●特集T● 通信制高校をめぐる研究と実践
通信制高校における生徒の困難 
土岐玲奈 
現在の通信制高校
 近年通信制高校は、在籍者数の増加や教育内容の多様化によって注目を集めるようになっています。こうした状況の中で、文部科学省委託研究等、これまでにいくつかの大規模な調査が行われてきました。しかし、通信制高校の実態は公私の別によって大きく異なっており、特に私立高校は、その制度も実態も複雑で、把握が困難な状態は続いています。
 こうした通信制高校の多様性を整理する一つの視点として、私は、登校形態による類型化を行いました(土岐 2014)。その結果、(1)月に数回程度の登校によるスクーリングの受講と、自習によるレポート課題の提出を基本とする「従来型」、(2)全国から生徒を集めe-Learning等を活用することで、面接指導の回数を最低限に設定し、短期間に集中して実施する「集中型」、(3)通信制高校と同時に他の教育機関に在籍し、日常的に「通学」する「ダブルスクール型」、(4)通信制高校自体に登校可能な日数が多く設定され、同一の生徒が週に2日以上登校してスクーリングや授業を受けることが可能な「通学型」という4種類の形態が見出されました。(1)から(4)は、設置されるようになった時期に添って並べてあるのですが、これを見ると、時代とともに、通信制高校に求められる登校日数の設定が多様化してきたことが分かります。また、この変化に伴って、通信制高校は、生徒のケアを重視する傾向を強めてきました。
 しかし、この類型は主に私立高校に関するもので、公立高校の多くは現在でも「従来型」のままです(実態把握は難しいのですが、民間の教育機関が公立通信制高校に所属する生徒の学習をサポートするという「ダブルスクール」のケースは、一定数存在するようです)。公立通信制高校の場合、教員数は学校規模に応じて最低で生徒100人に対し教員1人という教員配置基準 (「公立高等学校の適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律」による生徒数が1,201人を超える場合の基準)があり、学校規模が大きいと、個々の生徒に目が届かず、支援を行うことも難しいという状況があります。
 こうした事情もあり、私立高校が生徒のニーズに合わせて柔軟な対応をし、様々な教育を提供しているのに対し、公立高校では、「旧態依然とした」と言わざるを得ないような体制の中で生徒の変化に対応せざるを得ない状態が続いています

通信制高校における「アクションリサーチ」
 私は、5年前から、通信制高校に関わらせていただいています。始まりは、不登校の子どもの学習支援について研究したいと思いながら、適当な場が見つからずにいた、大学院修士課程二年生の時でした。運よく公立と私立の高校にお邪魔させていただけることとなり、公立高校では学部学生と共に、私立高校では一人で、学習支援ボランティア兼フィールドワーカーとして、実践と調査を併せた「アクションリサーチ」を行っています。
 通信制には、不登校や高校中退等を経験し、学習にブランクがある生徒、学習困難を抱える生徒が多く在籍しています。しかし、「従来型」の通信制においては、スクーリングへの出席と、レポート課題と定期テストにおける合格という単位修得に必須の条件のうち、スクーリング以外の部分に対するサポートは手薄になりがちです。
 学習支援活動を通して関わりを持つ生徒のうち、10代から20代前半くらいの生徒の多くは、過去に、様々な理由から学校に足が向かなくなった時期を経ています。通信制高校の自学自習スタイルに馴染み、一人で黙々と学習を進めることができる生徒がいる一方で、友人と一緒にいるとお互い集中できず、かといって、自分ひとりではどう取り組んで良いのか分からず、課題をため込んでしまう生徒も少なくありません。彼ら/彼女らは、必ずしも学習を心底嫌がっているわけではないものの、学校に対する抵抗感が強かったり、帰属意識が弱かったり、遊びに熱中してしまったり、仕事が忙しかったりと、学校の勉強に身が入りづらい環境で暮らしているケースが多くあります。また、学習については手も足も出ない状態で、質問することも諦めている生徒もいました。
 一念発起して学校での学習に向き合おうとはしてみたものの、こうして出鼻をくじかれ、そのまま学校から足が遠のいてしまう、というケースは少なくないのですが、担任や教科担当が一人ひとりに手とり足とり指導することも難しく、公立校の場合特に、入学した生徒の過半数が、卒業に至ることなく学校を後にしているという厳しい現実があります。
 通信制高校の卒業率が公私で大きく異なっているというのは全体的な傾向です。ただしこの背景には、生徒が抱える経済的、家庭的背景、設定されている評価基準の違い、教育スタイル、教員の異動の有無による通信制課程への意識の違い、生徒が集まる施設の規模等様々な要素があり、一概に卒業率を教育の質と同一視することはできません。

なぜ、「学習」なのか
 さて、通信制高校について語られる時、多く取り上げられるトピックは、通信制高校に在籍している生徒の特徴や困難(勤労学生・生涯学習を志す生徒・非行傾向から他校退学経験を持つ生徒・神経症型不登校、学習障害等を背景とした、学校不適応経験を持つ生徒、経済的に困窮している生徒、外国につながる生徒等)と公立高校の低卒業率問題や、私立通信制高校における、教科教育に留まらない多様な教育実践が多数を占めているように思います。生徒が抱える困難については、内容があまりに多岐にわたるため、それぞれの内容について踏み込んだ支援や実態調査は十分とは言えません。
 こうした状況の中、私は一貫して、通信制高校における学習支援をテーマとして取り扱ってきました。生活支援や心理支援等、より優先順位が高いであろう課題が山積しているにも関わらず、私が学習にこだわる理由は、大きく分けると二つあります。
 一点目は、生徒が日常的に通学しない「従来型」の通信制高校においては、学習場面以外で生徒と関係を構築するチャンスが非常に少なく、深く関わることが難しいということです。様々な困難を抱える生徒が在籍しているにもかかわらず、こうした構造上の課題があるため、まずは学習を通して関係を作ることが有効だと考えられるのです。学習支援活動中には、雑談をしたり、お菓子を食べたりという時間をとることもあり、そこで生徒の生活の様子を知ることもあります。また、学習支援活動に参加しているボランティア学生にとっては、「勉強を教える」という明確な目的があると、自分とは全く異なる経験を経てきた生徒とも関わりやすいことに加え、生徒が抱える対人関係上の課題も表面化しづらくなるというメリットがあります。
 そして二点目は、生徒にとって、学習のブランクを取り戻すのはかなり難しいということです。この観点には、私自身の経験も大きく影響しています。少し長くなりますが、しばらく、私の身の上話におつきあいください。
 私は、幼稚園時代から集団にうまくなじまず、小学校5年生の頃から学校を休みがちになり、中学校へはほとんど行かずに10代前半までを過ごしました。その後、不登校経験者を積極的に受け入れる、「チャレンジスクール」と呼ばれる東京都立の多部制定時制高校を経て、大学に進学し、そのまま大学院まで進むこととなりました。
 このように一言で語ると、「小中学校時代に不登校でも問題ない」という話だと思われるかもしれません。しかし私はむしろ、自らの経験から、学校で学んでいるはずの事をゼロから教えてくれる場や人や教材があまりにも不足していると感じています。多くの生徒が同じペースで学ぶ一斉授業のレールから一度降りてしまうと、同じ知識を共有しているという前提が成り立たなくなり、集団で何かを教わることは非常に困難になります。そうなると、残された手段は、個別指導と自習、ということになるのですが、そこには、費用やモチベーション等、難しい問題が立ちはだかっています。私自身は、塾に通わせてもらったり、受験科目の少ない大学を選ぶなどして進学に至りました。しかしそれでも、学習のブランクによる不利や不便を感じる場面がなくなったわけではありません。
 私自身、「学校知」がすべて生活していく上で欠かせないものか、という点については大いに疑問がありますし、学習に気持ちが向かない生徒に対して「まずは学習」と言っても仕方がありません。
 しかし、私は常々、学習にブランクがある生徒に対する学習支援への注目度が、学習以外の関わりと比べ、低いように感じていました。実際、生徒と関わっていると、学習や単位修得、卒業の必要性は認識しており、学習に取り組もうとはするものの、自分一人では進めることができずに困っている生徒も多いと感じます。そのため、通信制高校においては特に、学習(を介した)支援が様々な形で実施されることが有効であり、必要なのではないか、ということを、ここで提言しておきたいと思います。

研究の展望
 最後に、通信制高校教育に関する研究の展望を述べて、本稿を締めたいと思います。通信制高校の傾向として、私立の場合、「何を学ぶのか」という点についての多彩なバリエーションがまず目を引くポイントとなり、若年生徒を惹きつけているケースが目立ちます。これに対し、公立の場合は、「どのように学ぶのか」という点(いつでも・どこでも可能)に独自性があり、学校に「通う」ことが困難な生徒のニーズに応える一方で、多くの生徒にとってはこのことがむしろ負担となり、ドロップアウトの要因となっている状況があります。そのため、こうした公私の特徴が並べて比較されることがあるのですが、本来「何を学ぶのか」と「どのように学ぶのか」は異なる問題であって、それらの組み合わせは無数にあります。教育のあり方について検討する際にはまず、これら二点の組み合わせを意識して、併せて検討することが必要ではないかと思います。
 加えて、自分に合った教育を選択できる生徒と選択できない生徒の存在にも目配りをしていく必要があります。最近では、生徒の経済的事情や困難な家庭背景に配慮している私立高校の存在が指摘されたり(阿久澤ら 2015)、オルタナティブな教育機関においても、子どもの貧困が問題として取り上げられ、公的な予算の配分が少なくなればなるほど、利用者及び運営者の負担が大きくなっていることが指摘されています(奥地 2015)。経済的、地理的理由等によって、学校を選択することがかなわない人々の教育権保障を考えると、「理想の教育」と「可能な教育」についても、併せて考えていく必要があるでしょう。

《参考文献》
阿久澤麻理子・弘田洋二・矢野裕俊 2015 「通信制高校の実態と実践例の研究−若者の総合支援の場としての学校のあり方−」『2012〜2014年度 科学研究費補助金 基盤研究(C) 研究成果報告書』.
 
奥地圭子 2015 「フリースクールから見えてくる 教育の何を変えるのか」『公明』第113号,pp.34-40

土岐玲奈 2014 「通信制高校の類型と機能」『研究論集』平成25年度, pp.49-61.

(とき れいな 東京学芸大学大学院)


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