考えるのであります。 また、 教育費の租税収入に対する割合をみますと、 昭和10年度におきましては28%、 昭和11年度におきましては26.9%、 昭和25年度におきましては16.3%となっております。 そのうち義務教育費のみについてみますと、 昭和10年度は、 16%、 昭和11年度は15.3%、 昭和24年度では8.3%となっております。 もちろんこの比率は、 税収入の比率を考慮に入れなければなりませんが、 終戦後は租税収入に対する教育費の割合は減少の傾向があることは否定できないのであります。 このように税収入に対します教育費の比率は著しく低くなっておりますので、 教育費の増大ということはこの面からはいえないのであります。
 要するに、 教育費につきましては、 これを単純な消費的経済としてみる見方に問題があるのではないかと思われます。 教育費は一面から言えば生産的な経費であるということもできます。 第二次米国教育使節団も 「およそ国家の真の富はその全国民の教育課程によって決定される。 公教育のために支出される金額は、 自由国家がなし得る最良の投資である」 と述べておりますが、 教育費を削減いたしますことによりまして若干の財政的余裕を生じるかも知れませんが、 逆にこれによって失われる国の富の方が更に大きいのではないかと考えるのであります。 新学制は、 敗戦後のわが国の経済事情を考慮した上で断行されたものであると信ずるのでありますが、 このため財政上多少負担の増加いたしますことは、 もとよりあらかじめ予期していたものと考えるのであります。 しかも、 新学制は、 あらゆる困難を排して敢て実施した以上は、 万難を排しても貫徹すべき性質のものであると信じております。 従って、 この際、 多少の経費の上の負担は必要であっても、 悔いを百年に残す結果となることはわが国のとるべき方策ではないと考える次第であります。

註3 51年11月16日の政令改正諮問委員会の出した 「教育制度の改革に関する答申」 の内容は、
 終戦後に行われた教育制度の改革は、 過去の教育制度の欠陥を是正し、 民主的な教育制度の確立に資するところが少くなかった。 しかし、 この改革の中には、 国情を異にする外国の諸制度を範とし、 いたずらに理想を追うに急で、 わが国の実情に即しないと思われるものも少くなかった。 これらの点は、 十分に検討を加え、 わが国の国力と国情に照し、 真に教育効果をあげることができるような合理的な教育制度に改善する必要がある。 (中略)
  基本方針
 わが国の国力と国情とに適合し、 よく教育効果をあげ、 以て、 各方面に必要かつ有用な人材を多数育成し得る合理的な教育制度を確立することを目的とすること。
 右の目的を達成するため、 六・三・三・四の学校体系は、 原則的には、 これを維持すべきであるが、 これには、 つぎの諸条件について十分に考慮を払うこと。
(1) わが国の実情に即しない画一的な教育制度を改め、 実際社会の要求に応じ得る弾力性をもった教育制度を確立すること。
(2) 普通教育を偏重する従来の制度を改め、 職業教育の尊重強化と教科内容の充実合理化を実現すること。
(3) 現在のわが国の国力では、 六・三制の完全な実施を早急に実現することは、 極めて困難であり、 職業教育を強化するに当っても直ちにその施設等の充実完備を期することはむずかしい。 故に、 教育者側も被教育者側も、 わが国の現状を十分認識し、 教育施設その他の不十分をしのんで最善の教育効果をあげるよう工夫と努力をすること。
  具体的措置
 第一、 学校制度
一、 学校体系の原則 六・三・三・四の学校体系は原則的にはこれを維持し、 そのうち六・三を義務教育とすることは従来通りとすること。 但し六・三・三・四のそれぞれの内容については、 つぎのような修正を考慮すること。
 (1) 小学校 (六) の課程は、 初等普通教育を行うものとし、 その内容の充実を図ること。
 (2) 中学校 (三) の課程は、 普通教育偏重に陥ることを避け、 地方の実情に応じ、 普通課程に重点をおくものと職業課程に重点をおくものとに分ち、 後者においては、 実用的職業教育の充実強化を図ること。
 (3) 高等学校 (三) の課程も、 中学校 (三) の課程と同様、 地方の実情に応じ、 普通課程に重点をおくものと職業課程に重点をおくものとに分ち、 後者においては、 専門的職業教育を行うものとすること。
 (4) 大学は、 二年または三年の専修大学と、 四年以上の普通大学とに分つこと。 専修大学は、 専門的職業教育を主とするもの (工、 商、 農各専修大学) と教員養成を主とするもの (教育専修大学) とに分ち、 普通大学は、 学問研究を主とするものと高度の専門的職業教育を主とするものと教員養成を主とするものとに分つこと。
 (5) 大学院は、 修士課程と博士課程とを設けることができることとすること。 この両課程を分つときは、 修士課程は二年 (以上)、 博士課程は三年 (以上) と、 特に施設、 能力の充実しているもののみに設置することとし、 徒らに大学在学年限の延長を来すに等しい弊害を生じないよう考慮すること。
二、 学校体系の例外 学校体系の画一性を打破し、 六・三・三・四のそれぞれを適当に配合した学校を設けるよう考慮すること。 この見地から農工商その他それぞれの分野においては特に、 計画性をもった職業教育を適切に行うことができるよう左記のような学校を設けることを考慮すること。
 (1) 中学校 (三) と高等学校 (三) (またはそのうち (二)) を併せた六年制 (または五年制) の農工商等の職業教育に重点をおく 「高等学校」 を認めること。
 (2) 高等学校 (三) と大学の (二) または (三) とを併せた五年制または六年制の農、 工、 商、 教育等の職業教育に重点をおく 「専修大学」 を認めること。
三、 現存学校の再編成
 (1) 総合高等学校はこれを分解し、 普通課程学校または職業課程学校の何れかに重点をおいてその内容の充実強化を図ること。 学区制は原則として廃止すること。
 (2) 現存の国立大学は、 その規模能力に応じ、 且つ地方的事情を考慮して普通大学と専修大学とに区別すること。 普通大学となるものについても、 施設、 スタッフ等の充実の期待しがたい学部学科については五年制または六年制の専修大学に再編すること。 又遠隔の地に分散している学部学科についても右と同様に措置すること。
第二、 教科内容及び教科書
 一、 教科内容については、 その画一化を排し、 実情に即して教育効果をあげ得るようこれに弾力性をもたしめること。 特に職業課程については、 地方的な特殊事情に応じ、 適切効果的な教育を実施し得るよう考慮すること。
  (備考) 従来の生活経験中心のカリキュラム方式に偏することを避け、 論理的なカリキュラム方式を加味することも考慮すること。
 二、 教科書については、 検定制度を原則とすべきも、 現在の実情に鑑み種々バラエティをもった標準教科書を国家において作成し、 教科書の進歩向上を図ることを考慮すること。
第三、 教育行政
 一、 地方教育行政
 (1) 都道府県に教育委員会を設置し、 大学以外の公私立学校その他の教育行政を担当するものとすること。 但し、 人口15万程度以上の市には別に教育委員会を設置し、 その市立の大学以外の学校教育に関する行政を担当するものとすること。
  (備考) 教育委員会をおく市以外の市町村においても、 教育に民意を反映せしめる為の機関を設けることを別途考慮すること。
 (2) 教育委員会の委員の定数は 3 名とし、 地方公共団体の長が議会の同意を得てこれを任命すること。
 (3) 教育委員会の違法の行為に対しては、 これを是正するための適当な方法を考え教育に関し、 文部大臣が責任を負うことができる体制を明確にすること。
 (4) 教育委員会をおく地方公共団体に対しては、 標準義務教育費を支弁するために必要な固有財源を与えることを考慮し、 それが不可能な地方公共団体に対しては、 地方財政平衡交付金によってこれを補填するものとすること。
  (以下略)

註4 この答申には、 板倉卓三の少数意見が付記されている。 六・三制の採用反対という意見であるが、 当時、 かなり強く主張されていた意見でもあったので、 以下その内容を掲げれば、
 出来れば義務教育の年限を延長して国民に 1 年でも高度の教育を与えることのよいのは異論のない所である。 故に理想として六・三制の採用には反対ではない。
 しかし六・三制を完成するに要する莫大の経費は我敗戦後の国力に取っては非常な負担過重である。 実力過当のことを採用したればこそ現に其実行難に陥つているのである。 戦後国力疲憊の実情に於ては旧六年制の義務教育すら維持することの困難を憂えしめるのに逆に三年の延長を行わんとするのであるから今日の実行難は当然である。 それにも拘らず尚もこれが実施を固執するに於ては教育設備の不完全による教育成果の低下は順次高等学校、 大学の教育にも及び次代の国民の智徳に深大の悪影響を免かれることを得ないであろう。 無理な六・三制の実施は義務教育年限延長が予期する効果に反する結果を見るに至ることを恐れるものである。
 故に今は無理をせず六・三制は我国力が順当にこれを遂行するに至るまで其採用を中止し速に旧六年制に復帰して寧ろ旧制の復興完成に力を尽すこそ国力に応じて国民教育の内容を充実改善する所以と信ずるものである。

註5 教育事情研究会編集 『中央教育審議会答申総覧 (増補版)』 ぎょうせい、 1992年

註6 日本近代教育史料研究会編 『教育刷新委員会・教育刷新審議会会議録』 第5巻、 岩波書店、 1996年

註7 同上 第12巻、 同上、 1998年

註8  8 月24日に開かれ委員長より、 六・三制の問題につき文部次官の発言が求められ、 行われた次官発言は次の通りである。
 それの経緯について申上げます。 5 月 1 日のいわゆるリッジウェイ声明がありましてから、 占領下におけるいろいろの改革その他については、 日本人として自主的に改正すべきで、 新たにそれを再検討する機会を与えるというような趣旨から、 各方面でいろいろ問題が再燃したと思うのでありますが、 それで或る政党の有力な一部の人たちは、 六・三制はもともと国の財力にふさわしくないというようなことで、 できるなら六・二くらいにしたらどうかというようなことを、 恐らく個人的に考えられたと思いますが、 言われたのであります。 これは予算のたびごとに繰返され、 六・三制の建築の問題で、 揉みに揉んだということから、 多少飽きが来たのではないかと思われる点もありますし、 又一方では地方の財政が窮乏しておるので、 それの打開策として考えられたのではないかといろいろ考えられます。 又地方財政の負担の中には義務教育の教師の数が非常に多いので、 人件費が大きな負担になっておる。 これを処理すれば、 何とか財政的の負担が軽くなるのではないか、 というようなことも考えられたらしく思うのであります。 もう一つは、 教育委員会が教師の身分のことを取扱いながら、 教師の俸給そのものは県或いは市町村がしなければならないというようなことで、 県の知事の立場と教育委員会の立場とは、 必ずしも教育について一致しないという点もあったかと思われます。 そういう事情のために、 この際六・三制は日本が自主的に考え直さなければならないのではないか、 という意見があったと思いますが、 併しこれは政府も政党も正式の問題として取上げられたわけではなかったのであります。
 文部省としても、 いろいろの情報を聞いて参ったのでありますが、 最近補正予算を出す段階になりまして、 文部省としては今年の六・三制の建築の事業を遂行するためには、 建築単価の値上りのために約20億程度の補正予算をとらないと計画の建築ができない。 それで六・三の建築予算として約20億ばかりのものを要求したのであります。 ところが大蔵省の査定では、 今年は単価の値上りは一切認めないという原則ですげなく断わられたのでありますが、 単純にそれが単価の値上げは認めないということか、 或いは政党や有力者の一部の六・二にしようという意見が反映したのかはどうもはっきりしませんが、 我々の推察ではそういう気配が濃厚でありました。 これは又24年度のようなことを繰返してはならないというような意味で、 相当打合せもし、 計画も立てておりましたが、 そういう情勢がきざしておったときに、 たしか 8 月の初めだと思いますが、 天野文部大臣が岐阜へ出張されるときの車中談に六・三の根本は変えないということをはっきり言明されたのであります。 恐らく新聞記者が六・二になるという噂があるけれども、 それに対して大臣はどう思うかというような質問をしたのに対して言われたのだと思いますが、 はっきり、 自分が職にある限りは六・三制は決して変えないということを言明されたのであります。 それに注釈がつきまして、 少し間違った注釈がついておったと思いますが、 政党の一部及び政府の一部には、 六・三制を六・二制にしようとする意見があるのに対して、 天野文部大臣は断然六・三は堅持して譲らない、 こういう態度だということを書き立てたものですから、 反響が非常に出て参りまして、 文部省にも、 政府与党である自由党の首脳部のほうにも、 大蔵省にも、 六・三制を変えては困るという陳情や電報や抗議や激励やそういうものが非常にたくさん参りました。 それで16日から19日まで開かれました今度の国会で、 特にこの点を気遣っている議員が、 大蔵大臣に六・三制は財政上やれる意思があるのかどうかということを聞かれましたのに対し、 大蔵大臣はこれは重大なことであるから、 閣議にかけないでそういうことをきめる性質のものではないという答弁をしたそうであります。 それから総理大臣に、 他の議員が六・三制を変える意思があるかと聞いたのに対して、 そういう意思はないということを言明されたのであります。 大体文部大臣ははっきり変えない、 大蔵大臣も閣議にかけないで、 こういうことを変えるのどうのということは言うべき筋のものではない、 総理大臣は国会で変える意思はないということを言明したのですから、 まあそういう憂えはなくなったと思われます。

註9 51年12月23日付朝日新聞に 「義務教育費の確保をはかれ」 と題した社説が掲載されている。 この当時の教育費を巡っての諸問題を、 年末の社説として纏めて述べている。 内容の一部は、 以下の如くである。
 今年ほど教育のことがいろいろと論議されたことはあるまい。 六・三制への批判、 教育委員会制度の再検討、 給食問題、 国民実践要領、 産業教育など、 数えれば限りがないほどであるが、 そのいずれもが解決されたわけでなく、 すべては来年にもちこされようとしている。 日本の独立を機会に、 これら教育上の諸問題が再検討されることはむしろ当然であろうが、 しかし、 その多くの反省なり、 批判なりが、 講和後の教育財政の貧困を予想することからでており、 治安自衛を主とするいわゆる講和関係費が、 文教費の上にシワ寄せされようとする危虞から発している傾向には、 われわれも関心をもたないではおられない。
 たとえば、 六・三を六・二にするというような議論は、 今後とも繰返されないとは限らないが、 そういう議論のでてくるのも、 もとはといえば義務教育費がつねに不安定の中におかれているところにあるだろう。 この義務教育費確保の問題は、 地方財政の自主自立、 教育の地方分権のために、 義務教育費が、 国庫負担から平衡交付金制度の中に組替えられて以来、 毎年くりかえされておることであり、 高瀬文相の時に、 平衡交付金にヒモをつけた 「標準義務教育法案」 を出そうとして実現しなかったことは、 周知の事実である。 そこで文部省は、 最低義務教育費を国庫で保障するような案をねり直し、 あらためて 「義務教育 <費> 国庫負担法案」 として、 今度の休会明け国会に出す準備をすゝめているが、 最近の政府の予算編成方針から、 はたして国会提案に至るかどうか、 再び危ぶまれるに至っている。
 この案のめざすところは、 要するに、 現在の平衡交付金制度から義務教育費を切りはなし、 最低義務教育費の算定方法を法律で定めこれに対する地方の負担率をきめて、 この差額をすべて国庫で負担しようとするものである。 その教育費の内容は、 教員の給与ばかりでなく、 学校の維持や施設費もふくめており、 これによってまず義務教育に対する国の財政上の責任を明らかにし、 地方財政のうちで義務教育費がきわめて大きな割合をしめているので、 交付金から独立することによって、 地方財政の安定をはかろうとするにある。 いゝかえると、 教育の機会均等のために、 地方公共団体が義務教育の一定水準を維持できるように、 国がその財政的裏付けをするものとされている。
 この案に対しては、 義務教育費全額国庫負担を予てより要望している日教組でも、 一応妥協案として認めており、 さらに全額負担を要望している知事、 市町村長など自治体方面でも、 またこれを政策としてかゝげている自由党方面でも、 正面からの反対はない模様である。 たゞ、 地方財政委員会は、 平衡交付金からの教育費の独立に対してはその立場から当然反対の意向をもつとともに、 これは中央集権的な補助金、 補給金の復活と同様で、 地方財政民主化の方針に反するものとしている。 なるほど、 義務教育費の最低を国庫で保障することによって、 地方の教育委員会がつねに中央の文部省に直結される結果、 その面からかつての官僚的文教政策が再現するようなことがあってはならないのであって、 その点については文部大臣の権限の強化などといわれていることにかんがみ、 よほど慎重に考究されねばならないところだろう (後略)。

註10 52年 3 月13日に、 義務教育費国庫負担法文部省案が発表された時、 この文部省案に関連して、 以下のような天野文相談話も発表されている。
 本省としては、 先日自由党政調会からでた妥協案を承認した。 しかし地財委がこれを承認するかどうかは分らない。 とにかく党派や官庁という立場からはなれて本当に教育を考える場合、 地方教育が今のままでよいなどと考える人はあるまい。 地財委でも最初の考えは変えてきている程だ。 司令部関係でも文部省の案が一番よいといっている。 但し全額国庫負担や半額国庫負担の案では各府県によって富んだ県と、 貧乏な県とがあるから、 それを一律にやることは不公平になろう。 文部省の案では各府県の財政能力に応じて国庫負担に弾力性をもたせてある。 地方財政取引委員会の反対理由は、 平衡交付金制度に支障を来し、 再び中央権力による統制を復活することになるというのであるが、 要するにこれは平衡交付金制度が大切か、 国の教育が大切かという問題である。 私は国の教育の方が大切だと考える。

註11  5 月13日、 義務教育国庫負担法に関し田中初中局長が、 以下のような談話を発表している、
 義務教育は憲法上国民の重要な義務であると同時に、 権利でもある。 したがって、 一定の規模と内容をもった教育を国民に保障することは、 国の責任である。 しかし現状は平衡交付金制度の不備等のため地方財政において、 最も重要な部分を占めている義務教育費が著しく圧迫され、 その結果義務教育の規模はますます地域的に不均衡となり、 且つその水準は低下の一途をたどっている。 現状のままでは、 その健全な発達は到底期待できない。 これを解決するためには、 現在の平衡交付金制度とは別に国庫負担の制度を確立して義務教育について国が財政上の最終的責任を負うことが必要となったのである。
  5 月 7 日衆議院に提出された 「義務教育費国庫負担法案」 によれば、 義務教育に従事する教職員の給与費と教材費については、 毎年その総額の二分の一を下らない程度に国が負担することになっている。 これにより教職員の給与は安定し、 又学校の教材教具を整備することができて、 PTAの百億に上る寄附金も軽減されることになるのである。
 次に、 校舎については、 戦災や災害を受けた場合は国が二分の一を補助し、 老廃朽校舎については起債で建築ができるように特例を設け、 その総面積を50年で更新するに必要な額の地方債が確保されるのであって、 学校建築に関する市町村の困難も解消することになるわけである。 さいわいに本法案が可決実施されるならば、 独立新日本の門出に当り我国文教政策の根幹である義務教育の基礎は確立し、 その将来に輝かしい光明を与えると共に地方財政の安定に資することとなり、 その意義極めて大なりというべきである。

註12 52年 8 月 1 日、 地方自治庁・地方財政委員会・全国選挙管理委員会の三者が統合して総理府の外局自治庁となり、 同日付でそれまで地方自治庁長官であった岡野清豪が自治庁長官となった。

註13 52年10月16日に日本経営者団体連盟が出した 「新教育制度の再検討に関する要望」 の内容は以下の通りである。
 戦後発足した新教育制度においては、 わが国従来の教育体系、 内容及び方法等全般に亘り根本的改革が実施された。 しかしこの改革は殆ど無準備且つ急激に行われ、 しかもわが国の実情を無視したものであるため、 最近新制度実施に伴う諸般の欠陥につき幾多の批判が起りつつあり経営者側においても亦わが国の将来に思いを致し、 新教育制度再検討の必要を痛感するものである。
 もともと高等以上の学校においては、 学生生徒の知識能力に応じそれぞれ職業乃至産業面の教育指導が行われ、 学校卒業後にはその習得した学識技術技能を通じ職業人として社会国家の進歩に貢献すべき人物が育成さるべきである。 然るに新教育制度について産業人の立場よりこれをみるに社会人としての普通教育を強調する余りこれと並び行われるべき職業乃至産業教育の面が著しく等閑に附されこの点、 新教育制度の基本的欠陥と云うべく、 これが是正こそ先づ考慮されねばならぬ重要事である。
 本連盟は如上の見地から文教当局においてさきに新官制として設置されたる中央教育審議会を一日も早く発足せしめ、 左記二点に関し各方面の意見をも聴取して速かに再検討を加え産業界の要請に応えられんことを要望する。
一 実業高等学校の充実
 昨年産業教育振興法が制定実施された結果、 産業教育に関する綜合計画と共に実業高等学校の設備充実に重点をおく予算措置が具体化され、 漸く改善の一歩をふみ出したが教員の資質向上、 教育内容及び方法の改善など重要施策についてはなお未解決のまま残されている。 最近教育界と産業界との協力関係が一段と緊密の度を加えんとしている折柄、 文教当局においても、 この協力関係を活用することに努め企業における中堅従業員の養成機関としてその任務重き実業高等学校本来の面目を発揮するため、 学校の種別および配置を考慮すると共に教科課程の内容等につきその充実をはかられたい。
二 新大学制度の改善
 大学卒業生はその多数が会社工場事業場等産業界に入り、 それぞれ専門の部署について活動し将来は幹部として部下の統率指導、 計画の樹立、 企業経営の推進等に当るべき人材である。 従ってその基礎を作るべき大学教育の充実について産業界は常に多大な関心を持ち、 今後とも能う限りの協力を惜しまざるものである。
 然るに、 新制下における大学教育の現状は産業人としての人間教育面に遺憾の点が少くなくまた一般的には教養学科と専門学科との間に一貫性を欠き専門的知識技術の学習を強化するため一部に変則的運営を行うものがあるなど、 新制度自体に運営上の無理が既に露呈されている。 故に大学専門学校別の存した旧学制がむしろ好ましいとの声さえ起っている。 このことも亦新教育制度に対する企業側の不満を端的に表明せるものとして看過出来ない事柄である。
 従って大学は人間教育面を強化すると共に専門教育学術研究等の面に、 不徹底なる画一性を排し、 それぞれの特長を明確に発揮し得るよう新大学制度の根本的検討を速かに進められたい。

註14  1 月20日の日教組第27回臨時中央委員会で討議された 「教育防衛闘争に関する件」 において、 執行部側が示した 「経過の概要」 は本文の通りであるが、 以下、 「政府案のもつ内容」 「その狙い」 の部分を記してみる。
 * 政府案のもつ内容
 このようにして決定をみた政府案は次に示すが如き反動的内容をもつものである。
イ、 教育の機会均等と義務教育無償の原則を放棄するものである。
  義務教育無償と教育の機会均等は憲法並びに教育基本法の基本原則である。
  しかるに今次28年度予算案にみられるが如く政府、 自由党の反動的教育政策は、 学校建築、 維持費、 学童給食費、 大学の研究費、 産業教育振興費等教育費全般に対して著しい圧迫を加えており、 父兄の教育費負担はかえって増大され、 教育の機会均等と義務教育無償は放置されようとしている。
ロ、 定員定額制によって給与の切下げ、 首切りが強行される。
  教職員給与の全額国庫負担は単なる名目に過ぎず、 特に財政措置を無視し、 経過措置として給与の支払いを都道府県とし、 国庫は定員定額制による交付金を支出するに止めている。
  しかし文部省の主張する地方の有力な財源入場税、 遊興飲食税等を一方的に国に吸上げんとすることは、 地方財政を破壊する以外の何ものでもない。
  したがってこのような政策の強行は、 必然的に教職員給与の切下げと首切りとなって発展することは明確である。
ハ、 義務教育職員を国家公務員とし、 教職員の身分体系を破壊し、 基本的人権を弾圧するものである。
 義務制教職員の身分を一挙に国家公務員とすることは、 政府並びに自由党が自ら強行した地方教委設置の考え方と全く背反するものであることはいうまでもない。 このことは教師の身分を分割支配することによって六・三・三・四の学制と地方の自主的教育を破壊するものである。
 しかも世界に類を見ない教職員の政治活動禁止を行うと共に市町村長の人事干渉を認めることによって完全に教育を政治的支配におこうとしていることは明らかに教職員の基本的人権を弾圧するものである。
 * その狙い
 以上の如き経過と内容をもつ政府案は全額国庫負担の美名にかくれて、 巧みに国民大衆並びに教職員を欺瞞するものである。 しかして、 その真の狙いは次のような反動的企図にあることは明白である。
イ、 政府は講和後に即応する地方制度の再検討と教育行財政の確立を呼称して反動的人選に基く地方制度調査会と中央教育審議会を設置した。
  しかるに昨秋、 世論の強力な反対を押切って地方教委を設置し、 今また中央集権の国庫負担特別法案を強行せんとしている。
  かくの如き文教政策は乱脈を極めるものであるが、 しかしその根本をなす支配権の意図は明確に一貫している。
  即ち、 日教組に集結されている全国50万教師の自由と平等と独立を指向するすべての活動は、 向米一辺倒、 日本再軍備の吉田政府の基本政策とするどく対立するものである以上、 これを弾圧し、 教育を再軍備の支柱とするためにはその手段を選ばないということである。
ロ、 米新大統領にアイクが勝利し、 新国務長官にダレスが就任することは今日まで日本に加えられてきたアメリカの日本再軍備要求が一段と強化されるであろうことは、 もはや疑うまでもない。 したがってアメリカに従属せんとする政府並びに自由党は、 再軍備財政を確立するために、 平和事業である教育予算を極度に圧縮せんとしている。 今次国庫負担特例法案は国家統制の下にこの企図を実現せんとするものである。
ハ、 かかる企図は昨春の破防法の制定、 秋の炭労電産労働者を柱とした統一賃金闘争に加えた低賃金弾圧政策等とその基礎を同じくするものである。 このことは28年度予算案にあらわれている軍事的性格や、 すでに用意しつつあるスト禁止法案、 警察制度改正案等とともに強化しようとしている。

註15 53年 2 月 3 日の劒木文部次官談話は、 昨年12月 3 日の閣議で昭和28年度予算編成にあたり義務教育費半額負担は 1 年延期となった。 この半額国庫負担は第13国会であれほど論議をして決定したもので、 この法律があるにもかかわらず実施を延期するような予算では困るので反対した。 しかし、 この 1 年延期の理由となったのは、 半額国庫負担法による実支出額の半額実施は予算編成上非常に困難があり、 地方財政、 税制に影響があるということにあった。 そこでわれわれは最も合理的な方法として定員定額による全額国庫負担を主張するに至った。 すなわち原則的にいえば、 国立学校教職員と同等の給与を定員定額によって都道府県教育委員会に交付するたてまえをとるものである。
 しかしながら、 この国庫負担の問題と教職員を国家公務員にすることとは別個の問題である。 さきに地方教育委員会が設置され、 教員の任命権・給与権もこれに移されたのであるが、 義務教育は憲法にも規定されているように法律の定めるところによって国民はその保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負わされており、 最終の責任は国がとるべきだと思う。 たとえこの仕事を地教委に委任しても、 最終の保証は国がとるべきで、 たとえば教員の不利益処分としても、 単に地方の機関に任せることなく、 国の機関にまで訴えられるようにならなければならぬと思う。 かかる意味で教職員を国家公務員とするものである。
 この実施については、 28年度は暫定措置として、 東京・大阪等の 8 都府県には交付されないことになるが、 これは税制改革等によってすみやかに交付されるよう努力する。
 教員諸氏がこの案全体に反対されるのはきわめて残念なことであってわれわれは、 義務教育の水準保持、 教職員の身分確保にあくまで努力をいたすつもりである。

註16 53年 2 月21日に提出された義務教育学校職員法案に関する全国知事会議の質問書は、 以下の通り。
 政府は今回義務教育学校職員法案を発表したのであるが、 本会議は本伴に関しるる次にわたり要望或は決議したる如く、 本決案に絶対賛意を表し得ないところであり、 今後これに対する態度を決定する必要があるので、 特に別紙事項について政府の見解を理由を附して明らかにせられたい。
   昭和28年 2 月21日
  一 制度に関する事項
一、 現行憲法は教育の民主化と分権化を基本とし、 これに基く教育基本法、 学校教育法、 教育委員会法において、 教育の民主性、 公共性、 中立性、 地方住民性を基調とする教育体制が整えられているのであるが義務教育学校職員のみを国家公務員とし、 或は文部大臣の指揮監督を強化する等、 中央集権的国家管理の方式をとることは、 憲法の精神に反し、 教育全体の体系を乱すものであると考えるが如何。
二、 さきに教育委員会法を改正して、 各市町村毎に教育委員会を設置し、 教育の地方分権化を徹底せしめんとした政府の意図が一年を経ずしてひょう変した理由如何。
三、 義務教育学校職員を国家公務員とし、 もって国の責任を明らかにせんとするのであるが、 その国の責任の範囲如何。
四、 義務教育は地方自治の基本的なものの一つと考えられるが、 義務教育職員のみを国家公務員とすることは、 国の不当な干渉によって、 地方自治の伸長を阻害するものと考えるが如何。
五、 義務教育は地方住民の熱意と関心、 創意と協力とを俟って、 始めてその能率の向上が期待できるものであって、 その職員を国家公務員とすることは、 却って地方住民に悪影響を与えるものである。 義務教育の能率向上は寧ろ教育委員会制度の内蔵する欠陥に求めるべきものと思うが如何。
六、 義務教育職員を国家公務員とするに拘らず、 職員の給与を都道府県の負担とすることにより、 教育に関する行政責任と財政責任とが分散されることとなりその身分は安定を失い能率は低下する虞れがあると考えるが如何。
七、 既存の国立義務教育学校職員でありながら、 給与の高低を生ずることとなるが、 これは国家公務員に対する給与の原則を破るものであり、 教育全般の能率向上に障碍ありと思われるが如何。
八、 従来恩給法の適用を受けない一部職員につき、 その切換通算の措置を同時になすべきであると考えるがその準備如何。
  二 義務教育職員費に関する事項
一、 義務教育費国庫交付金901億円と決定した合理的根拠並びにその事項別経費内訳如何。
二、 昭和27年度実績を基礎として義務教育の実施に要する最少の経費は
 イ 給与の実支出見込額   1146億円
 ロ 共済組合負担金      51億円
 ハ 恩給費 (納付金を除く)   54億円
 ニ 旅費           27億円
 ホ 免許講習に要する経費    3億円
 ヘ 人事の調整、 給与の支払に関する事務に要する経費           11億円
      合計       1292億円
 に達する。 これに対する政府の所要見込額は1155億円にすぎず、 最少限度137億円の不足を生ずると考えるが如何。
三、 昭和28年度における義務教育学校職員に関する一切の実支出額の各府県別経費の内訳並びに定員定額による各府県別割当見込額如何。
四、 職負の給与については、 職員の実支給額を対象として、 国家公務員の号俸を適用するのであるか。
  若しもこれを実行する場合においては従来国家公務員より高額 (約349円、 ベース改訂後は794円) であるとして、 何等の措置なく地方財政計画を策定する場合において常に国家公務員の標準給与によって算定せられ、 不当に引き下げられている問題は解消することとなり、 これに相当する所要経費は、 法律上新たな都道府県の負担となり、 地方財政法第13条の規定により国は必要な措置を講ずる義務が生じ、 且地方財政平衡交付金法第 7 条により、 昭和28年度地方財政に計上すべきである。
  若し所要財源が計上してないとすれば、 その計画を修正追加すべきものである。
  而して右所要財源が計上されない以上都道府県はこれが負担能力がないことになるのであって、 これに法律上負担せしめることは不可能を強いることになり、 従ってこれにより生ずる混乱の責任は、 府県の負うベき限りでないと考える。
五、 職員の実支給額を引き下げて国家公務員の号俸を適用する場合は、 法律をもって明確に規定すべきであると考えるが如何。 職員給与の定額が実支出額を超える場合においては、 定額により引き下げて国家公務員の号俸を適用するのであるが如何。
六、 義務教育職員の恩給費については将来はもちろん過去にさかのぼってその納付金とともに、 国の責任とすべきであると考えるが如何。
七、 人事の調整、 給与の支払等に要する経費は、 国の委任事務の性質上国庫負担金に包含すべきであると思うが如何。
八、 認定講習費は昭和28年度国家予算に補助金として計上されているが、 これは国庫負担金の方式に組替えなければならないと思うが如何。
九、 本法案は幾多の矛盾を有するものであり、 慎重なる検討を経て実施すべきであるに拘らず、 昭和28年度において強行せんとする理由如何。

註17 53年 2 月25日、 日本教育学会理事会において表明された日本教育学会有志の法案に関する意見は以下の通りである。
 現在国内において審議されつつある 「義務教育学校職員法案」 に関して、 我々は、 教育学者の立場から、 見解を表明する義務を感ずる。
 われわれは、 第一に、 この法案の作成が、 極めて慎重を欠いていることを指摘せざるを得ない。 地方制度調査会並びに中央教育審議会に諮問せずしてその要綱を決定したのはその一つの証拠である。 また税財政制度に関する当然必要な改正と切り離して、 この措置を単独に実施しようとし、 そのために幾多の無理を敢えてしているのは、 今一つの証拠である。
 第二に、 政府の教育政策が首尾一貫せず、 前後撞着していることを看過できない。 地方教育委員会の一斉一律設置の際に、 政府は、 地方分権が民主化のために不可欠だと強調した。 しかるに義務教育学校職員を国家公務員とすることは、 必然的に文部省の指揮監督の強化をもたらし、 疑う余地のない中央集権政策になる。
 第三に、 この法案が、 果して教育財政の確立に資するものであるか否かを、 われわれは疑う。 この法案の前身は、 純然たる財政措置法であり、 第13国会で成立した義務教育費国庫負担法もそういう性格のものであったが、 それが実施もされぬうちに突如として教員身分法に変化したことは、 この疑惑を強める。 定員化定額制をとる結果は、 算定基準のわずかな変化によって、 全国に麻痺的な影響を及ぼすことも起り得る。 われわれとしては、 教員給与の負担責任がどこにあるかというようなことより前に、 義務教育無償の原則の実現への努力こそ、 重要な問題であると考える。
 第四に、 これが教師の自由の全面的拘束になることを憂える。 この法案における政府の意図は、 むしろもっばら教員の選挙運動禁止にのみあるのだとの観測も行われているが、 もし教員の選挙運勤に若干の問題があると仮定しても、 その是正はあくまで教師の良識によるべきであって、 権力によって抑圧すべきものではない。 われわれは、 これに伴って、 教師の活動の自由が全面的に禁圧されることになるのを深く憂慮する。 けだし、 教師の自由の抑圧は、 すなわち国民の学ぶ自由の抑圧であるが、 学ぶ自由こそ創造発展の不可欠の条件である。
 要するに、 われわれは、 未だ科学的検討を経ないこの措置を、 にわかに強行しようとする政府の意図が正当にして合理的なものだと信ずることを得ない。 われわれ教育学者の中の有志は、 地方教育委員会制度の無謀な実施の際にも、 厳重に警告を発した。
 政府は、 この際、 従来の行きがかり等に捉われることなく、 一応出発点に戻って充分に研究の上、 あらためて万全の方策を取るべきである。 永い将来にわたって国民の運命に重大な影響を及ぼす教育のことに関してはあくまで慎重で科学的な方針がとられなければならぬと信ずる。
  昭和28年 2 月25日
 日本教育学会有志
上村 福幸 (東大)   梅根 悟 (教育大)
長田 新 (広島大)   城戸幡太郎 (北大)
皇 至道 (広島大)   原田  実 (早大)
細谷 俊夫 (東大)   松本 金寿 (東北大)
宗像 誠也 (東大)  依田  新 (名大)

註18  2 月26日に提案された義務教育学校職員法案は、 長文なので、 目次のみを揚げると、
 第 1 章 総則 (第 1 条〜第 6 条)
 第 2 章 定員 (第 7 条・ 8 条)
 第 3 章 職階制 (第 9 条)
 第 4 章 任用 (第10条・第11条)
 第 5 章 給与 (第12条・13条)
 第 6 章 研修 (第14条・第15条)
 第 7 章 分限 (第16条)
 第 8 章 公務災害補償 (第17条)
 第 9 章 雑則 (第18条〜第27条)
 附則
である。

註19 53年 2 月26日、 第15特別国会衆議院文部委員会において岡野清豪文相は、 義務教育学校職員法案提案の理由説明を以下のように行った。
 今回政府から提出いたしました義務教育学校職員法案について御説明申し上げます。
 戦後わが国の教育制度が、 新憲法にうたわれている民主主義の基本理念に立って、 教育の機会均等とその水準の維持向上とをはかるため、 諸種の改革を経て来たことはすでに御承知の通りであります。 いわゆる六・三・三・四の新学制の実施や教育委員会の設置を初め、 教科内容の諸改革等は、 いずれも民主主義の基本理念と教育の機会均等、 その水準の維持向上とを目的として漸次その成果を収めて参ったのであります。 しかしながら、 これらの諸施策は、 短かい期間に早急に行われましたがゆえに、 その是正を必要とする事項もありますことは、 また申すまでもないところであります。 政府は、 目下それらの事項について再検討を加え、 真に独立後の国情にふさわしい制度を確立いたしたいと努力を重ねておるのでありますが、 何と申しましても、 義務教育は、 国家として最も意を注ぐべき国民の基礎教育であり、 これが振興をはかりますことは、 わが国文教の基本でありますがゆえに、 この義務教育についての必要な改正をまず第一に取上げようといたしているのであります。 この法案を提出いたしましたゆえんもそれにほかなりません。 すなわち、 この法案は、 義務教育に対する国の責任を明らかにし、 義務教育に従事する教職員を国家公務員とするとともに、 あわせて、 その教職員の給与を直接国が負担、 支給し、 もって義務教育の水準の維持向上をはかることを目的とするものであります。
 御承知のごとく、 義務教育に従事する教職員の給与は、 現在都道府県の負担とされております。 昭和15年以前には、 市町村の負担とされていたのでありますが、 市町村財政の窮乏により、 昭和15年都道府県の負担と切りかえられて以来、 現在に及んでいるものであります。 しかしながら、 この教職員の給与費は、 相当な金額に上るものであり、 地方公共団体にのみ、 その負担をゆだねることは困難であると考えるのであります。
 現に、 昭和の当初以来、 国は実質的にその給与費の半額程度を負担し、 昭和15年給与費の負担が、 市町村から都道府県に切りかえられた後も、 国がその二分の一を負担するという制度がとられて来たのであります。 ところが、 右の義務教育費国庫負担金は、 シャウプ勧告に基く地方財政平衡交付金制度の実施により、 昭和25年度以来、 地方財政平衡交付金に吸収され、 その結果、 教職員の給与費は都道府県の一般財源によって、 まかなうこととされたのであります。 この給与費は義務教育の進展に伴って逐年増大し、 実に都道府県の一般財源中ほぼその半ばを占めるに至っております。 このため、 財政的に恵まれない府県にあっては、 給与費がその財政を圧迫するところ大であり、 ひいては、 国家的事業たる義務教育の機会均等、 その水準の維持向上という、 義務教育の基本的要請の実現にさえ支障を来すのではないかと憂慮されるに至ったのであります。
 昨年国民多数の御支援を得て、 教職員給与費の半額を国が負担するという義務教育費国庫負担法が制定されましたのも、 かかる実情を考慮したものと考えるのでありますが、 今回政府は、 義務教育に従事する教職員給与費についてのかかる経緯にかんがみ、 さらに一歩進めて、 その教職員を国家公務員とし、 その給与の全額を国が直接負担し、 支給することといたしたのであります。
 ただ、 何分にも、 1100余億円に上る給与費を都道府県の負担から、 国の負担に切りかえますことは、 国及び地方の税財政制度に影響するところ大であり、 その調整に若干の時間を必要といたしますので、 とりあえず、 昭和28年度は従来通り都道府県が負担、 支給するものとし、 国は一定額の義務教育費国庫負担金を都道府県に対して交付することといたしたのであります。
 なおその際、 地方財政平衡交付金制度との関係上、 基準財政収入額が、 基準財政需要額を越える富裕都道府県に対しては、 一定の調整を加えて、 国、 地方を通じての財政にむだの起らないよう措置することといたした次第であります。
 次に、 この法案は、 義務教育に従事する教職員の身分を国家公務員に切りかえようとするものであります。 さきにも申し述べましたごとく、 義務教育は国民の基礎教育であり、 国家的事業として営まれているものであります。 現実に個々の学校は、 市町村が設置、 経営に当っているのでありますが、 しかし、 義務教育そのものは、 あくまでも、 最終的には、 国の責任において行われるべき国家的事業であることは、 わが国の学制制定以来一貫してかわらないところと考えるのであります。 今回、 義務教育学校の教職員を国家公務員にいたしたいと考えますのは、 義務教育に対し国の有する右の責任にかんがみ、 その教育に従事する教職員を国家公務員といたすべきであると考えたからであります。
 義務教育はまさに国と地方公共団体とが相提携して、 その振興に尽力すべきものと考えるのでありますが、 その際国は義務教育の機会均等とその水準の維持向上という義務教育の基本的事項を確保し、 市町村には、 個々の学校の具体的経営を託することが望ましいあり方であると存ずるのであります。 かかる観点から、 義務教育の教育活動に従事する教職員の身分を国家公務員とし、 一方その給与を国が負担して、 義務教育に対する国の責任を明確にしようといたす次第であります。
(すぎやま ひろし 
    教育研究所代表 立正大学講師)
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