エッチの先には愛がある?
 
 

 「社会」だけど、どうして「性教育」なの? −生徒の反応−

 「現代社会」の授業を担当するようになって以来、生徒の反応がとても気掛かりに感じられるようになった。それまでも1年間の授業をふりかえって、生徒に感想文を書かせたりしてきたが、「現代社会」の場合、1つ1つの単元(テーマ)について生徒に感想を求め、それを次年度の反省材料とするようにした。今もって「うまくいった」と思える授業はまったくないが、「生徒の目線にたった授業」を追求していく姿勢は不変である。すなわち、生徒が「学んでよかった」「おもしろかった」と言ってくれるような「現代社会」の授業を創造するためにはどうすればよいか、ホンネを言えば、いつも教材づくりに追われ、もがき苦しんでいる毎日なのである。
 さてここで、先に述べたような展開の授業のあとで書かせた生徒の感想を紹介し、性を学ぶ意義について考えてみたい。本来ならば、ここではできるだけ多くの声を取り上げるべきだが、紙数の関係もあるので、あえて男女1人ずつに絞ったことをお断りしておく。 「この勉強をしていくにあたって、まず思ったのは、なんでこんないやらしいことをやらなくてはいけないのか、個人個人で解決すればいいことじゃないか、と思っていました。今も、性というと、あまり感じのよいことばじゃない。でも今回の授業で、あまりふだんはふれないこういう問題をやってよかったと思う。性の悪いところ、良いところ、なんか黒白はっきりつけてもらった気がします。
 性は決して悪いだけではない、いやらしいだけではなくて、なんていうか、オーバーに言うと一種の権利みたいな、そんなものを性という言葉に感じることができるようになった気がします。でも、よくわかってない人も世の中にたくさんいることも発見できた。援助交際とか、STDとか、性をおもちゃみたいに扱っている。腹立たしくなりました。一番腹立たしく思えたのはプリントにのっていたおなかに膿のたまった少女の話。あの彼氏、なぐりたくなった。
 性とかって、やっぱりこういう時期だし、知っといて良かったと思う。私も彼氏ができて、そういうことをすることになったら、コンドームを使ってほしいと思う。」(女子) 「一番はじめに思ったのは、この授業をやってよかったなあということです。自分の将来や現在を考えて、自分にとってとても役にたつ授業でした。自分自身は性について考えたことはなかった。しかしこの授業をやって、じっくり考えることができました。そして性はお互いの愛を確かめるものだと自分は考えました。これは自分にしかできない答えだと思います。
 かわいい赤ちゃんを産むのには、男と女が愛し合ってできるものだと思う。だからそのとき、性の勉強をしていてよかったなあと思えるような将来にしたいです。性は僕たち人間にとってとてもかけがえのない存在、そして大切だということが分かりました。青年期の愛と性という勉強をしたけれど、わたちゃんのようにおもしろく、時にはちゃんと教えてくれたからとてもわかりやすかったし、将来に向けてすごく役だったと自分では思います。また、これからの授業で性や愛について勉強すると思うけど、その時は将来に役だつように、もっと性や愛をくわしく教えてください」(男子)
 ところで私は、「青年期の愛と性」をやる伏線として、4月はじめの授業で、横浜市内に住む県立高校1年の女子生徒が、17歳の少年とともに、生後間もないえい児を山林に置き去りにし、死亡させるという事件を取り上げた。この授業は、「毎日、新聞を読もう」とのテーマを掲げ、「現代社会」の入門授業として毎回実践している定番メニューの1つである。そのねらいは、タイトルからもわかるように、新聞を毎日読む習慣を身につけさせるところにあった。(〈資料3〉参照)
 まずは、生徒が飛びつきそうな新聞記事を探すところから始まる。「これでいこう」と決めたら、同じ事件を取り上げている全国紙(読売・朝日・毎日・産経)・地方紙(神奈川)の5紙を買い集める。ある事件報道記事を切り抜き、プリント資料にして印刷し、生徒に配布し、報道内容の比較をさせるのである。すると、同じ事件やニュースであっても、新聞社によって取り上げ方が異なることがわかってくる。さらに記事内容を詳細に見ていくと、「どっちがホント?」と思えるような場面にもぶつかるのである。この「えい児置き去り事件」の場合も、たとえば女子高校生の父親の年齢が違っていたりした。
 「毎日、新聞を読もう」のあとは、「いじめ」をテーマとした授業へと進み、「愛と性」のイントロ部分に入ったところで夏休みとなった。ところが、この「えい児置き去り事件」がまったく予想外の顛末を迎え、私をびっくり仰天させたのである。当初の新聞報道では、このえい児の父親は17歳の少年、と見なされていた。しかしその後の警察当局の調べにより、なんと援助交際相手の男性(59歳)との間にできた子ども、という事実が判明したのである(資料4)。このようなドンデン返しになろうとは驚きだったが、「援助交際」についても授業で取り上げようと考えていたので、授業展開の筋書き通り(?)の「タイムリーな事件」となった。
 この事件を少女とまったく同じ15歳の生徒たちは、どのようにうけとめたのか、3人の生徒の感想を次に掲げる。 「私がその少女だったら、まず親に話す。だって妊娠や出産は個人の問題だとしても、生まれた赤ちゃんの命(人生)は私だけの問題ではないから。事件の少女が親や学校、友達に妊娠を隠していたのは、自分自身が大切だから、自分自身がかわいいからだと思う。生まれた赤ちゃんが大切なら、自分が傷ついてでも守るべきだと思う。約18時間しか生きられなかった赤ちゃんを手放してしまった(殺してしまった)罪は重いと思う」
 「自分だったら、おなかに赤ちゃんができた時に、ちゃんと親(相手の親にも)に話すと思う。せっかく1つの命が生まれてくるのに、中絶は…可哀想だあ。まして赤ちゃんを捨てるなんて。もっと自分に責任を持った方がいい。捨てる前に親とかに話して、もっと何か他にいい考えがあったはずだと思う。もし、私だったら、産んでちゃんと育てたい」 「こういう事件を起こさないためには、1人ひとりがちゃんと心掛けて避妊をすることだと思う。自分の快楽を求め過ぎたために、妊娠してしまって殺される子ども、傷つく女の子のことを男の子には理解してほしいと思う。もちろん、女の子も自分自身で気をつけるようにしてほしいと思う」
 さて、話が脇道にそれてしまったので、本筋へ戻そう。先の感想にもあったが、この授業が始まった当初、多くの生徒は「『保健』でもないのに、どうしてこんなことをベンキョーするのだろうか?」と戸惑ったようだ。中には、「本気で学校行くの止めようとか思ってた(笑い)」というものもあった。
 しかし授業がすすむにつれて、自分たちがいかに正しい知識を身につけていなかったか、あるいは、間違った考え方や偏見をもっていたかが自分でもわかるようになった。そのために、「へんな授業」ではなくて、「将来に役立つ授業」だと生徒の評価が変わり、「知っておいてよかった」「勉強してすごくよかった」と言ってくれるようになった。「前よりも自分のことを考えるようになった気がする」という生徒や、「もっともっと勉強してみようかなと思った」と書いている生徒も見られた。また、前に述べた「えい児置き去り事件」に関連して、「性についてあまり知識がないから、子どもを山に置き去りにしたり、若い年齢で中絶を経験したりしている人など、そういうニュースがテレビで流れているんだなと思った」との感想もあった。
 今回の実践では、生徒に対して、「どのようなことを学びたいか」といったアンケートを事前にとらなかった。今後は、「性の学習権」を保障する観点からも、生徒たちの学習要求を引き出し、それらをも織り込みながら、生徒の目線にあわせた授業展開をしていきたいと思っている。
 

 おわりに

 前述したように、私が「性教育」に本格的に取り組むようになって、15年。まったくの偶然だが、テレ・クラ(テレフォン・クラブ)が登場したのが1985年だから、こうした性をとりまく社会環境が激変する中で、ささやかな実践を重ねてきたことになる。当然のことながら、高校生の性意識もこうした影響をまともにうけ、大きく変化してきた。
 授業前に毎回行うアンケートの中に、「高校生でも性関係を持ってもよいか」との設問がある。約15年前の87年に実施したアンケートでは、「はい」と答えた生徒は男子47.3%、女子22.8%であった。しかし昨年の場合、男子64.3%、女子70.0%という結果が得られた。地域も異なり、同一の学校におけるデータではないので、比較できないかもしれないが、高校生がセックスをすることに対する抵抗感は薄らいでいるといえるだろう。とりわけ女子生徒の伸び率が著しく、しかも男子を上回っていることに注目したい。
 次いで、「もし、交際している相手との間で妊娠したことがわかったらどうするか」との設問に対する集計結果を見てみよう。「中絶する(させる)」と答えたものが男子では44.4%(87年)から34.1%(2000年)、女子では同じく39.3%から32.1%へと少なくなる一方で、「子どもを生み、結婚する」と回答したものは、男子が32.4%から60.0%、女子が32.0%から44.6%へと上昇している。もちろん現実問題となった場合、ここで答えたとおりに「行動」するかどうかはわからないが、この間の意識変化が数字にも顕著にあらわれているといえるだろう。
 「アダルトビデオを見たことがあるか」との質問を新たに加えたのは10年前だが、このとき、「見たことがある」と答えた生徒は男子63.9%、女子18.5%だったが、10年後の昨年の場合、男子66.1%、女子53.2%となった。男子は年度によっては70%を超えたこともあるが、女子では「見たことがある」が今回は半数を超え、過去最高の数字となった。
 アダルトビデオの視聴率を見ればわかるが、あきらかにアダルトビデオや雑誌・週刊誌などが今の高校生や若者たちの「性の教科書」となっている。このように、あふれるほどの性情報が氾濫する中で生活している生徒たちに対して、「情報に対する賢明な選択能力と行動力を身に付け、人間の性への正しい認識を深めさせる」(文部省『学校における性教育の考え方、進め方』)学習をかなり大掛かりに進めていかない限り、マスコミの性情報に押し流され、飲み込まれてしまうのは必至であろう。
 東京都幼稚園・小・中・高・心障性教育研究会の調査によれば、性交経験率は高校1年で男子25.0%、女子22.1%、高校3年では男子39.0%、女子37.8%(『児童・生徒の性 1999年調査』学校図書)となっている(資料5)。このような今の高校生の性意識の実態や社会環境を考えれば、「寝た子を起こすな」といった考え方はやめて、「性の学習」を積極的に取り入れ、あらゆる教科・科目の中で実践していくことが必要である。先に一部引用した文部省(現在は文部科学省)の『学校における性教育の考え方、進め方』(1999年3月刊行)には、「高校における性教育の目標」を以下のように規定している。
 「社会における自己の役割と責任について自覚を促すとともに、将来の生き方について自分の考え方を確立する。また、性の文化や社会的な意味を理解するとともに、男女平等、人間尊重の精神を基盤とする性の望ましい価値観を確立し、適切な意志決定や行動選択ができる能力や態度を育てる」
 性に関する諸問題は、「現代社会の課題」の1つであり、「人間の生き方やあり方」にもかかわる重要テーマの1つとして位置づけることができる。したがって、人権教育やジェンダーフリーの視点などに重きをおきながら取り組めば、社会科でもさまざまな切り口からの授業展開が期待できるのではないかと思われる。私の授業実践には、保健や家庭科などと重なる部分もかなりあると思われるので、今後はこれらの科目担当者などと連携をとり、内容をさらに精選・発展させ、生徒と向き合いながら、ともに考え、ともに生きるための「ふれあい授業」「ふれあい共育」ができればと考えている。時間不足と力量不足があいまって、15年間の総括とは名ばかりで、実践紹介にとどまった感もするが、もう少し実践が熟成した時点で理論的な総括をしたいと思う。
 最後に、「わたちゃん流」の「寒い」駄洒落を含んだ、軽はずみで誤解を招きやすいタイトルをつけたことに対し、一言弁解しておきたい。このタイトルは、およそ10年ほど前、ある教育雑誌に実践報告として掲載した際につけたものだが、「性交」のことを「エッチ(H)」と言い換える一般の風潮を私は是認するものではない。したがって、授業では「性交」という用語で統一し、まれに「セックス」と言葉を使う場合もあるということをお断りしておきたい。

(わたひき みつとも 県立長後高校教諭 教育研究所員)

性交の経験
(『児童・生徒の性 1999年調査』学校図書、より引用)

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