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世代交代物語

田村裕司
若者から年寄りに飛び級
 次の誕生日で50になります。このところやたらと老いを実感します。肉体が衰えました。目も耳も記憶力も判断力も。肉体の変化は誰にでも訪れるわけなのですが、わたしがひとしお老いを感じるようになったもう一つの背景は、世代交代です。ここ数年、団塊世代・百校計画世代の先輩方の大量退職と、これに代わった大量の新採用が一気に進みましたね。数年前までは採用自体が限定的で、わたしたちの下の世代はあまりいませんでした。いわばわたしたちは、20年近く一番若い世代に位置しつづけていたのです。新しく迎えた後輩たちとつきあいながら、徐々に年齢を重ねるという脳の経験をしていません。中堅世代の体験・記憶のないまま、若者からベテラン・年寄りに飛び級してしまった感覚です。
 今でもわたしは、県や文科省から降ってくる突拍子もない指令によく腹を立てて騒ぎます。そんなとき若者たちは、一緒に腹を立ててくれません。八つ当たり以外の何ものでもありませんが、さすが「ゆとり世代」、鈍感なんじゃないかと思ったりします。もちろん、意識が共有できないのは、彼らが怠け者だからではありません。バブル期に20代前半を過ごし、若手の教員時代は「県立高校改革推進計画」以前ですから、わたしたち世代は、若い頃からちょっと生意気でした。一方彼らにとって、人事評価システム、説明責任、成果主義などなどは、既存のシステムだったり概念だったりします。問題意識を共有せよとか、矛盾を攻撃しろとかいうのは酷です。彼らと意見交換や議論をしながら、状況を改善する工夫をしていくのが建設的なのだということは、頭では理解しています。
 つきあう若者(成人)といえば、ほとんどが教え子でしたから、話をするとどうも説教じみてしまう気がします。優秀な新採用の彼らのプライドに配慮しながらの声かけなんて、不作法なわたしには難しすぎます。ただでさえ若者は若者同士で集う方が居心地いいのです。適度な距離を保つべきだと思いました。3年前、S高校で一回り目の卒業生を出すまでは、自分の仕事だけで手一杯ということもありました。若者へのお節介をするゆとりもありませんでした。それに同僚の中には、何かと若者を率いるのが好きなおじさんがいましたから、そういう人たちに若者のお相手は任せた方がいいと思っていました。

今の若者たち
 卒業生を出した翌年、わたしと若者との関係は新しい段階に進みました。担任ではなくなって、こちらにゆとりができたのですね。新採用Aさんの指導教諭になりました。勉強熱心でいい若者です。部活動指導も熱心で成果を上げています。彼のいいところは反応が早いところです。職場で疑問に思ったことは、教科の内容でも、学校運営上の問題でもすぐに先輩に聞きに来るのです。納得しながら勤務するということは、精神衛生上とても大事なことです。同じ年度、新採用2年目、初担任のNさんの副担任になりました。S高校は生徒の生活指導や特別指導が多い学校で、おそらくこれが、本校教員の多忙化原因のトップでしょう。新採用2年目で初担任となった何人かのうち、ほぼ毎年誰かが体調を崩します。「もう教員を辞めたい」とうったえた若者も何人もいました。Nさんも生徒同士のいざこざから発生した保護者対応などで苦しみました。担任の指導が悪いのだといって、勤務時間であるなしに関わらず、電話でNさんを個人攻撃しつづける保護者です。彼の偉いところは逃げないところです。責任感とか誇りのある若者です。この保護者とも誠意のある対応をつづけ、一学年を修了することができました。翌年わたしが二回り目の担任となったとき、副担任になってくれた新採用のKさんは、向上心の高い女性です。ロングホームルームや三者面談なども立ち会わせてくれないかと、遠慮がちに頼んできます。いつも自分から仕事を探しているような感心な若者です。

本音トーク
 若者はエネルギーもあるし前向きで頼もしい。こうしてわたしは、楽観的な若者観を抱くようになりました。やがて、これがある意味無責任で、あまりにも表面的な認識だということに気づきました。実は若者は、悩みもがきながら自分を維持していたのです。今年になってから、ようやく卒業学年となったNさんを含めた、数人で飲んだときのことです。はじめは、経験を重ねて、保護者のクレーム対応もうまくできるようになってきたと、自信を語っていたNさんが、突然泣き出してしまいました。保護者からの攻撃が多いのは自身のふがいなさが原因じゃないかとか、自分が正顧問を務める部活の生徒が次々に退部して、ゼロになってしまったのは、自分の指導力に問題があるからじゃないかとか、思考や感情が、自分を責める方向に進んでしまったようです。それは彼の隠していた本音かもしれません。しかし隠したまま埋め込んでしまうのではなく、解放してよかったのではないかと思いました。この夜はみんなで、本音で話し合った実感を得ました。わたしは「世界は物語でできている」という言葉が好きですが、わたしたちはこのとき物語を共有した気がしました。
 またこの夏、S高校では「授業スタンダード」作成プロジェクトというものに取り組んでいます。細かく触れる余裕はありませんが、S高校の授業をよくするために、自発的に集まったメンバーが話し合っています。そのなかで、今年初担任になったある若手教員が、悲痛な叫びを発していました。自分たちは経験もないのに業務に追い立てられて、教科指導も生活指導もどうやっていいのかわからないと。すぐに解決策の出ることではないのですが、それまで、会合には行儀よく参加している印象の強かった彼にしては、本音の発言だったと思います。この本音トークというのは、とても大事なことじゃないかと思います。S高校は若者の組合員率が高い学校です。5人の新採用なら4人が加入します。加入の理由を聞いてみると、労働者だから当然とか、学校の性格上、裁判沙汰になることも想定してという若いお父さんもいますが、ほとんどは「(若者のほとんど)みんな入っているから」という漠然としたものでした。でも意外に真相は、この本音トークじゃないかって思います。若者が、上の世代に本音をぶつけても大丈夫だという安心感が影響しているのではないでしょうか。そういえばS高校のベテランは、若者に押しつけることなく仕事をよくやりますし。
 わたしは自分と職場の若者との交流について考えていて、一昨年懲戒免職処分となったA高校の男性教諭(24)のことを思い浮かべました。陸上部の合宿中の夜、飲酒して生徒らを指導し、プールにいれた結果、生徒2人が肺炎などの体調不良となってしまった事件の当事者です。報道された以外の情報の全くないわたしですが、もしわたしが彼の同僚だったら、なんて思うのです。まったくの想像ですが、優秀で意識も高かったであろう若者を、こうした蛮行に進ませないでおくつきあいができただろうかと。

 (たむら ゆうじ 神奈川県立高校教員)


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