【寄稿】

定時制での生徒支援の現場から

鳥山 洋

はじめに
  現在、2校目の定時制に勤務し定時制の勤務も通算で20年を超えた。この間、定時制を取り巻く状況や生徒の状況、職員の勤務の条件など、定時制高校をめぐってさまざまな変化があった。今回『ねざす』編集担当者より、定時制の現状や問題点について、ということで原稿の依頼を受けたが、ここ数年、生徒支援担当として感じたことや気付かされたことを中心としたい。
 現任校勤務4年目から生徒支援担当となり、担任として自分のクラス・学年の生徒とかかわるだけでなく、スクールカウンセラーとの連絡調整や外国籍生徒支援担当としてさまざまな生徒の支援にかかわるようになった。その後、グループ業務としては生徒支援担当から交代し、また担任業務からもはずれることになったが、教育相談コーディネーターとなり、引き続き、学年・クラスに関係なく支援を必要とする生徒の対応にかかわっている。特にここ数年、支援の必要な生徒の対応で、外部の機関と連絡を取り合い、連携させていただく機会が増えた。そうした流れで、かながわ生徒・若者支援センターともかかわることともなった。以下、このような中での自分の経験をもとに述べさせていただく。

  1. 格差社会と定時制
     現在の勤務校の全日制課程は、学力向上進学重点校となっているが、全日制と定時制で、就学支援金の申請・認定状況に大きな開きがある。定時制では今年度、26年度入学生86%、27年度生92%の生徒が認定された。それに対して、全日制では26年度生39%、27年度生40%の認定率である。全日制の認定率が低いのは、言うまでもなく、所得制限により申請しない生徒が多いからである。家庭の経済格差が入学する学校、学歴の格差として現れている。
     今年度の本校定時制の入学生で、生活保護受給者の割合は12%、昨年度の入学生では20%であった。生活保護を受給してはいないが、生活水準は生活保護受給者と同等またはそれ以下である生徒もいる。その他、母子家庭・父子家庭の割合もかなり高い。定時制に通学する生徒の多くは、経済的には厳しい状況に置かれているといえるだろう。だが、実は「数字には現れない貧困」とでもいうべき問題を抱える家庭・生徒が多いのではないか、と感じる機会が多い。この点については後に触れる。
  2. 「現実から深く学ぶ」…生徒の家に足を運んで見えたこと
     「差別の現実に深く学ぶ」という、解放教育・同和教育の中で、以前から使われてきた言葉がある。生徒の家、生徒が暮らす地域に足を運び、生徒が直面している部落差別の実態を知らなくてはならない、ということである。教員になって間もなく、全同教(現在の全人教・全国人権教育研究協議会)の全国大会に参加する機会があり、それが、部落問題・解放教育との最初の出会いであった。以来、この問題は、自分自身が現場でいろいろな課題に出会うとき、常に参照する指標のような位置をしめてきた。定時制に勤務するようになってしばらくして、自分が今ここでやっていること・やるべきことは解放教育・同和教育ではないのか、と思い至った。神奈川県では、被差別部落の規模は全般に非常に小規模でもあり、部落出身の生徒に寄り添う教育実践、という意味での解放教育をおこなう機会はなかなか得ることができない。しかし、解放教育の実践に学び、生徒がどのような現実の中で、どのような課題と共に生活しているか、それを踏まえて生徒を支え、生徒の進路を保証する(確実に進級・卒業させる)ということが、特に定時制の現場では、必要とされていると思う。
     生徒の家や職場に足を運ぶ、保護者の話しを直接聞く、といったことを通じ、教室にいる生徒の姿や電話越しの声だけからはわからないことがわかってくる。そうしたことを踏まえた生徒の支援が必要だと考える。現任校でそのような経験として印象に残っている二つの例について紹介したい。
     
    (1)外国につながる生徒Aの場合
     この生徒と初めて出会ったのは、合格者説明会に欠席し説明会終了後に、提出するはずだった書類と学年費の一部を持ってきた時だった。担任をすることになったが、遅刻や欠席もしばしばあり、職員室では「南米気質のルーズなところの目立つ生徒」というように思われていた。しばらくして授業料が支払われず、免除の手続きについての連絡もうまく通じていないようで、日本人の父親と何度か電話で話したが「子供にまかせている」というだけで、何の進展もなかったため、通訳の方と家庭訪問をして外国籍の母親から話しを聞くことにした。母親の母国で日本から仕事で来ていた現在の父と知り合い、結婚して日本で暮らすことになったが、日本に来てしばらくすると、いろいろ食い違うことが多くなり、現在では父親とほとんど会話はない、離婚も考えているのだが、そうすると日本で生活できなくなるのではないか、と不安である、とのことだった。「やはり、日本で生活することを望まれますか?」という質問に対する母の答えが印象に残っている。「日本がいい。安全だから。」というのである。その後、母親を在留資格などについての相談窓口につなぎ、生徒の生活もしだいに安定した。
     卒業までにはいろいろあったが、最終的には無事に卒業することができた。家を訪ね、母親の話しを聞かなければ、「学校に目が向いてないルーズな生徒」という見方を、自分もしていたかもしれない。しかし、遅刻や欠席の背景には、生活への不安やアルバイトに力を入れなくてはならない状況や、その他いろいろなこの生徒なりの課題があった。そうした「現実に深く学ぶ」ことの大切さを改めて知った経験であったと思う。

    (2)サポステにつないだ生徒Bの場合
     入学直後から欠席が多く、心配であった生徒で、なにかしら発達の課題もありそうに見えていたが、ある時、生徒指導上の問題行動があり、母親に連絡を取る必要が生じた。以前から連絡の取りにくい保護者であったが連絡がつかず、そのうち生徒本人も学校に来なくなり、特別指導をする必要もあり、やむを得ず家に行くことになった。家には誰もいない様子で、仕方なく置き手紙をして帰ろうとしたところ玄関のドアが施錠されていないことに気付いた。恐る恐る開けて見ると生徒は中に居た、が、ドアを開けて驚いたのは、部屋の中の様子であった。玄関から雑多な物が乱雑に積み重なり、普通に生活できるような環境ではないのである。聞くと、母親はめったに帰宅せず、時々、お金や米を置いていくので、それで食べつないでいるという。特別指導の後、よこはま若者サポートステーションの個別相談へつないだ。何とか一人で生きていくことがこの生徒の大きな課題と思われたことと、学校での様子から判断して、自分の力だけでバイト先を見つけたりするのが難しいと判断されたからであり、この生徒の場合、ただ学校に来て卒業するだけでは、何にもならないように感じられたからであった。
     最終的に、学校は退学することになったが、その後もサポステにはお世話になり、簡単ではなかったが、サポステ経由で福祉にもつながることができた。退学後しばらくして、ひょっこり学校に来たことがあったが、顔色や身なりから、以前より生活が落ち着いたように見え、安心させられた。この生徒の事例をきっかけに、何人かの生徒についてサポステでの個別相談をお願いし、以後、サポステとの連携が継続している。
  3. 「こころの貧困」という言葉
     先日、ある集会で「こころの貧困」という言葉を聞いた。高校生の貧困がテーマの集会であった。「こころの貧困」とは、経済的な貧困が、お金の問題だけではない幅広い問題につながっていくということを言い表しているように思われる。単にお金の問題だけではない、さまざまな困難を抱えてしまっている生徒は多い。「こころの貧困」というとらえ方に共感できる部分もある。しかし、「こころの貧困」は「こころの問題」では終わらず、現実の貧困や困難につながるのだと思う。その点を確認しておきたい。自分に自信が持てないとか、他人との関係をうまく築けないとか、困難に直面した時「あともう少し」ががんばれないとか、そういうことが、住まいや職を失ってしまったり、ということにつながる、そういう場面に出会うことも多い。「こころの問題」にも配慮しつつ、でも現実生活における困難に陥らないような生徒支援を行わなくてはならないと思う。
  4. まとめにかえて…喫緊の課題
     サポステとの連携だけでなく、様々な学校外の組織の方々の力を借りる機会が増えた。生徒が通院する病院のドクターや外国につながる生徒の支援者、児童相談所や保護司の方々などの他、横浜市各区の生活支援課に配置されている教育支援専門員の方々からは、入試のことや在籍している生徒について、問い合わせや相談をいただくことも多い。そうした学校外の方々と相談や連携をさせていただくと、学校の教員だけでは対応できない事が増えてきたことを感じる。今年度から配置されたスクールソーシャルワーカーも、生徒支援のために有効な仕組みだろう。
     しかし、生徒支援を考えた時、まず重要なのは、第一線で生徒と接する担任をはじめとした学校の職員が、どれだけ生徒や生徒の家庭のかかえる課題から「深く学ぶ」ことができているかどうかだと思う。まず、教員が問題を把握できなければ、外部の組織やSSWにつなぐことなどできない。また、問題を外部に「丸投げ」するような外部との連携では、何の意味もないと思う。教員が、生徒の課題を的確にとらえることができているか、何といってもそこが肝心だろう。
     また、これから定時制の生徒が減少に向かう傾向がはっきりしてくると思われるが、生徒のかかえる課題は多様かつ複雑になってくるだろう。定時制に、経済的な困難とともに様々な課題を抱える生徒が集中する傾向はむしろ顕著になると考えられる。そうした中で、定時制の教職員が生徒数に合わせて機械的に減らされていくとすれば、十分な生徒支援を行う体制を作ることは困難になるだろう。効果的な生徒支援がおこなえるような体制をどう作っていくか、教員が定数減となる可能性の高いこれからの定時制の現場において、早急に検討され実現が図られるべき課題であると考える。


(とりやま ひろし  横浜翠嵐高等学校定時制教員)


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