特集 : シンポジウム「高校生は今!」
 

 教育研究所 シンポジウム

高校生は今!

1997年11月15日 

 

◆シンポジウム
  福富 理智(神田高校)
  駒崎 亮太(茅ヶ崎高校定時制)
  速水 由紀子(ジャーナリスト)
  宮台 真司(都立大学助教授)
  
◆司会
  三橋 正俊(中沢高校・研究所員)

 

 教育研究所では、ここ数年、教育を取り巻く状況が深刻化する中で進められている高校教育改革の有効性を検証することをテーマとして掲げて研究活動を進めてきました。その結果、生徒の「学校離れ」が急速に進行しているのではないかという認識に立って、『教育白書97』ではそうした傾向を有している高校生100人の聞き取り調査を実施しました。その分析からみえてきたのは、学校化された社会の中でとりあえず高校には来てはみたけれど、ほとんど学校に帰属意識を持たないまま学校につながっている生徒たちの姿でした。
 今回はそうした高校生に焦点を当ててシンポジウムを開催しました。当日は、シンポジウム始まって以来の250名近い参加者があり、マスコミ等の取材も多数ありました。特に一般の参加者が多かったことが、この問題に寄せる市民の関心の高さを物語っています。
 シンポジストの一人である宮台真司さんが、新進の社会学者として活発な言論活動を展開されていることもあって、彼の話を聞きたいという参加者も多かったようです。その意味もあって、出来るだけシンポジウムの様子を忠実に再現できるよう、シンポジストの発言も最小限の編集に止めています。その結果、分量が多くなりましたが、今後の議論の参考になればと考えています。
 

中野:皆さんこんにちは。本日はお忙しいところをおいでいただきましてありがとうございます。ただいまより、1997年度教育研究所シンポジウム、「高校生は今!」を始めたいと思います。最初に当教育研究所の代表、杉山の方からご挨拶をさせていただきます。よろしくお願いします。

杉山:ただいまご紹介に預かりました、神奈川県高校教育会館教育研究所、杉山でございます。私どもの教育研究所でこのようなシンポジウム、年一回行うという形をとりまして、今年度は六回目でございます。昨年は「高校教育改革のありかたを考える」ということで、実際に学校現場で教育改革に従事している教員がそれぞれ自分たちの実体験を持ってシンポジストになって話しかけました。高校教育改革というのは当然子どもたちのあり方を考えなければ改革はあり得ないわけですけれども、去年の場合には、あくまで学校側のあり方が話の中心でした。で、今年は視点を変えまして、生徒の方に目を向けようということで、「高校生は今!」というテーマで行うことになりました。
 最近の社会情勢と申しますか、利益第一主義というようなかたちで、優勝劣敗、何か能力のある人間が勝ち残る、能力が低いと思われる者は切り捨てられるというような、そういう世の中がなんかだんだん広がっていくような気がいたします。そういう競争原理が学校の中にも入ってまいりました。過度な進学競争であるとか、あるいは、社会性が不足するような人間関係であるとか、そういった事がたびたび指摘されてきました。現場の方では、それぞれの教員が取り組んではいるんですけれども、年々深刻化していくような面もかなりあると思われます。今日どういうお話になりますか。シンポジストにはたいへん当を得た方を得られたというふうに喜んでおりますが。ひとつよろしくお願いいたします。
 

 高校生100人のアンケートから

三橋:ただいまよりシンポジウム「高校生は今!」を始めたいと思います。私は今日司会を仰せつかりました教育研究所の所員をしております三橋ともうします。よろしくお願いします。神奈川県立中沢高校の教員、社会科を担当し二年生の担任を持っております。
 主催者の方の問題提起ということも兼ねまして、私の方から「高校生の学校に対する意識の変化を探る」というアンケート調査について説明させていただきます。
 ご承知のように、神奈川の高等学校は、進学率は95パーセントを越えています。全日制高校の進学率も91パーセントという状態の中で、私どもが一番問題にしているのは、学校間格差がその中に生じているということです。私どもはそうした学校間格差を、進学校、それから中堅校、課題集中校というようなかたちで呼んでおります。この度、それぞれ非課題集中校、課題集中校ということで対称させるようなかたちで高校生100人に聞いたアンケートを集計してみました。生徒の意識は、進学校から中堅校の非課題集中校であろうが、課題集中校の生徒であろうが、ほとんど違いが見当たらないということがわかりました。
 「中学校へはどの程度出席しましたか」というアンケートが、円グラフになってます。 課題集中校の生徒は、やや中学時代も欠席が多かったかな、というデータが出ています。 それから「どうして今の高校を選んだんですか」ということで聞きましたが、課題集中校グループの生徒は、「他に選ぶ高校がなかったから」という答が一番多かった。それに対して非課題集中校の生徒の方は、「自分の学力に合った高校だったから」というかたちで答が最も多くなっています。このようなかたちで三点ほど違いがみつかったんですが、しかしそれ以外の項目については、課題集中校の生徒も非課題集中校の生徒も、実は同じ傾向を示しています。例えば、一番興味深い結果は、「高校生がやってはいけないこと」ということで聞きました。「喫煙」「飲酒」「暴力」、最後の「土足で教室に入る」というところまで含めて、生徒自身はどう思うのかなということで聞きました。生徒が最もやってはいけないと思わないことの方に注目してみますと、約二割の生徒が「おしゃべり」ということを答えています。これは授業中のおしゃべりを実際見てればわかります。 それからあと「無断欠席」「無断早退」「授業中の立ち歩き」、そして「バイク登校」といったことが、やってはいけないと思うことが非常に少ない回答になっています。それから一番トップが「器物破損」ということになっていますが、どれを見ましてもだいたい課題集中校、非課題集中校も同じような割合で取り上げてます。
 

 教育の空洞化の進行

 実際、私どもが授業に取り組んでいく中で、いろいろ迷ったり悩んだりすることが多いわけですけれども、高校生が学校離れをしていると、あるいは教育空洞化だと、いろんなかたちで指摘できそうなんですが、もっともっとこれから高校生の姿が大きく変わっていく、その予兆ではないかとさえ私は感じてます。地殻変動がこれから大きく起こってくるのではないか、ということで、「高校生の今」について、われわれここできちんと捉え直してみる必要があるんではないか、ということを考えました。
 そこで本日は、学校現場からお二人、それから学校外からお二人の方をお招きしまして、それぞれ「高校生の今」について語っていただき、そしてさらには会場の方にもご意見を頂きながら、「高校生の今」をどう理解していくか。できれば学校現場にいる者としては、学校をどうしていくのか、学校はどう変わらなきゃいけないのかというようなことまで話が煮詰まればいいなと考えております。主催者としては、それぞれ現場の方も今日たくさんいらしてますので、そうした学校に戻ってからのいろいろなヒントが得られればと思っております。ちょっと長くなりましたが、われわれの今回のテーマの意図を紹介いたしました。
 それではさっそくシンポジストの方にお願いいたします。
 まず、私のとなりに座っておられる福富理智さん。県立神田高校で教員をされています。よろしくお願いします。

 

 生徒の話に耳を傾けて

福富:初めまして。今ご紹介をいただきました、神田高校の福富と申します。今日はよろしくお願いします。 
 神田高校というのは、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、平塚にある県立高校で県内では有数の課題集中校、先ほど『白書』の説明の中で課題集中校というのが出てきましたが、有名な課題集中校の一つだと思います。その神田高校に転勤して今七年がたったんですけれども、その七年間で感じたことを少し話させていただこうと思います。
 課題集中校というのも不思議な言葉だと思うんですけれども、いろいろな問題を抱えた子が確かに多いと思います。今、学校で問題になっていることはシンナーの吸引で、授業中にもシンナーの吸引があるっていうことで、どうしたらいいのかなっていうのが一番心にとまっていることなんですけれども、そういうことも含めていろいろな問題があると思います。ただ、いろいろ話をしてみて、その問題を抱えた子たちが、特別な、わけのわからないことを考えてる今どきの若い者かなって思うと、そうでもないかなって思うところがあります。
 例えば、最近いろんなところにピアスをする人が多いんですけれども、舌にピアスをする男の子がいて、いつも痛そうにしてるんですね。「そんな痛いんだったらやめなよ」とか「なんでそんなことするの」って言うと、「目立ちたいから。ほかの人とおんなじじゃいやだから」って言うんですよね。高校生ぐらいだったら目立ちたいとか、人と違うふうにしたいなって思うのはけっこう普通かなと思って、現象面ではびっくりすることがたくさんあるんですけど、話をしていくと、違う人間だなっていう感じはあんまりしない気がします。
 三年間担任をしていたときのことなんですけれども、最初は40人学級で、10クラスに留年生が加わりまして、約420人ぐらいで入学時スタートしたんですけれども、結局卒業ができたのは300人弱ということで、120何名の生徒が途中でリタイヤしていきました。私のクラスも最初40人とプラス留年生二人で42人で始まったんですけれども、二年に進級できたのが32人で、それを追跡してみると、卒業できたのは、4人欠けて28人という結果に終わりました。そういうことを振り返ってみると、10人やめた一年の担任の時期というのは、もう毎日毎日いろんな事が起こって、何も考えられなかったなあっていう感じがしています。
 そんな中で、『白書』の方でもありましたけど、授業が成立するっていうのは教師用語なのかよくわかりませんけど、一応それなりに私が話して生徒がそれを聞いているとかノートを取るとかそういう状態にするまでっていうのかな、それだけでせいいいっぱいで、それもほとんどできずに一年間が終わるわけなんですけど、そんな中で自分がしてきたことは、せいぜい生徒の話を聞くとか、生徒の微妙な変化に関心を持つとか、その関心を持った微妙な変化について他の先生たちと情報交換をするとか、そんなとこかなあと思います。
 話を聞くっていうことで言うと、話を聞いてほしくてしょうがない生徒の割合が増えてるような気がして、例えば、授業が終わっていっぺんに生徒が何人も来て、お釈迦様とかじゃないので、一人の話しか聞けないんだけど、五人も六人も来て、一人と話すと、「なんであたしのこと無視するのよお」とかって怒られたり、何で私ごときにそんなに話がしたいのかなあと思うような状況があったので、まあ分析的なことはよくわからないですけれども、中学とかであんまり先生と話してもらえなかったのかなあとか、おうちでお母さんとかがゆっくり話してくれないのかなあと思って、少しでも話を聞くようにしていたということです。
 私が何かしたからっていって生徒がやめていくのを止めることはできないんですけど、少しでも、学校に来たいのに来れないような子が減るようにと思って、そういうことをして来たということです。
 三年生ぐらいになるとだんだん授業が落ち着いてきて、少しでも「神田で授業を受けて良かったな」って思うように、今年もいろいろ自分なりの授業をやって来て、三人くらいの人には「他の進学校に行くよりね、先生の授業が聞けてよかったよ」なんて言ってもらえたんで、自己満足をしてるっていう感じです。
 あとはいろんな進路に立ち会うことになるんですけれども、少しでもその子が、行きたい大学なら大学に行けるように、勉強の指導というよりは、たとえばその学校の推薦入学の面接の指導なんかを徹底的にやるとか、そんなことしかやってなかったなとは思うんです。でも面接の練習なんかをしてみますと、なんかこのままいったらみすみす落ちるのを見逃すわけにはいかないなと思って、もちろんその大学に進学するのが幸せであるとか、そんな疑問はさまないようにして、徹底的にたたき上げて推薦入学に出すとか、そんなことを一生懸命やっているうちに、あっという間に三年間は終わってしまいました。できれば今日はそういう自分がやってきたこととか、生徒の様子とかを整理できたらなあと思ってるんですけど。
 あと、最近気がついたことで、一、二年の生徒がすごく学校に来なくなってしまったんですね。教室にいつも10人ぐらいしかいないクラスとかがすでにあるっていうことを聞きまして、ほんの一、二年でずいぶん違うなあと思っています。
 もう一つ傾向っていうことで感じたことは、この四、五年、まあ限定しにくいですけど、いろんな問題を抱えた生徒の所に家庭訪問等に行ってみますと、前は、「ああ、こんなおうちだったらなかなか家でまじめに勉強できないよなあ」とか、たとえば「なんで学校来ないの」って言うと、「お父さんとお母さんがいつもけんかして、今離婚の協議中なんだから学校どころじゃない」とか言われて、「そうだなあ」とか思ったりしたんですけど、最近べつにそいうふうには見えなくって、お弁当なんかもちゃんと持ってくるような子が、問題行動と言われることをしてるなあっていうのが最近の印象です。特にまとまった話はできなかったんですけど、今日は学校現場で起こっていることをお話しできればいいのかなと思いまして、一応これぐらいで。今日はよろしくお願いします。

三橋:はい、どうもありがとうございました。私の通ってる学校も同じような課題集中校っていう現場で、お話を聞きながら思い当たる節がずいぶんありました。
 それでは次に、茅ヶ崎高校定時制の駒崎亮太さんにお願いいたします。

 子どもの不始末より大人の不始末

駒崎:こんにちは。お手元にある『ねざす』の『ニュースレター』の3ページの僕の書いたとこなんですが、左の方の上から2行目の「現在にも反対してきた」ってなんかわかんないですよね。これ「現社」なんですよね。
 「目の前の森」っていうのがあるんですけども、これ全然わかんないですよね。これ「日の出の森」なんですね。日の出の森というゴミの最終処分場のことなんですけど。
 自己紹介といいますと、一番上の子どもの男の子がこんど藤沢か鎌倉のどっかの高校に行くという歳です。次のが中一でそろそろルーズソックスかなあと思ってたら、やっとルーズソックスが下火になって、ハイソハイソと言ってましたけども、紺のハイソを履くようで、そのほうがずっといいなと思って安心している父親ですが、実はその下にもう一人いまして、これが来年小学校に入るんです。
 自己紹介のついでですね、もう少し言っとかなきゃいけないのは、僕は多少食い物、飲み物にこだわりを持ってますので、生協をやってます。生活クラブ生協をやってたんですけれどもいろいろあっていやになってやめまして、県民生協やまゆりをやってまして、これは生活クラブよりもずっと厳密に農薬とか添加物を追及している少数の、なんて言うかな、原点を追求しているグループです。
 脱原発東京電力株主運動というのをやってまして、原発にかなり気を使っているというか原発を気にしています。まあそういう人間としての発言だということがだんだんとつながってくると思いますけれども。
 初めにですね、13年間通信制っていうとこにいまして、ここ2年、茅ヶ崎高校の定時制に行ってます。うちの高校生はですね、なんかもの書いたときに、「最近の女子高生は」なんて書くんですよね。自分たちは最近の女子高生と思ってないですね。このあいだ、わざわざどこかかの制服を借りてきた制服で登校したりしましてね。あの短いスカートをやってみたかったのかもしれないけども、そういう女子高生もいるんですけども、本人の自覚は女子高生っていう自覚かどうかわかりませんね。
 スカートが云々で思い出したんですけども、ここ10年ぐらいで学校側が取り締まらなくなったと言うと怒られんのか、スカート丈は指導できなくなったのか、しなくなったんですかね。
 ここで今僕が言った、指導しなくなったのかできなくなったのか、その話とですね、一方で通信や定時にいますと非常に登校拒否っていうか、学校拒否って言った方がいいのかもしれないけども、学校拒否の子が増えてるわけですよね。中退の子もすごく増えてる。いま神田の方のお話で、ここ1、2年来なくなった子が多いって言うんだけども、まったく、僕も今年から一年生なんですけども、違いますね。一年生と二年生。20人ぐらいで出発したクラスでも、普段5、6人しか来ないクラスあるんですよね。で、退学とか休学がすぐ5、6人増えちゃって、どうなっちゃうのかなって思うぐらいに来ないですね。三、四年生はもっとつっぱって元気がいいんですけどもね。これはどうも神田の話とほとんど平行して、受験制度の変化の関係があるかどうかわかりませんけどもね。登校拒否といじめられっ子の子が半分以上定時制にはいるという感じになってきてます。
 

 学校のウソ 教師のウソ

 その学校拒否とか中退が増えたことと、学校が指導しなくなった、できなくなったっていうことが非常にはっきりと関係があると思うんですが、その関係を考えてみたいなと思うんです。宮台さんの本で嘘という言葉が出てるんでちょっと嘘の話をしたいと思いますが、2、3日前にですね、職員の打ち合わせで出た話なんですけども、定時制っていうのは授業終わりますと巡回指導っていうのをやるんですね。巡回指導っていうのは教員がバケツとゴミバサミをって校舎内外をまわるわけですけども、校舎の隅の方でいつもたむろしていてそこでタバコ吸ってる現場が三ヶ所か四ヶ所あるんですよね。僕、去年来たんだけども、そこで吸ってはリノリウムの床にこすりつけて、その灰は散らかすとかね、飲んだものも置いてきっぱなしになって、片づけるのがすごくたいへんなんですよね。モップかけたりしてね。じゃあそれやられるよりはバケツ置いとこうと。で、僕はリボンをつけてバケツ置いておいて、「ほんとは吸っちゃいけないんだよ。ほんとは吸っちゃいけないんだけども、吸って散らかすぐらいなら、まだバケツにいれてくれた方がいいかな」とか言いながらバケツを置いておくんですよね。で、一個置いといたんですけどたまり場が増えたせいで足んなくなって二個にしたんですが、おととい僕がこれを四つにしようっていう風に提案しましたら、すかさず反対という意見が出まして、「そんなことではなくて、汚れてもいいからダメなものはダメと言うべきです」なんていう意見があったんですよね。「おっ出たな、おもしろいな」と思って、じゃあそろそろそのことについて話をしなきゃなっていうところに今来てるんですけども。全日制の校舎と共有してるんですけども、全日制の職員室の前には、まあけっして努力に水を差すわけじゃないんですけども、タバコはダメだというポスターが、生徒が描いて十数枚ずつ貼ってあるんですよね。さっきのアンケートの調査でもタバコはダメの話がありますけれども、タバコがダメだと言うところの嘘があるわけですよね。その嘘に彼らは気がついてるんだと思うんですが、いろいろ嘘がありますよね。法律は守らなきゃいけない、約束は守んなきゃいけないって言いますけども、もともとの未成年者喫煙禁止法が、これから侵略の世紀に向かう前に日本の若者が戦争遂行体力を失ってはいけないっていうことから、吸わせないようにしようっていう考えがあったっていうことも言われるぐらいで、けっして子どもの健康のために始まったものではないだろうと思うし。あるいは、その法律そのものが吸わせた大人を罰する法律だってことは皆さんご存じのとおりですから、そうなると自動販売機を置く方の大人の方がたぶん罪に問われるに決まっているっていうのははっきりしているわけですよね。そんな嘘はもう生徒の方はだいぶ知っちゃってる。
 まあそんなことがあったりですね。「健康のために私は反対するんだ」なんて言ってる教員がいますけども、これもしらけますよね。ほんとに健康だっていうことを考えるんならば、まあ生命っていうことを考えるんならば、おそらく今の電気使いたい放題の生活のやり方をやりながら子どもたちに社会を引き継ぐのはまったく卑怯なことだろうと、嘘だろうっていうふうに思うわけですよね。

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