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特集 : 問われる21世紀の高校像 |
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2000年4月1日、「見切り発車」による県立学校管理運営規則(管理規則)の改定が行われ、その中で、職員会議を「補助機関」と位置づけた。職員会議の補助機関化をめぐっては、すでに94年1月、教育長名による「県立学校の運営に関する当面の留意事項について」(「1.23通知」)(1)に県の考えが示されていたが、99年8月の『活力と魅力あふれる県立高校をめざして──県立高校改革推進計画──』の中において、次のように明記されていた。
「各学校が主体的に改革に取り組むことができるよう、校内組織やその運営のあり方について見直しを行います。
校長がリーダーシップを発揮し、教育活動を円滑かつ効率的に実施できるよう、職員会議の位置づけの明確化や校長を支える校内組織の整備など、管理運営規則の見直しを含め、学校運営組織の改善に取り組みます。」
このような提起は、「改革推進計画」の策定に先駆けてまとめられた将来構想検討協議会の『これからの県立高校のあり方について』答申(98年9月)でも全く言及されていない部分であった。県教委は「高校改革」に便乗する形をとって、積年の課題ともいうべき管理統制強化に打って出てきたものと見ることができる。しかし、99年12月の県議会では、自民党議員の代表質問に答え、以下のように述べている。
「不祥事根絶のためには、校長が学校運営全体をリードすることが必要だ。学校運営組織を見直し、校内の連絡調整の円滑化と指導体制の強化を図ったが、今後、校長を支える人材の配置に努め、また、職員会議も校長を補佐する機関であるとの位置付けを学校管理規則の中に明確に規定したい。」(2)
不祥事根絶のためには校長のリーダーシップが必要であり、さらに職員会議を「校長を補佐する機関」(補助機関)にしようという論法である。
小論では、「学校教育法施行規則」の改正にともなう本県の管理規則改定の経過とその内容にふれる。さらに「学校教育法施行規則」改正を先取り実施した東京の動きを紹介し、40年前の神奈川における管理規則制定の経緯について振り返り、その後の動向などに言及し、今後、保護者・生徒さらには地域の人たちとともに学校改革・教育改革に取り組むためには、職員会議をどのように位置づけたらよいのか、考えてみたい。
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今回の管理規則改定は、県教委からすれば前々からその機会を伺ってきた案件であったはずだが、直接的には2000年1月21日に文部省が官報に告示した「学校教育法施行規則」(省令)の「改正」にもとづく対応措置であった。すなわち、同日に出された文部省事務次官通知に「今回の省令改正に伴い、公立学校を設置する教育委員会にあっては、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第33条の規定に基づく教育委員会規則等について必要な規定の整備を行うこと」とあることによるものである。
この省令「改正」のわずか2か月後に、管理規則の改定をやってのけてしまうという県教委の素早い「事務処理」ぶりには驚くほかはない。(3)しかし県教委は、これとあわせて省令で「改正」された「学校評議員」については先送りし、職員会議の「補助機関化」にしぼって規則化をはかったのである。
そもそも、各地教委が管理規則を制定しなければならない根拠は、先の事務次官通知にもあったように、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)」の第33条に規定されているからである。この「地教行法」は、1956年6月、政府・自民党が約500人の警官を国会に導入して強行採決をはかり、成立をみたものである。従来までの公選制による教育委員会をつぶし、任命制に切り替えると同時に、新しい教育委員の初仕事が勤務評定(勤評)の実施であったことはよく知られている。「地教行法」は、戦後民主教育を大きく転換させる契機を作り出した法規と言ってもよいだろう。
同法第33条には「教育委員会は、法令又は条例に違反しない限度において、その所管に属する学校その他の教育機関の施設、設備、組織編制、教育課程、教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項について、必要な教育委員会規則を定めるものとする。(後略)」とある。ここでいう「必要な教育委員会規則」が管理規則に相当する。しかも勤評でもそうであったように、同年9月、都道府県教育長協議会がこの管理規則のモデル案を作成したため、多くの県ではこの案に沿った管理規則が策定されたのであった。
当時神奈川では、神教組・神高教と県教委との間で「規則の制定は当分の間、行わない」との確約がなされた。ところが、管理規則反対闘争が盛り上がらない中で、京都・神奈川を残し全国的に規則化が進むと、県教委は59年末から秘密裏に規則案を作成、翌60年1月12日、抜き打ち的に管理規則(雑則を含め21か条)を決定してしまったのである。しかも当時の教育次長は、「管理運営事項であるので、交渉の対象ではない」と強弁し、両教組の申し入れに応じようとはしなかった。いうまでもなく、出来上がった管理規則は県教委に包括的管理権があるとする、いわゆる特別権力関係論(4)によってたつものであった。
ちょうど勤評交渉が中断していた時期であったが、鈴木重信教育長は同日付けの書簡を全県立高校教職員に送り、管理規則制定について理解を求めた。この書簡は、「組合側でとなえるような教育活動の統制支配とか、労働強化とかの非難は全くあたらない」「一つとしてこと新しいものはない」「組合と交渉すべき事項でないことは明白」と言いつつ、次の言葉で締めくくっている。
「これにより学校を管理運営する基盤は確立され、この秩序ある体制の上によりよき教育の実をあげられるのは教職員各位であります。共に手を携えて学校教育本来の姿を維持発展させたいと念願しております。」(5)
「共に手を携えて」との言葉とは裏腹に、その後も県教委は、教職員組合の反対を押し切り、教頭法制化・主任制の強行・初任者研修の実施など、校長を中心とした管理体制の強化策を推し進めてきたのであった。
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今からおよそ4分の1世紀前の主任制闘争時における神教協(神高教・神教組)と県教委との交渉に際して、管理規則を逐条的に検討を加え、改定案を作成したことは注目に値する。すなわち、主任制度化をめぐって交渉を開始(76年7月)するにあたって、4項目におよぶ交渉の柱を双方で確認しているが、その3番目に「現行『管理規則』を検討する」が入っている。しかもその時、県教委自身が「今の時代で教育問題については、労使がパートナーとして協力していく時代である。高校新設の問題、入試の問題、学校の管理・経営の問題等よりよい教育活動を保障していくためにどういう措置や運営の在り方が必要かを問う教育の時代であると思う」(6)と明言し、77年2月から4月までの間、管理規則の性格や意義をめぐって7回にもおよぶ交渉をもっている。(7)
この当時のやりとりと今回の一方的な管理規則改定を比べると、県教委の姿勢は明らかに180度転換したといってもよい。「交渉事項ではない」とし、抜き打ち的に規則制定を強行した60年のときと同じ構図となった。まさに歴史の歯車が40年前に逆戻りした、といっても過言ではなかろう。「多様で柔軟な高校教育の展開」を県立高校改革の基本方向に掲げ、「地域の意見を反映した学校づくり」をPRする一方で、県教委は学校に対する管理権を振りかざし、現場教職員の声を反映させることなく、2000年3月21日の教育委員会で管理規則改定を決定したのである。
教育法研究の第一人者である兼子仁都立大名誉教授はその著書の中で、次のように述べている。「現行教育法制における学校『管理』は、けっして当然に学校にたいする全般的な包括的支配権ではありえず、各学校の教育自治権及び運営上の自主性をふまえた総合調整的な教育条件整備の諸権限を束ねたものにほかならない。とするならば学校管理規則は、学校自治との関係における教育委員会の条件整備的権限を、事項別に、教育条理解釈および地域教育慣習法に即しつつ見定めていくという内容でなければならない。」(8)
前にもふれたが、98年9月に出された中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」にも、管理規則が「詳細に教育委員会の関与を規定し、学校の自主性を制約しているものが少なくない」とか、「その内容は法令等に定められている事項も含めて全国的に画一的なものとなって」いると指摘し、「学校の自主的判断にまかせ、学校の裁量を拡大する方向」による管理規則の見直しを求めている。ただし、この見直し作業が現場の教職員の意見を吸い上げようとせず、教育委員会だけでなされるとするならば、本来的な意味での見直しにはならないであろう。
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神奈川の隣、いや文部省のお膝下でもある東京では、すでに3年ほど前から、中教審答申を先取りする形での管理体制強化の動きが始まっていた。すなわち96年12月、都教委は都立高校でおこった教員配置をめぐる「不祥事」を口実に「都立学校等あり方検討委員会」(あり方検)を発足させ、わずか3か月という短期間のうちに管理体制強化を柱とした報告をまとめさせた。この「あり方検報告」をうける形で、都教委は98年7月9日、教育団体と一切協議することなく学校管理規則の改定を決定、同月17日、教育長名による通達が発せられた。この通達には、「今回の規則改正は、適正な学校運営の推進を図るため職員会議の位置づけの明確化、主任発令方法の改善及び教頭の職務権限の明確化を行い、校長が学校経営の責任者としてその職責を十分に果たすことができるよう学校運営体制を整備するものである」とある。どのように改定されたかは、別表( ページ)を見てほしい。
教育長通達が出されてから2か月後の9月21日、中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」が出された。前都教委教育長が中教審の副会長であったことを知れば、都教委の先取り実施を中教審が追認したと見て間違いない。さらにそれから1か月もたたない10月16日、都教委は各学校に対して、同年12月末日までに「学校管理運営規程」の策定を求める教育長通達を出した。この通達には、先の管理規則に示された教頭や職員会議に関する規定のほかに、校長の補助機関として「企画調整会議」(いわゆる主任会議)を置き、「校長の学校運営方針に基づき、学校全体の業務に関する企画立案及び連絡調整、各分掌組織間の連絡調整、職員会議における議題の整理、その他校長が必要と認める事項を行い、円滑かつ効果的な学校運営を推進する」ことを目的とし、原則「毎週1回開催する」とある。しかも留意事項として、「予算委員会や財務委員会のような予算の決定に関与する機関を設置するなど、校長の権限を侵害するような定めを設けることはできない」とクギを刺している。
教頭及び主任に関する規定は、「学校教育法」第28条や「学校教育法施行規則」第22条の3〜6に照らして見た場合、「地教行法」第33条にある「法令又は条例に違反しない限度において」の文言に抵触してはいないだろうか。たとえば、「学校教育法」では「教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じて児童の教育をつかさどる」とあるのに対して、東京の管理規則では「教頭は、校長の命を受け、所属職員を監督する」となる。もともとは「指揮監督」とあったが、実力行使を背景とした交渉により「指揮」の語を削除させたものである。「監督」との語句の挿入は、明らかに教頭権限の拡大・強化にほかならない。さらに主任について言えば、東京の場合、「校長の具申により、委員会が命ずる」とある。
このような突出した東京の管理強化は、皮肉にも中教審が掲げる「地方分権」の先取りである。今後、この東京方式をモデルとした、教頭の権限強化や主任制の見直しなどの管理規則改定競争が全国的に行われるようになるだろう。
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文部省が戦後まもない46年5月に出した『新教育指針』に、次のような一節がある。
「学校の経営において、校長や二三の職員のひとりぎめで事をはこばないこと、すべての職員がこれに参加して、自由に意見を述べ協議した上で事をきめること、そして全職員がこの共同の決定にしたがい、各々の受け持つべき責任を進んではたすこと──これが民主的なやり方である」
職員会議の重要性はいまさら論じるまでもないが、大学の教授会と異なり法的な根拠をもたないまま、長い間の慣行として位置づけられてきた。この点に関連して下村哲夫早稲田大教授は「学校慣行として生まれた職員会議にあまり厳密な位置付けを求めるのは、職員会議本来の機能を損なうことになりはしないか。『混沌、七窮に死す』(荘子)ともいうではないか」(9)と述べている。
文部省事務次官通知に示された「改正の趣旨」には、「(略)重要な意義を有するものである」と職員会議の重要性を認めている。しかしながら続けて、「職員会議についての法令上の根拠が明確でないことなどから、一部の地域において、校長と職員の意見や考え方の相違により、職員会議の本来の機能が発揮されない場合や、職員会議があたかも意思決定権を有するような運営がなされ、校長がその職責を果たせない場合などの問題点が指摘されている」とし、「その意義・役割を明確にするものである」と述べている。「施行規則」の条文では「校長の職務の円滑な執行に資するため」としているが、同通知の「留意事項」では「校長の職務の円滑な執行を補助するものとして位置付けられるもの」(傍点は筆者)と「補助」という語句を使っている。しかしながら中教審答申の中にも、「補助」の文言は一切見当たらない。
ところが神奈川の管理規則でも、この「留意事項」に「留意」したらしく、「(略)執行を補助するため」となった。ただし、「施行規則」が「職員会議を置くことができる」とあるのに対して、「置く」としている点が大きく異なっている。先行実施の東京は「置くことができる」と書かれている。しかもその前段をみると、「校務運営上必要と認めるときは」との条件付きになっている。つまり、文言どおりに解釈すれば「施行規則」や東京では、職員会議を置かない、すなわち職員会議を開かないこともありうるのである。やや乱暴な言い方をすれば、「補助」とは、野球やサッカーでいえば「補欠」と同じで、メンバーとして登録されていても、試合には出れない場合があるのと同じなのではないだろうか。参考までに施行規則と神奈川、東京の管理規則の条文を比較するため、別表を作成してみた。その文言を子細にみると、たとえば「招集」と「召集」(10)のように、微妙な文言の違いがあることに気がつくだろう。
都教委の通達に示されている「解釈及び運用方針」には、「職員会議は意思決定機関ではないので、議決によって校長の意思決定権を拘束することはできない」との断り書きも見られる。一方、神奈川の「管理運営に関する規則の運用について」を見ると、「(略)校長は、自ら議事進行にあたることができるほか、教頭等に命じて議事進行を行わせ、又は、職員会議の開催準備や会議録の作成等について職員をその任にあたらせる(略)」(11)ことができるとしている。つまり、職員会議の主宰者であるから、「司会」を校長自らが行うこともできるし、譲って教頭、場合によっては所属教職員にやらせてもよいと言っているのである。愛知県の高校では、全体で8割を超える高校(86.4%)の職員会議が教頭の議長のもとに行われている(全県全日制135校中110校の調査)。また、採決を「させない」が34.5%、「採決はないが反対が多いと差し戻しはある」が40.0%となっている。運営委員会も「連絡調整」ではなく、「事実上の決定機関」となっているところが、53.6%にものぼっている。(12)
今までみてきたように、「施行規則」や管理規則といった法令に示された文言どおりではなく、それに付随して出される通達や解釈、運用方針などがあたかも法令であるかのように拡大解釈されると、これは法治主義の理念からの逸脱を意味することになろう。
今回の改定の強行により、自らの手で反故にした形になったが、今からおよそ20年前の79年4月、神奈川県教委は「職員会議に対する県教委見解」を示したことがある。
「職員会議は、校長の責任において開催し、学校運営にかかわる重要な事項について協議し、学校として全教職員の共通理解や意思の統一を図る場である。」
これに続く「確認事項」として以下の2項がついている。
「1.職員会議における協議・決定に当たり、各教職員の積極的な参画、意見表明を促すと共に、多数意見の尊重とあわせ少数意見についても十分配慮するなど、より適正な結論を導き出すため、民主的に運営する必要がある。 2.各学校ではこの原則をふまえ、それぞれの実情に即した運営をすることが重要である。」
この見解は、「各教職員の積極的な参画、意見表明」を奨励すると同時に学校現場の「それぞれの実情に即した運営」を呼びかけるなど、各学校の自主性・自律性に配慮した内容となっており、県教委の高い見識を見てとることができよう。この時期ちょうど、現場の強い反対を押し切って主任制度が導入されたが、この職員会議に対する見解は、「百校計画」にともなう新設高校づくりに悪戦苦闘している多くの教職員にやる気と希望を与えた点でも、評価できる内容になっている。
職員会議は「学校自治の心臓部」(13)である。「教職員が学校運営に主体的に参加し、子ども・父母に対して共同して教育責任を遂行していくための合意づくりの自治的な意思決定機関」(14)としての役割を職員会議が担うことが求められているのである。
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「会議室は座席指定。校長・教頭・主任・主事は当然まえに座り、他の教員と向かいあいます。『起立、礼』で始まり、『起立、礼』で終わります。内容は、事前に運営委員会(校長・教頭・主任・主事で構成)で決定したものの伝達だけです。まれに協議らしきものが行われる場合もありますが、最後は“校長の判断”なる鶴の一声で打ち切りとなります。この職員会議が開かれるのは年に数回です。県内では1年間に1回も開かれない学校もあり、福高教組の県教委に対する重点要求となっています。」(15)
これは、福岡県の高校における職員会議の実態を記したものだが、「補助機関」の行き着く先は、このような異常とも思える職員会議が全国に広がることなのだろうか。
教育委員会法の制定後に文部省が出した文書には、次のように書かれている。
「(略)教育の営みは(略)、主体性のある自発的な営みであるから、国、都道府県、市町村が教育行政を行うに当たっては、教育を行うものの主体性を尊重し、その自発性を湧き立たせるように心すべきであって、教育活動を萎縮させるような結果におとし入れてはならない。」(『教育委員会運営の手引』52年12月、文部省)
約半世紀前のものとはいえ、今日の教育行政はこれとはまったく逆で、「教育活動を萎縮させる」役割を果たしているように思えてならない。教育行政当局は、繰り返し「校長の責任と権限の強化」を述べているが、このことは教育者ではなく、「上を向いて歩く」官僚的な校長を求めていることになるのではないか。渡辺治一橋大教授の以下の指摘はきわめて明快である。すなわち、「自律性の強調、多様性の強制ということは強烈な校長権限を持たせて、学校内外の民主主義を集中制・官僚制に変えるということと同義」であり、「多様な競争的な学校への改革のための強烈な中央集権制をつくることに他ならない。」「校長の裁量権限で右に行くと言ったら職員会議の意思を問わず右に行くという体制をつくること」(16)であると。そうであるとしたら、「日の丸・君が代」は有無を言わせず、文部省・教育委員会・校長の方針に従わせるための「黄門様のご印籠」となるのだろうか。「日の丸・君が代」の法制化に続き、教育基本法の改悪や憲法改悪が具体化されようとしているが、かっての勤評闘争のときのように広範な市民・労働者と連帯し、改悪阻止にむけた全国的なたたかいを組織していく必要があるだろう。
神田修山梨学院大教授は、「学校管理権の基本的なあり方は、何よりもまず教育の自主性をはじめ父母や子どものかかわりを含め、教職員を中心とす学校の教育権を保障すること、つまり学校の自治をふまえることである。その上での指導助言権を含む教育条件整備権であることにその重要な意義がある」と述べている。そして、「学校の自治とは、子どもの学習権の保障を中心に各学校の教育計画や活動ないし校内のしくみなどを、校長を含む教職員ないし学校全体の意思により、自主的、主体的に決定し、運営すべきである、という原理である」(17)としている。
先にも見てきたように、今回の「職員会議の補助機関化」は、中教審答申→省令改正→管理規則改定と、いわば上意下達的に進められたといわざるをえない(18)。しかも行政立法(省令)にもとづく通達行政によって、各都道府県教委に管理規則の改定を迫るとの手法がとられている。しかもその管理規則は、保護者・県民はおろか現場の教職員ですら関与できない“雲の上”で作られ、それが学校現場を縛るのである。「開かれた学校」が叫ばれている今日、このような教育委員会規則の策定システムの見直しと、中教審答申でも提言されている規則の簡略化が必要ではないだろうか。また、「学校は行政機関ではなく教育自治体である」(19)ことを広く知らせるべきであろう。
『新制中学校・新制高等学校 望ましい運営の指針』(49年4月、文部省)には、「新制中学校または新制高等学校に関する教育者と一般の人とは、その学校の教育方針を、相当長期間にわたって研究した上で、これをたてなければならない。これをたてるには、校長も生徒もその土地の人々もこれに参加することが必要である。」とある。これは新制高校のあり方を示すものであったが、この指針の具体化を遅まきながら、今から進めなければならないのではないか。すなわち、子ども・保護者・住民の参加にもとづく学校改革を進めるためにも、職員会議の閉鎖的なあり方を見直すとともに、いわゆる三者(四者)協議会や学校協議会づくりをめざす具体的な取り組みを、いま、足元から早急に始める必要がある。「『子ども・保護者・住民の学校参加の実現』は、(略)21世紀初期の学校改革の大道である」(20)との期待に実践で応えなくてはならない。
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(わたひき みつとも 県立長後高校教諭・教育研究所員) |
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