神奈川県高等学校教育会館

クセ=「傷害」・「個性」の復調・快調とともに生きる実践

オールアライブしゃ
  
 『オールアライヴしゃ』は、この時代、社会に対応しにくく、生きづまっている若者を中心に集う場を展開しています。中には、様々な医療機関に関わっている人も多く、医食同源の考えから、薬に依存せず食から体調心調を整えていこうと考え、「ともいきや」という飲食のできるところも週5日維持しています。また、一方的な治療関係のカウンセリングより、話のできる「友達」を作る空間や時間も創出しています。例えば、小魚の採集・飼育・鑑賞する癒しの空間づくり、卓球や釣りや麻雀も利用しています。

 ある日の『オールアライヴしゃ』を紹介しましょう。
・・・10時半頃、中学生(女)だけど、ちょっとワケありで学校行かないでいるAさんが「オハヨーッ」と登場、キッチンの手伝いに入る。11時半頃、ご近所の70代(女)のBさん、ちょっとこの頃テンションが高くて、受け答えするのに少々こちらが疲れ気味。Aさんに何かお節介なこと言わないか目と気を配る。昼のお客さん第1号は、Cさん(30代男)、インターネットにはまっている一方糖尿で入院していたけれど、最近「出所」してきた。医者も首をかしげる「理由なき血糖値の低下」は、「ともいきや」の活芽玄米食に違いないと確信している。次の客はDさん(40代男)、神経科に通院しているが、素人目にもどうも薬の副作用に苦しんでいるようだ。いつも3Fで卓球を1時間もやると気分爽快で、「薬より効く」と喜んでいる。称して、卓球利用法。さらに、日曜日には釣り利用法です。気分を晴らすことができる。これからのテーマの1つは、A・B・Cさんが互いの弱さを出し合えるようになるか・・・である。宵になると、Eさん(60代男)や、Fさん(70代男)らが飲みに寄る。苦労や自慢の半生記を、後輩に聞かせてもらえるのも楽しみだ。・・・  
 以下に、これらの活動を支える考えの一端を、季刊「みけらんぼ」の一部から転載します。

《名刺に盛られた、珍造語に原点を探る》
  • 「ともいきや」=「ともに生きよう」(「もののけ姫」のラストで、アシタカがサンに語る言葉。一緒に生きようの意味ではない。)を転用して「志」をともに生きようというニュアンス。
  • 「こもりや」(家屋)=おこもりする、たてこもるところであり、子守する人(例.八百屋)
  • 「オールアライヴ」=「手のひらを太陽に」の「僕らはみんな生きている」→We are all alive.から。
  • 「みけらんぼ」=「みみずだって、おけらだって、あめんぼだって、みんなみんな生きているんだ」から。
  • 「医より食」で心の病も治す。栄養面からも食に気を遣いますが、それだけではありません。「志」をいただきます。県内指折りの厳密な生協「やまゆり」や、無農薬どころが、しっかり有機生産の志な物(品物)にこだわるのは、「ただ安全な物を食べたい」だけではないのです。つきつめれば、金儲けのためには、他人を「毒」で害してもかまわない、という社会−その考え方に抗いたいのです。「人は金より偉いのだ」と信じて生きていきたいのです。そして、そういう志をもった人たち(生産者・消費者)といきあい、その縁を持続したいからなのです。そしてそういう人たちといきあう時、心弱った人たちも生きていく気になるだろうと信じているのです。
  • 「世づくり友」−政治的・体制的変革がいつかどこかでしか展望できない今、ここでもうひとつの世(人間関係)づくりをしようと。相手を分析・治療の対象として、冷静・沈着に対応するカウンセラーより、もうひとつの世づくりを目指す友(同輩・先輩・後輩)と対等なやりとりをするのがいいですね。
  • 「入院より、ともいきや」−イコイはもちろん大切ですが、元気に生きていく気になる、ために充電するには、オモイを深め(思索)オモイを高め(理想)るのがいいと思います。今の自分は何なのか(自己分析・自己研究)、おかれている現状・社会を批判することから始めます(しかし、批判はグチ・言い訳に終わってはいけないですね)。自分を縛る過去を明らかにして、それに拘泥せず克服し、自己肯定する=これでいいのだ、まちがっちゃいない、と。そして未来を創出したいのです。世の中に「のらないのせられない」もうひとつの生き方を目ざしましょう。
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