先生に、なりたい!(1)―教職をめざす若者たち― |
「仮想」から「現実」へ |
松井知沙 |
はじめに わたしは現在、私立大学の3年に属し、日本近世史を専攻する傍ら、社会科教員を目指しています。今回ご縁があり、教職を目指す者として記事を書かせてもらうことになりました。わたしが、教員を目指すにあたり、これまで行ってきた活動や試み、そしてその経験から考えたことについてお話します。 教師は生徒の可能性を広げる わたしがなぜ現在教員を目指しているのか。きっかけは高校3年の時のことでした。わたしの友人に進路を専門学校に決めた女の子がいましたが、彼女はある地歴科教師の授業を受けて、こんな言葉を発しました。 「歴史嫌いだったけれど、A先生の授業は楽しい。勉強しようと思った。」 冷静に考えれば、教師との出会いでその教科の好き嫌いが決まるのは珍しいとではないと思います。ですが、彼女の口からきいた時に初めて、もっと早く彼女がA先生の授業を受けていたら、興味関心が広がり別の進路も選択肢になったのではないか?という疑問がわきました。そして、この時感じた「教師は生徒の可能性を狭めもすれば、広げることもできる。可能性を広げる存在になりたい。」という思いが、現在わたしが教員をめざす原動力になっています。 塾講、スクールボランティア… 目指すと決めたからには、今からできることをしようと大学入学後すぐに、個別指導塾で講師のアルバイトを始めました。教えることに慣れたい、指導力を高めたいと思って始めましたが、それ以上に学びが大きかったのは、たくさんの生徒との出会いそのものでした。塾には、様々な子どもが通ってきています。子ども時代のわたしなら自分から声をかけず、関わりを持とうともしなかっただろう生徒との出会いは戸惑うことも多くありました。しかし、接してみればどの子も良いところを持っているのがわかります。 ではそんな子どもたちがこぼれ落ちていく学校とはどういう場所なのか。学校の側から見たいと思い、2年次にはスクールボランティアとして都内の公立中学校に半年間通いました。現場をみていて、現状が抱える課題を解決するための行動を教師はとりきれていないのではないか、と疑問を感じる場面もありました。一方で先生方がとても熱心で子どものこともよく見ていたことは印象にのこっています。 教育NPO−Learning for All−との出会い 2015年5月、わたしはLearning for All(以下LFA)というNPOで活動を始めました。この活動を始めてわずか4か月ですが、わたしが大学2年の終わりまでに経験してきたことって何て薄っぺらいのだろうか!と思わせるほど、多くの学びにあふれた4か月でした。 LFAは教育格差に取り組むNPOで、大学生による学習支援プログラムを東京と関西中心に定期的に実施しています。プログラムはいくつかの拠点に分かれて実施されます。生活保護受給世帯の小中学生を対象とした拠点と、各区の教育委員会と連携し1つまたは複数の小中学校から学習遅滞を抱えた子どもたちを集めて支援を行う拠点があります。指導期間は、3か月間毎週土曜に行うプログラムが春、秋、冬にわかれて実施されるほか、夏休みには5日間連続で行う短期プログラムがあります。わたしは2015年5月から3か月、小学5年生2人の指導を行い、その後8月の短期プログラムでは中学校拠点でスタッフを務めました。 もともと「教育格差」という言葉さえ知らなかったわたしがLFAへの参加を決めた理由は、視野を広げたいと思ったからです。わたしが教員を目指す中で、これまで自分が育ってきた環境を弱みだと感じてきました。それは、「恵まれた環境」であるということです。小中高大と特に問題のない、「困らない」環境で育ってきたわたしには、自分の知らない価値観をもつ子どもに出会った時、受け入れられないのではないか、という不安がつきまとっていました。 最初に担当した男の子は、学校の宿題をほとんどやらず、学校の先生から「やる気がない」と評されていました。ところが、指導を始めてしばらく経った頃、彼は「宿題もっと出してよ」「(授業が)楽しい」と言うようになりました。そして最後に実施されたテストでは「時間がなくて全部解けなかった。悔しい。」といってくれたのです。 正直このプログラムはかなりきついです。時間にして1回160分の指導のために、1週間かけて念入りに準備をします。カリキュラム、教材、小テストのどれもが、その子にあったものを用意します。結果がでなければ、どこに課題があるのか振り返り、どうしたら解決できるのか次の行動を決めます。自分の本気度は子どもの表情や結果にそのまま表れます。ですから満点のテストをみてニンマリとする子どもの顔を見たときは、わたし自身飛び上がりたい程うれしいのです。 相手に変わってほしいのなら… LFAを通して得たものは、指導方法、振り返りの仕方など数限りないですが、特に大きかったのは、「子どもの可能性を信じること」の大切さを実感したことです。態度、宿題実施率、テストの点数など表面的には困難があふれている子も、その裏にはどこかに肯定的な意図をもっています。「やればできる」と信じているからこそ、「どうしてできないのか」で終わらせず「どうしたらできるだろうか」「そのために自分は何をするだろうか」と自分の行動を変えるようになりました。 「相手に変わってほしいと思うのなら、まずあなたが変わってください。」 これは事前の研修を受けてもっとも印象に残っている言葉です。 「仮想」から「現実」へ これからのわたし 教育では「1人ひとりと向き合う」という言葉がよく使われると思います。2人の児童を前に1人ひとりと向き合った今、学校でクラスの40人を相手にしても絶対にこの気持ちを失いたくないと強く思います。一方で、本当にできるのか、という不安もあります。これから、わたしは来年の教員採用試験に向けて勉強に本腰をいれていかなければなりません。わたしのやりたい授業を子どもはどのように受け止め、そこから何を学ぶのか、子どもの目線にたって考えていきたいと思います。そして、実際に教壇にたった際には、自分が用意してきたこと、理想としてきたことのすべてを崩す勇気を持ちたいと思います。なぜなら今考える理想の授業はあくまで「仮想」の子どもを想定したものだからです。「仮想」から「現実」へ。目の前の生徒と向き合う日を楽しみにしています。 |
(まつい ちさ 國學院大學史学科3年) |
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