実践事例から見る「総合的な学習」
〜展開をめぐる幾つかのポイント〜

佐藤 治  

 
 

 はじめに

 2003年度から、あるいは移行期の実施を見通した「総合的学習の時間」の検討が始まっている。いうまでもなくカリキュラム編成、特に今回の「総合的学習の時間」については、「どう展開するか(=flame)」と「何を内容とするか(=contentsの両方を検討しなければならない。それは相互に絡む問題だが、高校現場で今頭を悩ませているのは前者の方ではないだろうか。後者の参考となるものは小中学校の実践のなかから多く学ぶことができるし、各校・各教員が積み重ねてきた実践を生かす方向での検討ができる。しかし、「どう展開するか」という問題に対しては、生活科などの経験がなく、また集団的授業創造の経験の少ない高校でどのように展開をつくっていくのかは、一部の高校をのぞいてはなかなか見えてこない。それだけに今までのカリキュラム編成以上の困難さやとまどいが学校現場を覆っているように思えてならないのである。
 高校での実践・研究状況について情報を得ようとしても、なかなか状況が把握できないのが現状である。出版をみても、小中学校向けのものについては実践報告的なものも含めて膨大と言ってもいい数が出版されているにもかかわらず、「高校」での実践についてはきわめて少ない。インターネット上の書店、紀伊国屋BOOKWEBの検索では「総合学習」では197の出版物がHITするが、検索条件を「総合学習+高校」とするとわずか2件になる。同様にYAHOOの検索では「総合学習」でのHIT78件に対して「総合学習+高校」ではわずか1件になる。ちなみにこの1件は島根県立隠岐島前高等学校が1年生で取り組んだ全国離島高校フォーラムの研究発表であるが、同校のカリキュラム表には総合的学習の時間は設定されていない。
 このような状況の中であるが、ごくわずかではあるがふれることができた実践から見えてきた展開のポイントについて若干まとめてみることとした。本稿においては文部省が刊行した「特色ある教育活動の展開のための実践事例集〜「総合的な学習の時間」の学習活動の展開〜(中学校・高等学校編)」(大日本図書刊・一般書店で購入可能)に掲載されたものからの検討にすぎない。しかし、これらわずかな事例からではあっても、「総合的学習の時間」展開のポイントはあぶり出せるような気がする。
 

 展開上のポイント

1.履修形態〜「共通履修型」か「選択型」か
 展開上もっとも大きな相違はレッスンクラスの編成を構成する際に現れる。これは「総合的学習の時間」にどのような性格を与えるかに大きく影響している様子がうかがえる。
 「共通履修型」(実践例1,4,7)は学年、学期等のテーマ・目標などを共通に据えた上で、展開自体は全生徒(学年)共通に行われ、その中でフィールドワーク(以下FW)、グループ活動を通じてテーマを個別化していくという形態をとる。この形態においては、学年を意識したテーマ設定や行事との連関等をはかりやすいメリットがある一方で、共通内容の授業展開を全クラス担当が同時に進行しなければいけないため、かなり綿密な構内・学年内の共通理解・体制固めが必要とされるだろう。しかし、従来から「進路研究」「ガイダンス」あるいは「交通安全教育」「禁煙教育」「人権教育」等を校内共通の取り組みとして追求してきた学校においては移行しやすい形態といえるだろう。またそうでない学校がこの形態をとる場合には前出の実践例のほかに総合学科の「産業社会と人間」の展開例が参考になる。
 一方で「選択型」(実践例2,3,5、8)の展開は、一定の共通テーマを設定し、その中で複数の講座を設定し履修する形態をとるものとなる。授業の内容がイメージしやすく幅広い講座設定が可能な点や、各教員の持つ技能・知識を生かしやすいという点はメリットといえる。また、複数学年にまたがった履修を可能とする展開も行いやすい。しかし、逆に設定講座が在籍教員に依存してしまう点や各学校における「総合的学習の時間」の位置づけや意味付けについては「共通履修型」に比して薄いものとなりやすいのではないだろうか。
 また、「選択型」のなかにも「通年型」(実践例3,5)と「短期講習集約型」(実践例2)が考えられる。前者は一つの内容を通年で学習するために、年間計画の中で展開でき、ティームティーチング(以下TT)の持ち方についても見通しを持って当たることができる。いっぽうで、1年を通じて一つの内容を追求するテーマづくりが正否を左右することになるだろう。それに対して後者は外部講師の活用の容易さや様々な内容を豊富に盛り込める点ではメリットとなるが実践校の報告からも散漫な内容となる点は否定できない。この点は他の項目とも併せて展開の工夫の中で研究すべき課題となるだろう。
 履修形態の展開を考えると、多クラス展開に対応する施設および人的配置の心配を別にすれば、「選択型」の方が組み立てやすいのは確かだろう。しかし、アメリカにおける「ショッピングモール学校」の失敗を引くまでもなく、カリキュラム全体の中での位置づけや各校における設置の意義という議論がないままに安易な選択に流れれば失敗は目に見えている。目標を定める中で形態を選択していく議論が必要不可欠ではないだろうか。

2.単位数〜2期制との関係も含めて
 実践例をみるとどの学校の例も2単位での展開が行われている。(厳密にいえば「総合的学習の時間」は「105から210単位時間」といきまりであるから「2単位」という言い方は正確さを書くが、どの例も週ごとの時間割上に起いていることから便宜的にこう書く。以下同様。)これは、FWや実技的な内容、グループ学習を考えた場合に1単位での授業が難しいことからこういう展開になっていることと推察できる。また、本格実施となった段階では同様な展開はできないが、名古屋大学教育学部付属高等学校では隔週土曜日の2単位実施で1単位設定という例もある。
 現実にこれからカリキュラムを編成していくうえで考えたときに、2単位通年実施という年間計画を立てることはかなりの労力を要することだろう。こうしたことも併せて考えると、2期制の展開が「総合的学習の時間」の展開のうえで有効性を持つように思える。前期後期にわけることによって、その性格に差違を与えること(たとえば、前期はオリエンテーション的内容、後期は選択的内容など)であろうし、複数学年の混成履修についても行いやすい条件は生まれる。時間割作成やレッスンクラスの編成などのいわゆる今日無敵な煩雑さはあるにせよ、「総合的学習の時間」のスタートとしては取り組みやすい条件ができるのではないだろうか。

3.行事との関係
 現在までのところ、神奈川県教育委員会は「前向きに検討中」との前提のもとに、「移行期においては行事自体を持って「総合的学習の時間」に充てることは不可」との見解を示している。しかし、行事がその学校の特色ある教育内容と連関している場合には当然にこの「総合的学習の時間」の展開と連動しても問題はない。名古屋大学教育学部付属高校の報告(実践例1)では、2年生のテーマを「平和を学ぶ」とし、2学期の沖縄研究旅行におけるフィールドワークを一つの中核に据え、1学期の生徒自身の選択による生徒自身によるテーマ学習を展開し、最終的な報告作成へとつなげている。また、学校祭のポスター、ビデオ作成に取り組むもの(実践例2)の例もみられる。
 あるいは総合学科高校の「産業社会と人間」の展開の中には、数グループに分けて時間をかけた校外活動を取り入れたものもあり、校外での活動の内容によっては時間割を越えた形での「特別活動日」的な設定も有効なものとなるであろう。
 いずれの形態であれ、日常の座学・実習とは違った行事ないしそれに準ずる設定は、生徒がそれぞれのテーマに向かうときのモティベーションを高める意味で有効なものとすることができるのではないだろうか。もちろん従来から行ってきた生徒会活動、生徒指導的行事等が「総合的学習の時間」の中に組み込まれることなく機能し、有機的な結合がなされることもきわめて意味のあることであろう。

4.「地域」「就業体験」をめぐって
 報告書のどの実践をみても何らかの形で聞き取りやフィールドワーク、地域の外部講師の活用などが報告されている。学校の内部だけでなく学校周辺にも学習の素材を求めることは意味のあることだろう。しかし、神奈川の高校の現状をみたときに、素直に「高校」と「地域」を結びつけて考えることができる状況はあるのだろうか。厳然と存在する学校間格差の中で、「地元の高校」として地域が受け入れてくれる関係が存在しているのかが疑問なのである。しかし、この「総合的学習の時間」の展開の中で高校生が地域にでていく機会がこの関係を打開する状況を生みだし得るのではないかという若干の期待もある。
 また、現在中学校現場では就業体験の取り組みがかなり広く行われている。今後もこの動きは広がる見込みがあり、高校での進路研究型の取り組みと内容的にダブることも危惧される。今まで以上に中高の連携の中でお互いの果たす役割についての意見交換が求められてくることになるだろう。

 

 さいごに

 今回は実践報告校の事例からみて、「総合的学習の時間」の展開上でどのようなことがポイントとなるかをいくつか上げてみた。おそらく今後各校の検討の中でさらに詳細かつ重要な検討項目があがってくるものと思われる。また、文部省・県教委がはたしてどのように内容や展開の方法にコミットしてくるのかも現実的には現場を左右することになるだろう。
 「総合的学習の時間」に関する解説書はその立場を異にしたものでも一様に、その検討機関の設置と全職員での検討体制の重要性をあげている。この点は私も同感である。最初に述べたように高校の現場では共同で授業を作り上げてきた経験が乏しい。しかし、課題集中校を中心とする学校創造のとりくみや教育研究集会での先進的な研究発表など、神奈川の中にも財産はたくさんある。こうしたものを活かしていくためにも、「総合的学習の時間」を私たちの主体的なとりくみの中で作り上げていかなければならないのではないだろうか。そのためにも各校の議論・研究の交流が必要だ。教育研究所としてもこの点に精力を傾けていきたいと考えている。

≪資料≫

(さとう おさむ 県立横須賀高校定時制教諭 教育研究所所員)

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