●特集T● 通信制高校をめぐる研究と実践
通信制高校での体育の実践 
秋山英好 
はじめに
 「通信制での体育って、いったい何をするのだろう」。私が神奈川県立厚木南高校(現在の厚木清南高校)通信制に新採用教員として赴任したときの思いです。
 私は、厚木清南高校の後、全日制高校に赴任し、再度、通信制高校で勤務しました。横浜修悠館高校です。本稿では2つの通信制高校での体育のとりくみを通して考え、実践したことを報告します。
 (1)通信制の体育の目標とは何か、(2)面接指導(以下、スクーリング)や報告課題(以下、レポート)の内容をどういったものにすればよいのか、(3)通信制の保健体育科教員はどのように変容していくのか、について考えてみることとします。

通信制で学ぶ生徒たち
 通信制における体育の学習は、学習指導要領の基準に則って行われています。全日制では、体育は1単位あたり35時間の授業時間が標準として定められているので、体育2単位を修得するためには70時間の授業を受けることになります。それに対して、通信制では、2単位ですと面接指導が10時間、添削指導が2回をクリアーすればよいことになっています。
 私が現在勤務している横浜修悠館高校がまとめた「横浜修悠館高等学校の概要」によると、2014年度の在籍生徒(3041名)における「障害者手帳保有等についての本人・保護者からの任意の申告があった者」は、(1)身体:6名、(2)知的:39名、(3)精神:41名、(4)発達:95名となっています。また、「主に心的要因による病状別状況」では、てんかん、うつ、統合失調症、パニック障害、摂食障害、適応障害の生徒は30名となっています。加えて、中学3年次に90日以上の欠席をした生徒は、毎年、新入学者の35%を占めています。ここから、現在の通信制には支援の必要な生徒が数多く入学しているといえます。
 私が厚木南高校通信制に赴任(1984年)した当初、体育実技はクラス単位で行われていました。1980年代の通信制には成人の生徒が多く在籍しており、和気あいあいと体育のスクーリングが行われていたのを思い出します。
 1980年代の後半から通信制高校に入学してくる生徒の年齢構成や特性が変わってきました。不登校経験者や障害のある方、中学校新卒の10代の方などです。また、入学する生徒の数も増加してきました。この30年の間に通信制高校で学ぶ生徒たちの様相は大きく変化してきました。

厚木南高校通信制の体育のとりくみ
 1980年代の後半から通信制高校に入学してくる生徒の年齢構成や特性が変わっていくなかで、クラス単位での展開が難しくなる場面が見受けられるようになっていきました。多様な状況を抱える個々の生徒を「会社の昼休みに行われているような、みんながある程度上手に楽しんでいるバレーボール」に自動的に参加させることができなくなっていったのです。このような状況に対応するために「種目選択制の体育」を導入しました。自分に合った内容・種目のスクーリングを選択して参加してもらう方法です。学年全体が同時展開で体育のスクーリングを受ける。その際、種目を自分で選んで、種目ごとの会場に分かれて参加するわけです。クラスごとに指定された種目のスクーリングを受けることから自由になるという発想です。教員の負担は大きくなりますが、この方法は大多数の生徒からも好評で、生徒の変化に対応した工夫となっていました。
 しかし、こうした工夫の中でも、障害のある生徒は体育実技には参加できず、見学での対応となっていました。ある日、障害のある生徒の一人から、「障害のある生徒は体育実技には参加できないのですか?」といった指摘を受けました。この指摘を契機に、障害のある方が参加可能な「今日は軽く」という種目を設けることにしました。1994年のことです。「体育のスクーリング、いつもはバレーボールに参加しているけれど、今日は<今日は軽く>に行ってみようかな」という意味でのネーミングです。障害のある方のためだけの種目ではなく、すべての人に開かれた種目であるという意味でもあります。いまの言葉で言えば、インクルーシブな種目ということになるでしょう。開講当初は「こころを動かすのも体育」という考え方で「呼吸法」などを中心に行っていました。
 種目が軌道に乗ってきたころ、ある生徒から「専門的に学んできた人が指導を行うべきなのでは?」という指摘を受けました。確かに、体育教員は「今日は軽く」で行う呼吸法や操体法や瞑想法などの内容を専門的に学んでいるわけではありませんし、資格も持っていません。そこで、「気功」の専門家を非常勤講師として招いて、年間を通して担当してもらうことにしました。これは、ヨーロッパ近代の体育、スポーツの考え方から、通信制の体育についての考え方を東洋的な「からだそだて」の実践をも含めたものへと広げていくことへとつながりました。からだを動かしにくい方や妊娠している方にとっても気功のメソッドは有効で、厚木南高校通信制では20年以上たった現在も、「今日は軽く」は継続して展開されています。

横浜修悠館高校の体育のとりくみ
 通信制高校には支援が必要な生徒が数多く入学してきます。難しいレポート、大量の課題をこなさないといけないレポートでは生徒はなかなか完成させることができません。レポートを完成させることができなければ、卒業することはできません。このことに関して、「通信制は全日制や定時制とは違うのだから、自学自習ができない生徒は卒業できないのが当たり前である」という考え方があります。一方、「生徒の実態に合わせて、レポートの内容や対応も工夫してどうにか卒業させていくことが必要だ」という考え方があります。通信制におけるこの議論は、私が教員になった1980年代から現在まで、ずっと存在しています。
 私が2校目の通信制として赴任(2009年)した横浜修悠館高校は全国的にもめずらしい公立の通信制独立校で、通学型の機能を持つ通信制です。平日にスクーリングを受けられる平日登校講座やITでの学習をすすめていくIT講座があることを特徴とする学校です。「2.通信制で学ぶ生徒たち」の部分で触れた状況に加え、入学してくる生徒の半数程度が全日制高校への入学を希望しながら、希望が実現できずに結果的に横浜修悠館高校に入学するといった状況もあります。先ほどの議論でいえば、横浜修悠館高校は、「自学自習ができない生徒は卒業できないのが当たり前」という考え方よりも、「生徒の実態に合わせて、レポートの内容や対応も工夫してどうにか卒業させていくことが必要だ」といった考え方に立っている学校だといえるでしょう。
 横浜修悠館高校の場合、体育のスクーリングは全日制に近い形態をとっています。しかし、普段から運動に親しんでいる生徒が少ないことから、生徒の体調に配慮しながらスクーリングを行っています。入学時にアンケートを行い、配慮が必要な生徒とは面談を行い、どのような方法で学習をしていくのか相談をします。1対1で行う「取り出し」、通常のスクーリングに参加しつつ教員が個別に補助について行う「入りこみ」、入学時には必要がなかった配慮が、途中から必要となった生徒たちを集めての「集団での取り出し」などの対応をしています。

これまでのとりくみを通して、考えたこと
 通信制の体育は全日制の体育に比べると少ない実技時間数での単位修得が可能です。しかし、全定と同じ教育内容を求められていますので、工夫が必要になりますし、柔軟なとりくみが可能でもあるのです。
 最後に、厚木南高校通信制と横浜修悠館高校での体育のとりくみを通して、私なりに考えたことを記してみます。
  通信制高校に集う生徒の多くが体育に対するマイナスのイメージを持っていることは前述した通りです。通信制には不登校の経験がある生徒が少なくありませんが、そのなかでも「体育が嫌で学校に行かなくなった」と言う生徒も少なからず存在します。学校体育に対するマイナスイメージを通信制の体育によって払拭することができれば、と考える所以です。学校体育の中で、からだを動かすことそのものが嫌いになってしまえば、生涯にわたってからだを動かすことが嫌いになってしまいかねません。通信制の体育は、生涯体育を保障するものでなければなりません。肉体労働の現場で働くある青年は、厚木南高校通信制で学ぶなかで次のように言っていました。「いつも現場で汗を流してるけど、体育のスクーリングで流す汗は格別に爽快です」と。きっと、彼はいまもからだを動かすことに対して前向きでいてくれるはずです。
 通信制に集う生徒の多くが学校体育の集団性のなかで、嫌な思いや恥かしい思いを経験してきています。このことが、体育に対するマイナスイメージやからだを動かすことへの尻込みにつながっているようです。通信制は、自学自習が基本ですから、個の学びを重視します。「個の学びの重視」は、学校そのものが持つ集団性や画一性のなかで嫌な思いを強いられてきた生徒たちにとっての救いとなっています。通信制の体育においても、個を重視したとりくみが可能です。「今日は軽く」や「取り出し」は、個を重視した通信制の体育の特徴をよく表しています。しかも、通信制の体育は「個の重視」に留まっていません。友人関係の中で悩んだり、集団性のなかで苦しんだり、いじめられたりした生徒たちが、通信制の体育のなかで出会いはじめるといったことがあります。
 これらのことを通してわたしが考えた通信制の体育の目標を2つあげます。
 (1)生徒の体育に対するマイナスイメージを払拭し、生涯体育につなげること。
 (2)体育を通して、生徒のコミュニケーショ
  ンの力を高めること。
 上記(1)(2)の目標を具体化するために、スクーリングやレポートの内容はどういったものにすればよいのでしょうか。さまざまな具体例が上げられそうなのですが、ここでは、「考え方」について触れてみます。
 通信制に集う生徒の大半が、なんらかのハンディキャップを抱えています。それは、障害であるかもしれないし、深刻な家族関係であるかもしれないし、貧困であるかもしれないし、生活の荒れであるかもしれないし、それらの複合体であるかもしれません。相当数の人たちが「自分はだめなのかもしれない」と自分をとらえがちになっています。体育についていえば、嫌な思いをした自分を責める傾向が強いようです。「自分がだめだから、いけなかったんだ」。通信制の体育のスクーリングやレポートでは、こうした自尊感情が損なわれた状態を、「悪いのはきみじゃない」といった形で相対化し、自己肯定感へとつなげていけるような内容を提供したいと考えます。たとえば、「からだを動かすことだけが体育じゃない。こころを動かすことだって体育かもしれないよ。あなたはどう思う」とレポートの設問の中で問いかけることもできるはずです。
 私の経験では、スクーリングやレポートに工夫を凝らすことの原点になっているのは、いつも「生徒の声」であったように思います。体育の内容は、学習指導要領にそって行われますが、生徒の声に耳を傾け、生徒がとりくみやすい内容を用意することが大切だと考えています。
 「障害のある生徒は体育実技には参加できないのですか」。
 この生徒の声を聞き取ることができたからこそ、「今日は軽く」が20年以上つづいているわけです。いま、私自身が生徒の声を聞き届けることできているか否か。たえず自戒しておく必要があります。
 通信制の体育教員は、工夫をします。保健体育科の教員は一般的に自分自身がからだを動かすことが好きで、スポーツが得意であることは、<自然>なことです。しかし、そうではない人たちがいることを明確に対象化できていたわけではありません。それでも通信制の体育教員になれば、「自分たちが学校体育の中で脇に追いやってきた人たち」と通信制高校の中で「再会」します。そして、体育によって苦しめられてきたともいえる人たちのために、工夫をし始めます。通信制で仕事をつづけようとする体育教員は、必ずこの工夫にとりくむようになるのです。
 それぞれの通信制高校がどういう学校になるかは、実は体育にかかっているといっても過言ではありません。とにかく、体育は「高校卒業のための必履修科目として7単位以上」が課せられているわけですから、体育の履修修得は卒業のためのカギとなっています。また、繰り返しになりますが、通信制には一般的な意味でも「体育の苦手な生徒」が多数学んでいます。したがって、「どういう体育を展開するのかがその学校のあり方を決める」と言ってもよいくらいに重要な要素になっています。通信制における体育の意味については、さらに考えられていくべきでしょう。

(あきやま ひでよし 横浜修悠館高校教員)


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