次に定時制高校の実態について簡単に触れていきたい。実態を抜きにした改革などありえないからである。ただ、それに先立って、実態の変遷についての記述からはじめよう。定時制は時代による変化が著しいのである。その方法として制度史や実態調査比較などもあろうが、ここでは渡辺潔の論文を参考にしたい*。彼自身、当時定時制の教師であり、学校に保管してあった文集・学校新聞・文芸誌・パンフレット・卒業文集・自分史などの記述を通して、いわば時代時代の定時制の雰囲気を読みとていくという方法をとった。このことで、制度史等では見えない定時制高校の世界をつまびらかにしてくれた。以下、渡辺の論文より生徒の言葉をいくつかピックアップしていく(ただし、見出しは渡辺によるものである)。
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貧しさの時代 |
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夜学生に共通な宿命の一つは時間。学力向上の為に、日曜日に補習授業を行うことは効果のあることである。 |
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(1955年、学校新聞より) |
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中卒者・「金の卵」時代 |
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疲れてねむいが、明日の事を思えば今日のことは今日かたずけておかねば明日はもっとつらいかも知れない。そう思いながら読む本も、いつか一時をすぎ、二時近くなると字が重なって見えなくなる。書いている字もいつか角がなくなり棒か点のように感じられる。 |
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(1961年、文芸誌より) |
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定時制高校の転換期 |
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友よ、貴方は定時制に入って今日まで何を得ましたか。『友』『生き方』いろいろあるでしょう。私は、最初思っていたのとあまりにもイメージの違う定時制高校への失望がありました。アルコールを飲んで授業を受けていたり、おしゃべりをして授業を受けている人。いざテストになるとあわててさわぐ者。定時制に入るまでは、定時制とはもっとしっかりしているものと思っていたのだが・・・・ |
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(1971年、文芸誌より) |
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全日制高校の受け皿としての定時制高校 |
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四年間むだだった。いやいや毎日かよわせられていたのだから気がめいった。何の目的もないのに、何で行かなくっちゃいけないのかとつくづく思った。いつやめてもいいと思っていた。どうにでもなれと四年間すごした。 |
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( 1979年、文集より) |
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中学時代には色々あった。友達と他の学校に行って門の前でケンカをしたりした。タバコは中一の時から仲間でやっていた。自分はシンナーはやらなかったけど、ウイスキーをコーラでわったのを昼休み仲間で飲んで授業をうけたこともある。今、自分だけ定時に来ていて、仲間に会えないのが一番つらい。 |
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(1987年、自分史より) |
定時制が1970年ごろを起点として大きく変容する様子がよくわかる。渡辺はこうした定時制生徒の実態の変遷を読み解きながら、最後に「全日制高校非進学者や中退者の受け皿としてスラム化しつつある定時制高校がこのままであっていいはずはない」と締めくくる。
生徒たちの文章は、まさにそれぞれの時代の定時制高校の実態を映す鏡であろう。若干の地域的誤差こそあれ、全国の定時制は同じような変遷を遂げてきた。
しかし、今また定時制は新たな変遷を迎えようとしているのではないか。それは私自身が定時制高校に勤務して感じるものである。私自身は長く定時制に勤務しているわけではないが、書物や定時制に長く勤務する者の話などを総合して、またこの五年間ほどの自己の経験から推し測って感じるのである。確かに1970年以降の状態から大きく変貌したわけでは決してないだろう。ただ、子どもの総数が減少し全日制への入学者数も減ってきている昨今、あえて定時制に活路を見出す者をはじめ、不登校者・障害者・外国籍の者が増えてきたことである。彼ら彼女らの中には学ぶ意欲をもっている者もいるし、必ずしも不本意入学という言葉で括れる者たちだけではない。また、40歳以上の者も少ないが在籍している状況である。付言するなら、とても強く感じるのは家庭的理由(経済的理由も含まれるがそれだけではない)による入学ということである。社会階層の問題が浮かび上がってくる。
こうしたことは私の近辺だけに起きているのではなく、少なくとも神奈川県全体の傾向の特徴を示していると思われる。1999年の神高教特別定時制対策会議による「今後の定時制教育像を求めてY 定時制生徒の生活実態」にも統計的に表れている。「全日制に入学できなかった不本意入学」は1993年から1998年で約10%減少したと報告する。定時制は規模を縮小しながらも、その内実も質的変化をしていると見るべきであろう。その内実を把握することこそ、定時制の教育改革へのメルクマールになるのではないかと考える。