特集 : シンポジウム「減るの?変わるの?どうなるの?」
 
県行政、教職員のあり方

藤原:該当校の清水ヶ丘の藤原です。
 この間の動きの中で気にしていることの一つには、移行期の問題です。本校の場合、皆さん、移行期の話をよくしているんです。もちろん大事なことであるし、慎重にやらなければならない問題ではあるんだけれども、それが、ただ、自分のことしか考えていない移行期の議論になっていないだろうか、というところを気にしています。
 二つ目は、県教委の方が、現場とじっくり話しますと言っていますね。でも、この間県がやってきたときに話をしたんだけれど、総合学科でのスポーツ系列を県の担当者が示唆するものだから、僕があれこれ聞いたんです。すると、「だって、随分前から文部省のスポーツ指定校になってるじゃないですか」と。実は今年からのことですから、出任せもいいところなんです。冗談じゃない、と思うわけです。学校の敷地が結構広い、とか、さまざまな系列をあちこちに配置する関係で、ここはこうね、という形で狙い撃ちして、決めて、浜高教の方が言ったように、学年進行の単位制など、めちゃくちゃなことを言っているようですけど、そういう設定だけ決めれば、そのお役人はまた交代するわけでしょ。
 だから僕らにとって今大事なのは、総合学科なら、どういう総合学科にするかということなのですが、まだ職員の中で議論ができる余裕がないんです。もちろん相手校の関係もあるし、県教委の人間・校長・職員2人、という会議で、上から下へというみえみえの状況もある中で、職員でどんな議論をしていくか、逃げ腰になっている人も大勢いるし、どんなふうにやればいいのか、その最初の部分を向こうのペースでやらせないようにするというのが、大事なのかなというふうに考えているんです。そんなところが今の本校のありようです。

舟知:現在は寛政高校にいます。再編相手の平安高校に去年まで10年間いました。
 平安高校の状況を見ますと、人事異動の新しい要領が出来てから、中堅校とか、いわゆる進学校からの人たちが来て、はっきり言って、元気がないんです。
 なかなか担任を持ちたがらなかったりとか、そういう方々が「寛政レベルの子を相手にしたらどうなっちゃうんだろう」というふうにビビッている流れがあると思っています。今いる寛政、あるいは平安レベルの子たちが入れる学校にするには、逆説的ですが、あまり魅力のない学校にする、魅力があると倍率が高くなっちゃって入れなくなっちゃう。あるいは、くじ引きが一番いい。これ本気で言っているんですけど、国立の中学とか小学校で出来るんですから。
 かなり根本的に頭を切り替えないといけないのかな、と思っています。それに職場がついていけるのか。先ほど、梅本さんは当事者意識が希薄だ、と言われました。私もそう感じています。いろんな意欲を持った人がこれから来てくれるといいな、と思っています。

 

通信制の生徒の思い、新たな試みを

井上:厚木南通信の井上といいます。先ほど、中沢の卒業生のお子さんをお持ちのお母さんの話がありましたが、僕は、初任の学校が柿生高校で5年間、今厚木南通信へ行って3年目です。実は、柿生高校も、中沢高校もなくなってしまい、今度、厚木南通信はフレックス(フレキシブル)になることになっています。
 通信制ですから、いろいろな生徒が来るわけですけれど、一人の30代の女性の生徒、野球部に入っていまして、僕は野球部の顧問ですので、彼女と話をしたとき、「再編整備計画だ出たね、先生」といいました。彼女は2人の中学生のお子さんを持っているので、「私にとっちゃ、これ、切実な問題よ」というわけです。自分も高校生であるわけです。「あれを読むと、何をやっているのかよく分からない。おかしい人じゃないの?」ということを言っているんです。
 彼女の言葉を借りれば、川崎北部学区に住まいがあるようで、「うちの娘は柿生西しか行けないんだよ、先生。今度柿生と柿生西が一緒になるじゃん。そうしたら、うちの娘はどこに行けばいいのよ。何やってんの、この計画」と僕が怒られてしまいました。
 「通信とか、フレックスとかあるじゃん」僕が言うんですが、「フレックスが近くにいっぱいあればいいよ。でも3つしかないじゃん。どういうことなのよ、先生」と言われて、「そうだな。そう言われれば確かにそうだな」と答えました。
 もう一点。彼女によれば、「うちの子は相当やんちゃで、大変な子」なんだそうです。「中沢高校を選べるというのはいいよ。ある中学校ではそういう子、全然面倒見てくれないんだ。でも、娘が行っている中学校の先生はすごくよく面倒見てくれる。だから、選べるというのはいいよ、先生」と、彼女は言っています。
 もう一人、生徒の話をしたいと思います。この生徒は20代の男性で、中学校時代大分やんちゃなことをして、今、厚木南通信制の3年生で活躍しています。その子は、週刊誌や新聞をよく読んでいる生徒で、「再編整備計画が出たね。厚木南はフレックスだね。言っちゃあ悪いけど、ちゃんとした子は来ないんじゃないの」、彼はこういう言い方をします。「中学時代荒れたり、大変だったり、そういう子たちを専門的に受け入れる学校になっちゃうね。先生たち、それでいいの?」と言っていました。
 彼の実感としては、「フレックスというふうに名前がついちゃっている学校に、率先して入っていこうという生徒はいないんじゃないのかな」という判断を下している、ということです。彼の言っている分析が正しいかどうかは分かりませんが、そういう感覚もあるという話を聞きました。
 課題集中校という言葉がありますが、僕が10年間勤めた学校はそういう学校だったようです。そういう学校が果たしてきたこと、自分が10年間やってきたことは、先ほどのママさん選手の生徒から見たら、間違いじゃなかったんだなと思う言葉に、別の学校に移って出会えたな、という思いを持っています。
 話は変わるんですが、フレックスとか単位制とか総合学科とかいろいろあるわけですが、例えば、フレックスで言えば、時間が自由なだけで、学校が抱えている諸々の問題を打ち破れるだけのインパクトがあるのかどうか、考えてしまいます。
 かつては一億中流化と言われていたそうですが、日本の社会で四字熟語で言えば階層分化というんでしょうか、そういうことがどんどん進行していて、大変な状況を背景に持っている生徒も増えてきているんです。それがまず一点あります。
 全日制にしろ、単位制にしろ、総合学科にしろ、学校が抱えている基本的な問題をクリアするシステム、今階層社会の中で苦しんでいる生徒に本当に役立つシステム、にしていけるのかどうかが問題になってくるんじゃないか、と思っています。
 正確な情報ではありませんが、新潟の長岡明徳という、総合学科・単位制の学校があるそうです。ここでは中退者がどんどん出ている、という話です。新しいシステムを導入したところでも中退者が出てくる。
 さらに定時制・通信制の併修の問題もあります。どういうことかというと、通信制にたくさんいろんな生徒がやってくる可能性、あるいは通信制を活用しようじゃないか、通信制に送り込んでしまおうじゃないか、という可能性が予想される、という気がしないでもありません。再編整備計画があってもです。通信制の職場では、70歳を超えている方もいますし、いろんな生徒がいます。どちらかといえば、手作りで温かい感じでやってきた、そういう通信制の良さ、あるいは、不登校の子どもたちが個別学習の中で元気にがんばっている姿、そういったものが、もしかしたら、たくさんの生徒が入ってくることによってめちゃくちゃにされてしまうんじゃないか、という心配をしている先生もいます。
 その一方で、もうそういう時代じゃないんだ、古きよき通信制の時代は終わったんだ、たくさんの生徒や併修などに使える通信制なんだから、そこを使わない手はないだろう、そう言う先生もいます。
 だからここで、僕が提案したいのは、パンアメリカンじゃないですが、汎・通信制主義というのを全部の学校に広めるといいのではないか、というようなことです。
 一昨年のシンポジウムに比べ、今日はちょっと空席が目立つようです。再編整備に当たっていない学校の先生は、再編整備される学校の名前や、数にあまり関心がないという問題があるようです。これ、皆さんがかかわる問題ですから、保護者の方を含めながら、いろんな議論ができれば……。

山本:計画に当たっていない学校、川和高校の山本と申します。一言だけ、今の井上さんの話と重なるかと思うんですが、心配していることを申し上げます。
 高村さんの言葉を借りますが、現場は不満があり、不信があり、不安がある、という中でも、梅本さん、高村さんの話しを聞いていると、やろうとしている。それも、言われて仕方がないからという諦めではなく、やろうとしている、非常に羨ましく思っています。
 最近文部省ですら、今までの教育政策について一定の反省をしている。つまり、考える力をまったくつけてこなかったんじゃないか、そういう視点に立っている。別に文部省を持ち上げるつもりではありませんが。
 単位制についても否定的な意見がいっぱいあるようです。
 これは私事ですが、私の長男は中学校を不登校しまして、単位制高校があったから、今高校3年目に行っています。単位制はクラスがどうなっちゃうんだ、という話もありました。が、少なくとも、クラスがない状態というのは、私、断言できますが、いじめは半減すると思います。そういう試みも含めて、従来のやり方がよかったわけではないんだという視点に立って、非常に大変だろうけど、、お二人を含めた学校ががんばっているのを見て心強く思うし、羨ましく思っています。
 一つだけ寛政に要求しておきたいのは、日本語を母語としない子どもたちについて、今、寛政では優先的に入学を認めているということがあります。そういう特色は、新しい学校になったからチャラよ、ということだけは絶対ないようにしてほしいし、そういう特色を新しく出来る学校でどんどん採り入れていっていただきたいと思います。
 私が一番心配していることを言います。私は川和高校に今年移ったんですが、幸か不幸か、川和高校は今のままで何とかなっている学校なんです。と言っても、問題がないわけじゃないんですが、川和高校では、先ほど井上さんが指摘したように、この話題は一つも出ません。私、しきりに言うんです。「あなた方が、これからそういう学校に転勤するんだよ、だからあなた方の方が考えなければいけないんだよ。当該の学校の人は今度川和高校に来るんだから、いいんだよ」というふうに回りに言っているんですが、それでも動きません。
 これをどうしたものか、ということが、私の一番の大きな悩みであります。

司会:どうもありが乙ございました。今、高校の教員4人の方からお話いただきました。ここで、高校の教員以外の方でご発言なさる方があったらお願いします。では、後ろのほうからいきましょうか。
 

今の高校生により良いものを

松本:今日初めてシンポジウムに参加して、いろいろ勉強になることがあってよかったと思っています。
 該当校の都岡高校の松本です。さっきのお母さんの中沢高校の相手校です。
 さっき川和高校の先生が「単位制になればいじめが半減する」と、おっしゃられていたんですけど、子どもに社会的ストレス押しかかる限り、思春期に入ったら、いじめはどこの学校でも発生すると思うんです。
 僕、該当校なんですけど、今回統廃合が決まって、自分が学校に対し持っている思い入れがあるし、寂しいんです。本間先生に聞きたいのですが、今の学校に新しい学校の教育カリキュラムは導入されることはないんですか?
 僕らの世代は、大人の一方的な決断を、亜、しょうがないなと思って受け入れちゃうのに慣れているから、大して驚いたりしないんです。建前が立派で、多様に、柔軟に、といういろいろ立派な言葉が述べられているんですけど、自分たちに導入されないうちは納得できないです。ですから、ぜひとも、新しい用意されたシステムを、自分たち都岡高校生が、都岡高校生であり続ける内に、その時間内に、新しいものがどういうものかというのを――。それになんで自分たちの学校が統廃合の的になってしまったのか、とか、ぜひともお答えいただきたいです。

司会:質問もありましたので、後でお答えいたします。

安藤:綾瀬市から、今日は一母親として参加させていただいております。現場の先生たちは、本当に、いろいろな問題を抱えておられるのだなということを強く感じました。私は素朴な感想としまして、単位制はすごく子どもにとっていいな、と思って喜んでいます。
 というのは、うちの息子は高校生のときに、サッカーがやりたくて入った学校が、たまたま、すごい進学校だったんです。全て受験に向かっているという、そのありようがあまりにも嫌で、アメリカの高校に1年間留学しました。そうしましたら、そこで非常に伸び伸びと好きな授業を受けることができまして、部活動も堪能することができました。自分としてはその1年間を満足して帰ってきて、しみじみ言いましたけれど、「今の高校にある、なんともいえない閉塞感のようなものが子どもをロボットのように受験に向かわせている」と。別の高校には別の悩みがあると思いますけれど、いろいろな価値観がある中で、進学校の場合はとにかく一つの価値観の中だけに子どもたちが縛られていくという、そういう苦しさが非常に感じられました。
 そういう意味では、今回の統廃合とかいろんなことで、先生方やお母さんたちにたくさん不安とかあると思うんですけれど、子どもたちが本当にいい高校生活を送れるような、方向を目指していただきたいという感想を持ちました。
 

県教委の姿勢と学校の存在価値

矢口:矢口と申します。約15年前に退職いたしました。今日、いろんなお話を聞きまして、驚きというよりは憤りと悲しさ、あるいは、滑稽さというものを感じております。それは何かといいますと、県の姿勢がまったく変わっていないということ。と申しますのは、私は70年のときい希望ヶ丘高校におりまして、12学級問題で大変苦労いたしました。
 百校計画の問題が出てきましたが、その頃同時に、突然、希望ヶ丘高校を含めて4校に対して12学級問題というのが出てきました。校長から突然言われたわけですが、それに対して全職員が反発いたしまして、結果的には当時の高教組本部と連絡をとりながら、また、他の3校とも連絡をとりながら、希望ヶ丘分会が単独で県の総務部長交渉を約4年くらいやりました。
 そのときに分かったことは、教育問題は一切出されることがなくて、最終的にはすべて財政問題で片づけられてきているということ。そして、学校職員、現場の職員に対してまったく相談がないということです。
 この2点は、そのときは百校計画・12学級問題と拡大されていく、今は縮小されていくと言う違いはあっても、本質的にはまったく変わりはないわけで、そういう意味で、県はまったく退歩さえしていても、進歩はしていないのだということを、私はある意味で、憤りを持って感じているわけです。
 そういう経験を通して感ずることは、例えば12学級問題の場合に、県が学校に対して、現場に対して、生徒と教師に対して、教育に対して、どう言うような影響を持ち、どういう波紋を投げかけていくのか、ということがないこと。あるいは、百校計画の場合は、百校作ることによって差別問題が出てくるに決まっているのに、そういうものに対する考えがほとんど想定されていないということ。
 ですから、場当たり主義と申しましょうか、対症療法的な形で全て行われているということは、現在の問題と同じだと思います。さらに、先ほどのお話の中で、将来展望も、教育思想も、まったく示されない状態だから、現場の先生方は何をやったらいいのか分からない、にもかかわらず何かやらなければならない、というふうにおっしゃっておられました。私は、それはそれで必要だと思いますが、その前に、県の足りなさに対して抵抗し、抗議していかなければならないんじゃないだろうか、と思います。
 その抗議を、かつての希望ヶ丘高校は単独でやったわけですが、そういうことでなくて、これだけの危機状況は世紀末のところまできているわけですから、もっと組織的に持っていく必要があるのではないだろうか、その辺が、一体どうなっているのか、考え方によっては、転換する重大な時期ではないだろうか、と考えております。
 最近私は、不登校の生徒とのかかわりを多少持つようになりました。そこで感じたことを先生方に訴えたいと思います。今、急に不登校の問題が出てきたんじゃなくて、私たちの頃からそういう問題はあったわけで、気がつかなかっただけなんですけれども、学校存在そのものが問われているということなのではないだろうか。一体、学校というのはどういう役割を持っているのか。もし学校に教育があるとするならば、学校はどういう教育をしなければならないのか。特に高校の場合はどうなのかという、存在価値が問われているところまで来ているだろうと私は思います。
 大変厳しい、難しい状況であろうかと思いますが、そういう点を組織的に追及し、抵抗し、持っていくような運動の展開がこれから必要なのではないだろうか、と感じております。

司会:ありがとうございました。学校の存在価値を、今度の再編の問題と重ね併せて、どういうふうに考えていけばいいのか、今後のさらなる議論の提起をしていただいたか、と思います。
 先ほど都岡の生徒から質問がありましたから、これにお答えして、また引き続きということにしていきたいと思います。
 単位制といじめの関係は山本さんへの質問。現存する高校でカリキュラムは変わるのか、またなぜ都岡高校が的になったのか、これは本間さん、お願いします。

山本:答える立場にあるかどうかわかりませんが、今の状況の中でいじめはなくならないだろうというのは、おっしゃるとおりです。私が言いたかったのは、クラスにそりの合わないのがずっといるわけですね。いじめというのはしょっちゅうあるんですが、ある子が特定に集中的に、みんなでその子をいじめていくという場面を想定しているんですが、少なくとも、みんなが自由に、授業を選んでいけば、別にそいつとも顔を合わせていなくてもいいわけですから。現に私の子どもが不登校になったのもいじめがきっかけの一つですから、そういう連中と一緒にいるのは我慢ならん、というのが出発でしたから、特に思います。それについて、都岡の方が感じられたことが間違っているとかいうことではありません。お答えになったでしょうか。
 

移行期の問題

本間:現在の都岡のカリキュラムがどうなるかについていえば、原則として、このままで行けば現在のカリキュラムそのままです。実は、学習指導要領の改定というのがあって、少し変わるんですけど、ただ、新しい学校のカリキュラムは新しい学校が出来上がったときの1年生からになるだろうと思います。
 ですが、都岡高校の中で先生たちがいろいろ考えて、今すぐにでも実行できるところは実行しようということができるならば、それは変わっていくだろうと思います。この問題は、移行期の生徒をどうするか、という問題につながってくると思うんですが、移行期の生徒たちが新しい学校が出来るまで、教員だけでなく、生徒もいろいろな問題を抱えることになるだろうと思います。その間、先生の数も減っていく、学校規模が小さくなっていくわけですから。
 そういうことで、移行期の生徒たちにどういう保障をきちんとしながら、やっていくのか、やがていい学校が出来るんだから、君たちは我慢しなさい、では通るわけがありません。その生徒たちにとってはそのときが自分たちの高校生活なんですから。
 移行期の生徒にどういうきちんとしたことが出来るか、それがこれから重要な課題になっていくだろうと思いますが、行政の方がそこまできちんと考えているか、そこが非常に不安なところだと思います。
 それから、都岡高校がなぜ該当校になったか、という難しい問題には私答えようもないんですけれども、これは、どの再編校についても同じで、なぜそこが該当校になったのかというのは、想像ではいろいろ言えると思うんですが、決めた人も果たして本当に答えられるのかどうか分かりません。そんなことで学校がなくなったり、どうこう、というのは不思議な話ですけれど、これは、私より県の方がもしいらっしゃれば答えていただければありがたいんですが。

司会:残念ながら、今日は当事者の方はいませんので、お答えはここで勘弁していただきたいと思います。残り約30分、というところですので、今度はこっちの方から。

子どもの声に応えること
会場:父兄(ママ)の立場で参加しています。私は昨年まで横浜市立の小中学校で学校事務職員をやって2人の子どもを育ててきました。上は神奈川県の県立高校を卒業しまして、下は不登校になりまして通信制の高校を卒業して、今は大学2部ですが、自分の希望で行っています。
 この問題をこの夏聞いてすごく悲しかったというか、残念だったのは、都岡高校の生徒さんがおっしゃっていた、子どもたちの気持ちを、県当局や私たち父母、日夜高校でご苦労されている先生たちを含めて、どこまで受け止めているのか、ということです。
 というのは、神奈川県の財政がかなり苦しいというのは去年の夏ごろから出てきていて、夫も地方公務員ですので、給料はカットされるという厳しい中にあり、高校も、生徒数が減ってきているから、減るんじゃないかと、私自身、薄々感じていましたけれども、どういうふうになるかということについて、非常に受け身だったと思います。
 去年の今頃、私学の方々が30人学級の問題に取り組んで、私は「あ、これで高校の数を減らさなくても、30人学級が実現していくならば、子どもたちに悲しい思いをさせない、自分の母校がなくなることもなく、子どもたちに行き届いた教育が出来るんじゃないかな」と、一縷の望みを託したんです。私自身も非常に力不足で、こんな偉そうなことをいえるほど日常やっていないんですけれども、県の役人も、私たち父兄も、自分の母校がなくなってしまうかもしれない子どもたちの声をしっかり受け止めたい、そこを出発点にしたいと思っています。それが一点です。
 うちの娘は通信制の高校で、初めて自分の卒業式に出ました。本当にそこに居場所を見つけて、自分の高校とういうことで、もし何かチャンスがあったら、その学校で働いてみたいな、とか、何かあれば行ってみたいな、と言っています。そういう居場所がなくなってしまう、先生方は異動したり辞めたりいろいろあると思うんですが、自分の卒業した学校がなくなってしまうことは、その子どもにとってどういうことなのかを、私は受け止めたいと思っています。
 30人学級、25人学級が実現したら、それでも統廃合の必要があるんでしょうか。数を減らさなければいけないんでしょうか。それは二点目の私の疑問です。
 それから、フレキシブルとかいろいろ出ていますけれど、うちの娘は高校を選ぶときに定時制に行こうか、大分迷いましたけれど、学校はできるだけ身近なところにいっぱいあってほしいと親としては思います。通学の時間のロスが少なくて、学校生活が充実できるような学校が、親としてほしいです。
 そういう意味で、30人学級が実現するんだったら、統廃合しないですむのかどうか、数字として。また、神奈川県の子どもたちが、これだけのリストラ時代で、私立へ行きたくても行けない子どもたちが増えてきているところで、公立学校が統廃合をしなくちゃいけないのかどうか、私には納得できないんですけれど、そこはどうなんでしょうか。
 私たち父兄にも、こうやれば大丈夫なんだとよ、見通しを示して、その代わり一住民として、一父兄として、こういう風なことで努力しなさい、一緒にやりましょうと、呼びかけていただけたら、私もできるだけのことはしたいと思うんですけど、どういうふうにしていいのか見えないので、是非教えていただきたいと思います。
 

生徒を人として尊重する学校づくり

横須賀:該当校の柿生高校の横須賀といいます。今のお話で、我々も生徒数を減らした方が、いろんな改革よりも、よほどいい改革が出来るんなじゃないかな、と思います。
 柿生高校は今度柿生西高校と一緒煮になるんです。双方とも「指定校」になっていて、学校に通っている子どもたちは、先ほど中学の先生からも話がありましたが、おそらく小学校、中学校を通して、「お前何やってんだ、駄目じゃないか」と、常にその子の存在を否定される言葉をずっとかけられながらやってきて、うちの学校や柿生西高校に入っていると思うんです。
 僕は普段そういう子と接していますから、なるべく、駄目だ、という対応をしないように生徒に接しているんです。そうしているうちに生徒たちは僕に対する接し方も、入学したときの、すごく不信を持った接し方から段々変わってきて、この子たちも人として生きてくれるようになってきたかな。ちょっと不遜な言い方ですけど。
 でも、学校は、とにかく生徒たちを人間として大切に扱わなければいけないところじゃないか、という気がするんです。そうやって生徒に接したいと思っている中で、今回の改革が押しつけられるように来ました。柿生の場合は、まさか該当校になると思っていなかった人たちが多いのです。
 総合学科で受け入れるとすると、さっき舟知さんも言っていましたけれど、考えれば考えるほど、あの子たちを何とかしてあげようと思えば思うほど、いい学校になってしまう。今我々が何とかしたいと思っているっこたちが来なくなってしまう学校になってしまいそうです。それでは、今回の改革が、意味をなさないというか、、ずれちゃう。あの子たちを救おうと思うと、そこから、手から、漏れてしまう、という構造が今回のやり方では出てくると思うんです。
 今日は該当校以外のところは来ていないようですが、この制度改革が行われる中で、該当校だけが変わるんじゃなくて、該当していないところを含めて一気に全体が変わる状況が出てくるんなじゃないかという気がするんです。
 今回、450億円という予算を考えているという話ですが、その予算は、再編該当のところだけで使うんじゃなくて、該当していない学校にもちゃんと手当して、全体の流れの中でことがなされないと、結局何も変わらないんじゃないか、そういう不安を覚えます。
 とにかく、人を人として、これからちゃんと育てていかなければいけないな、ということです。
 

教員の意欲が課題

坂元:川崎南の相手校・川崎高校の坂元といいます。先ほど、高村さんから、相手の事情もあるとか、もう少し連絡を早く取りたかったんだけれども、ということで、こちらの方に責任があるように受け取られても困りますので(その責任も若干あるので)一応、立場上発言させてもらいます。
 川崎高校は一応伝統が70年ほどあって、ただ、最近学力的には、私が3年前までいた南高校とそれほど差はないな、という印象を受けています。今までの伝統があったせいで、例えば、制服がない、生徒会がない、服装指導もないですし、生活指導も最近は増えていますが平均的なレベルです。進学も大学の指定校もありまして、名前で保っている、「進学校もどき」のような学校なんですけれども、そういう学校で、統合の話があって、確かに南高校のような反応はありました。大変である、ひどい、反対しようと。とにかくフレキシブルというのがよく分からない、と。
 反応は同じだったと思うんですけれども、南高校のような、さあ、大変だ、という意識まではなかったんじゃないか。今より少しは悪くなるだろう、南高校と一緒になるからその層の子たちが来て大変だろう、というぐらいの意識しかなかったわけです。つまり、問題に対する意識が低かったから、南高校より危機感はなかったんです。
 教員の立場から言うと、可もなく、不可もない、適当にやっていれば数年間は無事に過ごせるだろうという意識の教員が多いですから、ある意味で、これはしょうがないかな。先ほど、該当校以外の教員の話が出ましたけど、おそらく自分がそういう立場に立ったら仕方がないと思うんです。
 ただ、いろいろ経過がありまして、南校と連絡を取り合って、大分事情も変わってきました。前向きに考えていこう、と。こういう状況だから仕方がない、ということで変わってきたわけです。川崎高校自体、元々、制服とかいろんな面で変な学校ですから、「変な学校が変な学校になるんだから、自然じゃないか」というような考え方も出てきました。
 ただ、先ほど、高村さんからあったような、今いる子を排除しないで、受け入れていく、というところまで共通理解を持っていくのはなかなか難しいんじゃないかな、という気がしています。やっとスタートラインに立ったというところですけれども、寛政・平安などに比べると大分大変かな、という気がします。
 個人的なことですけれども、百校計画の話が先ほどから出ていますが、私も含めて百校計画の恩恵を受けたけれども、その中でがんばってきたという自負はあるんです。学校2年目、3年目、あるいは初年度から新採用で入ってきて、何とかこの学校をいい学校にしようと、夜8時、9時まで残って、エネルギーを費やしてやってきたという気持ちはあるんです。
 それを今度の問題で、やっていかなけれはいけないんだけれども、それだけの若さもない、それから当然責任を負わされるわけですから、果たしてこのやり方でいいのかという不安感は当然あるわけです。
 まず大変なのは、歳を取っていて、それだけのエネルギーがあるか、それに負けないでやっていく意欲を持ち続けられるか。中身でまとまっていくことも大変ですけれども、該当校以外の教員を含めて、意欲といいます、その辺でまとまっていくことが課題じゃないかな、と考えます。

司会:ありがとうございます。そろそろ時間ですので、まとめていきたいと思います。あと、どのくらいの方、ご発言あるか、お聞きします。……5人。申し訳ありませんが。3分ぐらいで、よろしくお願いいたします。

<<<ねざす目次
<<<25号目次>>>

次へ>>>