●特集T● 通信制高校をめぐる研究と実践
横浜修悠館高校からの報告 
井上恭宏 
はじめに
 神奈川県立横浜修悠館高等学校(以下、横浜修悠館)は、2008年4月に神奈川県立の通信制独立校(新しいタイプの通信制独立校。単位制による通信制の課程・普通科)として、神奈川県立湘南高等学校通信制と神奈川県立横浜平沼高等学校通信制とを集約して開校した。日曜スクーリングを中心とした従来の通信制教育に加えて、公立の通信制としては例のない平日に登校して教員の指導を受けつつレポートを進める「平日登校講座」とインターネットを活用して学習を進める「IT講座」を展開している。
 「大混乱」の開校から8年。本稿では、「1.通信制を取り巻く状況」、「2.横浜修悠館のとりくみ」、「3.考察」というかたちで一定の振り返りをし、これからの通信制高校について考えていく。
  1. 通信制を取り巻く状況
    ■「私立通信制の拡大」と「生徒を受け止める定時制・通信制」
     2008年11月1日の朝日新聞の記事は、「10万人の不登校生徒がおり、ビジネスチャンスになっている」といったことを伝えていた。2005年に中央出版が屋久島おおぞら高校を、早稲田予備校が千葉県に「わせがく高校」を、2008年に英会話のECCが滋賀県にECC学園高校をつくっている【1】。この15年間に、通信制高校は倍増した。2002年には通信制高校の8割は公立(90校中69校)であったのだが、私立通信制高校の増加によって、2014年には公立通信制高校の割合は3割(252校中77校)にまで減少している【2】(私立通信制の約半数が平日のスクーリングを実施している)。
     この間、神奈川県の高等学校には、「公私6:4の比率の合意」によって、本人の希望に反するかたちで定時制や通信制への進路をとらざるを得ない生徒が多数発生するといった状況があった。私立高等学校側と公立側との協議の結果、公立全日制高校の入学定員を公立中学校卒業予定者数の6割とする合意である。そのため、公立中学校3年生の8割が公立高校全日制を希望していながら、2割の生徒が公立高校全日制以外の進路をとらざるを得なかったのである(2013年度入試から「公私6:4の比率」が見直され、比率の固定化は解消された)。
     「私立通信制との競争」と「全日制からあふれた生徒を受け止めるセーフティー・ネットとなること」。この2つが、横浜修悠館に求められることとなったともいえる。

    ■「通信制を光に」
     2000年代に入ると、通信制高校は「高校教育における学びのセーフティー・ネット」と呼ばれるようになった(「最後の砦」という呼び方もある)。筆者は、1980年代に「登校拒否の問題」を考える学習会などで、通信制高校の教員から「通信制に光を、ではなく、通信制を光に、と考えるべきだ」といった発言を聞いたことがある。「通信制高校に集うかわいそうな生徒や教員に助けを」という発想はしたくない。不登校や校内暴力やいじめなど、さまざまな教育問題を発生せしめている高校教育を問いなおし、脱出口を探し当てるための光は通信制に求められるべきだといった意見である。通信制の単位修得は、(1)レポートを提出すること、(2)面接指導(スクーリング)を受けること、(3)試験に合格すること、の3つによってなされる。もともと働きながら学ぶ人のための通信制は、その柔軟なシステムを活用すると学ぶ人の主体的な学習が立ち上がってくる。それは、不登校や校内暴力やいじめなど、さまざまな教育問題を生じせしめないシステムでもあり、通信制の学びを近代学校システムを問うものとして対象化し、捉え直すべきだという指摘でもある。

    ■教育の商品化に通信制が利用されている?
     全日制高校の職員室には「私立通信制高校への進学ガイドブック」を常備しているところが少なくない。生徒が進路変更を余儀なくされるような課題に直面したときに、転出先の情報を得るために利用するのである。また、通信制から通信制へと移動する生徒たちもいる。生活課題を中心とするさまざまな課題を抱えている生徒たちの流動性は高まっている。ある公立通信制高校に入学した生徒は6年度間で25単位しか単位修得できていなかったのだが、私立通信制高校に転入すると、9ヶ月間で49単位を修得し卒業したという。こうしたことから、「通信制の柔軟なシステムが、教育の商品化政策に利用されているのではないか」という指摘もなされるようになってきた。これは、全日制高校の硬直性に対するカウンターとしての通信制高校が、自らのフィールドである教育の場を自ら掘り崩しているのではないかといった指摘でもある。
     こうした状況の中で、横浜修悠館はどのようなとりくみを行ってきたのだろうか
  2. 横浜修悠館のとりくみ
    ■横浜修悠館を数字で見る
     開校から現在までの横浜修悠館の変化をいくつかの数字で見てみる。
     開校年度の2008年度、新入生1219名と転編入生220名の合計1439名を受け入れた。単年度の募集定員は1250名なので、めいっぱい受け入れていたことがわかる。2008年度は、横浜平沼、湘南からの移行生を含め、在籍4011名で、活動生徒数は2735名であった(諸経費を納入して学習活動の権利を得た生徒を活動生と呼ぶ)。2008年度の卒業生は、204名である。2008年度から、2011年度までは、毎年度1000名以上の生徒を受け入れていたわけだが、多部制昼間定時制2校の開校(2010年度の相模向陽館、2014年度の横浜明朋)、2013年度入試からの「公私6:4の比率」の見直しなどもあり、単年度の受け入れ生徒数は、2012年度から1000名を下回るようになった。2015年5月の在籍生徒は2946名、活動生徒数は1941名である。卒業生の数は、この間、増加し続け、2013年度に408名となり、2014年度に361名と、はじめて減少に転じた。
     入学生徒の様子について、2つの数値を上げてみる(このパーセンテージは、開校以来ほとんど変化がない)。(1)身体、知的、精神、発達についての障害者手帳保有生徒の割合は、新入学者全体の8%程度(申告に基づいての把握)であり、(2)中学時代の欠席が90日以上の生徒は、新入学者全体の35%程度にのぼる。なんらかの、ハンディキャップがあり、不登校傾向がある生徒たちが相当程度入学していることになる。
     教員と生徒の動きについては、(1)2008年度のレポート提出総数は約4万7千通で、これが2013年度には10万7千通へと倍以上に増加しており、(2)単位修得率(修得単位数/活動生徒の履修単位数)は、2008年度には43%だったものが、2013年度には70%にまで上昇している。生徒の活動が活発化し、教員の仕事量も増加していることがわかる。

    ■横浜修悠館の3つの局面
     次に、横浜修悠館の変化を3つの時期に分けて考えてみる。
     2008〜2009年の「大転轍の時期」。開校初年度、横浜修悠館を全日制だと思って入学してくる生徒が相当数いた。「あふれ」の状況のなかで、「平日に通える学校」である横浜修悠館が開校したからである。何冊もあるレポートをはじめて見て、「これはいったい何・・・?」というミスマッチが起こっていた。現在では、横浜修悠館が通信制であること、自学自習を基本とすることを学校サイドからアピールするようになっている。通信制であることを自他に対して宣言するポイント切り換えを行ったのがこの時期である。
     2009〜2014年の「多様な工夫の時期」。この時期に、通信制としてのさまざまな工夫にとりくんでいる。平日登校講座のなかでのレポートの完成、「修悠館スタンダード」と称するスクーリングやレポートのユニバーサルデザイン化、個別支援プログラム(「レポート完成講座」や「トライ教室」などの補習プログラム)、個別対応授業(いわゆる、「取り出し授業」)、学校設定科目「キャリア活動」による多種にわたる進路支援系プログラムなどを展開し、「横浜修悠館高校の重層的支援」のシステムを作り上げていった。
     この期間、2009年度に文部科学省の「高等学校における発達障害支援モデル事業」の指定を受け、2010年度には文部科学省の「特別支援教育総合推進事業」の事業委託を受けている。さらに、2012〜2014年度には文部科学省の「研究開発学校」の指定を受けた。「新入生の約90%、約900名が中学校新卒者であり、平日登校講座を有する本校が中学生の進路選択の一つ、さらに言えば<最後の砦>となっていた。それは、学習/発達/生活・・・たくさんの課題を抱えるたくさんの生徒たちが集う学校となることであり、従来の通信制高校、さらに言えば従来の高等学校の使命をこえた役割を果たさなければならないということでもあった」と「研究開発実施報告書」(2015)には記されている【3】。文部科学省の事業も活用しながら模索をつづけ、「通信制の仕組みによって、たくさんの生徒を抱え込みながら個に対応する」といったとりくみを展開していったのである。
     2014年〜現在の「生徒数の減少の時期」。生徒数が減り、より重い課題を抱える生徒の割合が高くなってきている。特別支援学校的なとりくみの比重もより高まっていくであろう。これに対応するため、2015年、文部科学省から厚木清南高校定時制・通信制とともに指定を受けた定時制通信制支援相談事業(3年度間にわたる定時制通信制相談システムの構築事業)のとりくみが始まっている。
  3. 考察
     戦後の日本の定時制・通信制には、生活体験発表という全国規模の行事がある。神奈川県の「定時制通信制生徒生活体験発表大会」は、今年、第65回大会を迎えた。定時制や通信制で学びながら仕事に励む勤労学生たちが、お互いの経験を交流しあうなかで励ましあい、定時制・通信制で学ぶことに誇りを見出そうとする行事である。1960年代は、各校の重要な行事であり、全生徒参加となっていたようである。
     1990年代以降、色褪せつつあった生活体験発表大会が、現在、「ルネサンス」ともいえるような変化を見せている。2010年代の神奈川県大会は、1990年代とくらべると驚くほどに活発なものとなっている。さまざまな現代社会の課題、家族が抱える問題、いじめや差別と格闘する定時制・通信制の生徒たちが自らの体験を語る。
     通信制はその柔軟なシステムから、時代ごとのさまざまな教育課題に対応する役割を担ってきた。たとえば、1980年代の「中退問題の時代」においては、転編入生の「受け皿」の役割を担った。横浜修悠館が担うことになる課題も絶えず変化していくことになるだろう。それゆえ、教員のなかから「もう変わりきれないよ・・・」「学校が何を目指しているのかわからない」という声も出てくる。そうした声に対しては、「通信制は、受身。受け止める。迷ったら、<いつでも、どこでも、だれでも>の通信制の原点に返る」とこたえるしかないのだろう。
     さまざまな意味でのマイノリティが集う通信制は、排他的(exclusive)な状態から包摂的(inclusive)な状態へと進む方向性を持っている。しかし、教員が「受け止める」ということを否定的にとらえてしまえば、学校はexclusiveな方向へと向かっていってしまうだろう。通信制は、全日制や定時制からすれば、「よく見えない学校」でもある。もし、通信制そのものがexclusiveな学校になってしまえば、それは、ブラック・ホールである。通信制をブラック・ホールにしないためには、通信制は、受け止めた生徒たちとともに歩いていくしかない。
     病、障害、貧困の連鎖などの社会的な諸課題や外国につながりのある生徒が抱える課題への対応、自立と社会参加を目指す就労支援、医療や福祉関係の諸機関を含む他団体との連携。とりくみを進めると、課題がさらに見えてくる。そして、また、とりくみが始まる。「横浜修悠館のこれから」である。
【脚注】
【1】 『現代思想』(青土社)2009年4月号 佐々木賢「教育商品化の現在」を参照
【2】 石原朗子・小暮克哉・山鹿貴史「高校通信教育の変遷とその研究 −1960年代から現在までの制度変化と研究動向を中心に−」 日本通信教育学会『平成26年度 日本通信教育学会 研究論集』(2015)
【3】 『文部科学省指定研究開発学校 平成26年度 研究開発実施報告書 第3年次』神奈川県立横浜修悠館高等学校(2015)
(いのうえ やすひろ 教育研究所員)


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