教育研究所代表 杉山 宏
1947年5月に刊行された『学習指導要領社会科編(試案)』に「社会的態度とか、社会的能力とかいうもの、すなわち生活の仕方としての民主主義は、日々の生活の実践によってのみ理解され、体得されるものであるから、青少年の生活の問題を的確にとらえて、その解決のための活動を指導していくことが、社会科の学習指導法の眼目でなければならない」とあるが、この社会科の目指した経験学習、問題解決学習に対して、やがて、疑問が投げかけられ、1955年から56年にかけて、小・中の社会科編、高の一般編の学習指導要領の改訂が行われた。
47年版の一般編には「児童の要求と社会の要求とに応じて生まれた教科課程をどんなふうに生かしていくかを教師自身が自分で研究して行く手引きとして書かれたものである」とあり、51年版の一般編には「学習指導要領は、どこまでも教師に対してよい示唆を与えようとするものであって、決してこれによって教育を画一的なものにしようとするものではない」とあって、いずれも例示であって強制的なものではないとしており、書名に「試案」と付記されていた。しかし55年の改訂時にその「試案」の文字は消えた。そして、単なる手引書ではなくなり、法定の基準性が強調されるようになった。また、学習形態も経験学習から系統学習へと回帰していった。
更に、58年の改正から指導要領には法的拘束力があるとされるようになった。この58年の改訂と以降の改訂を社会科のそれを中心に概観してみれば、58年の時は、郷土や国土に対する愛情を持たせる、日清・日露の両戦争や条約改正は日本の国際的地位を向上させる大きなステップであったという見方が示されており、戦争観に変化が出てきた。68年から70年にかけての改訂では、天皇について理解と敬愛の念を深める、日本の神話や伝承を採り上げる等新しい国家観を出してきた。77・78年の改訂では、総則から教育基本法の名称が消え、君が代国家化が打ち出される一方、生徒の学校におけるゆとりと充実のことが示された。89年改訂の基盤を、心の教育の重要性、学習の主体的取り組み、生涯教育の基礎、日本文化の尊重と異文化理解等とした。この一連の動きに、文部省の意図する方向が垣間見える。
教育課程の基準である学習指導要領は、社会の変化に対応した学校教育の実現を目指すものといわれている。とすれば、学校を取り巻く社会状況の変化とそれに伴う生徒の変化に応じての改訂となる。前述の指導要領の一連の改訂には一定の方向性が見られるが、学校を取り巻く社会状況の変化を受けて、文部大臣が教課審に諮問し、教課審は審議結果を答申する。答申に基づき指導要領が改訂され、公示となる。審議会の審議中に現行指導要領の検討が行われることがあるとしても、現行指導要領の反省から改訂が始まるのではなく、指導要領は形式的には連続していても、内容的には必ずしも継続性があるとはいえない。
1997年11月に出された教課審の「教育課程の基準の改善の基本方向について(中間まとめ)」によれば、同審議会は21世紀を主体的に生きる国民の育成を期するという観点にたって検討を行ったとしている。そして、その検討を行うに当たって、1996年7月に出された中央教育審議会第一次答申を踏まえたという。中教審答申の中に「これからの子どもがちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人と共に協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない」とある。この中教審答申の文と冒頭の47年版の指導要領の文との比較であるが、「児童・生徒が自ら学ぶ意欲を持ち、主体的に学習す方法を身につけるために、体験学習、問題解決学習に取り組もう」ということでは共通したものが読み取れる。尤も、体験学習や問題解決学習への取り組み方に違いがあり、半世紀を経て社会情勢は大きく変わり単純には比較はできない。しかし、戦後の教育の変遷を顧みるとき、前述の如く、55・56年の改訂で指導要領が規範として強制力を持つことになり、また、初期社会化に終止符が打たれることとなった。文部省の意図で、戦後教育の動きが大きく方向を転換したことは明らかである。50年代後半からの文部行政に功過何れもあったことは明瞭である。系統学習への転換後、学校現場はひたすら詰め込み教育、受験競争対策に追われることとなっていったのは事実である。教課審答申を受けて、再び、経験学習に回帰するならば、現時点での経験学習の必要性を論ずるのではなく、40年代後半から50年代前半にかけて行われた経験学習が系統学習へ移り、以後、今回の改訂までの変遷それぞれを評価し、将来像についての話にならなければ、またまた教育改革は身の上がらない結果になることは明らかではないか。文部大臣諮問、教課審答申。指導要領公示という動きのなかだけでは、まずまずの整合性が取れていても、戦後の教育行政全体の流れではどうであろうか。
文部省生涯学習振興課長が「『選択』だと、生徒ではなく学校側が勝手に選択し英語や数学をやりかねないが、『総合学習』といったらよもや受験対策用の数学や英語はできないだろう」保守的な現場とユニークな「総合学習」を導入した新しい文部省の姿勢を対比しているが、50年代なかば以降の保守的な文教政策が今日の学校現場の保守性を創りだしたのであり、文部省の過去の反省が明確に出されないで、文部省は10年前から姿勢を変えて、学校現場は困るということになるのではないか。新しいことに積極的に取り組むことは大いに結構、果敢に行いましょう。但し、長期的に連続と断絶の在り様を明確にした上でのことですが。
(すぎやま ひろし 立正大学講師 元県立横浜日野高校校長)