ここでは本稿で主張したい部分に関連してのみ、定時制の歴史をとりあげ叙述してみたい。そのことで今日的問題も見とおせると考えるからである。
1947年12月、文部省通達「新制高等学校実施準備に関する件」によって定時制高校の基本性格が明確にされ、新しい教育制度として発足した。しかし、当時は多く夜間高校と定時制高校は同義ではなかった。しかし、通達は「夜間の課程は、分類上別に取り扱われているが、本質的には定時制と考えられるものである」というように、夜間課程と定時制課程が区別されていたことに対して、夜間は定時制とした。ただ、実際は文部省が夜間の課程は定時制であるといったところで容易には一本化できなかった。それは「夜間課程の前身は旧制の夜間中等学校であり、定時制課程の前身は青年学校であったのである」*。また、この通達では全日制との定時制の教科課程は同一という原則が示された。これは全定同格などと言われ、定時制は全日制と同じ内容と質を保っているのだという、生徒にとっても教師にとってもある意味での「誇り」として作用した。
三修制に関しては、興味深い事実がある。それは当時の教育関係者の目標が全日制と同じ3年で卒業を認めさせてほしいというものであった。実際、1947年2月の「新学校制度実施準備に関する件」の通達においては、夜間課程を「夜間全日制」と呼び、その夜間全日制の修業年限は3年であったということである。しかし、前述の「新制高等学校実施準備に関する件」の通達において「夜間課程の修業年限は4年を基準とする」と規定された。これは夜間教育関係者に「失望を与えた」*という。現在、定時制における修業年限は学校教育法の改正により3年以上となったが、夜間課程は3年だったという事実はあまり知られていない。私は早急な三修制論者ではないが、何がなんでも定時制は4年だというのは、歴史的に見ても少々無理がある。問題はその教育方法と調整方法なのである。
次に定通併修について述べていきたい。冒頭でも触れたように定通併修は、もともと通信教育自身で卒業資格を与えることができないゆえに定時制に働きかけたものであった。しかし、「実際面においては、受け入れ側の定時制でいろいろと難色が示され、さして進展をみるには至らなかった」*のである。
最後に今後の定時制について論じる際に忘れてはならない点をあげたい。定時制在籍生徒数を文部省『学校基本調査報告書』により追っていくと1953年が最高数で577,162人であった。この数は当時の高等学校生徒の4人から5人にひとりは定時制生徒という数字である。その後は生徒数は減少し1997年には101,982人までその数を減らす。しかし、1998年には102,190人、1999年には105,131人とわずかだが増えはじめてきているのである。これは子どもの数が減り、全日制の生徒数が減り続けているのとは少し違うベクトルになっている*。この数字が示す意味も重要である。