●特集U● 大震災・原発災害の中で子どもたちは
災害の中の子どもたち

 佐々木 賢
環境と体験
  乳幼児期の体験について、 アメリカで長期の調査が行われた。 a貧困、 b庶民、 c中流の 3 階層を比較したら、 話かけられた言葉の数はa1200万語、 b3000万語、 c5000万語であり、 学童期に同じ調査対象者を再調査したら、 幼児期の体験が学業成績に正確に比例した(「中流社会を捨てた国」 ポリー・トインビー著 東洋経済新報社)。 言葉に代表される文化が継承され、 経済的格差の土壌となっていることが分かる。
 日本での全国学力調査 (2013年) の結果、 年収 200万円以下の家庭の子の算数正答率が45.7%なのに、 年収1500万以上の家庭の子は71.5%であった。 親の年収は会話、 読書、 行事等の文化に影響し、 それが学力に影響した。 東日本大震災と原発被害に遭った当地の子どもたちが、 その環境と体験故に、 さらに格差が広がることが予想される。

国内植民地
 福島を含む東北 3 県は昔も今もそして未来も国内植民地と見た方がいい。 「もんじゅ」 のある青森、 公害の水俣、 原爆の広島・長崎、 基地の沖縄と同じ立場にある。 大企業と富裕層と中流層が集中する首都圏に電力と農林水産物と 「安全」 を供給するため、 犠牲にされた地域である。
 岩手県の陸前高田高校の生徒500人中、 死亡と行方不明者は22名いる。 子どもは全国に転出し、 児童生徒数の減少で学校の存続が危ぶまれる。 宮城県では児童生徒の死亡327名行方不明35名いて、 教師の人事異動で、 被災を体験した教師が 3 割しかおらず、 不登校者も増え、 大混乱が起きた。 福島県では原発被害に遭い、 健康不安を抱えて故郷を追われ、 避難先でいじめられ、 子どもの心が荒んでいる (座談会 「東日本大震災・原発災害と学校検証」 『教育ひょうご』 14.2.1 )。
 東北 3 県では転出と不登校で18歳以下の子どもたちが激減し、 住居と就職の不安がある。 中でも福島県では出産や食料への不安がある。 原発の冷却放水漏れで海底魚汚染があり、 藁や木材や農作物への汚染も心配され、 ストロンチウムやプルトニュウムの放出が未発表とあっては不安は募る。 筑波産の稲苗、 蝶の 「ヤマトシジミ」、 高線量地帯の鶯、 日本猿のDNA関連遺伝子変異があり、 動植物の異常が学者たちに指摘されている ( 「原発災害と生物・人・地域社会」 飯館村放射能エコロジー研究会主催、 13.3.30)。 最も不安なのは、 政府とマスコミが庶民の生活に重要な事を報道しないことである。
 被災地差別がある。 阪神・淡路の震災の時、 兵庫県では教職員128人が加配されたが、 福島県では75人が減らされた。 「児童生徒数が減少したから」 という理由だが、 福島の教職員は329人に兼務発令が出され、 遠方の児童生徒の転居先に兼務させられ、 超多忙の日々を送っている (資料集 東日本大震災と教育界 明石書店)。
 経済同友会の 『構造改革型復興理念』 には 「日本創生の先進モデルとして成長戦略目標を立て、 国際競争力を強め、 集約的に資本を導入し、 漁業や農業を会社組織にし、 企業を整理して大規模化を促し、 総額 6 兆円の復興基金債を発行する」 という。 災害を利用して構造改革を進めようとする大企業と、 それに従う国は確信犯であることが分かる。

人の絆
 被災地の子どもたちの困難な状況を 3 点に集約してみる。 第一に、 活動の場が失われた。 広場は避難所に使われ、 走り回って遊ぶ所がない。 第二に、 避難や転居のため、 友だちが離散した。 第三に、 自分のしたいことが出来ず、 自由と裁量権がなくなった。 大人たちが補助金や避難先のルールに従わざるを得ない状況にあるからだ。 活動の場と友だちと自分の意志が発揮できない八方塞がりの状況でどう生きていったらいいのか。
 福島朝鮮初中級学校の教師 8 名生徒16名が新潟県朝鮮初中級学校に自主疎開した。 教師と保護者が勉強会で放射線被曝の危険性を知り、 新潟県の朝鮮初中級学校の教師と保護者の協力を得て実現した。 前提として、 日頃から教師と保護者と地域住民の話し合いの習慣があり、 県外の学校との交流があった。 自分たちの問題は自分を含めた関係者が一緒に考える素地があった (前掲、 資料集。 及び、 「原発災害の福島朝鮮学校の記録」 明石書店)。 つまり、 政府や資本の言動にそっぽを向いて生きる知恵を身に付けていたのだ。
 ダニエル・アルドリッチ、 米パデュー大学准教授は大学卒業後、 ニューオリンズ大学に着任直後にハリケーン・カトリーナで被災した。 職場は解雇され、 住む所もなく、 食べ物も不足した。 連邦緊急事態管理局に援助を要請したが、 返事が来たのは半年後であった。 その時、 一番頼りになったのは近所の人や友人や知人であった。 被災後の生活再建に必要なのは政府でも保険会社でもなく、 人間のネットワークであることを痛感した。 社会学者である彼は研究テーマを 「災害時の人間関係」 に切り換え、 来日してから関東大震災や阪神大震災の資料を調べた。 再建が早かったのは、 行政や企業が提唱する物的投資の復興Recovery 地域ではなく、 住民の土地への愛着、 隣人との信頼関係、 皆で解決する話合いの習慣がある地域であることが分かった。 この地域の力を 「復元 Resilience」 と言う。
 上記の 2 例は同じことを言っている。 生活再生に必要なのは、 物や道路や建物ではなく、 日頃からの人間関係が大切だということだ。 日本政府は 「教育再生」 などと言っているが、 地域の力による 「生活再生」 の方が大切だ。 政府に物質的援助を要請する姿勢は否定しないが、 その精神は地域の力に拠って事を進めなければならない。 「援助してもらう」 のではなく、 権利として 「援助させる」 活動である。
 援助が無くとも、 地域で独自に生活していく道がある。 消費社会に慣らされ者には困難に思えるが、 ほんの数十年前までは自給自足の生活部分が多かったし、 国民国家が生まれる以前の数千年の歴史は地域の生活が主だった。 その庶民生活の知恵を現代に生かす試みが始まっている。 西欧諸国で、 物々交換の店を開き、 低家賃の家屋をシェアし、 共同経営の食堂で会食し、 安価な太陽光発電機を作り、 住民が近隣の農家と連携し、 農作物栽培と販売の共同経営をし、 住民の共同出資の牛乳工場を作っている (佐々木賢 「就活しないで生きるという選択肢」、 『現代思想2013年 4 月号』 )。 積極的な生活再生の道である。
 抑圧の強かった奴隷制の時代から庶民の生きる道は支配者への不服従の精神だった。 西インド諸島最南端に1962年に独立したトリニタードドバコ共和国がある。 アフリカから奴隷として売られて来た人々に生きる勇気を与えたのは太鼓を叩きながら、 故郷への思い馳せることだった。 だが白人は 「反政府行動だ」 として太鼓を禁止した。 すると、 野生の竹を道路に突きつけリズムをとった。 「道路を傷つける」 という理由でこれも禁止した。 島に石油が発掘され、 大量に捨てられた使用済のドラム缶に木槌で凹凸をつけ音階を作り、 「スチールパン」 という楽器を創り出した。 貧民のためにはジュース缶も利用した。
 長期間の無言の抵抗に遭い、 支配層もこれを禁止することを諦めたという。 奴隷状態にあった貧困と労苦を克服し、 民族固有の文化を保存することが出来た。 彼らは 「楽器が我々を守ってくれる、 俺たちの武器だ」 と言う ( 「世界一ドラム缶を叩いた人々」 NHK 14.3.20放映)。 支配されても、 魂を売り渡さない不服従の精神がここにある。 訪問者が現地の人に 「東日本大震災の時、 音楽を一時中止したが、 あなたはどう思う?」 と質問した。 「自粛は当然だ。 だが悲しみは一時で、 人生は先に進む。 今は通過点にあり、 路上の精神を捨てるな」 との答えが返ってきた。 「路上の精神」 とは創造的不服従の精神とでも言える。
 被災地の子どもたちの苦悩は、 活動の場と友だちと意志を奪われたことにあると先に述べたが、 苦悩の克服には、 逆にこの 3 つを復元することにあると思う。 災害を利用して利権を得ようとする体制に抗するには、 創造的不服従の精神で固有の文化を守り、 人の絆を大切にしていく道である。

(ささき けん 研究所共同研究員)
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